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――午後八時三十分。
観劇を終えた客でK劇場のロビーはあっという間に大混雑となった。
しかし、その中でもすぐに見つけることができた。
「――こんばんは、城之内さん」
近づいて声をかけると、メガネ女と城之内は驚いた顔で俺を見た。
「やあ、確かキミはこの間の……」
城之内の隣で、メガネ女は驚いて声も出ないらしい。
ぽかんと口を開けたままで俺を見つめている。
今日はメガネはかけておらず、髪もおさげではなく自然に垂らしている。
白いレースのカーディガンに紺のフレアスカートとか、やけにめかしこんでいるように見えて、もしかしたら俺がここにいることは場違いなんじゃないかと一瞬自信を失った。だけど――
「――城之内さん」
場違いであっても構わない。
例えどんな惨めな結果になったとしても、俺は絶対に後悔しない。
むしろすがすがしいくらいの気分だった。
もう迷いは一切なかった。
俺は一歩前に踏み出し、これ以上ないくらいの王子スマイルを作ってみせた。
「城之内さん、そいつは今日から俺のなんです」
デートしたいなら今度からは俺を倒してからにして下さい、とつけ加えると、周囲からどよめきが起きた。
今の聞いた?
すごい!
ナイト様だ!
王子様じゃない?
かっこいい!
劇団の人?
私もあんなん言われたい!
周りからそんな声が聞こえる中、メガネ女はただ顔を真っ赤にして立ちすくんでいた。
「――いいねえ、今の顔! フィルムに残したかったよ!」
うちの映画に出てみないかい? と本気モードでスカウトしてくる城之内の誘いをやんわりと断わり、メガネ女の手を引いて劇場を後にした。
「――お、王子、ちょっと待って下さい!」
劇場を出て、大通りを渡って、噴水のある公園を横切っている時にメガネ女が俺の手を振りほどいた。
「な、な、なんですかいきなり!」
赤い顔で喚くメガネ女は、めいっぱい怒ったふりをしているが全然怒ってないことはバレバレなので、俺は思わず笑ってしまった。
「な、なんで笑ってるんですか!」
「いやー、おもしれーカオしてんなと思って」
「失礼な! 女性にそういうこと言うもんじゃありません!」
「なにお前、自分のこと女だと思ってんの?」
「はあー?! なんですかケンカ売ってるんですか! 売られたケンカは借金してでも買いなさいってのがおじいちゃんの遺言なんです! 生きてますけど!」
「すげー爺ちゃんだな。てか生きてんのかよ」
「いやそんなことが言いたいんじゃなくて、その、なんで……来たんですか?」
「なんでだと思う?」
「え、いや、だって、今日はお見合い相手のお嬢様とデートだったんじゃ……」
「なんだ知ってたのかよ」
「光輝様が教えてくれたんです」
「知ってんならなんで来ねーんだよ」
「……へ?」
「だってお前、こないだ俺のこと好きって言ったじゃん」
メガネ女の顔が、再び真っ赤になった。
「い、言いましたけど?!」
「だったらデート邪魔しに来いよ」
「はあ? 何言ってるんですか、私は王子に彼女が出来たら従者として祝福しますと申し上げたはずです」
「なんでいきなりあきらめモードなんだよ。どんだけやる気ないのお前。そんなやる気ないヤツは従者としても失格だろ」
「いや、でも……」
「そーゆー消極的な女が一番嫌いなんだよ。奥ゆかしいふりして、ただ意気地がないだけだろ。謙虚キャラ装ってるだけで、本当はただの負け犬じゃねーか。じっと待ってるだけで王子様が迎えに来ると信じてるなんて負け犬通り越してただの怠け者だろ」
「……だってしょうがないじゃないですか!!」
メガネ女が俺の顔面にハンドバッグを投げつけてきた。
頭にきたから投げ返してやろうとふりかぶったその時、メガネ女が大粒の涙をぼろぼろとこぼしているのが目に飛び込んできた。
「私は恭一様を初めて見た時に決めたんです! アニメのキャラクターに恋するみたいに憧れてみようって! 恭一様を独占したいとか恭一様の一番になりたいとか絶対思わないようにしようって決めたんです!」
「なんでそんなこと決めたんだよ」
「手に入らない物を望んでも辛いだけじゃないですか!」
「なんだお前、手に入る物しか欲しがらねえのか」
「そうですよ当たり前でしょ!」
「じゃあなんでお前はあんな小さな劇団で地道に舞台活動やってんだよ」
メガネ女が、はたと、言葉を失った。
「芝居やりたいんだったら親の七光り利用してドラマでも映画でも好きなだけ出ればいいじゃねえか」
「そ、それじゃあ意味がないんです!」
「知ってるよ」
お前の舞台を初めて観たあの時、全部分かったんだよ。
「自分の力でつかみ取りたいんだろ? 今の自分にない物が、あの舞台の上にはあるんだろ?」
同い年なのに、俺とは全然違うって思った。
全てのことをあきらめてしまっている俺とは真逆だと思った。
「どんなことをしてでも手に入れたい物があるんだろーが」
自分の力で、ゼロから作り上げようとしているお前を、カッコイイと思った。
こんなスゲーヤツには絶対敵わないって思った。
「なのになんで俺のことだけあきらめるんだよ」
メガネ女が、再び涙をぽろぽろとこぼし始めた。
「わたし、わたし……恭一様のことあきらめなくていいんですか?」
「全力で欲しがれよ、俺を」
後から後から溢れ出てくる涙を、指先でそっと拭ってやった。
「そうしたら俺も、全力でお前を奪いに行ってやるよ」
そう言って微笑むと、メガネ女が俺の胸にぎゅっと抱きついてきた。
「恭一様……」
「なんだよ」
「恭一様が好きです」
「知ってる」
「私とつき合って下さい」
「嫌だね」
「ええええええええええええーッ!!」
夜の公園にメガネ女の雄叫びが響き渡った。
ウルセーな。警察来るだろーが。
「なんでですか! この流れでなんで断わるんですか!」
「一回告白したくらいでつき合えると思うな。俺はそんなにお安くねーんだよ」
「はああ?!」
「もっともがけ。もっと泥まみれになれ。数々の猛者を倒して城壁を登って扉を爆破する感じで俺を奪いにこい。じゃないと認めねえ」
「なんですかそれ! 何様のつもりですか!」
「王子様だろーが」
メガネ女の顔が、ボッと赤く染まった。
なんでここで赤くなる?
「で、でも、何回も告白するのって、なんかおかしくないですか?」
「そうか? 俺はお前に告白してフラれたとしてもあきらめずに何度でも告る覚悟あるけど?」
メガネ女の顔がまた赤くなった。
お前の赤面するツボがよく分からん。
「じゃ、じゃあ王子が私に告白して下さいよ」
「しない」
「なんでですか!」
「だって俺は王子だから」
「王子が姫に求愛するのが普通だと思うんですけど」
「お前、姫じゃなくて従者だろーが」
「え。今日から私、従者から姫に格上げしたんじゃないんですか?」
「従者から姫に格上げするためには1000ポイント以上集める必要があります」
「ポイント制なんですか?!」
「たまったポイントはお皿と交換することもできます」
「ヤ○ザキ春のパン祭り?!」
こっぱずかしい台詞を連発して俺だって顔から火が噴き出そうなんだよ。
これくらいの照れ隠しはさせてくれ。
「――ちょ、ちょっと王子! どこ行くんですか!」
「え、帰るんだけど?」
「ええええええ! こんだけ盛り上げといていきなりの帰宅?!」
「だってお腹空いたし」
「あ、じゃあ何か食べて帰りましょうよ、いいとこ知ってるんですよ私!」
「やだ。どーせお前の紹介する店は甘いモンばっかりか、メイド喫茶とかだろ」
「ブブー! 残念でした執事喫茶でした!」
「いらね。ラーメンでも食お」
「いいですねラーメン! 私も食べたいですラーメン!」
「うるせーな。ちったあ静かにしろよ何時だと思ってんだよ」
「王子、王子! 質問があります!」
「なんだよ」
「見事1000ポイント獲得して姫に昇格した暁には、もちろんお姫様抱っこしてもらえるんですよね?!」
「なんだお前、見た目によらず大胆だな。してもいいけど抱っこの後に放り投げるのはベッドの上だぞ」
「うぅええええええええええええーッ!!」
「うるせえなマジで静かにしろよ恥ずかしいから」
「お、お、お、おおおお姫様抱っこって、そういう使い方なんですかあ?!」
「そーだよ。知らなかったの?」
「知らなかったああああああああ!! 家に帰って辞書引いてみます!!」
「キテレツな辞書持ってんなお前。つかホントうるさい。ちょっと黙っとけ」
メガネ女の口を、俺の口で塞いだ。
唇はほんの一瞬ですぐに離したが、効果は絶大。メガネ女はすっかり静かになった。
「……行くぞ、ほら」
「……え、あ、どこに」
「ラーメン食いに行くんだろーが」
「あ、は、はいっ!」
俺の後ろをよたよた歩くメガネ女の右手と右足が同時に前へ出ているのを見て笑いが止まらなくなった。
女なんて面倒なだけだ。
今までずっとそう思っていた。
だけど人生なんて、何が起きるかマジ分かんねーな。
第5話「メガネの奪還」end