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中学の頃。
告白してきた女子と、気まぐれに何回かつき合ったことがある。
だけど、
女子からの告白にOKして、
誰かの「彼氏」になった翌日は、
必ずどこか憂鬱な気分だったなあと
今頃になってぼんやり思い出した。
「――今日だけ、私の彼氏になってくれませんか」
俺の夏休みのスタートは、とんでもない依頼で幕を開けた。
「恭一さんしかお願いできる人がいないんです」
夏休み一日目のお昼時。
突然俺の家にやってきた水原舞花さんが、深刻な面持ちでそう言った。
水原舞花さんと俺は、親の紹介で知り合った。
ホテルでの昼食会ではウェイトレスのふりをしたメガネ女が乱入してくるというハプニング付きだったが、なんだかんだで後日、舞花さんと二人でデートをした。
でも結局、メガネ女への当てつけで会っていただけだった俺は、舞花さんの気持ちを踏みにじる結果となった。
あの日以来、舞花さんとは一度も連絡を取っていない。
もう二度と会うことはないだろうと思っていたのに。
「――私、中学も女子校だったから、男友達とかいないんです。ご迷惑だとは思いますが、どうか今日一日だけ私の彼氏のふりをして下さい」
そう言って俺の目を真っ直ぐに見つめる舞花さんはやはり美しかった。
その気になって探せば、彼氏のふりどころか、彼氏候補はゴマンと集まるだろうに。
「……あの、やっぱこういうのは、俺以外の人に頼んだ方がいいんじゃないですかね」
「でも、恭一さんのプリクラを見せてしまったので……」
彼女の話を要約すると、こうだ。
数週間前から舞花さんの登下校を狙って、見知らぬ男子高生が毎日つきまとってくるらしい。
何度断わってもしつこいので、あきらめさせるために「彼氏がいるから」と告げると、証拠を見せろと言われ、仕方なくこないだ撮った俺とのプリクラを見せたのだとか。
「――それでも信じてくれなくて、実際に彼氏に会わせてくれたらあきらめる、って……」
「そうですか」
「今日の午後三時に、S駅前のファミレスに彼氏をつれてこいって言われてるんです」
なにそれ超めんどくさいんだけど。
彼氏に会ったらあきらめる、っていう条件も意味不明だし。
ただのかまってちゃんだろソイツ。
普段の俺ならズバッと断わるところだけど、舞花さんには先日のデートで不義理なことをしてしまった罪悪感がある。ここはひとつ、協力してチャラにした方がいいのかも知れない。
「……分かりました。ふりをするだけでいいのなら」
「ありがとうございます!」
家政婦の夏川さんが紅茶のお代わりを持ってきた。
何も言わなかったけど、やけに嬉しそうな目で俺を見つめてきて、「あらあらまあまあ坊ちゃまも隅に置けませんねえ」という声が今にも聞こえてきそうだった。
これ絶対今夜は赤飯にされるパターンだ。
「この人が、さっき私が話した黒田さんです」
ファミレスに行くと、ソイツは既に店の中で待っていた。
俺の顔をちらりと見て、ソファーに座ったままで「どうも」と軽く会釈してきた。
夏休みだというのに学生服だった。部活でもやっているのだろうか?
どこの高校の制服かは知らないが、変に着崩したりはしておらず、髪も染めてなくて、一見とても真面目そうな印象だ。
舞花さんにつきまとっていると聞いたから、チャラついたナンパ野郎かと予想していたのに、どうやらそうではないらしい。それなりに育ちがいいのだろう、座ってコーヒーを飲む姿にもどことなく品が漂っている。
俺と舞花さんは、ソイツの向かい側のソファーに座った。
「……いらっしゃい……ませ……ご注文……お決まりでしたらドウゾ……」
やたらテンションの低いウェイトレスが注文を聞きに来たので、思わず顔を見ると、
「――んなっ、なんでお前……っ!」
ひっくり返りそうなほど驚いた。
ものすごく見覚えのある丸メガネに、おさげ髪。
ウェイトレスはなんと、メガネ女だった。
またか、またウェイトレスに変装してきやがったか、と思ったが、どうやら今回は様子が違う。
メガネ女の着ている服は間違いなくこのファミレスの制服だし、「立花」と書かれた名札もつけている。
「ま、まさかお前、ここでバイトを……?」
「ご注文を、ドーゾ」
瞳孔をかっ開いた、ホラー映画に出てくるお化けみたいな怖い顔で注文を聞いてくる。額に青筋も立ってるし。
え、なんで?
なんでコイツ怒ってんの?
「――アンタさあ、本当に舞花さんの彼氏?」
黒田という男が、俺を値踏みするみたいにじろじろと眺めてくる。
俺はメガネ女をちらりと見た。
オーダーを入力するハンディ端末を握りしめたまま、めっちゃ怖い顔で俺を見下ろしている。
だからお前はなんで怒ってんの?
「……あの、店員さん。注文決まってからまた呼びますんで」
メガネ女がそばにいると話がしづらいので、とりあえず下がってもらうことにした。
するとメガネ女はにっこりと微笑んで、
「かしこまりました。ではメニューがお決まりになるまでここで待ちます」
「なんでだよ」
下がれよ。
頼むから下がってくれ。
しかしメガネ女は俺たちのテーブル前で直立し、待機を決め込んだ。
客にこんなプレッシャーかけてくるウェイトレス会ったことねえわ。
「――なあアンタ、本当に舞花さんとつき合ってんのか?」
黒田が再び聞いてきた。
メガネ女の方を見ると、今度は能面みたいな顔で立っている。
お前の百面相マジすげーな。
「……ああ、つき合ってるよ」
メガネ女には後で説明するとして、今は舞花さんの彼氏の演技を優先することにした。
「マジかよ。舞花さんとはいつからつき合ってんだよ?」
「つい最近だよ」
「舞花さんのこと、本当に好きなのか?」
「……好きだよ」
「本当に本気で言ってんのかよ」
「ああ」
「舞花さんを心の底から愛してるのか?」
「……ああ」
「舞花さんを、命がけで守る覚悟はあるのか?」
「……あるよ」
「将来結婚する気はあんのかよ」
「そう、だな」
「じゃあ、舞花さんのどこが好きなのか言ってみろよ」
「はあ?」
「舞花さんを本当に愛してるなら言えるだろ。舞花さんの好きなとこ言えよ。最低でも十個以上は言えよ」
なんだコイツめんどくせえなあ。もう殴っちまおうかなあ。
舞花さんを見てみると、俺の隣で恥ずかしそうに頬を赤らめている。なんか若干嬉しそうだし。いやいや喜ぶような場面じゃないですよここ。ストーカーを追い払えるかどうかの瀬戸際ですよ。もっと危機感持って下さいよ。
メガネ女はと言うと、口を開けて埴輪みたいな顔になっていた。
なにその顔。
ほんとおもしれーなお前の顔芸。
「――なんか嘘くせえなあ」
黒田が、ふんと鼻で笑った。
「アンタ、舞花さんに頼まれて彼氏のふりをしてるだけなんじゃねーの?」
ギクリとした。
やっぱりバレたか。
そりゃそうだよな、こんな付け焼き刃で彼氏のふりをしても説得力ないに決まってる。
我ながらバカなことしてるなあと、今さらだけど後悔した。
「違うわ! 恭一さんは本当に私の彼氏よ!」
舞花さんがいきなり立ち上がった。
いつも大人しい舞花さんとは思えないほどの剣幕だったので、俺は唖然とした。
「恭一さんとの交際は親も公認よ。結婚の約束もしてるんだから!」
舞花さんの言葉を聞いて、黒田は「どうだかなあ」と見下したように笑った。
「疑うのはあなたの勝手だけど。とにかくこれで約束は果たしたから」
「約束ってなんだよ」
「彼氏に会ったら、私のことはあきらめるって言ったでしょ」
「納得できない」
「じゃあさようなら」
恭一さん帰りましょう、と舞花さんが俺の手を取ったので、二人で席を立って通路へと出たその時、
「納得できないって言ってるだろ!」
黒田がテーブルを拳で叩いた。
「こんなの嘘に決まってる! 僕は毎日毎日ずっと舞花さんのことを見てきたんだ! 彼氏なんかいないことは調べ済みなんだよ!」
黒田は立ち上がり、舞花さんの腕を強引につかんだ。
「どうしてこんな芝居するんだ舞花さん、僕はこんなにも君が好きなのに!」
「なにするの、離して!」
「僕は誰よりも舞花さんのことを分かってる! 舞花さんを幸せにできるのは僕だけなんだよ!」
「いや、離して、助けて恭一さんっ!」
俺が黒田の腕を引き剥がそうとしたその瞬間、
「――お客様。その手をお離し下さい」
メガネ女が黒田の鼻の穴に指を突っ込み、鼻フックをかました。
「いたたただだだだッ! 痛い痛いっ!!」
「他のお客様のご迷惑になります。その女性の手をお離し下さい」
「お前こそ離せよ痛い!」
「というか金輪際、そちらの女性に近づかないで下さい私立K学院一年三組の黒田邦男さん」
「な、なんで俺の名前知って……?」
メガネ女が、鼻フックとは逆の手に生徒手帳らしき物を握っていた。
そこに落ちてたんですよ、とメガネ女は平然と言うが、絶対違うだろお前スッただろ。
「俺の生徒手帳返せ! つーかいい加減俺の鼻を離せ痛いッ!」
「黒田邦男さん。あなたはこちらの女性にストーカー行為をしているようですね。これは立派な犯罪ですよ」
「ストーカーなんかしてねえよ! 俺は舞花さんを守ろうとして……」
「黙れ小僧ッ! お前にサンを救えるか?!」
「サンって誰だよ?!」
「これはクリリンの分!!」
メガネ女が黒田の顔面をテーブルに思い切り叩きつけた。
「いいかよく聞け小僧! 今度この女性に近づいたらパンツ脱がした状態のお前を女子校の門にハリツケにした上で貴様の子々孫々にいたるまで根絶やしにしてくれようぞ草一本も残らぬほどの……いらっしゃいませ少々お待ち下さい」
新たにファミレスに入ってきた客の対応もしながらメガネ女が脅しをかけると、黒田は「すみませんでした」と、鼻血と涙を流しながら謝った。
「――お、お疲れ」
午後五時過ぎ。
従業員用の出入り口付近で待っていると、メガネ女が出てきた。
俺の顔をじろりと一瞥する。
「なんか用ですか」
「いやまあ、その……」
「私急いでますから」
そのままスタスタと歩き出したので、俺は慌てて後を追いかけた。
「ちょ、ちょっと待てよ」
「何ですか」
「いや、お前、ここでバイトしてたんだな」
「はい」
「いつから?」
「ひと月ほど前から。夏はコミケとかコミケとかコミケとかで出費がかさむので」
「ああそう。ええと、今日のことなんだけどさ」
「何ですか」
「あの、アレだからな、頼まれて彼氏のふりをしてただけだから」
「……私は女優です。恭一様がヘタな芝居やってるのくらい一目瞭然です」
「ヘタで悪かったな。でもまあ、お前のおかげで助かったわ」
「別に恭一様を助けようと思ってやったわけではありません」
メガネ女が、ぴたりと足を止めた。
「……あのまま放っておいたら、恭一様が助けるんでしょう?」
こちらを向いてくれないので、どんな顔をしているのかは分からない。
だけど、今にも泣き出しそうな背中に見えた。
「恭一様があの美人のために、華麗な王子パンチとか華麗な王子キックとか華麗な王子ビームとかで華麗にやっつけて」
「ビームは出せねえよ」
「それであの女性の目がハートマークになっちゃったりとか、そんなの見るに堪えませんもの。だから私が代わりにやっつけたんです。ただそれだけです……」
……なんだかよく分からない。
俺は頭をガリガリと掻いた。
理由は何であれ、助けてくれたことには違いないのだから、お礼にメシでも奢って……と俺は思っているのに。
なんか重い。
空気がめっちゃ重い。
今からメシ食いに行こうぜ! なんて絶対言えない雰囲気だ。
どうしよう。
どうしたらいいんだこれは。
「――彼氏役とか、引き受けちゃうんですね」
メガネ女が、俺の方をちらりと見た。
泣いてないことに俺はほっとした。良かった。
「彼氏のふりとか、恭一様はそういうの、めんどくさがる人かと思ってました」
「いや全力でメンドクサイよ。最初は断わろうと思ったし」
「でも引き受けたんですね。あの美人のために、あの人を助けるために、恭一様がひと肌脱いだわけですね」
「いや別にそんな大そうなことじゃなかったし……彼氏のふりをするくらい簡単だし……」
「すごくきれいな人でしたもんね。華奢でおしとやかでかよわそうで。思わず守ってあげたくなるような女性でしたもんね。誰かが支えてあげなきゃいけないような女性でしたもんね」
「まあ、客に鼻フックするお前とは種類が違うわな」
「えーそうですね。その通りです。私は放っておいても大丈夫ですもんね。私は一人で何だってできますしね。その気になればかめはめ波も出せますしね」
「いや出せないだろ」
「そもそも私は恭一様の従者ですしね。従者が王子をお守りするのは当然のことですもんね。あの女性はいかにも姫ってカンジでしたもんねどう見ても従者には見えませんもんね」
「てゆうか、さっきからなに怒ってんのお前」
「別に怒ってません」
「怒ってんじゃん」
「怒ってませんよ」
「いや怒ってんじゃん」
「全然怒ってませんってば。モヤッとしているだけです」
「モヤッと?」
「はい」
モヤッとって何だ。どういうことだ。
怒ってるワケじゃなくて?
モヤッとしただけ?
イラッとでもなくて?
「……恭一様が特定の女性に優しくしているところを見て、モヤッとしただけです」
それじゃあ失礼します、と言ってメガネ女は歩いて行ってしまった。
俺は何と声をかければいいか分からず、追いかけることもできず、しばらくその場に立ちすくんでいた。