29. 土掘
抜けるように色鮮やかな青空が、大破した天井の向こうに広がる。
そこは廃倉庫。違法召喚の発動した現場、路地裏にあるそれは数年前に破産した貿易商の持ち物だった建物である。本来ならば不動産として売却され、解体されて新しい建物へと建て替えられていて然るべきはずの物件だ。
しかし、あまりに治安の悪い場所という立地と、巨額が見込まれる解体費という理由で長らく廃墟として放置されてきてしまった。そして過ぎ行く年月のうちに内部は素性の怪しい者たちの住処となり、違法組織の拠点となり、最後には魔法の発動現場となって破壊の憂き目に合う。
もちろん治安維持のために騎士団の見回りは為されているものの、その界隈には似たような来歴の建築物が多く巡視の目は足りていない。小粒の悪党をいちいち取り締まるのがせいぜいで、当然のことながらそれらを取りまとめる巨悪に到達するのに手間取るという状況だ。
そのためにあれほどの規模の魔法が準備されていても直前まで情報を察知することはできないでいた。結果として被疑者の捕縛は果たされたものの違法召喚そのものを阻止はできず、倉庫の天井に風穴が開くことになってしまった。
失態の責任というわけではないが、取り締まりを担当した二隊には瓦礫や土砂を撤去する任務が事件後に与えられている。鋤や鍬を抱えた騎士たちの姿は奇妙なものだったが、しかし彼らが連日のように廃倉庫周りをうろつくせいで、普段は治安の悪い路地裏には束の間の平穏を享受していた。
そこへ制服を着た二人の人物が歩く。一人はベルクト、もう一人はリリだ。治安を預かる騎士隊長のベルクトがその場に姿を現すのは当然であるが、魔術師であるリリの方は場違いな印象を与える。しかし、その場に姿を現したのにはもちろん正当な理由がある。魔法陣を掘り出すための作業について、今後の方針を見極めるための検分だ。
「予定外の力仕事になってしまったわね」
リリは横を歩く小柄な壮年の男に声をかける。
「悪いと思っているわ。本来のあなた達の仕事じゃないのに」
「力仕事と言ったって土掘りだろ? 突入作戦みたいに殺し合い、殴り合いじゃねえんだ。怪我人の心配をしなくて良い分、マトモな仕事だと思うがね」
ベルクトは事も無げと言わんばかりの口調で答えた。身長は低いが骨太の体格はよく鍛えあげられている。武器を振るのにも相応しい身体だが、土掘りも難なくこなす肉体であろう。
「土木作業は騎士の仕事じゃないと言うかと思っていたけど?」
「そうでもないぜ。戦争の時なんて塹壕掘ったり土塁切り崩したり、やたらと土を掘らされたもんだ。だからこういうのも訓練だと思えばいい。元々体も鍛えてるし、少しぐらいの土いじりでヘタるほどヤワじゃない」
直接の戦闘以外の時間はたいてい土掘りだと自嘲気味に言い放つ。
「じゃあ、こちらがあまり気に病む必要もないということね」
「まあな。要するに、こいつは部外者に任せたくないんだろ?」
帰さねばならない召喚被害者がいる場合はそれを帰還させる努力を惜しまぬこと、その原則に従っているだけだ。ただし今回の被害者が少々特殊な部類に入るからか、こうして作業への指示を出すために時々リリが検分する予定となっている。
「どうせ嫌がっても押し付けられる。なら、さっさと処理してしまったほうが良い」
「理解してもらえてありがたいわ」
支局長の人使いが荒いのは今に始まった話ではない。激務に慣れるほど扱き使われても困るが、時々のこうした大きな仕事の前後期間では仕方がなかろう。ベルクトは分かったといった表情で大きく頷き、リリを問題の広間へと導いた。
「現場保存のために立入禁止にしてある。だが、あの派手な取り締まりの後だし、俺たちもうろついてる。しばらくチンピラどもは近寄らないと思うけどな」
周囲に張り巡らせた縄を跨ぎ、魔法陣のある広間へ。警備に当たる騎士へと目配せをして退去させると、二人はうず高く積もる土砂の前へと歩み寄った。
通路となる場所の土砂だけは今後の作業のため先に取り除いてある。そこに一部分だけ覗く魔法陣の作図。慎重に作業をしたせいか作図された線はなんとか残っているが、やはり所々消えている。調査後に破損した部分を補って作動するかどうか、全体像の見えぬ今では判別しがたい。
「聞いてはいたけれどすごい土の量ね」
「まあな。いくら大量に魔力を注ぎ込んだとしても、こいつは普通の量じゃない。失敗魔法にしてもなんだか妙な感じだな」
土と瓦礫の捏ね合わされた小山を眺めていたリリに、ベルクトが印象を伝える。仕事柄、何度か召喚魔法そのものを目撃したことはあったが、このような荒々しいものは初めてだ。特にここまでの量の余計な土砂というのは──。
「そうは言っても俺は魔法については素人だ。専門家の目から見てどう思う?」
「魔力過多による暴発、でも魔力の出処については調査続行。そんなところかしら」
つまりは基本的なことしか分からないということだ。
「でも呼び出された物の量が多いということは、それだけ異世界を知るための手がかりが多いということよ。もしかしたらこの中にも貴重な研究材料が埋まっているのかもしれない」
そう言ってリリは土の山へと目をやった。
「生きて動いているものばかり話題になるけれど、召喚された植物の管理も私たちの仕事なんだから──」
見渡す土山の中に鮮やかな黄色の塊を見つけると、リリは屈みこんで手が汚れることも気にしない様子でその周囲を掘り始める。しばらく無言で作業を続け、ある程度土砂が取り除けたところで彼女は塊を引っ張り出した。
「なんだ、それは?」
緑色をした棒状の物の先に人間の顔ほどの大きさの塊がくっついていた。緑色の円盤に無数の粒、それを縁取る黄色い小片。
「花だと思う。黄色いのは花びらで、たくさんくっついている縞模様の粒は種かしら」
所々が折れながら、辛うじて強靭な繊維で繋がったそれは、伸ばすと人間の身長を超える長さの植物である。しかしその大きさでありながら木というわけではなく、根から先端の花の部分までが全て草本のようだった。異世界の植物であろう。
「初めて見る植物だから、記録が必要ね。でも小さく千切られてしまっているし、特徴を把握するには手間が掛かりそう……」
研究者としての探究心を露わにし、リリは植物の残骸を見つめて小声で呟いている。興味深い発見でありながらも今後の作業へと思考を向けているらしい。その内容を聞きながらベルクトは、思いつきを口にした。
「訊けばいいんじゃないか? 傍にいたんだから、同じ世界のものだろう。そいつが何なのかは答えてくれると思うぜ」
「誰に? ああ、あの子ね」
手を擦り合わせて泥を手早く払い落としながら、何事かを思い出す表情になる。おそらくは目前の魔法陣が呼び出した被害者について思い出しているのだろう。厳重な管理とまではいかないが、ゆるく囲い込むかのように支局へと留め置かれている少女のことである。通例とは違う扱いなのは明らかで、その特別扱いの原因を探るための質問をする。
「で、どうなんだ? あの嬢ちゃんのこと。あんたたち、やけに執着してるだろう」
「特別な関心については否定はしないわよ。面白い子ね」
支局長とは別の種類の猫じみた表情をする。兄妹だから似た表情は当然だが、しかし猫が出現するツボはそれぞれで違う。そしてここ数日、二人ともがやたらと猫になっているのを目撃する瞬間が多い。一筋縄ではいかない人種にあの娘は見込まれてしまったわけで、命の危険とは別の意味で気の毒なことである。
これ以上の地位が不要なためか、支局の連中は独特の行動方針を持っている。その最たるものが召喚魔法を専門としながら規制派に属していることだろう。その活動へと支局内でごそごそと準備に追われているようだが、件の娘は真正面からそれに巻き込まれているらしい。ますます気の毒なことだ。
「その『面白い』は厄介事と同じ意味だろう? しかし、あんな嬢ちゃんを巻き込むなんて何を考えてるんだか」
「あなたはどう思っているの?」
質問に対して、まるごと同じ質問で返される。
「そうだな、なんか小っこいよなあ……。子どもというには受け答えはしっかりしているし」
どうかと言われても支局の廊下ですれ違った時に何度か言葉をかわしただけだ。なので見た目の印象について口にする。大柄な隊員が多い騎士団の中ではベルクト自身はかなり小柄な方なのだが、それよりも話題となっている彼女の身長は低い。十四、五歳ぐらいなのかと推測していたが。
「あれで十九歳だと言ってたわ。それで体はあれ以上成長しないって」
隊の新人どもとほとんど歳の変わらないことに思うところがある。
「大人ね、あれで。それで入れ込んでるのか、あいつ」
あいつ、と呼ばれたのが誰なのかは推して知るべし。生真面目なだけに浮いた噂一つなかった新人へ思いもよらぬ春がきた事実に、応援するよりは面白がる意識のほうが強い。実のところ、こっそりと水面下で彼へと好意を寄せる娘の一人や二人はいるが、真面目で鈍感すぎるせいかこれまでは気づいていなかった節がある。
だがそんな鈍い男が、毎日のように時間を割いて一人の少女のもとに通い詰めている。彼女の特殊な体質のせいで魔法を必要としているという理由はあるものの、状況を思えば野次馬的な何かを期待せずにはいられない。
研究所の制服を着せられ勉強道具を抱えた小柄な姿は、正体を教えられなければ支局に押し付けられた教育途中の見習い魔術師にしか見えないだろう。その彼女が顔を見合わせる度に礼儀正しく挨拶をしてくれる。ある種の厳格さを求められる騎士とはいえ中身は若い男だ、度重なる遭遇に心が揺らぐのも分からぬではない。
「ああいうのが良いっていうのが分かっただけでも、まあ収穫だろうな」
長い睫毛が印象的な娘だ。身長が低いために顔を見上げるために必然的に上目遣いになって、本人にその意図は無くとも縋りつくような表情になる。たいがい男というものは単純にできている、勘違いであっても多少の好意が湧くことだろう。
それが恋へと育つか親愛に落ち着くか。帰れぬとしても、受け皿として利用することはできる。安易なやり方だが、身一つで外の世界へと放り出すよりはましだ。異世界の生物へと偏見を持たない人間が彼女を支える、召喚の被害者であってもそれなりに平穏な一生を過ごす方法の一つだろう。
実際、法律成立以前に召喚された獣人などではこちらの住民と入り混じり、市井に居を構えているまで馴染んでしまっていることも多い。初めは戦争時に人口の減った国境付近の働き手を埋めるように入り込んでいき、徐々に数を増やしていったのだ。だからと言って彼らへ向けられる視線に厳しい物が混ざらないというわけではない。どこまで馴染んだとしても、召喚生物の存在は『異世界』のもの、こちらとの心理的な壁が消滅する日は来ないだろう。
「帰せるものなら、そうしてやりたいもんだがな」
向こうの世界でのありふれた人生がどのようなものかは知らない。しかし馴染みのない世界へと一人放り込まれ、そのままでは言葉すら通じない生活がそれとは大きくかけ離れていることは予想できる。運良く事情の分かる部署へと保護されたものの、取り締まりが間に合わず、違法組織へと捕らえられてしまったらどうなっていたことか。これまでの経験を思い返しベルクトは渋い表情となる。
治安の悪い界隈ということは、けしからん娯楽を提供する業者も近隣に存在しているということ。そんな場所に体格が小さいとはいえ女の形をした生物が出現すれば、結果がどうなるかは容易に想像できる。
事実、隊による普段の取り締まりは、そのような業者の根城へと踏み込んで悪党、召喚被害者をまとめて身柄を確保することがほとんどである。要はそれが最も手軽に召喚生物で利益を得る方法だからなのだが、そこで保護される被害者の状態は言葉にするのも憚るほどの酷さだ。抵抗を封じるのに暴力、魔法といろいろな術を施されるためである。
あの娘にとっては酷だろう、起きずに済んだ悲劇を思いベルクトは密かに安堵していた。ともあれ、最悪の事態は逃れたといえよう。
だがそれでも慣れぬ環境である。今は平気な顔をしていても、やがて望郷の念に押し潰されぬとも限らない。
大人しい分、気持ちを押し隠している可能性もある。それを気がかりに思い訊いてみた。
「それで、こっちでやっていけそうなのか。泣きわめいて面倒を引き起こしてるようなことは?」
「大丈夫だと思う。ああ見えて、結構鋭いのよ。鈍い新人よりは洞察力があるし」
リリの口にした「鈍い新人」という言葉に、ベルクトはさらに顔をしかめた。
「あの馬鹿のせいなんだよな」
思い出すのは始末に困る方の新人のこと。決着が付きかけていた瞬間に自信過剰な若者の犯した命令違反である。そのために現場の制圧が一瞬遅れ、その隙に魔法が発動したのだ。そうでなければ土木作業もここまで慎重に行う必要はなかったろう。
自分の引き起こしたことがどれほどの面倒なのか、あの馬鹿は理解しているのか。あれが出世したがっていることは知っているし、そのための単なる箔付けのために二隊へと放り込まれたことも周知の事実である。だからといって最前線へ勝手に突っ込み、伸されて死にかける理由とはならない。
たとえここへの配属が縁故だろうと、程よい頃合いに配置換え願い(おそらく近衛を希望するだろう)は受理してやるつもりでいた。だが余所へと放り出すにしても、せめて恥ずかしくない程度の基礎は叩き込まねばならない。そのための御座なり程度の実戦投入のつもりだったのだが。
「普通の取り締まりの時なら変なことの一つや二つ起きようがどうってことは無いんだが、特殊な時に限って偶然が重なりやがる」
──魔力がなければ、魔法使いなんて足手まとい。
馬鹿の口癖が確かそうだったか。たしかに発動させるだけの魔力がなければ魔法など怖くもなんともない。しかし、現場にはすでに召喚魔法を発動出来るだけの魔力が蓄積されていたのだ。それを召喚へと回さず、自らの安全を投げ捨てて攻撃魔法にでも転用されてしまえば隊は一巻の終わりだったろう。レリスの防御魔法も間に合うかどうか、防御力は充分だがあくまでも新人による魔法である。普段はのんびりした印象の彼が、いざというときには臨機応変に動けたのは嬉しい誤算というべきだったが、突入前の時点の見解では素早い発動を期待してはいなかった。
つまりはかなり危機的な状況だったわけだが、原因となった馬鹿は肝心な時に気持ちよく気絶である。どんな馬鹿でも命の危険に向きあえば多少はその後の態度が改善するものだが、意識がなかったせいで大事なことに気づく貴重な機会を逃してしまったのは非常に残念だ。せめて自分の引き起こしたことの結果の重大さを確認ぐらいすれば態度の改善も見込めただろうに、物事は望み通りにはいかない。その結果、何も見なかった馬鹿はいまだ以前と変わらぬ平常運転中だ。
そんな馬鹿でも欠点ばかりではない、剣の腕に関しては多少は目を引く点はある。だがそれは馬鹿の先祖が剣での功績により階級をのし上がったからであり、いまだその先祖の残した剣術がこの国で主流の流派であるからに他ならない。ただし一騎打ちでは有用である儀礼的な剣術は、戦乱以降に変化した魔法前提の集団戦においてはすでに時代遅れの代物へと成り下がっている。
しかし長らくそれを頼みに繁栄を誇った名家において、時流の変化はどうにも受け入れがたいものらしい。だからこそ昔ながらの古風な感覚通り家の力でのゴリ押しがまかり通ると過信して、妙な裏工作の駆使までして馬鹿を押し付けてきやがったわけだが。
「家柄を自慢したって、うちじゃあまり意味が無いからな。仕事のできる奴の方が偉い、それだけだ」
ベルクト自身、騎士に取り立てられる前は田舎町の自警団員だ。それが戦乱の時代に徴兵され前線配属を経て生き延びたせいで、いまや騎士団の末端ではあるが管理職の立場にある。現場での指揮権を得るために便宜上、一代限りの爵位は受けているものの平民とほとんど変わらぬ身分の彼の下、畏れおおい家柄出身の新人平隊員が働いている。
家への誇りが強すぎるがゆえに自信過剰の男はその現状が不本意なのに違いない。そして同時期に配属されたもう一人の新人が戦闘能力が皆無であるにも関わらず仕事を評価されているというのも面白くないのだろう。
そこまで分かってはいるのだが、しかし同情する気にはなれない。騎士の仕事として求められているのは個人の能力の高さをひけらかすことではなく、求められた任務を安全確実に遂行することだからだ。独断で命令違反を犯し、仲間を危機に陥れるなどもっての他なのである。
「だいたい大っぴらにしてないだけで、まあまあな御身分のやつらは近所にはゴロゴロしてるんだ。なあ?」
リリへと話を向けると冷ややかな視線を返してくる。言葉に含まれた嫌味には気づいた様子だ。
「別に生まれる家を選んだからって良いことばかりじゃないわ。高い所からなら広い範囲を見渡せるけれど、その分見たくもないものだって視界に入ってくるから」
「いや、家柄だけ立派であんたたちが仕事ができないって言ってるんじゃない。そういうので優遇されているのを生かせない奴が駄目だと言っているだけで……」
自分が持ちだした家柄の話であったが、それを嫌がるリリの態度に一旦ベルクトは言葉を切る。力のある家の力を誇示しなければ立ち行かぬ者もあれば、強大すぎる力から逃れようと足掻く者もある。だがそれは目前の土塊には関係のないこと。
「とにかく目の前のこれを片付けないとな」
今ここにいない馬鹿新人のことなどどうでも良い。求められた任務は土砂に埋もれた魔法陣をこれ以上は破損させないように掘り出すことである。
「そうね。作業方針は前にも言った通り、魔法陣の保護を再優先に。それから珍しいものを見つけたら急いで報告して。例えば、こういうのが出てきたら」
リリは掘り出した植物を指さしながら指示をする。住んでいる人間は小さいくせに生えてる植物は巨大な世界なのかと、余計な感想を覚えながらベルクトは相手の言葉へと了承の意味で頷いた。
「分かった。じゃあこいつを後で運ばせる。それで良いな」




