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自分で言うのも何だけど。
今まで俺は、女とのつき合いはスマートにこなしてきたし、
これからもそうするつもり。
――だったはずなのに。
「一体どーゆー了見なんですか説明して頂きますよこのやろう!!」
夏休みの昼下がりをのんびりと過ごしていた俺の元へ突然それはやってきた。
家政婦の夏川さんに「お客様ですよ」と呼ばれてリビングに下りると、険しい顔をしたメガネ女が腕を組んで仁王立ちしていた。なに怒ってんだコイツ。
「どしたお前。突然やってきてなんでそんな怖い顔してんの」
「恭一様、私の彼氏になったんじゃないんですか?!」
「は?」
「私の彼氏にっ、なったんじゃないんですかあっ?!」
「はあ。なったけど?」
「じゃあなんで音信不通なんですか!」
「はい?」
メガネ女が自分のケータイを俺の眼前にずずいと突きつけてきた。
「見て下さいよ私のこの着信履歴を!」
「はあ」
「一週間! 一週間ですよ!」
「なにが」
「恭一様が私の彼氏になってから丸々一週間、電話もメールもただの一回もよこさないってどういうことですかアホですか!」
「なんだとこのやろう」
「アホですかって聞いてんですよアホやろう!」
「いい度胸してんな歯ぁ食いしばれ」
「スイマセンでした! でも普通するでしょ! メールくらい普通するでしょ! つき合ってるのに一週間も音沙汰なしってあり得ないでしょおー!」
はあー、と俺は深いため息を吐き、ゆっくりとソファーに腰をおろした。
「だって別にお前に用ねーもんよ」
「うわサイアクです! 用がないからって連絡しないなんてところで今日の私服姿も素敵ですね!」
「ありがとう」
「用がなくてもするんですよ! つき合っている恋人同士は用事がなくても『好きだよ』とか『愛してる』とか『早く会いたい』とかメッセージを送り合うものなんですよ!」
「うわすげえ、今日は猛暑日なのに鳥肌立ったわ見てコレ」
「んまあ素敵な上腕二頭筋、ってそんなハニートラップには引っかかりませんよ! 危ねえところだったぜプハー!」
「暑いのに元気だねお前は」
「エヘヘありがとうございます」
家政婦の夏川さんがケーキとアイスティーを運んできた。
ずっと仁王立ちだったメガネ女もケーキを見た途端に目の色を変えてソファーに座り、「美味しい美味しい! どこのケーキですかコレ美味しい!」と、もぐもぐ食べ始めた。
女はやっぱ甘いモン食わしときゃ簡単だな。
これでなんとか機嫌直してもらってさっさと帰ってもらおう。
「――帰りませんよ私」
ケーキをぺろりとたいらげたメガネ女が再び俺を睨みつけてきた。
「甘い物で煙に巻こうと思ってるでしょ恭一様。そうは問屋が卸しませんよ」
ちっ、だめだったか。
メガネ女がビシッと背筋を伸ばし、凛々しい表情で俺の方に向き直った。
「もう一度さっきの話に戻しますね」
「戻さなくていいよもう」
「花火大会に行きませんか?」
「戻ってねーじゃん! 戻すんならちゃんと戻せよ気持ち悪いから!」
「恭一様ってお若いのにきっちり屋さんですよね」
「お前が無秩序すぎるんだろーが」
「エヘヘありがとうございます」
「褒めてねえよ」
「照れますねえ」
「だから褒めてないって」
夏休み中でも通常運営してるなコイツは。
いつでもどこでもブレないところはある意味尊敬するわ。
「でね、恭一様。さっきの話に戻しますけど」
「うん」
「今日の夜、花火大会があるんですよ」
「そこはきっちり戻すんだな」
「花火大会に行きませんか」
「やだよ」
「夏川さーん」
おもむろにメガネ女が夏川さんを呼びつけた。
なんだなんだ。
なにするつもりだコイツ。
「夏川さん、恭一様の浴衣ってあります?」
「もちろんございますよ」
「うわあ良かった! じゃあ恭一様の着付けを夏川さんにお願いしてもいいですか?」
「お任せ下さい。では浴衣をお出ししますね」
と言って夏川さんはリビングから出て行った。
ちょっと待て。なんでそうなるんだ。
「なに考えてんだお前」
「え? 私が着付けした方がいいですか? 確かに私は劇団で鍛えた早着替えスキルで浴衣の着付けは五十秒以内でできますが、私が王子の着付けをするとせっかくの王子の浴衣が私の鼻血で染まってしまうので夏川さんにお願いした方がいいと思うんですよ」
「ちげーよそういうことを言ってるんじゃねえよ。花火大会に行くなんて一言も言ってねえだろ」
「ええッ!! 行かないんですかあああッ?!」
メガネ女が青天の霹靂みたいな顔をした。
そんなに衝撃的なことか?
「なんでですか恭一様! なんで花火大会に行かないんですか!」
「なんで行かなくちゃいけねーんだよ」
「夏に花火大会行かない人なんて世の中にいませんよ?!」
「んなワケねーだろ。いっぱいいるわ」
「だって夏ですよ! 夏と言えば花火大会じゃないですか!」
「人が多いから嫌だ」
「あの人混みだって夏の風物詩ですよ!」
「そんな風物詩いらねえ」
「私の浴衣も持ってきたんですよほら!」
「なんかでっかい荷物持ってんなーと思ったら浴衣かよ」
「一緒に浴衣を着て、花火大会に行きましょう!」
「嫌だ」
「えええ~!」
なんでですかどうしてですかと、メガネ女が地団駄を踏む。
うっとうしいなコイツ窓から放り出してやろうか。
「そんなに行きたいなら女友達とでも行ってきたらいいだろ」
「それじゃだめなんです!」
「何がだめなんだよ」
「恭一様と花火を見たいんです……」
瞳を潤ませて、全身で悲しみを表現するメガネ女。
さすがは看板女優と言いたいところだけど、俺にはそんなの通用しねーからな。
ただでさえ暑いのになんでわざわざ人混みに出かけなきゃならねーんだ。
俺はメガネ女の悲哀モードに顔色一つ変えず「絶対行かないから」と告げてアイスティーを飲んだ。
「……分かりました。王子がそこまで拒否するなら仕方ありませんね。私は光輝様と一緒に花火大会に行ってきます」
「はああ?!」
アイスティーを噴き出しそうになった。
何を言い出すかと思ったら、天坂と花火大会に行く?
アホかコイツ何言ってんだ絶対アホだろふざけんな。
「ゆうべ電話で誘われたんですよ。でも私は『恭一様と行きますから』ってお断わりしたんですけど、恭一様が行かないのなら仕方ないです、光輝様に連れて行ってもらいます」
「……てめえケンカ売ってんのか」
「え、なんで怒るんですか」
「俺が行かないからってなんで天坂なんだよ。女子と行けよ」
「だって光輝様が『恭ちゃんにフラれたら僕んとこおいで』って言ってましたし」
それどーゆー意味で言ってんのアイツ。
てか、そんなにも親密に連絡取り合ってんのかお前ら。
「……お前さあ、なんでそんなに頻繁に天坂と連絡してんの?」
「だってしょうがないでしょ恭一様が全然電話くれないから! 恭一様がもう少しメールとか電話とかデートとかしてくれたら私だって万年二位の光輝様となんか連絡取りませんよしかも挙句の果てに花火大会は絶対行かないって言い出すし仕方ないじゃないですか全部恭一様のせいですよおおおッ!!」
もんのすげー早口で怒鳴られた。
看板女優は滑舌もいいですね。
まあ、確かに。
俺にも至らない点があったような気がしないでもない。
つか、さりげにディスられてたな天坂。
「――お待たせしました、こちらが坊ちゃまの浴衣です」
メガネ女がぜえぜえと肩で息をしているところへ、夏川さんが戻ってきた。
持ってきたのは黒地に縞柄のベーシックな男物の浴衣。メガネ女が「うわああ素敵! これ絶対恭一様に似合うー!」と叫んだ。
――ちっ、しょうがねーな。
俺はソファーから立ち上がり、Tシャツを脱いだ。
「のえええええッ!! なに脱いでんですか恭一様ッ!!」
「脱がなきゃ浴衣着れねえだろーが」
「えっ、花火大会行ってくれるんですか?!」
「お前が言い出したんだろうが。別に俺は普通の服で行ってもいいんだぞ」
「いえいえいえいえいえぜひ浴衣をお召しくださいませっ! いきなり脱いだのでびっくりしただけでございますです!」
「見たくないなら出てけよ」
「見たいか見たくないかと聞かれればガッツリ見たいですが見ててもいいんですかッ!!」
「……俺の部屋行ってろ。お前も着替えるんだろ」
「ああそうでした! では私も着替えてきますね!」
「言っとくけどお前なあ」
「大丈夫ですよ恭一様のベッドの下は覗きませんよ」
「ちげーよ。浴衣着てもメガネとおさげはそのままにしろよ」
「えええっ! なんでですか! せっかく浴衣に似合うヘアアレンンジを練習してきたのに!」
「嫌なら中止だ」
「かしこまりました喜んでメガネおさげで参ります!」
お前がメガネ外して浴衣着てめかしこんだら色々とめんどくせーことになりそうだからな。