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「――お待たせしました王子! パンと飲み物買ってきました!」
「おせーよ。どんだけ待たすんだよ昼休み終わっちまうだろーが」
「申し訳ございません王子!」
あれ以来、メガネ女は俺に毎日つきまとうようになった。
朝は校門前で待ち構えていて、休み時間も必ず俺の元へやってくる。放課後も最寄り駅まで俺の鞄を抱えて送る始末だ。
一体何のつもりかは知らないが、こいつが常に俺の周りをうろちょろしているおかげで、見知らぬ女子からの告白やプレゼントが随分と減ったから俺としてはそれなりに好都合だ。
しかもメガネ女は俺の従者を気取っているので、何でも命令し放題で快適な学校生活、のはずだが――
「――おい、なんだこれお汁粉って。コーヒーっつっただろーが」
「お汁粉もコーヒーも似たようなもんじゃないですか」
「全然ちげーよ」
「どっちも豆で出来てるじゃないですかフフフ」
「なにドヤ顔してんだよ。ちっとも上手くねーんだよ」
「とりあえず今日のところはお汁粉飲んで下さい」
「パンもなにこれダブルカスタードホイップクリームって。俺甘いの苦手だって言ったよな?」
「毒を持って毒を制すんですよ王子。甘いパン食べて甘いお汁粉を飲めば甘くなくなりますよ絶対!」
「お前従者なのになんで王子の言うこと全然聞かないの?」
よく晴れた屋上で、言うこと聞かない従者相手に説教しながら甘いパンを食う。
あまりの甘さに胸やけがした。
だけどこれがそんなに悪くない気がするんだからなんとも不思議な現象だ。
俺の頭はどうかしてしまったんだろうか。
お汁粉の甘ったるさに俺がゲーゲー言っていたら、突然メガネ女がビシッと正座をした。
「――王子、折り入ってご相談があります」
「なんだよ」
「私、赤点を取りました」
「知らねーよ」
「明後日の追試までに何とかして下さい王子」
「なんで俺が何とかしなくちゃなんねーんだよ」
「王子のその輝かしい学力を少しくらい家来に分けてくれてもいいんじゃないですか?」
「やだよメンドクセーよ」
「ふふん、これを見たらさすがの王子もそんな悠長なこと言ってられませんよ」
「あ? なんだこれ?」
「私の答案です」
「うわなにこの点数。こんなん初めて見た。これのび太の答案用紙か?」
「お助け下さい王子! 高宮家にお仕えする従者として恥ずかしくない点数を取りたいのです!」
「高宮家でなくても恥ずかしい点数だよこれは」
「哀れな家来をどうかお救い下さいまし王子!」
わんわんと泣き喚くメガネ女がうっとうしくて俺はため息を吐いた。
「……分かったよ。明後日までになんとかすりゃいーんだろ?」
「なんとお優しい! ありがとうございます王子! では早速問1からお願いします!」
「いやいや今は無理だろ。もう昼休み終わるし」
「それもそうですね。では放課後に教室で?」
「あー……」
今日の放課後は役員会議に出なければならないことを思い出した。
先生からの指名や生徒会からの推薦で、いつも俺は何かと任務を背負わされてしまう。面倒臭いことこの上ない。
それに放課後にいつまでも校内に残っていると、決まって必ず見知らぬ女に校舎裏やら体育館裏やらへ呼び出される。そんな状況では勉強に集中できるはずがない。
「……駅前の図書館。あそこで勉強しよう」
「えッ!」
メガネ女が、ハトが豆鉄砲喰らったみたいな顔をした。
勉強と言えば図書館だろう。
何がそんなに意外なのか。
「駅前の図書館だよ。知ってんだろ」
「は、はい!」
「放課後は役員会議があるから。終わったら行くから。入り口で待ってろ」
「わわわ分かりましたあッ! 高宮家の家紋を掲げて待っております!」
「余計なことすんな普通に待ってろ」
「王子は白馬に乗って赤いバラの花束抱えて登場して下さいね!」
「言っとくけど俺はお前が留年したって痛くも痒くもないんだからな?」
「すみませんでした調子に乗り過ぎました」
では放課後に図書館で! と言って教室に戻ろうとしたメガネ女が屋上の塔屋のドアに激突した。
「……いたた、失礼しました、では放課後に……」
ぶつけたおでこを押さえながらふらふらと教室へ戻っていった。
何をそんなに動揺してるんだアイツは。
「――あれ、この財布……」
足元にピンク色の財布が落ちていた。
これには見覚えがある。メガネ女の財布だ。
「あのバカ、世話焼かせやがって」
俺は財布を拾って走り出した。今ならまだその辺ににいるはずだ。
「――お前、高宮の女か?」
階段を下り始めてすぐのところで足を止めた。
ここから姿は見えないが、複数の男子生徒の声が下の階から聞こえてきた。
「何ですかあなた達。そこを通して下さい」
メガネ女の声も聞こえる。どうやら見知らぬ男子に囲まれているようだ。
「お前、最近ずっと王子にベッタリだもんな。つき合ってんだろ?」
「違います。私は王子の従者です」
「何でもいいから顔貸せや。高宮には恨みがたっぷりあるんだよ」
「離して下さい。もうじき授業が始まりますから」
「いいから来いよ。高宮に吠え面かかせてやる」
「てゆうかコイツさらってどーすんだ?」
「分かんねーけど、とりあえず高宮の弱みとか探ってみるべ」
「バカだなお前。こういう場合は、この女自体が高宮の弱みなんだ、とかいうカッコイイ台詞を何かの漫画で読んだ」
「うわー悪人だなお前!」
ギャハハハと頭の悪そうな笑い声を聞いて、頭にカッと血が上った。
そこから先の記憶はおぼろげで、よく覚えていない。
気がついたら、三人の男子が俺の足元に倒れていて、俺の口の中には血の味が広がっていた。
「――お、王子、血が……」
メガネ女が、おずおずと差し出してきた白いハンカチを勢いよく手で振り払った。
「ウゼーんだよお前消えろよ」
また頭の奥がズキズキと痛み出した。
ここのところずっと消えていたのに。
「なんでお前みたいなダセーのが俺の女とか勘違いされてんだよ。いい迷惑だよふざけんな。二度とその顔見せんな」
しゅんと項垂れるメガネ女に「落としモンだよ」と財布を放り投げてその場を立ち去った。
腹が立って仕方がない。
でも何に対してかは分からない。
「恭一、来週から一年ほどアメリカに留学しなさい」
嫌なことってのは立て続けにやってくるもんだ。
今日男子に殴られた頬を氷で冷やしていたら、半年ぶりに帰ってきたオヤジから突然の海外留学を宣告された。
「その方が恭一の経歴にも箔がつくだろう。アメリカにいる父さんの知人に話してあるから、お前は身一つで行けばいい」
「分かったよ」
それだけ言って俺は自分の部屋に戻った。
アメリカに行きたい理由はないが、行きたくない理由もない。
雨が窓ガラスを叩く音にカーテンを開けてみる。いつの間にか降り出したようだ。午後からずっと頭痛がしているのはきっと雨のせいだ。
雨が降る中、図書館の入り口で待ち続けているメガネ女の姿が頭に浮かんだ。