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――高宮、確かにお前には才能がある。だがな、バスケは一人でプレイするものじゃないんだ。
バスケ部の顧問にそう言われた時、「何言ってんだコイツ」と心の中で思った。
そして俺はバスケ部をやめた。
こんな弱小チームにいても意味がないから。
でも、心のどこかで思っていた。
どうして俺のパスは誰にも届かないんだろうって。
もしかしたら、
一番下手なのは俺なのかも知れないって。
「――お願いします! 演劇部に入って今度の文化祭でロミオ役をやって欲しいんです!」
「すみません嫌です」
今の俺に「演劇」というワードはちょっとしたタブーなんだよふざけんな。
そこをなんとか! と頭を下げ続ける演劇部の部長に、「俺よりも天坂光輝君が適任だと思いますよ」とだけ言ってその場を立ち去った。
昨日がバスケ部で、今日が演劇部とか、立て続けに部活の勧誘ばかり一体なんなんだ。
朝からズキズキと頭痛が止まらなかった。
――食堂も教室も落ち着かないので、昼休みは校舎裏にある木陰のベンチで過ごすことにした。
ここなら誰も来ないし、日陰で暑さも凌げるのでなかなか快適な穴場スポットだ。
サンドイッチを頬張りながら、必死に頭を下げる今朝の演劇部部長の姿をぼんやりと思い出す。
演劇に賭ける情熱とは、どんなものなのか。
俺にはよく分からないが、せっかくの演劇祭をアホのせいでぶち壊されたのはさぞかし悔しかっただろう。
〝恭一様が学校来なくなったらどうしようって、あの頃は心配で心配で仕方ありませんでした〟
あれは自分の経験を元に言っていたのか。
演劇祭でのトラブルをきっかけに、学校に行かなくなった時のアイツは、どんな気持ちだったんだろう。
そこから卒業までの数ヶ月、アイツは何を思って過ごしていたのだろう。
「あれ? 恭ちゃん一人? こんなとこでめずらしー!」
突如、天坂がやってきた。
どこにでも現れるヤツだなお前は。
天坂は当然のように俺の隣に座った。せっかくのやすらぎタイムが強制終了だ。ここなら見つからないと思ったのに。
「さっき真知子ちゃん食堂で見たけど。なんで一緒にお昼食べないの? またケンカした? いやでも真知子ちゃんのあの様子はそんな感じじゃなかったしな。もしかして学校では話しかけるなとか言ったの?」
ハイハイ、相変わらずの御名答だよ。
もうさっさと探偵でも何でもなっちまえよ。
「え、マジで? マジなの? そんなこと言うなんて恭ちゃんひどい! それってアレでしょ、瀬名君の話を聞いてヤキモチ妬いたからでしょ!」
ちげーよ、言ったのはその前だよ。
いや、そもそも話しかけるなとまでは言ってない。
つかなんだよヤキモチって。
「大人げないよ恭ちゃん、あれはもう過去の話なんだから気にしちゃダメだよ」
「気にしてねーよ。いちいちうるせえなお前は」
俺は立ち上がって教室へと歩き出した。
瀬名のことなんか俺は気にしてねーよ。
ヤキモチとか何だよそれ。
俺は全然、気にしてないから。
「――恭ちゃん! 真知子ちゃんの今日のバイトはね、午後八時半上がりだって!」
後ろから、天坂が叫んだ。
何言ってんだアイツ。
俺がメガネ女を迎えに行くとでも思ってんのか?
行かねえっつの。
バカじゃねえの。
――午後八時半。
ファミレス前で俺は盛大にため息を吐き、頭を抱えた。
なんで来てしまったんだ俺は。
絶対来ないって決めてたのに。
バカは俺なんじゃないのか。
「……アレだ、ついでだ、すぐそこの本屋に用事があったんだよ俺は……」
自分で自分に言い訳をしながら、メガネ女が出てくるのを待った。
アイツが出てきたら、何て言おうか。
また前みたいに一緒に昼メシ食おうぜ、とか。
学校でも普通に話そうよ、とか。
お前、中学では人気あったらしいじゃん、とか。
アニメオタクなのは昔からだったんだな、とか。
瀬名ってお前のこと好きだったらしいよ知ってた? とか。
……いや、これはないな。これは言わなくていいな。これを言った後のメガネ女の反応を見るのが怖すぎる。
「――そう言えば昨日さ、真知子の彼氏さんに会ったよ」
聞き覚えのある声に顔を上げると、従業員用の出入り口から、メガネ女と瀬名が一緒に出てきた。
「真知子の彼氏さん、すごいカッコいいね。イケメンすぎて、初めて見た時びっくりしたよ俺」
「だよね。初めて見たらびっくりするよね」
「ほんとに王子様みたいだね。スタイルもいいしオーラもあるし、うちの舞台に出て欲しいなあ」
「あはは、今度勧誘しとくよ」
「天坂さんも楽しい人だね。会話が弾んで、すごいいっぱい話しちゃったよ」
「そうなんだ」
「昔の話をたくさんしてたら、なんか色々と思い出しちゃってさ……」
瀬名が立ち止まり、メガネ女の顔をじっと見つめる。
声をかけそびれた俺は、思わず街路樹の陰に身を潜めた。
何やってんだ俺。
「――あの時は、ごめんな真知子」
「え?」
瀬名が突然謝ったので、メガネ女は不思議そうに首を傾げた。
「俺たちがつき合ってるって嘘の噂が流れて、ファンクラブの奴らが暴走しただろ? それってやっぱ、俺が真知子のこと好きだったからだと思う」
――言った。
さらっと言いやがったアイツ。
今までずっと胸の内にしまっていたメガネ女への想いをこんなファミレスの裏口で言いやがったぞアイツ。
「俺が真知子のこと好きだったから、そういう風に見えたんだと思う。無意識の内に俺、真知子のこと独占しようとしたり、ファンクラブの奴らに対抗心燃やしたり、そういう勘違いされる行動をしてたんじゃないかなあ。俺がもっと自重してれば、演劇祭もあんなことにはならなかったかも知れない……」
メガネ女は、ぽかんとした顔で瀬名の話を聞いている。
あの顔はおそらく、脳内の情報処理が追いついていないのだろう。
「真知子にフラれてから、俺ずっと後悔してたんだ。真知子が一番辛かったあの時に、なんでそばにいてあげなかったんだろうって」
「え、フラれてから……って、どういうこと?」
「卒業式の後、公園に来てくれなかっただろ」
瀬名は確か、メガネ女に告白しようと思って手紙を書いたんだっけ。
話があるから公園に来て欲しいと。
でもメガネ女は現れなかった。
「俺、公園で暗くなるまで待ちながら、めちゃくちゃ後悔した。真知子にフラれてから初めて自分の大切な……」
「ちょ、ちょっと待って!」
メガネ女が、瀬名の言葉を遮った。
「私があの公園に行かなかったのは、瀬名君にフラれるのが怖かったからだよ」
今度は瀬名が「え?」と言って固まった。
「私のせいで演劇祭があんなことになって、瀬名君は怒ってると思ってた。だから『公園に来て欲しい』って手紙を受け取った時、私、怒られるのが怖くて行けなかった」
「……何言ってんだ。怒るワケないだろ、お前のせいじゃないのに」
「だってあの噂流したの、私だもん!」
メガネ女が、苦しそうな表情で声を荒げた。
「……ファンクラブの男の子で、一人すごくしつこい子がいたの。だからつい『私は瀬名君とつき合ってるから』って言っちゃったの。そしたら次の日からすごい噂になってて……。でも私は否定しなかった」
「なんで?」
「だって私、瀬名君のこと好きだったから」
ハンマーで頭を殴られたような衝撃とはまさにこのことか。
俺は街路樹の陰に立ったまま、全く身動きが取れなくなった。
「バカなことしたってすごい後悔してる。私の吐いた嘘のせいで演劇祭があんなことになって……。きっと瀬名君はそれを全部知ってて、私の気持ちも全部バレてて、あの公園に行ったら、『お前とはそんなつもりはないから』って絶対断わられると思って……だから私、私……」
「ほんとバカだなお前は……!」
瀬名が、そっと指でメガネ女の頬を撫でた。
「なんで俺に早く言わなかったんだよ。お前の嘘なんてすぐ本当にしてやるのに」
メガネ女の頭に手を添えて、そのまま自分の胸に引き寄せた。
「は、離して、瀬名君」
メガネ女が瀬名の身体をつっぱねたが、
「離さない」
瀬名が、メガネ女の腕を強くつかんだ。
「俺、決めたんだ。これからはもう絶対に、大切なものは離さないって」
「瀬名君……」
「明日の放課後、あの公園に来てくれないかな?」
「え、無理だよそんな、私は……」
「分かってるよ。今は彼氏がいるんだもんな」
瀬名が、自分の鞄から台本のような物を取り出し、メガネ女に渡した。
「ロミオとジュリエット……これって……」
「今秋の演劇祭の台本。俺が書いたんだ」
「へえ、すごい。台本任せてもらえるようになったんだ」
「ジュリエット役は、俺の頭の中では真知子なんだ」
メガネ女が台本から顔を上げると、瀬名がにこりと微笑んだ。
「頭の中で、真知子だったらこう話すだろうな、真知子だったらこう動くだろうなって思いながら書いた。だから協力して欲しいんだ」
「協力って……?」
「真知子の意見を聞かせてくれ。真知子ならどう演じるのかが知りたい」
「いや、でも……」
「真知子を思って書いた本だから、真知子がいないと完成しないんだ」
「でも演じるのはM学園の演劇部の子でしょ? 私は……」
「今度の演劇祭は完璧なものにしたいんだ。頼む、俺に力を貸してくれ!」
瀬名が、メガネ女の手をぐっと握りしめた。
「――明日の放課後、あの公園で待ってるから」




