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翌日の昼下がり。
俺は一人でメガネ女のファミレスに行ってみた。
「いらっしゃいませー!」
見知らぬウェイトレスに案内されて、窓側の席に着く。
フロアを見渡してもメガネ女の姿は見えなかった。
今日は休みなのかも知れない。
それとも出勤の時間帯が違うのか。
それくらいメールで聞いときゃ良かったな。
よく考えたら俺、アイツのこと何にも知らねーな。
適当にメニューを注文して、窓の外を眺めた。
昨日アイツが言った「モヤッと」についてはよく分からないけど、何か気に障ったんなら、とりあえず謝ろうと思ってこうして来たのだが……。
ゴンゴン、とガラスを叩く音に視線を上げると、こういう時に一番見たくない顔があった。
「――恭ちゃんハッケーン!」
天坂がやたらめったらキラキラとした笑顔で店内に入ってきて、当然のように俺の前に座った。
お姉さんチョコレートパフェちょーだい、と天坂が注文すると、ウェイトレスは頬を桃色に染めた。
見てあの二人カッコイー! と密談する女性客にも笑顔で手を振り、黄色い歓声を浴びている。相変わらずだなお前は。
「夏休みにまでお前に会いたくなかったよ……」
「そんなこと言わないでよ恭ちゃーん! てかどうしたの、ファミレスで一人ランチとか超サミシイじゃん!」
「ほっといてくれ。お前こそ何やってんだよ」
「僕はさっきまでクラスの女子たちとボーリングやってたんだけどさあ。真知子ちゃんのバイト先近かかったからついでに寄ってみようかなあって」
天坂の言葉に俺は思わず固まった。
「……知ってたんだ。アイツがここでバイトしてること」
「もちろん! 女子の情報収集なら僕に任せてよ!」
そりゃまあ女子のことはお前が学校一詳しいんだろうけど。
コイツが知ってて、俺が昨日まで知らなかったことに、なんだかモヤッとした。
――あれ?
ゆうべアイツが言ってた「モヤッと」って、こういう感じか?
「どうしたの恭ちゃん。なんか元気ないね」
うるせーな半分はお前のせいだよ。
天坂がじろじろと顔を覗き込んでくるので、俺は視線を窓の外へ逸らした。
「あ、分かった。また真知子ちゃんとケンカしたんでしょ。んで謝るタイミング探りにこうやってバイト先にご飯食べにきたってカンジ?」
エスパーかお前は。
すごいを通り越して気持ち悪いし腹立つな。
「その顔は図星だね? 恭ちゃんって親しくなると意外と分かりやすいとこあるよねー」
マジか。お前が鋭いんじゃなくて俺が分かりやすいのか。
なんだか少し情けなくなってきた。
「早く仲直りした方がいいよー。恭ちゃんの魅力は何と言ってもクールで俺様王子様なところだけど、たまに見せる優しさに乙女はキュンときちゃうワケだから。アメとムチの使い分けって大事でしょ。ケンカの後に恭ちゃんが素直な気持ちを見せればよりいっそう愛が燃え上がると思うな!」
「愛とかやめろ。鳥肌立ってきた」
「でも肝心の真知子ちゃん、今日は出勤じゃないみたいだね。今度はシフトも聞いておくようにするよ」
つき合ってもいない女子のシフトまで気軽に聞けるのかお前は。ある意味尊敬するわ。
確かに女のことなら、天坂は俺より分かっているのだろう。
「あのさあ……」
俺は昨日のことを簡単に天坂に話してみた。
何かいいアドバイスがもらえるかも知れないと期待して。
「――やっちゃったね恭ちゃん……」
俺の話を聞いて、天坂が顔面蒼白になった。
な、なんで?
何がそんなにまずかったんだ?
「恭ちゃんのバカ!」
「はあ? 何がだよ?!」
「さっきも言ったじゃん! 恭ちゃんの魅力は俺様王子様の隙間からちらりと見せる優しさだって! その微量で貴重な優しさをなんで他の女の子に使っちゃうのかな! 無駄使いだよ!」
「あー? なんだよじゃあどうすりゃ良かったんだよ。断われば良かったのか?」
「当たり前だよ!」
「当たり前って言うけどお前……。舞花さんすげー困ってたっぽいし……」
「他の人に頼めばいいじゃん! 恭ちゃんじゃなくていいじゃん!」
「でも、俺のプリクラ見せたって言うし」
「そんなのどうにでもなるじゃん!」
「まあー、そうかも知れないけど……」
「その舞花って子は別に恭ちゃんじゃなくてもいいけど、恭ちゃんは真知子ちゃんじゃなきゃダメなんでしょ?」
――え?
今、なんて?
思考が一瞬、フリーズした。
「しかもまたこんな、タイミングの悪い時に彼氏のふりなんて……恭ちゃんのうっかり屋さんめ!」
「誰がうっかり屋さんだ。タイミング悪いってどういうことだよ」
「だって、真知子ちゃんの方のストーカーはどうするつもりなんだよ?! ホントならそっちが最優先でしょ!」
「はあ? なんだよアイツの方のストーカーって」
「……え?」
今度は天坂がフリーズした。
「そのこともあって、こうしてファミレスに来てあげてるんだと思ってたのに……違うの?」
***
全然知らなかった。
なんだよアイツ。
天坂にはべらべら話すくせに、なんで俺にはなんにも言わねーんだよ。
――ファミレスのお客さんでね、真知子ちゃんにしつこくつきまとってくる男がいるんだって。夜道で待ち伏せされたり、自宅まで尾けられそうになったりして――
昨日の天坂の言葉を思い出して、また腹が立ってきた。
天坂の話によると、男につきまとわれ始めたのは二週間ほど前のことだそうだ。
二週間前なら、学校で毎日会ってたじゃん。
なんで俺に言わないんだよ。
天坂には言うくせに。
くっそ腹立つ。
ファミレスの従業員用入り口から少し離れた場所で、イライラと貧乏揺すりをしながらアイツが出てくるのを待った。
天坂の情報によると、今日のシフトは午後八時上がりらしい。もうすぐあのドアから出てくるはずだ。
「――立花さんお疲れ様」
メガネ女がドアから出てきたと同時に、どこからともなく不審な男が現れた。
ずんぐりとした肥満体型で、髪はボサボサ。
黒ぶちメガネに、チェックのネルシャツ、ダボダボのジーンズ、黒いリュックを背負った年齢不詳の男が、メガネ女に話しかけている。メガネ女は男を見るなり、あからさまに全身を強張らせた。
「立花さん、今日はキミにプレゼントを持ってきたんだよ」
「あの、何度も言いましたが、こういうの迷惑なんでやめて下さい」
「どうして? お店ではあんなに笑って話しかけてくれたのに」
「それは仕事ですから」
「立花さん、俺のこと好きなんでしょ」
「違います」
「じゃあどうして俺に話しかけたんだよ!」
男は急に声を荒げ、突如ネルシャツの前ボタンを外し、中のTシャツを見せてきた。アニメの美少女キャラがプリントされている白いシャツだった。
「俺が着ている、この人気アニメ『ときめき桃色イザコザ学園』Tシャツを褒めてくれたじゃないか! 立花さんの方から笑顔で話しかけてくれたじゃないか!」
「そ、それは……期間限定レアTシャツだったのでつい……」
「好きじゃないくせに思わせぶりなことしてんじゃねーよ。責任取って俺とつき合えよ。どうせ彼氏なんていないんだろ?」
「か、彼氏がいようがいまいが、あなたとはつき合いません」
「あはは、否定しないってことはやっぱりいないんだ」
「あなたには関係ないでしょう」
「そりゃそうだよね、立花さんもアニメオタクだもんね。メガネにおさげで彼氏なんてできるわけないよね」
「余計なお世話です」
「そう言えばおとといの夕方、この道を男と一緒に歩いてたけど、アレ誰?」
「……見てたんですか?」
「もしや彼氏かと一瞬焦ったけど、よく考えたらそんなはずないよな。めっちゃイケメンだったしな。どうせアレだろ、道聞かれてたとかそんなんだろ。あんな王子様みたいな美男子がまさか立花さんの彼氏なワケないもんな」
「そのまさかの彼氏だよ」
男の肩をつかんで振り向かせようとしたら、男はそのままドスンと地面に尻もちをついた。
え、なんでコイツこんなに簡単に倒れるんだ?
体幹鍛えなさすぎだろ。それとも太りすぎか。
「……なっ、なにするんだ!」
男は慌てて立ち上がろうとするが、モタクサととにかく動きが遅い。
ひとまず立ち上がるまで待ってやった。
「何だお前は! イキナリ現れて誰なんだよ!」
「お前こそ何だよ。人の女に勝手に話しかけてんじゃねーよ」
「えッ?」
男はあんぐりと口を開けて、メガネ女と、俺の顔を交互に見た。
「え、あんた、もしかして、立花さんの……」
「彼氏だけど?」
「いやまさかそんな、冗談だろ、だって……」
「――選ばせてやるよ」
男の胸ぐらをつかんで近くの街路樹に勢いよく押しつけた。
「今ここで俺にボッコボコにされるのと、大人しく身を引いて無傷で家帰んのと、どっちがいい?」
男はゲホゲホとむせながら「……大人しく帰ります」と蚊の鳴くような声で言った。
そりゃそーだろう。
お前は別にコイツじゃなくていいんだもんな。
でも俺はコイツじゃないとダメなんだよ。
「――あ、そうだ忘れてた」
慌てて逃げ帰ろうとする男の背中に蹴りを入れると、男が前のめりに派手に倒れた。
「な、なにするんだッ……」
振り向いた男の顔面を、靴で思い切り踏みつけてやった。
「次コイツの前に現れたら、お前の人相分からなくなるくらいボコッた後にパンツ脱がして女子校の門にハリツケにするからそこんとこヨロシクな」
踏みつけながら言うと、男は「……ふぁい」と返事のような声を出した。
「――きょ、恭一様……」
男が脂肪を揺らしながらドテドテと走り去った後、メガネ女がぺこりと頭を下げた。
「あの、ありがとうございました」
「何が」
「私の彼氏のふりをして下さって……」
「ふりじゃねーよバーカ」
「え?」
「ふりじゃねえっつってんだろ」
「はあ……。と言いますと……?」
全然意味が分からないという表情のメガネ女に、俺のイライラはピークに達した。
「モヤッとしてんのはお前だけじゃねえってことだよ」
「へ?」
「バイトのこととか今のストーカーのこととか、なんで俺に何にも言わねえんだよ」
「いや……別に言うほどのことじゃないかなと思って……」
「天坂には言ってんじゃん」
「光輝様は根掘り葉掘り聞いてくるんですもん」
「それがモヤッとするっつってんだよ」
「ええ?」
「なのになんで俺がお前の彼氏のふりしなくちゃなんねーんだよふざけんな」
「や、でも、あの……」
「なんだお前。本物の彼氏じゃなくていいのか。ふりでいいのか」
「えっ……」
メガネ女が、ぱっと顔を上げた。
「彼氏のふりだけでいいならそうするけど? ふりでいいのかって聞いてんだよ!」
「い、いや、よくないですッ!」
「だろ? だからお前、今すぐ俺に告れよ」
「はあ?!」
「じゃないと進まねえだろーが。俺のこと好きなんだろ?」
「は、はいっ」
「だったら早く告れ」
「こ、ここでですか?」
「当たり前だろ」
「え、ええと」
「早くしろよ。王子様に恥をかかすなよ」
「……す、す、好きですっ!」
「それだけかよ」
「つ……、つき合って下さい!」
「しょーがねーな」
メガネ女の頭をがしがしと乱暴に撫でてやった。
「――そこまで言うなら仕方ねえ、お前の彼氏になってやるよ」
もっとぶっきらぼうに言うつもりだったのに。
気づけば笑顔になっている自分が自分でも信じられなかった。
メガネ女は俺に頭をぐしゃぐしゃにされながら、黙ったままだ。
てっきり「髪がぐちゃぐちゃになったじゃないですか!」とか、「なんでそんなに上から目線なんですか!」なんてブーブー文句を言い出すと思っていたけど。
予想外にもメガネ女は、真っ赤な顔をしたまま何も言わなかった。
「どーした? ウンコでも我慢してんのか?」
「……しよう」
「ん?」
「コレ全部夢だったらどうしよう……」
真っ赤な顔のメガネ女が、茫然とつぶやいた。
ほんとバカだなお前は。
俺はメガネ女のおでこに強烈なデコピンを一発くらわせた。
「――痛いっ! 何するんですかあ!」
「夢じゃないから安心しろ」
メガネ女は俺の顔をじっと見つめた後、くしゃりと顔を歪め、滝のように涙を流し始めた。
人目も憚らず子供のように泣きじゃくるので、「大げさなんだよ」とツッコむと、「だってえ~」とますます泣き出した。
なんだか照れ臭くて、泣き顔が見てられなくて、俺はきびすを返して歩き出した。
するとメガネ女も慌ててついてきた。俺の後ろで、「一体どういう風の吹き回しですか! 何がどーしてこうなったんですか! 姫になるには1000ポイント獲得しなきゃいけないんじゃなかったんですか!」と、しゃくりあげながら喚いている。
うるせーなお前は。
泣くか喚くかどっちかにしろよ。
「――おい、オタクメガネ女」
「は、はい」
「これからは何事も俺を優先しろよ。じゃないと熱々のおでん食わすからな」
俺もお前を優先するから、とまでは、さすがに言えなかった。
振り向かずに歩き続けていたら、メガネ女が涙声で「恭一様!」と叫んだ。
「……そんなのっ、私はっ、私の頭ン中は常に恭一様が最優先ですよ!」
――うん知ってる。
恭一様歩くの速いですよと後ろから文句を言われたけど、俺はスピードを緩めずに歩き続けた。
だってこんな顔は見せられない。
今の俺はきっと、とんでもなく締まりのない顔になっている。
どんなに堪えても笑いが止まらない。
なんだか胸の奥がむずむずして、たまらない。
誰かの「彼氏」になって、こんなにも幸せな気分になったのは生まれて初めてだ。
第7話「従者の昇格」end