35. 役割
まただ、と柚希は思う。
保護下にある生物の状態を把握すること、それが彼の役割であるとしても度重なる問い掛けにうんざりする。
「そうやって質問ばかり」
メレディスが訊こうとしていることの内容を確かめもせず、言い返す言葉に彼女はいくらか刺を含ませた。
「仕方がないだろう、我々にも責任というものがある。大義名分として召喚生物の権利を謳うのであれば、ここで管理される君に余計な不満を抱かせるわけにもいかない」
保護者然とした態度。
「そのための質問だ。答えなさい、何を調べて、何が知りたかったのか? 知識が不足していることが不満なら、それを解消することが我々の務めだ」
言葉遣いは荒れないように抑えているものの、調子は明らかに苛ついている。
「何だって構わないでしょう? だからあなたの手を煩わせないように資料を──」
「資料を調べるといったって、どこに何があるのかも分からないのだろう。何が知りたかったのか言ってみなさい、重要度の高い資料であればたいていは私の頭の中に入っている。資料室をいちいち引っ掻き回す必要など無い、触られては困る物もある」
やはり仕事のペースを乱されるのが迷惑なのか。釘を差し、嫌味の一つ二つ言わなければ気が済まないというところかもしれない。されど管理される側としても相手に負担をかけるのが悩ましい。
「私がこの世界の住人ではないことで、分からないことが多すぎることは理解していただけませんか。でも、その疑問に対処してくれるとしても、あなたに迷惑がかかりそうですから」
目下のところ基礎となる言葉についてすら、多大な時間を費やすことは分かりきっている。それ以上の知識を求めるとなれば、より多くの時間を奪うことになる。いくら召喚魔法の被害者として特別の配慮が必要な身の上であれ、他人の予定を根本から組み立て直させるような振る舞いに平気でいられるほど彼女は図々しくはない。
また、依然として残るメレディスへの苦手な感情もある。困った末に頼み事をするにしても、素直な言葉が自分の口から出てくるとは思えなかった。単純な話、彼にこれ以上の借りを作りたくはないのだ。
自分たち二人の間にある緊張関係が、いつまで経っても改善されないのは大方そんな部分が原因なのであろう。貴重な珍獣の身として、どこまで頼って良いのか、どこまで期待に応えれば良いのか分からない。分からないがゆえに、流されるまま求められる指示に従っている。そうやって従順なうちは問題ない、けれどそこから外れればこうやって彼と意見がぶつかる羽目になる。
「私が勝手に何かをすることが邪魔だというのなら、余計なことをするのは控えておきます。それなら迷惑にならないでしょう?」
大人しくするのが無難だろう。そう思っての答えだったが、それを聞くメレディスの表情は固い。
「邪魔だとは言っていない。言っただろう、私の義務だと。それに君は私の質問に答えてはいない。資料を漁って何を調べたかったのか。知りたいことがあったはずだ」
強い口調で答えを求められる。従順なふりをすれば、そこに付け込んで今度はこちらの行動を支配しようとする。そういう意味で彼には足元を見られている気がした。結局は相手のペースである。
「私の手間は気にしなくても良い、一般的な質問であれば今ここで答える。それならば君の心理的な負担は最小限で済むだろう。さあ、言ってみなさい」
面白くない。ならばと相手の決して叶えることのできない無理難題を吹っかけてみた。
「この世界についてのあらゆることを全て知りたい、と言ったら? 魔法のことも、この国のことも」
「何もかもとは。探究心に関しては貪欲だな。知ってどうする?」
柚希の言葉への答えにはどこか不愉快な色を滲ませていた。普段の一方的な要求に対して小さな復讐が果たせたようで、沈んでいたな感情が少しだけ回復する。すかさず畳み込むように言葉を継いだ。
「知る必要があるんです。もし帰れなければ、ここで人生を送らなければいけない。でも、ここは私の本来の世界じゃないでしょう? だったら少しでも多くのことを知りたいと思うのは当然です。それとも役立つかもしれない情報を調べることも私には許されないのですか?」
管理上の事情も、ひいては彼の都合も関係はない。あくまでも自分自身のための知識欲。相手の視線に負けないよう、挑むように見返した。行儀の悪い目つきなのは自覚していたが、どうせ元より良好ではない仲である。不躾に睨もうといまさら好感度の上下などありえない。
その態度に相手がますます機嫌を損ねるのかと思っていたが、しかしそれに対するメレディスの表情は先ほどまでの薄っすら漂う不愉快さが綺麗さっぱりと消え失せたものだった。機嫌が回復したことに少し驚きもするが、しつこい質問に彼女がようやく答えらしきものを示したために現実的な問題対応へと思考が切り替わったからなのか。言葉の意味を吟味するようにこちらの視線を受け止めている。
ただし相手の感情がいくら平静であろうとも、場の空気自体は穏やかとは言い難い。それでも一つだけ救いがあると思われるのは、この不仲について互いに認識しているということだろう。関係が悪ければ悪いなりに、歩み寄れないこの状態を初めから諦めることができる。相手に対する敬意は最低限で褒められたものではないが、『そういうもの』との心構えが用意できているせいで、お互いの態度に対しての怒りのピークはごく短い時間に収まっている。
薄青い色に対しての動揺は相変わらずだが、これはもう条件反射のようなものであると諦めている。せめて内心怯えていることがバレないように、息を整えて口元を引き締めた。
彼に自分がどのような評価を下されているのかは知らない。だがおそらくは扱いづらい生き物だとは見做されている。見た目は子供みたいなくせに小賢しい、知性を持て囃していても、ある程度よりも近しい接点を持つようになればその言動を疎ましく感じるのだろう。
睨みつけることの仕返しであるかのように上から視線が落とされる。いくら自分が視線に力を込めても、身長差があるせいで自分の立場の心理的な弱さは覆せない。こちらから相手を睨みつけていたはずなのに、その睨むという行為が自分でも居心地が悪い。けれど目を逸らせば負けるような気がして重苦しい空気を我慢していた。
そうしているうちに重いものが取り去られたかのようにメレディスのまとう空気が和らいだ。視線を完全には外さないものの、そこに様子を窺おうという調子はない。何かを思いついたといったところだろうか、薄い表情ながら明確な意志らしきものを滲ませ彼は部屋の出入口の方へと向かう。
「知識を得るための方法は紙の資料を調べることばかりではない。その気があるなら付いてきなさい。全ての疑問に答えることはできないが、一部であればその目で見て理解できることもあるだろう」
言いながら廊下の方へと誘う。
「何処へ?」
「この建物の物見塔、見晴らしのいいところだ。この世界すべてを見渡すことはできないが、少なくともこの街についてならば確認できるだろう。それが君の知りたいことかどうかは分からないが」
動ける範囲は依然としてこの建物の中。それでもせめてもの譲歩なのか、鳥籠の口を細く開いて外を覗き見ることを許されたのだと。柚希は提案をそのように解釈する。
「分かりました。連れて行ってください」
断る理由もない。示される情報の一つ一つをすべて自分の血肉にしなければいけないのだから。
しかし、見晴らしの良い塔と言うからには当然ながら向かうのは上である。階段を登るための身体的な負担を予想して、いくらか重たい気持ちになりながら、後を追う。
今まで平均よりいくらか低い程度の身長にコンプレックスを覚えるようなことはなかったが、こちらに来てからは事あるごとに小さいことでの不利を経験させられていた。そもそも建物の構造そのものも住んでいる人間のサイズに合わせて作ってあるのだから、階段の一段ごとの高さの差は結構きつい。
今はまだ追いつけるほどのスピード、しかし歩みのペースを少し落としてもらおうか。そう考えてメレディスへと声をかけようか迷い、上を見上げれば真上から落ちてくるかのような視線。彼女が付いてきているかどうかを確かめるために階段の途中で振り返ったらしい。
「そうやって警戒心もなく他人の言うことを聞くのも考えものだな」
呆れたような口調で漏らす一言に何のことかと首を傾げ、気付くのはまるで捕食されるかのような位置関係。途端に閃くのは口うるさく注意され続けたあのことだ。
「外聞について前に話したと思うが、それについて君は一向に学ばない」
「あなたが付いて来いといったのでしょう? でも昨日のあの騒ぎの後で、あなたが何かするつもりだとも思えませんが」
自分で言い出したことにに対して何を言っているのか。軽率さに対しての理不尽な注意に小さな不満を覚え、反論をする。だが、この言いようだとメレディス自身をも油断ならない男へと分類しろというふうにも聞こえる。
「それに警戒心と言っても、私たち二人の間はずっとこんな具合ですから。それとも私に対して不埒な真似をするつもりだったのですか?」
子供みたいな体つきの女を襲う趣味などあるまい。そう思い、焚き付けるような言葉を吐く。たとえセクハラ対策で部屋の扉を開放し続けているといっても、二人だけで過ごす時間は短くはないのだ。
「あなたが何かをするつもりなら、ここでどうにかするよりも授業で二人きりの時のほうが簡単でしょう? でもいまだに何も起きてない、だからこれからも何も起きないと判断しました」
その上、暴発問題もあるのだ。魔力の濃さ云々以外の原理は不明ながらも、そのせいでこちらの体に触れることすら躊躇する相手が身体的な意味で危険だとは思えない。
「信頼されているのか、それとも規律に厳しいのだと見做されているのか」
「男女間の問題については、言い出すのはいつだってあなたです。そんな人が自分の発言に反することをしないと思い込んでいるだけかもしれませんが」
これまでにも性に関わる際どい話は行ってきた。しかしほとんどが身の安全、または生物学的な話題に終始している。生真面目な話ばかりで艶っぽい方向へとはまるで向かわない。そのせいだろうか、相手が若い男であると分かっていても、口うるさい監視役以上の認識を持てずにいる。
「だから、この話はもう止めにしませんか? 言葉の習得が必要なら、それに専念していれば私たちは単に教師と生徒でいられるはずですから。その役割を演じているうちは少なくとも世間体は悪くならないのだと」
「役割、か」
その単語をどのような意味にとらえたのかは分からないが、柚希の言葉に不満を復活させてメレディスは嘆息する。だが、それには気付かないふりをした。
寄らず、触らず。一定の距離を保ち続ければ何も起きないのに違いない。たとえ距離を縮めようとしても、こうやって先回りをして不用心さを指摘されるのだ。相手の隙に付け入ろうという態度ではなかろう。むしろ強いて離れよう、距離を置こうとする意思を感じる。
いくら見目麗しき容貌を誇っていても、この性格では近づこうという女性もいないのだろう。そばで彼を見ていたわずかな日数で、彼の周囲に女性どころか親密な人間の影すらも一切見えないことには気付いていた。彼に気安く声をかけられるのは上司であるノヴァとリリぐらいで、彼らにしても職務上の要件のない限りはあまりプライバシーに立ち入った話はしない。それより離れた関係の人々、例えば騎士団に所属するレリスはメレディスの会話の際に明確に身構えるし、隊の副隊長だというアリオールに至っては何やら薄ら寒い空気が漂う始末。
個人的な感情は一先おいておくとして、彼の存在は組織に必要な嫌われ役なのだろうと解釈をする。研究所も騎士団も公的な機関で仲良しグループなどではない。求められる職務を滞りなく遂行するには、引き締めるべきところを外さない仕組みが必要なのだ。
けれど組織のためにと徹っして、どれほど嫌われても構わないという態度についてはやはり理解できるようなものではなかった。普通は摩擦は避けるはずだがまるで意図したかのような孤立に、初めから彼自身が自分を殺して『役割』に注力しているのだと思える。メレディスが不満気なのも当然だ、そもそも柚希に言われなくとも役割の裡にいるのだ。
「まあ、良い。せっかくだ、上に着くまでの間、この街や建物のことについて話しておこう。わずかな範囲だが、それもまた君が知りたいと望むこの世界の一部だ」
仕切りなおすためか柚希の返事を一切待つこともなく、あらゆる感情的な色合いを排した声音でメレディスは歴史について語り始めた。




