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あんな頼み方、ヒキョーだよな。
アイツの中には、自分が演劇祭をぶち壊したって罪悪感があるんだから、断われるワケねえじゃん。
「……あ」
「――おう」
昼休み。食堂からの帰りに、廊下でばったりメガネ女と出くわした。
体操ジャージを着ているので、グラウンドに向かうところなのだろう。
「……今から体育?」
「あ、はいそうです」
メガネ女の態度は普段通りだった。
でもなぜか俺は目を合わせられなかった。
何かを、言いたいんだけど、何も言葉が出てこない。
黙ったままの俺を、メガネ女が不思議そうな顔で見つめてくる。
なんだかおかしな空気が二人の間に流れた。
――あの公園で待ってるから。
昨日の、瀬名の言葉を思い出した。
瀬名はあの後、メガネ女の返事を待たずして足早に去って行った。
一人残されたメガネ女は、しばらくは茫然としていたが、やがて歩き出して帰って行った。
最後まで俺は声をかけられなかった。
「……お前、今日もバイト?」
さりげなく聞いてみた。
メガネ女は「いえ」と、いつもと変わらぬ笑顔で言った。
「今日はバイトじゃないんですけど、ちょっと用事がありまして……」
全身の毛が逆立ったような気がした。
――マジか。
マジで言ってんのか、お前。
瀬名の待つ公園に行くつもりなのか。
――だって私、瀬名君のこと好きだったから。
結局、お前と瀬名は両想いだった。
なのに、二人とも自分が失恋したと思い込んでいた。
その誤解が解けて、お互いの気持ちを確かめ合った今、この状況で、お前は瀬名の待つ公園に行くって言うのか。
「――高宮君、ちょっといいですか?」
ハッと振り返ると、見知らぬ女子が立っていた。
小柄で、茶色い髪をポニーテールに結い上げている女子生徒。
頬を赤らめて、「ちょっとお話が……」と、やや緊張した面持ちで言う。
この態度はどう見てもアレだ。
まただ。
また頭が痛くなってきた。
「ええと、じゃあ、私はこれで……」
空気を読んだのか、メガネ女は曖昧な笑顔を浮かべて、いかにも「邪魔者は退散します」といった雰囲気でそそくさと去って行った。
ここで去るのかお前は。
それでいいのかお前は。
俺の頭痛とイライラは極限に達しそうだった。
「――入学した時からずっと高宮君のことが好きでした! 私とつき合って下さい!」
頭が痛い。
次の授業はサボろう。
保健室で頭痛薬をもらってベッドで眠ろう。
そうすればいくらかマシになるはずだ。
「あの……高宮君?」
目の前のポニーテール女子が、俺の顔を覗き込んできた。
ああそうだった。
話があると言われて校舎裏まで連れてこられたんだった。
「ごめん、何だっけ?」
「ええとだから、好きです私とつき合って下さい!」
「ムリ」
「……ですよね」
ポニーテール女はガックリと項垂れた後、すぐまた顔を上げて、
「D組の立花さんとつき合ってるって噂、本当なんですか?」
と、聞いてきた。
「そんな噂があるの?」
「はい。学校中で話題になってますよ。主にファンクラブの人たちが話してるのを聞きました」
「……ファンクラブって何?」
「え? 知らないんですか? 高宮君を愛する人たちが作った、氷の王子様ファンクラブ」
高宮君公認だと思ってました、とそいつは言った。
公認なワケねえだろ。知らねーよ。いつの間にできたんだそんなモン。
なんでこういうのはいつも本人のあずかり知らぬところでこっそり設立してるんだよ。
「二人がつき合ってるっていう噂がもし本当だったら、立花さんを許せないってファンクラブの子たちが息巻いてましたよ」
マジかそれ。
許せないってどういうことだ。何やらかすつもりだソイツら。
「で、立花さんとつき合ってるんですか?」
ポニーテール女に面と向かって質問されて、俺は返答に困った。
――恭一様のファンを変に刺激するのも怖いですしねえ。
メガネ女の言葉を思い出した。
アイツはこうなることを予測していたのだろうか。
ここで本当のことを言うべきか否か。
言った場合は、アイツに危害が及ぶのだろうか。
「――ちょっと! 終わったんならさっさと交代しなさいよ!」
「そうよそうよ!」
「まだまだ後がつかえてるんだから!」
「早くしてよ!」
後ろからの声に振り返ると、少し離れたところに三十人くらいの女子生徒が一列になって並んでいるのが見えた。
「なんだあの行列」
と、俺が言うと、
「今から高宮君に告白する女子の行列です」
ポニーテール女が平然と答えた。
――はあ?!
俺に告白する行列ってなんだ?!
確かにこちとら年中あちこちで告白されてるけど、あんなに大勢がしかも一列に並んでるのなんか初めて見たわ。
「いや意味分かんねえんだけど。なんであんなに集まった?」
「今日、高宮君が珍しく食堂でお昼食べてたからですよ。しかも一人で」
「一人で食ったらなんでこうなる?!」
「そりゃあ一人で食べてたら、『高宮君やっぱフリーなんだ! 今がチャンス!』ってなりますもん。私もそう思いましたし……」
食堂で一人でメシ食うのは今後やめよう絶対に。
「あ! 王子が逃げた!」
冗談じゃない。アイドルの握手会じゃねえんだよ。
俺はダッシュでその場から逃げた。
当然、女子たちも猛スピードで追いかけてきた。
パンツ丸見えもお構いなしで全力疾走してくる女どもの迫力は怖いなんてものじゃなかった。
「王子どこ行った?!」
「あっちよ!」
「こっちじゃない?!」
「王子どこーっ?!」
「王子様ーっ!」
「お願い王子様出てきてえー!」
体育倉庫の裏に身を潜めて息を整える。
王子王子と甲高い声が聞こえる度に、頭の痛みが増幅するのを感じた。
そう言えば入学したての頃は毎日ずっとこうだった。
いつからだろう、頭痛がしなくなったのは。
――王子が王子である限り、私は王子の従者ですよ。
分かってる。
この頭の痛みは保健室に行っても治らない。
「――あの窓のとこにいる演劇部の部長さんを呼んで欲しいんですけど」
女どもを上手く撒いた後、そのまま三年生の教室に行った。
入り口付近にいる女子に頼んだら俺の顔を見たまま動かなくなってしまったので、代わりにすぐ近くにいた男子に声をかけたらその男子も俺を見て動かなくなってしまい、仕方がないので自分で教室の中に入った。
「え、ちょ、どうしたの高宮君!」
俺がそばまで行くと、部長は嬉しそうに笑ってくれた。
身長は俺よりもやや低めだが、同学年にはない落ち着いた雰囲気があり、やはり三年生は大人だなあと感じた。
「高宮君の方から俺に会いに来てくれるなんて光栄だよ! でもあそこで何人か固まってるけど何かあったの?」
「分かんないです。俺が話しかけたらあんな風になりました」
「高宮君はメドゥーサなの?」
「部長、頼みがあるんですけど」
「あ! もしかしてロミオ役を引き受ける気になってくれたとか?!」
「まあ、それも、考えなくもないです」
「マジでか! やったあ!」
「それより部長」
「うん、なに?」
「この後の授業、サボれます?」
――うちの学校では、毎週金曜日の六時限目は全校集会が開かれる。
体育館に全校生徒が集められ、行事の説明や諸注意、生徒会からのお知らせ、表彰式、時には風紀検査などが行なわれる。
「――ねえねえ高宮君、最初の説明は俺にさせてくれないかなあ?」
部長がつぶらな目を輝かせながら言った。
「いいですけど……たぶん後で先生にめっちゃ怒られますよ?」
「教師が怖くて演劇部の部長は務まらないよ!」
「ヘタしたら停学とかなりますよ?」
「停学が怖くて演劇部の部長は務まらないよ!」
「最悪、退学になるかもですよ?」
「もし俺が路頭に迷ったら高宮君のお父さんの会社で雇ってくれ! いやそうじゃなくて! 高宮君を見てると何と言うかこう、どんなことをしてでもキミに仕えたい、キミの下僕になりたい、そんな気持ちがふつふつと湧いてくるんだよ! こんな気持ちは初めてだ!」
「下僕はいらないですけども。――あ、校長の話終わったみたいですよ」
「よしきた! 任せろ!」
話を終えた校長が壇上から下りて行く。これで今日の全校集会はお開きだ。
舞台袖で俺と一緒に待機していた部長が勢いよく飛び出した。
「えー、お集りの全校生徒諸君! ちょっとお時間よろしいでしょうかこちらにご注目!」
壇上のマイクで部長が話し出すと、体育館内の生徒たちがざわつき始めた。
教師が止めに入る前に手早く終わらせなければならない。
「氷の王子様より、皆様にお知らせがございます! さあ王子様どうぞこちらへ!」
俺が上手から舞台中央へと進むと、
「――きゃああああああああッ!!」
絶叫に近い女子たちの悲鳴が体育館を包んだ。
俺が今着ている衣装は、たっぷりとフリルレースのついた白いブラウスに、銀のチェーンと装飾が施された青いベスト、膝の辺りまであるロング丈の紺色ジャケット、青いズボンに黒革のロングブーツ。
演劇部部長が用意してくれたのは、「ロミオ風」ヨーロッパ貴族コスチューム。
部長いわく、「高宮君が本当にロミオやってくれるならキミに合わせた衣装を作るから、これはあくまでイメージ衣装だから」だそうだ。
「こんにちは、高宮恭一です」
壇上のマイクで話すと、女子の悲鳴がさらに大きくなった。
そろそろ耳が痛い。
いい加減に黙れよお前ら。
俺はにっこりと王子スマイルを作り、人差し指をゆっくりと唇の前に持っていった。
すると途端に絶叫は止み、体育館はしんと静まり返ったが、何人かの女子生徒が倒れる音が聞こえた。
「時間がないので手短にお話しますね」
教師が数人、こちらへ止めに来ようとしているのが目の端に見えた。急がなければ。
「――俺、高宮恭一は、一年D組立花真知子専用の王子様になりました。文句がある奴はこの俺が容赦なく叩き潰すんで覚悟してかかってこい」
いやあああああああっ!! と女子の奇声が体育館中にこだました。
また何人かがバタバタと倒れるのが見えたが今はそんなことに構っていられない。
「王子様、さあこれをどうぞ!」
部長が従者のように恭しい動きで、大輪の白バラの花束を渡してくれた。
花束を受け取り、俺たちを止めに来た教師の間をすり抜けて、素早く壇上を駆け下りる。
「さあ道を開けた開けた! 王子様のお通りだよ! 一年D組はこちらでございますよ王子!」
やけに嬉しそうに先導する部長と共に、一年D組を目指して歩く。
さすがは演劇部部長、注目を浴びるのはお手の物らしい。
生徒の波が、モーゼの十戒みたいに左右へ分かれ、俺たちはその中心を突き進んだ。
「――よお。いい感じのアホ面してるな」
メガネ女の前で足を止める。
周りでは女子がキャーキャーと猿みたいな声を上げている。
トマトより真っ赤な顔で口をパクパクさせているメガネ女は予想以上のマヌケ面だった。
――王子が王子である限り、私は王子の従者ですよ。
お前がそう言ってくれたから。
俺はとことん王子でいてやろうと思ったんだよ。
お前に「王子」と呼ばれても頭は痛くならなかったんだよ。
お前に「王子」と呼ばれるのは嫌じゃなかったんだよ。
最初はなぜだか分からなかったけど。
それって、つまりは、こういうことだろう?
俺は花束を抱えたまま、その場にゆっくりと跪いた。
女子の悲鳴だけでなく、男子生徒のはやしたてる声も混ざり、体育館内は大盛り上がりとなった。
「きょ、きょっ、恭一様! おおおおやめ下さい、王子がそんな簡単に膝を折っては……」
「行くなよ」
「へッ?」
「瀬名の待つ公園に、今日、行くんだろ?」
「え、なんで……」
「全部知ってるよ。お前と瀬名が両想いだったってことも」
お前が俺より瀬名を選ぶんなら、それも仕方ないかと、一瞬思った。
同じ演劇を志す者同士で、俺よりも瀬名の方がお前に合ってるんじゃないかとも思った。
だけど、
それでも俺は、
「――周りに何を言われようとも、俺はお前を一人にはしない」
例え世界中からお前が非難されたとしても。
お前の一番近くにいたいんだ。
入学してからずっと孤立していた俺に、お前が寄り添ってくれたみたいに。
「だから、行かないで欲しい」
跪いたままの姿勢でメガネ女の顔を見上げ、真剣なまなざしで言った。
すると、メガネ女の鼻から赤い血が流れた。
――お前なあ。
「ご、ごご、ごごご誤解です恭一様っ!」
「……いいから鼻血を拭けよ」
「瀬名君には、ゆうべのうちにメールできちんとお断わりしたんですよ!」
――は?
メールで断わった?
「私の頭の中は恭一様でいっぱいだから、瀬名君の気持ちには応えられないし演劇祭の協力もできないって伝えました。だから公園にはもともと行くつもりはありませんでした」
「でもお前、今日用事があるって……」
「ああ、それはあの、――コレです」
ポケットから一枚の紙を出してきた。
どこかのオーガニックショップのチラシらしく、『頭痛によく効く天然オリジナルブレンドハーブティー』のところに赤いマジックで丸が描かれていた。
「恭一様、昨日から頭痛がひどいみたいですから、学校終わったらソッコーでそれを買いに行こうと思いまして」
それ限定商品だから早く行かないと売り切れちゃうんですよ、とメガネ女はティッシュで鼻血を拭いながら言った。
「……なんで頭痛がひどいとかお前が知ってんの」
「顔を見ればすぐ分かります。今日食堂でもこめかみ押さえてましたし」
「お前今日、食堂にいなかったじゃん」
「私はいつでもどこでも恭一様を見つめておりますよ」
メガネ女がにっこりと微笑んだ。
――なんか、
なんだか、
なんだかなあ。
どうあがいてもコイツには敵わねえなあ。
俺は自然と笑みがこぼれた。
「悪いけど、コイツはいらねーわ」
「え、そうなんですか? ハーブティーお嫌いでした?」
「頭痛にはこっちのが効くから」
立ち上がってメガネ女の顎をつかみ、そのまま口づけた。
耳をつんざくような女子たちの悲鳴で今度こそ鼓膜が破れるかと思った。
***
「おはようございます恭一様!」
「……なにやってんのお前」
月曜日の朝、校門前に人だかりができていた。
何かと思って覗き込んでみると、
「エヘヘ、僭越ながら私も恭一様のお気持ちにお応えしたいと思いましてエヘヘ」
――ワニの着ぐるみを着たメガネ女が立っていた。
全身が緑色の、もこもことした着ぐるみ。
ワニの口の部分に丸い穴が開いていて、そこにメガネ女のニコニコ笑顔がある。
「ロミオコスをしてくれた恭一様に、私もコスプレでお応えしようと思ってやってみました!」
「いやいや、だからって、なんでワニ?」
「最初はジュリエットコスをしようと思ったんですけど、私といたしましては王子に守られるばかりでなく私も王子をお守りしたいので、でも従者や騎士コスでは普通すぎるから王子を守るドラゴンにしようと思ったんですけどうちの演劇部にドラゴンの着ぐるみはなかったのであきらめてワニにしました」
「あきらめすぎだろ。てゆうかロミオってドラゴンに守られてたっけ?」
「いえロミオが、というワケではなく、王子を守るドラゴンは一般論です」
「いやドラゴンの存在が全然一般的じゃねえんだけど」
「私の中では一般的なんですけど」
「お前の中の特殊な世界観を一般にするなよ」
中学一年の時、俺はバスケ部を三ヶ月でやめた。
俺以外の奴がとてつもなく下手だったから。
でも、心のどこかで思っていた。
どうして俺のパスは誰にも届かないんだろうって。
もしかしたら、
一番下手なのは俺なのかも知れないって。
だけど今は――
「ドラゴンよりもユニコーンの方がいいですかね?」
「そういうことを言ってるんじゃねーよ」
「ところでユニコーンとペガサスの違いって何ですかね?」
「俺に聞くなよググれカス」
――俺が出しためちゃくちゃなパスを、持ち前のガッツで何が何でも受け止めてくれるスゲー奴が現れた。
「ちょっと待って下さい恭一様!」
「何だよ」
「もっとゆっくり歩いて下さい、この着ぐるみ着てるとあんまり早く動けないんですよ!」
「恥ずかしいからついてくんな」
「ついていきますよどこまでも!」
ぎゃあぎゃあ喚きながらついてくるワニは無視して、俺は足早に校舎へと向かった。
歩きながら見上げると、雲一つなく晴れ渡った秋の空。
先日まであった頭の痛みは、すっかりどこかへ消えてしまった。
第9話「王子の宣言」end




