腹が減っては
エーリカは慌てて跪き、頭を垂れた。
「も、申し訳ありませぬッ!異国の元帥閣下とは知らずに御無礼な態度をッ!」
彼女の豹変に厳爾は困惑した。
確かに軍において階級は絶対であるのだが、相手が元帥であると気付いた末端の兵であっても慌てて背を伸ばし敬礼をする程度だろう。
彼女の様子からはそれ以上の“何か”を感じる。
一方のエーリカは戦々恐々である。
彼女にとってもそうたが、この国における「元帥」とは、まさに雲の上の存在だ。
これは単純な軍階級差だけの問題ではなく、“元帥になれる”と言う事は、それ相応の高い爵位と多大な影響力を持つ貴族、それも王族との親密な関係を持ち、軍の統括だけでなく国家戦略、果ては国政そのものに強くあれこれ口出しが出来る大貴族だ。
まさに国家の中枢を担う、重鎮の中の重鎮。
エーリカも貴族の家の生まれであり、少佐の位と一騎士団の団長としての役職を与えられてはいるが、比べ物にならなかった。
「まさかその若さで元帥だとは微塵も考えていなかったのです!!一体どうやって閣下に詫びればよろしいのか……」
「あ、頭を上げてまず落ち着いてくれ……詫びを入れる様な事ではない。」
さしもの厳爾も、まさか「元帥」という階級が彼女をここまで畏れさせるものだとは思っておらず、動揺していた。
だが同時に、これは使いようによっては役に立つかも知れないと、瞬時に考え付く。肩書きがこれ程に効果的な世界ならば、得られる利は得るべきだ。
これに多少のハッタリを混ぜればもっと上手く使えるかもしれないが、同胞達が居る可能性も考えると恥ずかしい無茶な真似も出来んな。と、頭の中で今後の勘定を弾き出し始める。
生前、一部の高級官僚達と陸軍省の連中から
「十露盤将軍」
「電卓元帥」
「悪知恵タヌキ」
等々、伊達に呼ばれていた訳ではない。
「しかし……。」
「いや、本当に気にしてないのだ。不問としよう。」
「閣下の寛大な心に感謝を」
エーリカの目は真っ赤に腫れて、涙で潤んでいた。
これには少し罪悪感が沸くが、これも中々に可愛いと感じてしまった。
「ゴホンッ!まぁ、それはそれてして、一つエーリカ殿にはお願いがあるのだが」
「出来る事ならば」
「少し食糧を分けてくれないか?先程から腹が……」
グギュゥ~
ええい、もう少し上品な鳴り方をせんか腹の虫め。
「……この調子なのでね。」
「プフッ……あははっ!っと、失礼しました!粗末な物しかありませんが宜しければ!」
「すまないね、何であろうと文句は無いとも」
エーリカは背嚢から布の包みを取り出して広げる。
中に入っていたのはパンで肉を挟んだもの。
所謂、原始的な姿のサンドイッチである。
「こんなもので良ければ、めしあがってくだされ。」
「十分過ぎるご馳走だ」
厳爾はそのまま手に取って、サンドイッチにかぶりつく。
意外にもパンは柔らかく容易く噛み切れたので、口の奥で咀嚼しながらゆっくりと味わう。
空腹だった事を抜きにしても、予想より遥かに美味い。
野菜は入っていないが、味付けは良く工夫されている。ハーブスパイスにパンと肉だけでこんなにも美味い。
「まだ幾つか有りますので御遠慮せずに、あと、喉を潤すのならこちらを」
差し出された杯を手に取り眺める。
「この香り、ワインか。頂こう」
最初に少量を口に含み、少し味わってからグイと飲み始める。
美味い。上等のワインだと言える。
夢中で舌鼓を打つ厳爾は、その後サンドイッチ四個とワイン三杯を平らげたところで、大満足となった。
「ふぅ……感謝するエーリカ殿。本当に美味かった。」
「閣下の舌に適ったのならば光栄です。」
「一飯の恩義が出来た。心苦しいが今、手元には返せる物が無いのだ。……申し訳ない」
厳爾はただ頭を下げる事しか出来なかった。
「そんな!頭をお上げください!それこそ気にする事ではありません!」
エーリカは慌てて厳爾の頭より低くなる。
自分が働いた無礼を赦した寛大な元帥に、これ以上恥をかかせてはならないと感じた。
「そうは言っても借りは返しておきたい性分なのでな、エーリカ殿の手伝いでもしたい所だが、生憎この辺の地理や常識は皆目分からない身でね……」
どうしたものかと考え込む厳爾を見て、エーリカは提案する。
「ならば閣下を家に招待致しますぞ。地図や書物もそこそこにあります故、私も喜んで説明しますので、是非お越しくだされ。」
「……そこまで世話になるとは、しかしとても魅力的な提案だ。ありがたく招待を受けよう、エーリカ殿」
「おおっ、歓迎致しますぞ!しかし此処からでは着く頃には夜でしょうし、そのまま泊まり体を休めてくだされ。」
「何から何まで……本当にありがたい。礼を言う。」
一飯の恩義が一宿一飯の恩義になってしまったぞ。やはり二つで1セットらしい。
「なんの!お安い御用です!」
屈託の無い満面の笑みで応えるエーリカ。
彼女は表情が顔に出やすく、とても分かりやすい。
まるで裏表が無いような彼女の有り様は、駆け引きではポーカーフェイスを貫き、歴史の表舞台と舞台裏では顔を使い分け、清濁併せて飲み込んで来た厳爾にとって、その有り様はとても眩しく魅力的であった。
だからこそ厳爾は彼女に言っておきたい事があった。
「ああ、それとエーリカ殿。私の事は“閣下”ではなく名で呼んでくれないか。勿論、下の名でね。」
「!……それは!」
「此処へ来て初めて会った人は、エーリカ殿……貴方だ。こうして助けて貰うのも何かの縁。……友とならないか?」
「!」
「二人だけの時ならば敬語も要らぬと考えているよ。どうも落ち着かなくてね。」
「……本当に構わないので?」
「当然だ、異国で出会った初めての友、エーリカ殿よ。」
「……承知したぞ!新たな異国の友、ゲンジ殿。」
「うん、こっちの方が断然良い。」
厳爾はニヤリと満足そうに笑った。
つられたエーリカも朗らかに笑うのだった。
「してゲンジ殿、家まで半日近く徒歩になるが大丈夫か?なにぶん修行のつもりで来たからな、馬は無いぞ。」
「望む所。寝ずに三日間山岳を敵兵から追い回された事があるが、それよりは遥かにマシだ。」
「ハッハッハ!剛毅だなゲンジ殿は!」
そんな話をエーリカとしながら厳爾は、心の内で一つ引っかかっている事を思い返していた。
それは、ここへ来たであろう同胞達の存在。
エーリカは彼らを異国人の一種と認識しているが……我々、大極東帝國人にとっては異国どころか異世界だ。ゴブリンなど実在しない、してたまるか。
『一度死んだ身で、こことは違う異世界からやって来た』と、言った所で信じては貰えないだろうが……。
先に来た彼らも上手く話をはぐらかしたり、ハッタリで切り抜けたのだろう。
「しかしゲンジ殿。一国の元帥がこんな所に一人で居るとは、お忍びの武者修行か何かかな?」
「……まぁ、そんなところ……かな。教育してきた後輩達には、私が居なくとも軍の統括を上手くやって貰わなくては困るので、身を隠した……と、言うのは建前で少し羽目を外したかった。」
「なるほどな、フフッ」
意外と茶目っ気がある人だなとエーリカは笑った。
二人は話を途切れさせることなく、家を目指し歩いていった。