27. 濃度
何故なのか。
特殊な能力もなく、見た目も普通。それに魔法を使わない世界へ召喚の門を繋げるのは難しいとも言われた。それならばどうしてもっと役に立ちそうな特殊能力を持ち、繋げるのが簡単な世界の生き物を召喚しなかったのだろうか。普通に考えれば手間をかけて召喚するだけの価値は柚希には無い。
たまたま彼女の足元に召喚の門が開いたのだとしても、その前段階である魔法の準備の時点で、計画に関わるうちの誰か一人が偶然の紛れ込みやすい低い精度の魔法に異議を唱えそうなものである。たとえ稀少な生物が到来しようとも、成功する確率がわずかならばリスクのほうが大きい。ならば前例が多くて確実な方法を選択するのではないか。
「そのことは僕も疑問に思ってずっと考えていたんだ。君が巻き込まれた魔法について、いろいろと理屈に合わないことが多いものだから」
疑問そのものはノヴァも抱えていたらしい。それについて腰を据えて話す気になったのか、居ずまいを正す。
「まずは論点をまとめてみようか。君に関係する魔法関係の疑問だよ」
そう言ってノヴァは一つずつ要素を上げていく。
「一つ目は魔力があるのに魔法が使えないこと。二つ目は魔力の暴発のこと。最後に君の持っている魔力が濃いこと」
「濃いんですか?」
前の二つは知っているが、最後のは初耳だ。
「聞かなかった? この間の彼の報告では、そういうことになっていたけれど」
書類を仕上げている最中のメレディスへノヴァは、意見を求めたいという様子で彼の方へとちらりと目をむけた。
「説明はするつもりでしたが、これまで適切な機会がありませんでした」
別の作業をしつつも彼の注意はこちらへと向いていたらしい。一旦手を休め、ペンを持ったままの手で頬杖をついて視線を柚希の方へ。その動作に少し気後れして彼女はわずかにうつむいた。
「せっかくだから今この機会に説明しておこう。この間の魔力の暴発だが、あれの最大の原因は君の魔力が濃いことだ。そのために触れやすい部分へと多すぎる魔力が噴出する」
手首をやたらと触られた時のあれか。思い出しながら、そのあたりの筋を自分で探った。魔力への感覚がない彼女にはやはり何も感じられないが、魔法が使える人々には何か特殊な物が感じられるのだろうか。
しかしあの時は別の単語を使った気がする。
「過敏だと説明された気がしますが」
「大量の魔力が保護もないまま剥き出しの状態で存在している。そうした魔力は別の魔力と反応しやすいのだから、濃さと過敏さは因果関係があると考えていいだろう」
メレディスの言葉を聞いていると、自分に対してと、ノヴァに向かっての口調が違うことに気づく。上司に対して敬語を使うのは当然だとも思うが、しかしこれも魔法を通しての言葉だ。敬語の有無は無意識のうちに自分がここの人間関係に上下を付けているからかもしれない。
ともあれ濃さと、過敏さは理屈として矛盾しない。濃いからこそ暴発しやすい、そういう結論だ。
「理解は?」
「なんとなくですけど」
真っ直ぐな視線を一瞬向けられ少し慌てながらも、ぼんやりとは分かったのだと返事をする。あの薄青い色に気持ちが揺らぐのは、もはや条件反射のようなものだ。居心地が悪くなり、手首の筋を探るのを止めると両手を膝の上へと揃えた。
「説明はそれぐらいで充分だ。ありがとう、後は僕が続けるよ」
この先の説明に、あまり深い理解は必要ない。ノヴァはそう言ってメレディスから話を引き継いだ。
「君の魔力量も含めて、いくつかの情報から僕は君の世界の魔力が異常に濃いんじゃないかと思ってる。君は自分が召喚された時の状況を覚えているかな?」
質問に首を横に振る。間近の落雷に意識を失い、気付いた時には泥水の中だったのだ。当然、途中の記憶はない。それについては返答を予想していたのか、補足のように簡単な状況説明がされる。
「現場の証言によると魔法が発動した時に暴風雨が起きたそうだ。これは召喚の門の両側に存在する魔力の濃さが違う時に、濃い方から薄い方へと魔力が吹き出る現象だと思う。それに召喚の際、君と共に大量の土砂も流入したんだけど、その量を考えると普通の魔力量では説明できないから」
空気の詰まったタイヤのゴムチューブにピンで穴を開ければ空気が勢い良く吹き出す。勢いの強弱は中の空気圧の違いで、暴風雨ほどに荒れるとなればその差は非常に大きいのだと予想される。そして現場に予想以上の魔力が吹き込んだために想定外の暴発が起き、大量の土砂を抉り取ってこちらの世界へと降り注がせたとの結論だ。
つまりは魔力濃度の差だということ。しかし魔法の無い世界に濃い魔力が存在するというのは、通常の解釈では矛盾しているのではなかろうか。
「こちらではなく、向こうが濃いのですか? 魔法が存在しないのならば、魔力は無いか薄いのではありませんか」
「だからそこを説明したいんだ。『あるのに使えない』というんじゃなくて、『多すぎて使えない』ってこと」
柚希の抱く疑問は当然であると言う。普通に考えれば魔力が多ければ魔法は使い放題だろう。
「そうだね──。例えばペンに入っているインクが倍の濃さだったら」
そう言って片付けて脇に置いた文房具を指さした。自分の頭で考えるために与えられたヒントだ。時々こんな風に彼女の知性を計るような質問をされる。
「インクが粘って書きづらいと思います。それからインクがきちんと出ずに文字が掠れます」
以前教えられた魔法の手順の話を思い出す。体の中の魔力、手首に集まっているというのだからそこから指先へと魔力を移動させる、その際に粘る魔力は動かしづらい。そして魔力を移動できたとしても、印章を描く(指の動きで魔力を操る行動らしい)ときに途中で切れ切れとなってしまう。
薄ければ発動するほどの威力はない、しかし濃すぎては魔力をコントロール出来ない。魔法を使うのに調度良い魔力の濃さがある、そのことを喩えているのだろう。
「それから魔法を発動させるには魔力の濃淡が必要だ。インクの喩えを続けるけれど水に黒インクを落とすことを想像しようか。透明な水にインクを落とせば黒く濁るけれど、もともと黒い水にインクを落としても色の違いはわからない。この場合のインクの色を魔力の濃さだと考えれば、なんとなく僕の言いたいことが分かってもらえると思う」
「魔力が濃すぎて、それ以上に濃い魔力を使わないと魔法が発動しない。だから魔法が発展しない、そういうことですか」
「手短に言うとそういうことかな。理解できたようだね」
だからこそ魔力への感覚も発達しない、そう言ってノヴァは柚希の疑問への答えを締めくくる。魔力の濃すぎる世界ではどこもかしこも魔力だらけ。けれど普段呼吸する空気の存在を感じないのと同じように、何も感じないためにそこに魔力が満ちていても全く気付かないということらしい。
「とにかく魔力があっても魔法が発達しなかったことはそれで説明できると思うよ。だけど社会の発展には何か技術なり知識なりが必要だ。それが君たちの世界では……」
「科学ですね」
記憶を探るノヴァへと求めているだろう単語を口に出して示す。把握していない概念を示す言葉が翻訳されにくいという状況はこちらの人間にとっても変わらないようだ。
「それだよ、科学。魔力は使わないけれど、大量の物質的な資源を消費する技術だね。その科学が発達したせいで、君たちの世界はさらに魔法を必要としなくなった、皮肉なことだと思うけれど」
資源は有り余っている、なのにそれを放置して別の資源をやりくりしながら社会を動かしている。魔力を利用する技術がある人々にとっては、とてつもなく非経済的な事態に見えていることだろう。
「ここから先はただの憶測になってしまうけれど。君の巻き込まれた魔法は生物を召喚することが目的だったんじゃない、おそらくは君の世界の濃い魔力を求めてのものだと思う」
「魔力を求めて? 向こうでは余っているからですか」
存在すらも感じられない魔力がこちらでは必須なもの、そのことを不思議に感じる。だが魔力の感覚があるこちらの人々には当然のことなのだろう。
「そう。召喚魔法も含めて、魔法陣を使っての大規模な魔法は消費する魔力も桁違いだ。大抵は何ヶ月もの時間かけて溜めた魔力を使うんだけれど、使い切るのは一瞬だよ。だから効率の良い魔力源がどこかに無いか、探す魔術師がいてもおかしくはない」
何度かの実験の成果により、極端に魔力の濃い世界があることは知られていた。しかし実際には、利用するためにはいくつかの技術的困難を克服しなければならない。途中段階の基礎実験が必要だが、専門家ではない組織がアイデア先行で実験をしてみた可能性はある。
その結果が土砂の山。吹き出る魔力に巻き込まれ、柚希もろともこちらの世界に吸い出された物質だ。
「そうまでして魔力は必要なものということでしょうか」
「当然だね、こちらのような魔法に頼る世界では、魔力の量がいろんな物事の限界になっているんだよ。さっきも言ったと思うけれど、大掛かりな魔法では必要となってくる魔力は桁違いだ。それだけ威力も大きいけれど、そういうのを魔力量の心配もなく行えるようになれば確実にこちらの世界は変わってくるだろうね」
向こうの世界では濃すぎて使いようのない魔力だが、こちらには利用する技術がある。魔力があることが分かっているのなら、それを求めようというわけだ。
説明を聞きながら柚希は自分の眉間に皺が寄るのを感じていた。語られているのは元の世界で連日のようにニュースになっていたような事象だ。つまりは資源開発というわけだが、しかし目をつけられたのは彼女の属する世界である。そこへと魔法で穴を開け、吹き出る魔力をかすめ取る。彼女のように巻き込まれる生物がいることなど構いもせず。
とても迷惑な話だ。
だが、そこで新たな疑問が浮かんだ。たしか魔法の無い世界は魔法によって壁が傷付けられていない、世界の壁が丈夫なのではなかったか。
「でも聞いた話だと、私のいた世界は門が開きにくいと」
「うん、開きにくい。だけど開かないわけじゃない。初めのうちは頑丈な世界の壁でも、何度も穴を開ければ少しずつ脆くなる。そうするうちに必要な魔力量は減っていくし、開く度に吹き出す大量の魔力を制御できれば掛けた分の魔力をいずれは上回ると思ったんだろうね」
新しい天然資源鉱脈を求めて僻地を開発するためにようなものか。初めは到達するのに何時間もの悪路を行かねばならない人里離れた土地が、開発が決まった途端に資金を費やしハイウェイが建設されて交通の便が良くなる。そうして便利になった後に掘削が開始、すぐに資金は回収できるといった具合に。
しかしこの推測は世界の壁を弱体化させるために召喚魔法を繰り返すことを意味している。何度も門を開き、その度に壁は傷つく。その傷口を狙って再び門をこじ開け──。
「水の一杯に入った革袋を思い浮かべてごらん。穴がひとつ開けば、そこから水がこぼれ落ちる。たくさん開けば流れ出る水の量はその分多くなるだろう? 世界の壁に開いた穴は一々塞がるかもしれないが、召喚魔法を繰り返せば修復が間に合わなくなる時がいつか来るんじゃないかと思う。そうなれば革袋の水が全て流れ出してしまうように、君の世界の魔力も枯渇するんだろうね」
「世界が穴だらけになるということですか?」
元の世界で革袋に水を入れることはないから柚希が連想したのはポリ袋である。だが想像した道具は違えども、脳裏に浮かぶのは平たく押し潰された袋の姿だ。乱開発の末にすべてを奪いつくされた世界の予想図である。
「一度や二度の魔法でそこまでの事にはならないだろう。でも、その方法で膨大な魔力を安定的に獲得できるとなれば、同じことを試す組織はいくらでも出てくるはずだ。おそらく数年で召喚の門は安定すると思う。そこから先は異世界の魔力を確実に制御できるかどうかだけど、それほど時間がかからない気がするよ」
向こうもこちらも、人間とは欲の深い動物であるらしい。
「ああ、でもこれは憶測に過ぎないからね。召喚で魔力が吹き出すことが分かっていても、それを制御する技術は確立していないんだ。門の向こう側の状態がどうなっているのか分からないのだから、こちらでどんな術式を準備しておくべきか予測もつかない。それに召喚魔法自体の行使が制限されるようになってしまったせいで、実験する機会もなくなってしまった」
あくまでも机上の空論だという。しかし濃い魔力が資源開発に対しての欲求を呼び起こすという推論は、原因が単純なだけに多くのことを説明できているように見える。だからこそ、召喚の前例が少ない世界を試そうという酔狂も理屈にそっているのではないか。大量の魔力を得る行為はそれほどまでに魅力的だということだ。
ただし別の懸念も思い浮かぶ。
「聞いていると技術的に難しいことを行っているように聞こえるのですが。違法な組織でしたか、そうした団体がそんな高度な魔法を試せるほどの力があるとしたら、その事実のほうが危険だと」
「疑問は当然だね。ただし発想自体は少し魔法をかじったことのある人間であれば思いつくことなんだ。だから計画性がなくとも始めてしまってことも有り得るよ。けれど君の言うようにそれを成し遂げるだけの力を持つ組織が関わっていたとしたら、非常に恐ろしいことだと思っている」
生半可な知識と技術しかない団体であればアイデア倒れが予測されるからと放置することもできるが、それを実現できる水準の人材を確保しているとなればそうもいかない。少なくとも魔力が大量に必要となる召喚魔法を、発動直前まで取り締まる側へと知られることなく準備出来た組織である。それなりのノウハウを蓄積しているであろうとは考えられるが、技術水準を数段引き上げるような突破口を開くほどの力を持っているのだとしたら。
「だけどそれを結論づけるのは君を呼んだ魔法陣の調査が終了してからだ。実物を見たら何のことはない、単純に『図形を描き間違えただけ』ということもあるからね」
元凶はいまだ土砂の下。騎士団が人手を裂いて掘り出していると聞いてはいるが、水分を含んだ土は扱いにくくて当分は本格的な調査には入れないだろうとの話だ。その分、彼女の帰還の可能性が判明するのも遅れることとなる。
茶の席にしてはあまりに重い話題である。




