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女なんて面倒なだけだ。
今までずっとそう思っていた。
「こちら、水原舞花さんだ」
「初めまして舞花です」
少し緊張した面持ちで頭を下げる彼女はどの角度から見ても正真正銘の美人だ。
立ち居振る舞いも、品があってなんとも美しい。
――彼女は俺の爺ちゃんが昔から世話になっているという弁護士の孫娘で、某お嬢様学校に通う高校一年生。
どこで俺のことを知ったのかは不明だが、俺と一緒に食事をしたいと言ってきたらしい。
面倒なので初めは断わろうと思ったが、「お前の都合の良い日を見つけるまで日程はいくらでもずらし続けるぞ」とオヤジに脅迫まがいなことを言われたので、仕方なく引き受けた。
「なに、お見合いなんて堅苦しいものじゃない。先方のお嬢さんと気軽にランチすればいいだけの話だ」
と、オヤジは言っていたが。
都内の某高級ホテルのラウンジで、お互いの父親と共に向かい合って座っている今のこの状況は、とんでもなく堅苦しいのだが。
「――じゃあ、後は若いお二人で楽しんでもらいましょうか」
向こうの父親が言うと、うちのオヤジも「そうですね」と笑顔で立ち上がった。
おいおいふざけんな、と一瞬思ったが、おっさんどもとメシ食うよりはその方がまだマシかも知れないと思い直した。
「――あの、今日は突然ごめんなさい、こんな……ご迷惑でしたよね」
オヤジ達がいなくなった後、水原舞花が謝ってきた。
同い年にしては大人びた丁寧な口調に、さすがお嬢様学校に通ってるだけあるな、と思った。
「謝らなくていいですよ水原さん」
「舞花と呼んで下さい!」
「ああ、はい、舞花さん」
「私も、恭一さんとお呼びしてもいいですか?」
「はあ……」
メンドクセーなあ早く料理運ばれてこないかなーとカウンターの方向をちらちらと盗み見る。
「あの、恭一さん」
「はい」
「覚えてますか? 私、恭一さんと一度だけお会いしてるんです」
「そうなんですか?」
「はい、恭一さんのお爺様のお誕生日パーティーにお呼ばれした時です」
「ああ……そうでしたか。覚えてなくてすみません」
「いえそんな、あの時は何百人といましたから覚えてなくて当然です。でも恭一さんは大勢の中でもすごく目立ってました」
「愛想が悪くて?」
「え、ち、違います、素敵だったからです!」
「パーティーとか苦手なんですよ」
「私もです、私たち気が合いますね!」
こんなんで気が合ってたら世の中気が合う人だらけになるだろーが。
なんて言えるわけもなく、適当に愛想笑いでごまかした。
アイツ相手だったらいくらでも容赦なく言えるんだけどな。
「お待たせいたしましたあー。おヒヤですうー」
従業員が水を運んできた。
しかし水は来店してすぐの時に用意されている。まだ料理も来てないこの状態で二杯目の水を出してくるなんて変わったホテルだな……と思って顔を上げると、
「……す、すみません舞花さんちょっと失礼します」
断わりを入れて俺は立ち上がり、水を運んできた従業員を競歩で追いかけて首根っこを思い切りつかんだ。
「なにやってんだてめえ」
「あいたたたたお客様ボーリョクは困りますうー!」
水を運んできた従業員はメガネ女だった。
しかもメイド服を着ている。
「なんでお前がここにいるんだ!?」
「え、ええと。今日からここでバイトしてるんです」
「嘘つけ! その格好、このホテルの従業員のやつと全然違うし! それコスプレ用のメイド服じゃねえか!」
「えーっと、たまたま偶然このお店に入ったら、恭一様の姿が見えたのでつい気になって……」
「なにお前ストーカー?! どっから尾行してたんだ?!」
「従者とストーカーって紙一重ですよねウフフ。……って、違います! 尾行なんてしてません、本当にたまたま偶然なんです!」
「んなワケねーだろ! そんな偶然あってたまるか!」
「本当なんですってば!」
「――真知子ちゃん」
スーツ姿の男性が、にこやかにこちらへ近づいてきた。
年は二十代半ばくらいか。
上質のスーツを着こなし、いかにもデキる男といった感じの奴だ。
「真知子ちゃん、なかなか戻ってこないと思ったらこんなとこにいたの」
あれ、真知子ちゃんそんな服装だったっけ? と男は首を傾げた。
メガネ女は、俺とその男の顔を交互に見た後、
「こ、こちら城之内浩二さん。映像関係のお仕事をしていらっしゃる方で……」
と、気まずそうな表情で俺に紹介をした。
いや突然紹介されても。
なんなんだ一体。
これはどういう状況だ。
「どうも初めまして城之内です」
城之内という男が俺に握手を求めてきた。
仕方なしに俺も手を差し出すと、やけに強い力で握られた。
「真知子ちゃんのお父さんと僕はよく一緒に仕事させてもらっていてね。今回はお父さんに無理言って、真知子ちゃんとのデートをセッティングしてもらったんだよ」
聞いてもないのにベラベラと説明をしてきた。
デートという単語にやたら力がこもっているように感じた。
「真知子ちゃんの舞台を観て、一気に大ファンになってしまったんだ。キミは真知子ちゃんの舞台観たことある?」
「はあ……」
「彼女の演技は本当に素晴らしいよね。将来は必ず大女優になるよ。ところでキミは真知子ちゃんのお友達?」
「同じ高校の同級生です。高宮恭一です」
「へえ、真知子ちゃんと同い年? 大人っぽいから大学生かと思った」
「……よく言われます」
「ああそうだ真知子ちゃん、さっきキミが注文したケーキが運ばれてきたよ。早く席に戻って食べよう」
「え、あ、そうですね。じゃあ恭一様、また後ほど……」
メガネ女は俺のことを何度も振り返りながら城之内と一緒に席へと戻って行った。
それも、俺の席からさほど遠くないところに座ったから驚きだ。
まさか同じラウンジにメガネ女も来ていたなんて、全然気がつかなかった。あの城之内とかいう男が驚いていたところを見ると、当然ここへ来た時は普通の服装だったのだろう。メイド服にはいつどこで早着替えしたんだ。つかメイド服は常に持ち歩いているのか? いつもながら気持ち悪いヤツだな。
「恭一さん……?」
はっと我に返ると、後ろに舞花さんが不安げな表情で立っていた。
「ああ、すみません、ちょっと知り合いがいたもので」
「そうでしたか。料理が運ばれてきましたので、冷めないうちにいただきましょう」
「そうですね」
席に戻って舞花さんと食事をしたが、メガネ女のことが気になって味が全く分からなかった。
***
「すごーい! それってダブルお見合いじゃん!」
やきそばパンを頬張りながら、天坂が目を輝かせた。
何がそんなに嬉しいんだ。コイツは本当に面倒事が好きだな。
「で、恭ちゃんはその後どうしたの? 俺の女に手ェ出すんじゃねえ的なことを言ってやったの?」
「言うわけねえだろ。つかあんまりくっつくな気持ち悪い」
一人で静かに昼メシを食おうと思って屋上に来たのだが、どこからともなく天坂が現れて結局落ち着かない昼食になってしまっている。
なんで天坂が屋上なんかに来るんだ。いつもの取り巻きはどーしたんだ。お前は光の王子様なんだから食堂や教室で女子どもに愛想振りまいとけよ。
「社会人とデートかあ、真知子ちゃんて意外とモテるんだね。まあメガネ外せば美人だから当然か」
うんうんと頷きながら言う天坂の言葉に、俺はピクリと反応した。
「……お前、あいつがメガネ外したとこ見たことあんの?」
「いやないけど想像で。ちょっと怖い顔しないでよ恭ちゃん」
「してねーよ。生まれつきこういう顔だ」
「あ、真知子ちゃんが来たよ」
屋上に、メガネ女がひょっこりと姿を現した。
俺は気にしてないふりをしてサンドイッチを食べ続ける。
「……あの、王子。ええと、昨日はすみませんでした」
俺のそばまで来て、メガネ女がバツが悪そうに頭を下げた。
「何のことだ。何がすみませんなんだよ」
「えーと、メイドになりすましてストーカーまがいな行為をしてしまい……」
そっちか。
そこじゃねえだろ。
謝るとこそこじゃねえだろ。
「……あの城之内って奴と、しょっちゅう会ってんの?」
さりげなく聞いたつもりがものすごくトゲのある言い方にしかならなくて自分でも驚いた。
「いえ、城之内さんとお会いするのは昨日が初めてでした」
「あいつ、ロリコンなの?」
「はい?」
「おかしいだろ。いいトシした社会人が女子高生とデートなんて。完全ロリコンじゃん」
「な、違います! 城之内さんはロリコンじゃありません! 城之内さんは純粋に演劇を愛してらっしゃるんですよ!」
「そんなに演劇が好きなら舞台でも観に行けばいいじゃん」
「行きますよ。今度の日曜日に」
「はああ?!」
俺は思わず声を荒げてしまった。
目の端に、ニヤリと笑う天坂の顔が見えた。
「今度の日曜日、城之内さんと一緒にお芝居を観に行くんですよ」
メガネ女が、何でもないことのように言った。
なんだこいつ。
次の約束までしてきたのか。
バカじゃねーの?
初めて会った男となんで次の約束とかしてんだよあり得ねーよ。変なヤツだったらどうすんだよ。こいつもしかしたらアレか、騙されて高額な壺とかすぐに買っちゃうタイプなのか。アホなのか。
「……お前アレじゃねーの。JKなんとかってのと勘違いされてんじゃねーの?」
身体の奥からドロドロとした物が急激にこみ上げてきて、ああこれやばいな止められないな、と自分でも思った。そんな俺を天坂のヤツはいかにもワクワクと楽しそうな顔で見ている。見世物じゃねえんだよ。
「違います! 城之内さんはそんな人じゃありません!」
「昨日会ったばかりで何が分かるんだよ」
「そんなの、大体分かります」
「日曜の約束断われよ。じゃなきゃ城之内さんが未成年者誘拐罪で逮捕されるぞ」
「されません! 私のことより、恭一様こそどうなんですか!」
「何が」
「昨日、一緒にいたあの美少女は誰なんですか。まさかお見合いですか」
「そうだけど?」
メガネ女が数秒間、動かなくなった。
「……え、ま、マジですか、マジでお見合いだったんですか」
「そうだよ」
「や、そんな、高校生でお見合いとか、おかしいですよ」
「お金持ちのお嬢様だから普通なんじゃねーの」
「いやでも明治時代じゃあるまいし。こんな若いうちからお見合いとかあり得ないですよ」
「名家の御令嬢なら、親が結婚相手決めるとか普通だろ」
「私にとっては普通じゃありません! 高校生同士のお見合いなんて絶対おかしいです!」
「得体の知れない社会人とデートしてるお前に言われたくねーよ」
「デートじゃありませんし、得体が知れない人でもありません! 城之内さんとはたまたま演劇の趣味が合っただけなんです!」
「良かったじゃねーかオメデトウ。そのままつき合っちゃえばいいじゃん」
それだけ言って缶コーヒーを飲んでいたら、メガネ女がうつむいたままで身体を震わせている。
なんだなんだ、どうした。
まさか、泣くのかコイツ?
「恭一様なんか……っ、恭一様なんかカボチャパンツ破れて風邪ひいちゃええええっ!!」
「ワケ分かんねーけど腹立つな」
ダッシュで階段を駆け下りていった。
相変わらず意味不明な女だ。
「ちょっとちょっと恭ちゃーん、学校で夫婦喧嘩するのやめてよー」
俺たちのやりとりを黙って見物していた天坂が嬉しそうにすり寄ってきた。
「夫婦じゃねえよ。てゆうか楽しそうだなお前」
「いやだっていつもクールな恭ちゃんが感情的になるトコって見ててすごい興奮する」
「お前気持ち悪い」
「恭ちゃんのケータイ鳴ってるよ」
ポケットからケータイを出して見てみると、舞花さんから「次の日曜日に会いませんか」というメールが受信されていた。いつもの俺なら断わるところだが、なぜだかソッコーでOKの返事を出してしまった。