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32. 倒壊

調べようと言ったものの、その雑誌自体には本来あるべき分類標が付けられていなかった。そのため逆引きで目録への記載を手繰ろうにも取り付く島がない。同じ場所に挟まっていた数冊も同様、見つけたはずの糸はそこで唐突に途切れてしまった。


「困ったな。これじゃ何も分からない」


せっかくの手がかりがあまり役立ちそうになく、レリスは明らかにがっかりしている。落胆するのは柚希も同様、たとえ召喚魔法が行われた証拠だと言っても、たった一冊の本では繋がる糸も細すぎるのである。


困り果てて再び床に積まれた山に彼女が目を()れば、所々に似たような紙の束が挟まっているのが目に入る。もしやと思って山の一つを切り崩し、上に置かれた箱を取り除くと、やはり同じような印刷物が紛れ込んでいた。今度のは雑誌ではなく新聞である。日付はタウン情報誌よりも五年ほど新しい。


「探せば同じようなものが何冊か出てくると思います。そちらで分かることがあれば、きっと──」

「そうか、これだけ量があれば一つぐらいは役立つ記録があるかもしれないね。掘り出してみよう」


言うが早いかレリスが作業を開始する。資料の間に紛れ込む紙束や冊子を見つけると、邪魔な標本をどけて床の空いたスペースへと掻き集める。しっかりとした段取りの相談もないまま、それを柚希は自分の世界と関係あるか否かで分類してゆくことになった。


一度作業が進行し始めると止めどころがわからない。しばらく後には、元々それほど広くなかった床の空きスペースは、掘り出した異世界の本だらけになった。向こうの世界からの召喚が珍しいものだと思い込んでいた柚希には想定外の量であったが、何年もかけてここへ運び込まれたものだと思えば多すぎるということではないのかもしれない。


ところどころに荷造り紐で(くく)られたままの物があるから、たまたま召喚の門が古紙回収の収集場所へと開いてしまったことも考えられる。幾年か前に古紙の価格が上昇した際に、収集所から古紙を持ち去られるニュースを耳にしたことがあったが、もしかしたらいくつかの事例では召喚魔法だったのかもしれないと思うと不思議な感じだ。


そんなわけで、とにかく異世界の本は多い。多ければ手がかりがその分増える、目的から考えれば喜ばしいことではあるのだけれど。


「量が多すぎませんか」


柚希の声にレリスは振り返った。手には標本の箱。それを邪魔にならぬ場所へと取り除けた。


「うん、ちょっと多い。どうしようか?」


どうやらノープランは継続中のようである。


そうは言ってもレリスの手が止まることはない。文字は読めなくとも写真付きのそれらしい本については異世界のものだと見当をつけることができるため、図版の多いものを中心に選り分けている。それらをもう一度柚希が確認し、別に取り分けていく。チェックの済んだ山は柚希の身長ぐらいまで伸びた物がすでに三本ほど、いよいよ足の踏み場もないぐらいとなってきていた。


「今日一日で調べるのは無理だと思うんですけど」


二人で作業をしていると言っても、レリスが異世界の文字を読めないのであれば分類するのは彼女の作業になってしまう。いくら簡単な仕分けでも、たった一人でこれだけの量を短時間で処理するのは骨折り仕事だ。掘ればいくらでも出てくるのはいいが、本の全てをチェックするにはそれこそ膨大な時間が必要であろう。


「ここのことは誰かに相談して、明日以降も調べられるように出来ないでしょうか?」


今は資料室に入る許可のあるレリスが同行しているから良いものの、厳密には彼女自身は部外者の立場だ。ここにいることも、貴重な資料に触れていることも、バレればおそらく怒られる。そうならないためには誰かに見られる前にこれらを片付ける必要があるが、ここまで床が埋まってしまった今ではもう無理だ。


ならば正直に話し、きちんと調べることにしたほうが良い。ただし許可をもらうのと実際の作業、間違いなく両者の順序は逆転しているのだが。


「そうだね、じっくり探せばきっと……。多分、大丈夫だと思うよ」


思案したのか、安請け合いなのか判別の付かない口調。


「ここの管理はあの人だから。力になってくれると言っていたし」


『あの人』というのは彼のことだろう。綿密な書類を仕上げ、大方の資料の内容を頭の中に記憶していると称する例の彼だ。


「あの人、ですか」


名前を言われなくとも、ついついその人物を連想する。やはり苦手な相手だ。


「でも珍しいよね、他の場所はきちんと整頓してあるのに、ここだけこんな風になっているのは」


柚希の言葉の妙な間を、レリスは違う意味に受け取ったらしい。普段厳密な仕事を要求する人物が部屋を乱雑なまま放置していることに対しての疑問である。


たしかにそれは変だと思うけれど。そもそもここの品に触らぬ理由が、紛れ込む書籍が未知の言語で書かれているからではとも思ったが、話題の人物がいくらか読めることは知っている。その能力で今の職を得たのだとも言っていたではないか。


ならば積極的に個々の資料を整理するのが本分であろう。だが、その気配すらない(ほこり)の積もった部屋だ。分類の手間を惜しんで見ぬふりをしていたのか。


しかしそれも解せない。たとえ分類に時間が掛かるにしても、触らぬまま放置というのは何というか『らしくない』のだ。床の方は年単位の放置だとしても、棚の目録の方は整頓が()されている。どうやら触らないだけの理由があり、そのためにあえて放置してきたような感じなのだ。


触りたくない、誰が作ったのかが分からないゴミの山を探索して責任を負わされるのは確かに嫌だけれど。だが掘ってみれば異世界の書籍のような貴重品が現れるのも事実だ。その点に違和感を覚える。


その理由を知りたい。だが尋ねて、彼は答えてくれるのだろうか。


柚希は床の状態を見る。勝手に触った資料、元の位置からは大きく動いてしまっている。ここの物品が放置された理由を訊く以前に、この探索の始まった経緯を話さなければいけないだろう。しかし今のこの床の状態を見てお(とが)め無しということは考えにくい。当然、小言を言われるだろうが、彼の場合は冷淡な口調となるだろう。単純に叱られるよりも軽蔑される方が(こた)える。自己嫌悪に陥りそうだ。


けれどその叱責は大人しく受け入れなければなるまい。少なくとも自分の召喚以前に、元の世界へと魔法が繋がった証拠は見つかったのだ。日付の入った印刷物が多いから、時系列に並べることもできるだろう。それが帰還のための手段にとってどんな手がかりになるのかは分からないが、何もないよりはマシである。そして手がかりが多いということは、希望の芽が増えるのだから喜ばしいことでもあるが。


「ともかく今日はこれぐらいにしませんか? 通り道もなくなってきましたけど」


そろそろ発掘を終わらせようと声をかけた。触るうちに飛び散る埃ほこりに軽く咳払(せきばら)いをする。


新しく積んだ山の高さも危険な領域に達していた。作業を続けるにしても、ある程度物品を何処かへと引っぱり出さなければ十分なスペースを確保できなくなってきている。そもそも退室するときに山に触らず入り口まで到達できるかといった密度なのだ。


「じゃあ、これで最後にするから」


レリスは言いながら、(まと)めるための紐を解いたばかりの雑誌の束を指し示す。青年向けの雑誌か何かだろう、見えている裏表紙には『幸運を呼ぶペンダント』や『守護霊を引き寄せるブレスレット』などと怪しげな通信販売の製品の広告が印刷されている。そういうのが本当に効力があれば、魔法の世界で魔法が使えず、彼女が苦労することなどなかったのだろうけれど。


世界のこちらとあちらに関わらず、思う(まま)にならないことがあるのは変わらないのだとぼんやり考える。ただこちらでは世の中の仕組みが分からないから戸惑っているだけ。魔法が分からないからと今後を不安に思っていたけれど、元の世界であればどうにもならないことを神頼みで解決しようとする。原理がわからないことにしがみつくという意味では似たようなことではないか。


また不思議な力のこもったアクセサリーというアイデアが心へと訴えかける。言葉の魔法を道具に出来たくらいだから、他の魔法でも可能かもしれない。日常生活レベルの魔法を道具で補うことができれば、魔法の能力のない彼女でもこの世界で生き延びるための期待が出てくるだろう。難易度やコストの問題はあるが、相談するぐらいは構わないと思われる。


結局、この発掘は帰還出来ようが出来まいが、両方の方向へ安心感を与えてくれたのだといえる。無駄ではなかったのは良いことなのだけれど。


ともあれ、今触っているのが今日最後の束だから。雑誌の日付と分類表の有無の確認、そこまで済ませれば作業は終了するのだとレリスを急かした。


だが半ば感傷にひたっていて、それが何なのか判断するのが遅れる。気付いた時にはレリスはその本を開いていた。


文字が読めないために写真の多い本を中心に漁っていたのは知っていた。けれど、その雑誌に載る写真の色合いはある特定の一色に偏っている。目に飛び込んでくるのは肌色、それが絡みあった写真が何枚も。服を着ていない人間の肉体であることは判断できる。しかしそれは水泳や格闘技などではない。


──()みつ(ほぐ)れつ。


写されているのは親密になった男女が求め合う恋愛表現の最高潮に至った場面を撮影したものだ。つまり目前のこれは青年向けではなく成人向けの本で、購入するのに相応しい年齢が設定されている代物である。非常に平たい言葉で表現すれば、すなわちエロ本だ。


とはいえ、理解は出来ても、あまりのことに現実的な対応は吹き飛んでいってしまったらしい。開かれたページを凝視したまま柚希は動きを止める。もちろん言葉を失っている。


「これはどういう内容なの、か……?」


急に動きの止まった相手に気付き、レリスが手元のページを見下ろす。そして開いてしまった破廉恥な中身を確認して──。


「あの、わざとじゃなくて」


あわあわと言い訳。赤面も限界を突き抜けてしまったのか、耳の先まで真っ赤に染まっている。画像の意味しているところを彼はしっかりと理解した様子だ。


彼女にも分かってはいるのだ。実物ではない代用物で年頃の男子が若い欲望を適度に発散させるのは特別に罪なことではないことぐらいは。しかし女性であること、恋愛に縁遠かったことなどの理由でこうした知識に接する機会が少なく、免疫ができていなかったために驚きも大きい。


「分かってます、わざとじゃないのは分かってますから。はい、分かってますとも」


相手の狼狽が伝染し、呪文のように同じ言葉を繰り返す。


異世界の物品であれば、このような猥褻物も資料になるのか。現実逃避気味に明後日(あさって)の方向へと思考を向かせる。レリスの様子から、おそらく彼もこうした成人向けコンテンツについて免疫がないのに違いない。


「ごめん、すぐに片付けるからっ!」


レリスは雑誌を隠そうと、チェック前だった別の一冊を急いで上に重ねた。それで隠せたつもりだったのに、その一冊すらもやはり中身は全裸の男女。おたおたして雑誌を取りのけようとして、山の一つを崩してしまう。そして床の上に散乱する肌色の多い図画一覧。


状況は悪化する一途、もうこの部屋にはいられない。


「気にしないで、驚いただけです。むこうに行っているのでその間にでも──、っ!!」


距離を取ろうと後退(あとじさ)る、そのつもりだったが。


慌てすぎ、部屋の有り様が思考の埒外(らちがい)になっていた。積み重なった資料の山に背中がぶつかる。崩れそうだと気付いた時にはすでに手遅れで、轟音とともに倒壊する山の中へと自分の身体が巻き込まれていく。


短く悲鳴。自分のものとも思えない鋭い声だった。


とっさに両腕で頭を守るのが精一杯、床の上へ倒れ込みながら衝撃を必死に(しの)ぐ。そこへ容赦なく諸々の物品が降り注いできた。部屋中に響く打撃音がやけに大きい。


幸いなことに落下したものは本ばかりで、崩れた山もそれほど高くはなかった。落下物が腕に当たって痛いけれど、ガラスで皮膚を切るような怪我は負わずに済む。倒壊の音そのものは凄まじかったが、生き埋めにもならない。


しかし代わりというべきか、倒壊の衝撃で長年積もった埃が狭い部屋の中へ舞い上がる。沸き立つ埃は白い霧のごとく。柚希は悲鳴を上げた際にそれを大量に吸い込んで激しく咳き込んだ。息苦しく、涙ぐみながら、かと言って埃の煙幕の中からは()い出せない。


と、どこかからバタバタと足音。轟音がしたために、気付いた誰かが走っている。異常の原因を確認しに来るのだろう。


慌てているのだから物音を気にする余裕など無いことは分かっているが、その広い歩幅が生むテンポを耳にして、駆け込んでくるのが誰なのか嫌でも理解してしまう。


「何事だっ! っと、大丈夫か」


小部屋の扉が乱暴に開かれた。見上げると、涙で(にじ)んだ視界に予想通りの人物。眼鏡を透かす薄青い色が見下ろしている。メレディスだ。柚希の姿を見つけて、大きく息を飲み込むのが分かる。


「こんな所に、二人でっ!」


遅ればせながらある可能性に気づく。


ここは人の出入りの少ない奥まった小部屋なのだ。授業の復習をと部屋を出てきたはずなのに、こんなところで閉じこもっている。そして何度も世間体や間違いについて釘を差されていながら、レリスと二人きりである。非常に気まずい。


そして悲鳴を上げた覚えもある。しかも今の自分は床の上に転がっている体勢。誤解を与えかねない。


急いで立ち上がろうとするが、足下は不安定だ。つるっとした雑誌の表紙に足を取られて再び床の上へと崩折(くずお)れる。と、同時に別の山が倒壊した。


「動くなっ! 危ないだろう」


荒々しい口調で怒鳴りつけられ、身を固くする。動揺して相手を見遣(みや)れば、鋭い視線に気持ちが凍りつく。逃げ出したかったが身体は思うように動かず、その間にも相手は近づいてくる。


散乱する本を踏みつけ、貴重品と不要品の中間を行き来する価値の分からぬ品を構わず足蹴(あしげ)にする。そうしながらも注意は柚希の方から一瞬たりとも逸らさない。痛いほどの強い視線が示すのは怒りであろう。動けぬままの彼女はメレディスの激しい感情を真向から受け止める他はない。


時を置かず、すぐ傍で立ち止まる男。目が合えば、怒りが氷のような冷たい猜疑心へと変化する。弁解のしようもない状況だが、せめて自分の弱さを見せまいと柚希はとっさに目元に()みでた涙を指で拭う。


「立てるか、補助は必要か?」


尋ねる言葉は手短だ。倒れた彼女の脇へとひざまずいて手を延ばす。そして一瞬躊躇するように動きを止めた。暴発問題が頭を掠めたのだろうか。だが緊急事態と判断したためか、そのまま手首を服の上から掴み、腕を引っ張って彼女を立ち上がらせる。そして彼女の体を上から下へと確認し、ようやく視線の力が緩む。


「怪我は無いようだな」

「あの、これは──」


とにかく説明しようと、言いかけてコホコホと咳き込む。口を開いた瞬間にまた埃を吸ったのだ。その様子に、もはや遠慮はなくなったらしい。頭を払われ、背中を(さす)られる。


「落ち着くまで(しゃべ)らないこと。経緯については向こうに訊くから」


メレディスは向こう、これまで柚希とともに発掘作業に携わっていたもう一人へと意識を向ける。棚の前で呆然と立ち尽くすレリス、しかし突き刺すような視線にようやく我へと返り。


「ここにいたんですか?」

「私の仕事場なのだから不思議はないだろう? ここは奥まった目の届きにくい部屋だから、私が来たことに気が付いていなかったようだが」


不機嫌を隠そうともせずにメレディスは(せわ)しなく眼鏡の位置を直した。そして厳しい表情で周囲を見回す。崩れた資料、舞い上がる埃。もともと小部屋は整理整頓からはかけ離れた様子だったのが、さらなる混乱で完全な無秩序へと陥っていた。


「とにかく、ここは今すぐにどうにか出来る様子じゃない。一旦場所を変えよう」

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別ページに番外短篇集を投稿しています
『I've been summoned.』 番外短篇集
都合により本編に入れられなかったエピソードなど収納しています




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