ディオニュソスも居酒屋で酔っ払う
ディオニュソスは酒の神だ。彼は美味しい酒を求めて旅を続けていた。何もそれはギリシャ神話の世界だけではない、日本にも彼は来ていた。
「ここがTOKYOか」
彼は降り立った。日本の東京に。ギリシャ神話の世界とは正反対に、雑音と排気ガスが蔓延しているのだ。彼は従者のマイナデスと共に人間に変身しているため、正体がバレることはないが、やはりこの科学が発展した国に慣れるのは一苦労のようにも思える。
「ゴホゴホッ。早く目的の場所に行きましょうぜ」
マイナデスは大げさに咳き込んでいるように見えるが、初めて東京の密閉感と人混みの多さを体験しているのだ。咳き込むのも無理もないだろう。
「そうだな。このままでは目立ってしまう」
夜だが、予想以上に人通りが多かった。そんな中で不自然に咳き込む人がいれば、さすがに目を引いてしまう恐れもある。
「さあ、日本の酒が俺達を待っていやすぜ」
咳をしながらも、その目は酒を求めている目だった。
「分かっているさ。そのために来たんだからな」
こうしてディオニュソスとマイナデスは目的の場所に向かった。そこは日本では馴染みのある一般的な居酒屋だったが、二人にとっては新鮮味そのものだった。
「すげえ」
店の中には人がたくさんいた。中にはサラリーマンらしき人物が大勢で固まってゲームをしている風景もあった。そう、居酒屋では食べるだけではなくこういったコミュニケーションツールを使って遊んでいる者もいるのだ。
「近代的だな。俺達が住んでいる世界の店とはまるで違う」
「さっそく席に座りましょう!」
すると、二人はカウンター席に座った。そして店長の男を呼び出して話しかける。
「よお、シレノスのおっちゃん」
シノレスと呼ばれた店長はディオニュソスの顔を見て、明るい表情になっていた。接客業で造る仮初めの笑顔とは違い、本物の笑顔だ。
「ディオニュソスじゃないか! なんだよ。来るなら連絡の一つしてくれよ」
そうなのだ。デュオニュソスの師匠ともいえるサテュロス族のシノレスは日本で居酒屋を経営していた。彼は冷静沈着な預言者としての顔を持つ反面、酒好きで陽気な性格を持ち合わせていた。だからこそ店を持ちたいと思っていたのだろう。
「生憎、スマートフォン……だっけか。それを持っていないからな」
ギリシャ世界でそのようなものがある筈も無かった。しかし、
「おいおいそっちの世界ではスマホ流行ってねえのか?」
シノレスは持っているようだ。スマートフォンを。
「あんた、すっかり日本に染まったな。俺達は自然の道具だけでやりくりしているのさ」
シレノスも人間に変身しているため、サテュロス本来の上半身は人間、下半身は山羊という特殊な格好はしていなかった。しかし、
「何言ってやがる。見た目は変わったかもしれねえが、中身は色情のままだぜ」
「その凶器ともいえる竿は人間世界でも遺憾なく発揮されているらしいな」
そうなのだ。代々、サテュロス一族は全ての女達を虜にすると言っても過言ではない立派な竿を持っている。それは人間世界でも通用するはずだ。
「あたぼうよ。人間界の女はべっぴんさんが多いんだぜ……俺のセンサーがビンビンに反応してらあ」
居酒屋では下ネタトークが当たり前とされている。ここには下ネタを嫌うこと自体がタブーなのだ。所謂居酒屋トークを楽しまなくてはならない。
「それはともなく、日本の伝統的な酒を頂こうか」
不意にディオニュソスの顔が真剣そのものになった。
「あいよ。ってことは生ビール二丁だな」
二人の前に出てきたのはジョッキにナミナミと注がれた黄色い液体だった。普段ディオニュソスが飲んでいる葡萄酒とは色が根本的に違っていた。
「これが日本の酒か」
「ビールっていうんだぜ。これが日本におけるスタンダードな酒だ」
シノレスは豪快に笑い飛ばしながら酒の説明をしていた。
「ほうほうビールか」
「さっそく飲みましょう!」
そう言うと、二人はジョッキを持ち上げていっきのみした。二人は普段から酒を飲みまくって生きているので、この程度は朝飯前だった。
「これは……旨いな」
ディオニュソスは口の周りに白い泡をつけて喋っていた。
「なんだか疲れが吹き飛ぶような感じっす」
体の疲れが吹き飛んだというのだ。このビールを飲んで。
「そうだろう。おかわりするか?」
師匠であるシノレスも弟子の嬉しそうな顔を見て御満悦のようだ。
「当たり前だ。こんなに旨い酒を飲んだのは久しぶりだ」
酒の神は初めて味わうビールの味に舌鼓をうっていた。
「俺っちもです!」
ディオニュソスとシノレスの二人は日本の酒を絶賛していた。
「ははっ! なんだか照れくさいぜ」
そんなこんなで、二人は明け方まで居酒屋を満喫した。居酒屋にはつまみと呼ばれる食べ物もあり、ギリシャ世界とは全く違うスタンスを楽しめたのだ。デュオニュソスは元の世界に帰還すると、すぐさま行動して日本式の酒も飲めて食べ物も食べれるという店を従者たちに造らせた。その店はいつでも、いつまでも新鮮な酒を飲める場所として大人気になり、あの有名な主神ゼウスまでもが来店する有名な店になったそうな。