3. 突入
攻撃魔法の発動する爆音が建物の本来の入り口である方向から鳴り響く。別働隊が突入した音だ。
どこかで慌ただしく人間が走り抜ける音がする。陽動に引っかかり、応戦しようとする者たちの足音だろうか。作戦通りの混乱が引き起こせたことにベルクトが小さく頷いたのが見えた。
まずは裏口組の隊員全員に防御魔法の発動。乱戦になりうるため必要な魔法だ。
そしてすぐに再びの魔法で魔力を引き出し薄い風の膜をその場の全員に纏わせる。派手な陽動を効果的にするために、物音を減らすための魔法である。大きな音は誤魔化せないが、忍び歩きの足音程度の音量であれば打ち消すことができるだろう。
次から次への魔法を使用しながらも日頃の訓練の賜物か、レリスは自分がまだ十分な余力を残しているのを感じていた。元々の指導者の教えによれば、魔法を正確に使用することで魔力を節約し発動を素早くできる利点があるとのことだが、そのことを痛感する。
厳しい指導者で少しでも動作がぶれたり、手順の途中で突っかかったりと、レリスが小さなミスを犯す度に辛辣な言葉で注意をされた。だが、今はあの人の厳しい教育方針の意味がわかる。
魔法の準備が済むと手信号で移動の指示が出る。身をかがめて違法召喚の準備が進められているだろう現場へと向かう。
廃倉庫の狭い通路、打ち捨てられたガラクタの数々に触れて音を立てないように拾った石に光源の魔法を薄めに注ぎ込んだ。白い光が足元周辺を薄暗く照らす。
いくつかの部屋を通り抜けるが、事前の索敵でそこに目指す相手がいないことは分かっていた。急ぎつつも隠密に一つの部屋へと向かう。この廃倉庫内で最も広い中央の部屋である。
目的の部屋の前へとたどり着くと、音を立てずほんの少しだけ扉を開ける。隙間は細いが十分に中の様子はうかがえた。
部屋の中央には巨大な魔法陣が描かれている。そこへ数人の魔術師が集まり、魔力の注入を開始していた。突入に慌てて術式発動を急いでいるのか、その動作は荒っぽくて雑だ。
もしもレリスの指導者がこの場に来ていたら、彼らの動作を見てかなり激烈な言葉で批判することだろう。しかし召喚呪文は雑であろうとも、途中の準備さえ体裁が整っていさえすれば腕の劣る魔術師でも発動できるという特性がある。
高度な術式を必要とするものの召喚魔法そのものは、その高度さに反して発動させるだけならば容易な技術となっていた。なぜならば複雑ゆえに途中術式を定型化する技術革新が行われたからだ。多くの場合、召喚魔法は術式に従って作図された魔法陣を設置し、そこへ魔力を注ぎ込むことで発動する。定型化技術は召喚魔法を、魔法陣の設計図を用いて適切に作図した後、魔力を注入しさえすれば誰でも使用出来る技術にまで一般化するための一助となったのである。
ただし技術的な制約を少なくしたとはいえ、依然として術式発動に必要とされる魔力量は非常に多い。そのために召喚魔法の実行には数週間、規模によっては数ヶ月間の準備期間を必要とする。魔法陣作図の作業に加え、発動される規模の術式に応じた魔力量を何らかの方法で蓄えなければならないのである。
その規模の大きさゆえに、違法召喚が発見されることなく発動までこぎつける苦労は相当のものだろう。そのことがさらに違法召喚の裏経済における商業価値を高めているのであるのだが。
すでにある程度の魔力が注入されていたらしい。床に描かれた魔法陣は薄っすらと淡い光を放っていた。
そこへ新たに魔力が追加されることで光は少しずつ強くなる。
捕縛前に急いで召喚呪文を発動させ獲物を捉えて逃げ延びるつもりか、あるいは召喚生物を足止めに使うつもりか。どちらの可能性なのかは不明だが、残る悪運をこの魔法陣に賭けようとしているのは明らかだった。
しかしそれを阻止するのが騎士団の仕事である。ベルクトがヴァローナへと合図した。
ベルクトが扉を蹴破り、部屋へと飛び込んでゆく。注意を引き付けるため、敢えて無防備に敵の中心へと飛び込んでゆく。
慌てた敵魔術師の一人がとっさに攻撃魔法を放った。だが即座に作ったため威力が小さく魔法壁によって簡単に弾かれる。
甲高く金属的な音。横一線に振りぬいたベルクトの剣が敵の一人を薙ぎ倒す。派手な攻撃だがああ見えて相手に刃物傷は負わせない。防具を狙って打ち込み、力任せに転倒させただけだ。
だが切らぬとはいえ棒状のものによる打撃である、少なくとも打撲はまぬがれぬであろう。捕縛後に治療をすることにはなっているが、基本的に戦闘終了までは放置される。気絶して痛みを感じないことはある種の恩恵であろうか。
しかし敵は一人ではない。小柄だが鍛えぬかれたベルクトの身体が魔法陣の上を走りぬけ、魔力を発動寸前の魔術師へと肩から体当たりをする。衝撃は十分で吹き飛んだ魔術師の手から発動の失敗でこぼれ落ちた魔力が落下するのが見えた。その魔力を光る魔法陣が貪欲に吸収し、輝きが少しだけ強くなる。
もう一人の騎士ヴァローナは、用意していた魔法を発動させる。その爆風で怯んだ魔法使いに足払いを掛けて転倒させ、あっという間に戦闘より排除。手早く次の魔法を組み立て、今度は風の魔法をぶつけ剣士の一人を体ごと吹き飛ばした。
ベルクトとヴァローナは動線が交わらぬように、左右へと別れた。その間に残り四人の敵が挟まれる。一人の剣士がベルクトへと剣を振り上げた。だがあっさりとその攻撃を交わし、ベルクトは相手のみぞおちへと拳を叩き込み、行動を封じた。
断続する金属音と魔法発動の爆発音の中、レリスは打ち合わせ通りの待機を貫く。必要があれば防御魔法の追加を自分の判断で行うことになっていたが、あまりに二人の戦力が圧倒的すぎて新たな魔法を追加する必要性がまるで無い。むしろ彼が不用意に魔法を発動することで二人の連携を妨害する危険もあり、無駄な手出しはかえって憚られた。ただし、いつ求められてもいいように呪文だけは用意しておく。
だが、同様に物陰に待機しているもう一人の新人セルは不満そうである。手にした剣を握り締め、落ち着かない様子で戦闘の行方を見守っていた。
「まどろっこしいな」
小声。セルの声だと気づいた時には既に隣に声の主はいなかった。
新人は剣を振り上げ、叫びながら魔術師の一人へと突撃していった。だがその蛮勇も虚しく、魔法一発で床へと叩き伏せられた。セルの身体は敵の真ん中で無防備にころがった。
「馬鹿がっ!! 大人しくしてろって、言っただろうが」
叩き伏せられたセルに気づき、ベルクトが大声で毒づいた。すぐに打ち合っていた相手から距離を取り、倒された新人の援護へと回る。ヴァローナも追い込んだ魔術師と対峙するのを放棄し、ベルクトに従った。セルを守るように位置取りをし、残る敵を迎え撃つために二人は構える。
残る相手は魔術師二人に剣士一人。通常であれば強者である二人の騎士により瞬時に決着がつく人数だが、守るべきお荷物が加わったことで先行きは不透明となった。
敵剣士が魔術師二人の盾となり、騎士二人の行動を牽制する。魔術師たちはおそらくは土壇場の逆転を狙っているのであろう、大量の魔力を引き出していた。それを見てベルクトは先に剣士を排除しようと一撃を与えるが、動きが読まれてしまったのか攻撃を弾かれる。ヴァローナは新たに魔法を組むが間に合いそうにない上、すでに魔力不足を起こしかけていた。
魔術師二人による次の攻撃が早ければ、おそらく騎士たち三人の命取りになる。彼らを防御する魔法壁はすでに所々綻びかけている。予想される攻撃は防ぎ切れないだろう。
待機の指示を破って、レリスは隠れていた物陰から飛び出す。指先には使わぬまま用意されていた防御魔法が組み上がっていた。そこに素早く印章を割り込ませ、威力を追加する。走りながら距離を測り、仲間三人の周囲へと魔法を発動させる。
光り輝きながら魔法壁が展開する。
打ちかかった敵剣士が防壁へと激突し、打ちどころが悪かったのかそのまま気を失って崩れ落ちた。どうやら間に合ったらしい。
そこへもう一発、魔術師が放った魔法。防壁はそれを防ぐ。弾かれた魔法は強烈な光、そして轟音とともに霧散する。衝撃に防壁の一部が砕け散った。
「新人二人して命令違反かよ。いい根性してるな」
起きたことに気づいたのか、合流したレリスに向かってヴァローナが声を浴びせた。だがその声音はどこか感謝の色を帯びている。
「気を逸らすな。でかいのが来るぞ」
圧倒的な優勢だったはずが、馬鹿の命令違反が原因でギリギリの状況へと逆転させられベルクトは気が立っている。剣を振り上げて早口に指示を出す。
「馬鹿を見張っておけ。一気に方をつけて──」
最後まで言い切らぬうちに残りもう一人の敵が魔法を発動させる。
先ほど消し去った魔法とは比べ物にならない規模の光球。それが部屋中央にゆっくりと浮かび上がり、そしてそのまま床へと落下した。
魔法陣に魔力が満ちる。複雑な図像が光り輝き、次の瞬間に蓄えた魔力を放出した。真昼のような光が部屋に溢れる。ブンという低い唸りに建物全体が揺れ、空気が歪む。
異界へと門が繋がった瞬間だった。