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従者
↓
友達
↓
相棒
↓
姫
「私の今の位置を教えて下さい」
昼休みの屋上に、妙なグラフが書かれた紙をひっさげてメガネ女がやってきた。
「なにこのグラフ」
「この中で、私の今の位置はどの辺ですか」
「はあ?」
「今の自分の位置をはっきり知りたいのです」
「お前は従者なんだろ」
「え、こないだのあのなんやかんやでちょっとくらいは出世したんじゃないんですか」
「してねーよ。お前まだゼロポイントだよ」
「そう言えば姫になるためのポイントってどうすれば獲得できるんですか」
「いいから早くやきそばパン買ってこいよ缶コーヒーもな」
「ぎゃああ素敵! かしこまりましたあ!」
喜び勇んでメガネ女が購買へ向かって走って行った。
俺が何かを命令するといつもこうだ。
何がそんなに嬉しいんだか。
生来のパシリ気質なんだろうか。まあどうでもいいけど。
――空を見上げると、遠くに白い入道雲が広がっているのが見えた。
今日はいつもにも増して暑い。そろそろ屋上での昼食も限界だな。
――数分後、パンと飲み物を買って戻ってきたメガネ女は、俺の目の前にビシッと正座をした。何か嫌な予感がするな。
「恭一様」
「なんだ」
「従者としてお願いがあります」
「いやだ」
「まだ何も言ってないのに!」
「お前のお願いはどうせろくでもないことに決まってるからな」
「明後日から期末テストが始まりますね」
「そうだな」
「哀れな従者をお助け下さい」
「やだよ」
「どうしてですか!」
「めんどくさいから」
「ひどい!」
ひどいひどいと喚くメガネ女を無視してやきそばパンを食べ続けていると、メガネ女にパンを取り上げられた。
「何すんだよ」
「やきそばパン食べてる場合じゃないですよ! 恭一様はこのテストがどれだけ重要か分かってるんですか?! ここで赤点取ったら夏休み中に追試とか補習とかに来なきゃいけなくなるんですよー!!」
「それが分かってんならなんで勉強しないんだよ」
「だから今こうして恭一様にお願いしてるんじゃないですかあ!」
「テストの二日前にお願いしてる時点で終わってるよお前」
「学年トップの成績をお持ちの恭一様ならきっとなんとかできますよ! 自信を持って頑張って下さい!」
「なんで俺が励まされなきゃいけねーんだよお前が頑張れよ」
はああ……、とメガネ女が深いため息を吐いた。
「……私、恭一様にすっぽかされたことがあるんですよねえ」
ギクリとした。
もしかしてあの日のことか。
やっぱり忘れてなかったか。
「図書館の入り口で、ずっと待ってたんですよ私」
「……悪かったよ」
色々あって、むしゃくしゃしてて、メガネ女とは完全に縁を切ろうと思って、待ち合わせの図書館に行かなかった。あの時のことは悪かったと俺も反省しているんだ。
「雨も降ってたし、寂しかったなあアレは……」
青い空を見上げて、儚げな表情でつぶやくメガネ女。
看板女優が作り出す切ない演出は本格的すぎて見ていられない。
「分かった。分かったから」
「え、何が分かったんですか王子」
「だから……見ればいいんだろ、勉強を」
「マジですか! やったあ!」
――というわけで、放課後に勉強会をやることになった。
以前すっぽかした埋め合わせも兼ねて。
未来の大女優を図書館前で待ちぼうけさせた代償は高くつきそうだ。
「一番やばそうな科目は?」
「数学です」
「数学か」
放課後、駅前の図書館の自習室にメガネ女と一緒にやってきた。
まずは一番やばいという数学のテキストを開ける。
「このページからがテスト範囲だから。とりあえずこの問題解いてみろ。分からないとこがあったら聞けよ」
「恭一様」
「なんだ」
「いきなり分かりません」
「何が分からないんだ」
「何が分からないのかも分かりません」
「……そうか」
イチから教えることにした。
なんかこれ時間かかりそうだな。
明後日のテストに間に合うのか?
「――で、共通因数をくくり出して、まとめたらこうなる。分かったか?」
「えっ、ここのyはどこに行っちゃったんですか」
「だからここだろ」
「yの気持ちはどこに行っちゃったんですか」
「yの気持ちは知らねえよ」
「さっきまでこっちにいたのに急にこっちへ移動させられた上に見知らぬxと一緒にまとめられてしまったyはどうやって気持ちの整理をすればいいんですか」
「真面目に勉強するか追試補習だらけの悲しい夏休みを送るか今すぐどちらかを選べ」
「はあーいスミマセンでしたあー」
やっと真面目に問題を解き始めた。
コイツこんなんでよくうちの高校に受かったな。
俺はメガネ女が問題を解き終わるまで本を読んで待つことにした。
――十分後。
「恭一様、恭一様」
「なんだ」
「恭一様はさっきから何を読んでるんですか」
「ミステリー小説だけど」
「恭一様はテスト勉強しなくて大丈夫なんですか」
「まあな」
「さすがですね余裕のよっちゃんですねカッコイイです」
「いいからさっさと問題やれよ」
「肩が凝ってませんか。もみましょうか」
「いらねえしうるせえ」
――十五分後。
「恭一様、恭一様」
「なんだ」
「のど乾きませんか、私ジュースでも買ってきましょうか」
「いらない。とにかく問題をやれ」
――四十五分後。
「恭一様! できました!」
「どれ見せてみろ。……ってなにこれ。なんでノートにぎっしり漫画描いてんの」
「xとyを擬人化して二人の関係性を漫画で描いてみたら理解しやすいんじゃないかと思って描いてみました! これは力作ですよ! 第一話はxがスーパーのレジで財布忘れて困ってるところをyが代わりに精算してそこから二人の交際がスタートします。第二話からはドキドキの同棲生活が始まります!」
「よし、歯ぁ食いしばれ」
「ごめんなさいっ!」
――六十分後。
「……恭一様」
「なんだ」
「もう限界です」
「まだ二問しか解いてねえくせに何が限界なんだよ」
「だって! かれこれもう一時間も机にかじりついてるんですよ?!」
「一時間もかけてなんで二問しか解けないんだテメーは。俺が限界だよ」
「何かご褒美をもらわないとこれ以上続けられません!」
「ご褒美って何だ」
「恭一様が私の頭を撫でながら『頑張れよ』って優しい笑顔で励ましてくれたり、壁ドンからの肘ドンからの顎クイからの最後おでこコツン連続技で『お前と過ごす夏休みが待ち切れねえよ』って囁いたりしてくれないと頑張れそうにありません!」
「上段突きからの中段突きからの回し打ちからの上段回し蹴り連続技ならいつでもやってやるぞ」
「謎は全て解けたあッ! 恭一様が悪いんですよ!」
メガネ女が、ガタンと勢いよく立ち上がった。
「恭一様が美しすぎて勉強に集中できないんです!」
「はあ?」
「恭一様の凛々しい眉とか切れ長の涼し気な目元とか長いまつげとか、少し分厚いぽってりとした下唇とか首筋から鎖骨への見事なラインとか半袖から見える腕の逞しい筋とか骨ばった手の甲とかに目が行っちゃって勉強に集中できないんですよおおおおおお!!」
「欲求不満かお前。それよりここが図書館だということを早く思い出せ。静かにしろお願いだから」
「もう結構です」
「あ?」
「私、光輝様に勉強を教えてもらうことにします!」
「はああ?」
突然、天坂の名前が出てきたことに驚愕した。
なんでここにアイツの名前が出てくるんだ。
「光輝様は学校でも大人気のイケメンですが私から見れば石ころですし万年二位の学力をお持ちですから光輝様とならきっと集中して勉強できると思うんです」
「それ天坂が聞いたら泣き崩れそうだな」
「というわけで私もう帰ります! こうしていても勉強になりませんから!」
「勝手にしろ」
さっさと片づけて図書館を後にした。
意味分かんねーよ。
なんでいきなり天坂なんだよ。
もう好きにしろよ。
俺は知らねえ。
***
「ちょっとちょっと、恭ちゃーん」
翌日、天坂が心底困り果てた顔で俺のところへやってきた。
「真知子ちゃんに今日の放課後勉強教えて欲しいって頼まれたんだけど……どういうこと?」
「どういうことも何も、そういうことだろ?」
「やだなーもう。どうせ喧嘩でもしたんでしょ? 夫婦喧嘩に僕を巻き込むのやめてよねー」
「夫婦じゃねえし」
「でもいいの? ほんとに僕が真知子ちゃんに勉強教えても」
「……知らねえよ。アイツがお前がいいって言ってんだからしょーがねえだろ」
「またまたあー。どうせ後で怒るくせに」
「怒らねーよ」
「ほんとにー?」
アイツが言い出したんだからしょうがねえだろ。
せっかく俺が勉強見てやろうとしたのに。
人の親切心を踏みにじりやがって。
どうなっても知らねえ。
――その日の夕方、学校から家に帰ってきたと同時に天坂からメールが届いた。
<真知子ちゃんと一緒に勉強がんばってまーす>という文章と共に送られてきたのは、机に向かって勉強しているメガネ女の写真。
だがその背景が図書館じゃないことに気づいた俺は、すぐに家を飛び出した。
「――なにやってんだテメエら」
天坂の家の玄関に入ると、ぽかんとした顔のメガネ女と顔面蒼白の天坂が出てきた。
「だから言ったじゃん、だから言ったじゃん、絶対恭ちゃん怒るからやめようって僕言ったじゃん」
メガネ女の後ろに天坂が隠れながら「僕は悪くないから」とチワワのように身体を震わせている。
何を今さら。意気揚々とメールを送ってきたのはお前だろうが。
「恭一様、一体どうしたんですか?」
「どうしたもこうしたもねーよ。なんで天坂の家にいるんだお前は」
「もちろん試験勉強のためです」
「なんで図書館じゃねえんだよ」
「駅前の図書館は今日から改装工事で閉館してるんですよ」
「だからってなんで天坂の家なんだよ」
「だって光輝様の家、図書館のすぐ後ろだったんですよ知ってました?」
確かにそれには俺も驚いた。
天坂からのメールを見た後、すぐに電話をかけて住所を聞いた。そこで初めて、天坂が高校から徒歩五分以内のところに住んでいることを知った。
「安心してよ恭ちゃん、二人きりじゃないから。他にもお友達はたくさんいるから、ほら」
案内されたリビングには、うちの高校の女子生徒が三十人くらいいた。いつも天坂の周りにいる取り巻きたちだろう。それぞれダンスをしたり、ゲームをしたりしながら、「やだちょっと高宮君じゃない!」「みんな! 氷の王子様も来たよ!」「高宮君も一緒に遊ぼうよ!」などと言って盛り上がっている。なんか海外ドラマでよく見るホームパーティーみたいになってる。
「……帰るぞ」
メガネ女の手を無理矢理引いて、天坂の家を出た。
「ちょ、ちょっとどうしたんですか恭一様!」
「あんなところで勉強なんかできるわけないだろ何考えてんだ!」
「だってしょうがないじゃないですか、他に勉強できる場所なんて思いつかなかったし!」
「だからってあんなとこにいたって何一つ頭にゃ入らねーよ!」
「じゃあどうしたらいいんですか! 他に方法あるんですか! テストは明日なんですよ!」
往来でメガネ女と睨み合う。
犬の散歩をしている主婦が不審そうに俺たちを眺めている。
ひとしきり睨み合った後、俺は「ふう」と息を吐いた。
「……俺んち、来い」