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中学一年の時、バスケ部に入った。
だけど、三ヶ月でやめた。
理由は至ってシンプル。
俺以外の奴がとてつもなく下手だったから。
「悪いけど、期待には応えられないよ」
俺が断わると、そいつは精悍な顔を残念そうに歪めて、立ち去って行った。
均整のとれた背中。
日頃から筋トレに励んでいるのであろう逞しいその背中を、俺はぼんやりと見送った。
「――恭一様あああああああッ!!」
「ぎゃあああああああッ!!」
突如、茂みの中からメガネ女がものすごい勢いで現れた。
「……んなっ、なにやってんだよお前! どっから出てくるんだ!」
「い、い、今の、今のっ、男子じゃないですかあ!」
「はあ?」
「きょ、恭一様ってばとうとう男子生徒からも愛の告白を?!」
「アホか。ちげーよ。バスケ部に勧誘されただけだよ」
――夏休みも終わり、今日は新学期一日目の始業式。
式が終わった後、バスケ部の男子生徒に体育館裏へ呼び出しを食らった。
彼はバスケ部の部長で、近々試合があるのにレギュラー部員の一人が怪我をしてしまったとか、今年の新入生は使い物にならないとか色々と泣き言を言われ、「高宮君の力を貸して欲しい」と頭を下げられた。だが俺はきっぱりと断わった。理由はもちろんメンドクサイから。
「良かったあー。愛の告白じゃなかったんですね」
全身葉っぱだらけのメガネ女が、廊下を歩きながら「あーびっくりしたあー」と安堵のため息を吐いている。
一体いつからあの茂みに潜んでいたのだろう。
相変わらず神出鬼没なヤツだな。
「それにしても、もう秋なのにバスケ部入ってくれだなんて結構ムチャ言いますよね」
「ほんとそれな」
「でもまあ気持ちも分かります。恭一様はバスケ得意ですもんね」
「……なんで知ってんの」
「入学してすぐの球技大会のバスケですごかったじゃないですか! みんな知ってますよ!」
「あー、そんなこともあったな」
「あの時の恭一様カッコ良かったあー! 一人でバンバンシュート決めちゃって! でも女子の悲鳴が上がる度にすんごい険しい顔して睨んでましたよね」
「全然覚えてねーわ」
「タオルや水を持ってきた女子にめちゃくちゃ迷惑そうな顔してましたよ。女子が集まり過ぎたせいで試合もいったん中断したりして、あの時は大変な騒ぎでしたよね。このまま恭一様が学校来なくなったらどうしようって、あの頃は心配で心配で仕方ありませんでした」
なんか前にも似たようなこと言われたな。
でもまあ確かに、周囲がウザくて高校やめようとしたこともあった。
今はギャラリーの視線があまり気にならなくなったけど。
どっかの誰かさんのおかげで。
「恭一様が学校やめなくて良かったです。でもまあ、学校やめたとしても、私はどこまでも恭一様を追いかけますけどね!」
「お前が言うとマジっぽくて怖いな」
「マジですよ私は! 花火大会だってまだあきらめてませんからね!」
「まだ覚えてたか……」
「覚えてますよ! 結局あれから花火大会行ってくれなかったし! そうこうしているうちに夏休み終わっちゃったし!」
「台風が直撃したからな」
「いつになったら私のこと名前で呼んでくれるんですか」
「そのうちな」
「そのうちっていつですか!」
「ちょ、あんま近づくな」
「なんでですか、シツレーですね!」
「お前とつき合ってると思われるだろー」
しまった、と思った時にはもう遅かった。
今の今までチョコマカ動き回っていたメガネ女が、まるで電池が切れたみたいにピタリと動きを止めた。
これはマズイ。
違う、俺は、そんな本気で言ったんじゃなくて。
「恭ちゃーん、真知子ちゃーん!」
冗談だよ、と言おうとした時に、光の王子様こと、天坂がやってきた。
お前マジでタイミング悪い。
「二人とも何してんの? これからデート?」
「ちげーよ。どっか行けよお前」
「うわひどい、真知子ちゃん今の聞いた? 恭ちゃんてばひどくない?」
「あはは、お二人は仲良しサンですねえ」
「どこがだよ気持ち悪い」
「ねえねえ恭ちゃん、僕とデートしてよ」
「しねーよ意味分かんねーよ」
「恭一様、私は今日バイトがあるので先に帰りますね」
「え? ああ、うん」
俺も今から帰るから、どうせなら一緒に帰るのに……と思ったが、メガネ女は素早く駆けて行ってしまった。
「……あれ、もしかして僕、お邪魔虫だった?」
お前は空気読むのが上手いのか下手なのかどっちなんだよ。
とりあえず腹が立ったので天坂の腹にパンチを一発お見舞いしといた。
俺の家から電車で二駅離れたS駅に、メガネ女がバイトするファミレスがある。
いったん家に帰った後、どうにも落ち着かなかった俺はS駅に行ってみることにした。
いや、メガネ女に会いに行くとかじゃなくて。
S駅前に俺のお気に入りの大型書店があるからだ。
そこで本を買うついでに、ファミレスにも寄ってみても……いいかも知れない。
あくまで、ついでだ。
「――絶対来ると思った!」
午後六時過ぎ。
ファミレスに入ると、見慣れた男が俺に向かって手をブンブンとちぎれんばかりに振っている。
よし、無視しよう。
「ちょっと無視しないでよ恭ちゃん僕さみしくて死んじゃう!」
「勝手に死ねよ」
天坂がタックルしてきて、無理やり同じテーブルに座らさせられた。
なんでお前がここにいるんだ。
「あら、恭一様もいらしたんですね」
メガネ女が俺たちの席へ注文を取りにきた。
「恭一様と光輝様はホント仲良しですねー」
「やめろ気持ち悪いから」
「またまた恭ちゃんてば照れちゃってえー」
「うるせえな。――お前、今日は何時上がり?」
「私は今日は八時上がりです」
「そっか」
「恭一様、ご注文はいかがいたします?」
夕食にはまだ少し早い時間なので、ポテトとチキンのセットを注文した。
天坂は俺の目の前でイチゴパフェを頬張りながらニヤニヤと笑っている。
「……なに笑ってんだよ」
「いやだってさあ、今日の帰りに廊下で話した時、恭ちゃんの顔ヘンだったもん。コレ絶対なんかあったなーと。コレ絶対真知子ちゃんのバイト先に行くだろうなーと。僕ってすごくない? 探偵にでもなろうかな! 僕ってすごいよね!」
「そうだねスゴイネ」
そこまで読めるんなら、なんであの時邪魔したんだよ。
お前のせいで肝心の「冗談だよ」が言えなくて未だになんかモヤモヤしてんだろーが。
「で? 今日はどんなイザコザを持ってきてくれたの? 教えて恭ちゃん!」
「イザコザって何だよ。つかなんでそんなに嬉しそうなんだよ」
「またケンカでもした? でも真知子ちゃんの様子はフツーだからそれはないかなあ」
フロアで料理を運んでいるメガネ女を眺めて、天坂が言った。
そうか。お前の目から見てアイツはフツーに見えるか。それなら良かった。
ほどなくして運ばれてきたポテトとチキンのセットをつまみながら、俺はほっと胸を撫で下ろした。
あんな一言、メガネ女はもう覚えていないかも知れない。
うん、きっとそうだ。
そうだったらいいな。
もしそうじゃなかったら、
何と言って謝ればいいのか。
俺は頭を悩ませながらポテトを食べた。
――しばらくして俺たちの隣席の客が帰ったので、従業員が食器を下げにきた。
それが男の従業員だったので、「珍しいな」と横目で眺めていたら、
「私がやるよ。瀬名君はもう上がりの時間でしょ?」
メガネ女が手伝いにやってきた。
男の名前は瀬名というらしい。
てきぱきと食器をトレイに載せていくメガネ女を、男はすぐそばで、呆けたような目で見つめている。
なぜか突然、俺の身体の中に嫌な感覚が走り抜けた。
「――真知子、なんか雰囲気変わったよな」
男が言うと、メガネ女はサッと顔を上げた。
「え、そうかな?」
「うん。メガネとおさげ。似合ってるね」
「ああ、これね」
「それってもしかして、顔隠すため?」
「あー、うん、まあ……」
「そっか……」
瀬名くーん、と、店長らしき人がバックヤードから呼んでいる。
「じゃあ上がるわ。お疲れさま」
「うん、お疲れさま。また明日ね、瀬名君」
にこりと柔らかく微笑み、男は去って行った。メガネ女もトレイを持って厨房の方へと入った。
「――行くよ恭ちゃん!」
天坂が突如、立ち上がった。
「は? 行くってどこに?」
「真知子ちゃんが仕事終わるまで、まだ時間あるし!」
「え、ああ、うん」
「ほらほら早くっ!」
天坂に手を引かれ、大急ぎで精算して店の外に出た。