25. 記憶
ことの始まりは違法に召喚生物の取引を行う闇業者の大規模摘発作戦だった。
当時は召喚魔法を取り締まる法律が成立していなかった頃。日々増え続ける召喚生物絡みの事件・事故に業を煮やし、その根本となる違法業者そのものを一網打尽にするべく、前代未聞の規模での大軍団が結成された。
作戦内容は単純。周囲に被害を出さぬために根城となっていた街区そのものを物理と魔法二種類の防壁で取り囲み、その内側で抵抗者を武力制圧する。作戦進行に従い徐々に包囲網を狭めながら、敵対する者がいなくなるまで戦闘を継続するというものである。
そのためには相手をはるかに圧倒する大戦力が必要だが、それほどの人員をどこから徴集したかといえば。
「その時には捕縛側の戦力を補うのに組合の魔術師を大量に雇ったんだ。知ってるだろう、金銭と引き換えに魔法の技を提供する魔術師たちだ。彼らのうち、特に戦闘技術に精通した人間を中心にね」
「研究所が、組合の魔術師を雇う?」
アリオールの知る研究所は、部外者を非常に嫌う。特に魔法という同じ分野を専門とする在野の魔術師とは距離を置くのだが、それは外部への研究成果の漏洩を恐れてのことだ。
「驚いたかい? 言いたいことは分かるよ。でも騎士団の中に召喚魔法の取り締まり専門の機関、つまり君たちの隊ができたのは事件後のことだからね。だからこそ当時は取り締まりなんてことになると、業務に投入できる人員を捻り出すのに毎回一苦労ってわけだ。研究所の魔術師の大部分は頭でっかちで、現場で格闘ができるような人間は少なかったから」
そうやって寄せ集められた軍団により開始された作戦は、すぐに死に物狂いの乱戦へと突入をした。
当初、違法業務に関わる被疑者を捕らえれば終了すると思われていた捕物は、業者の管理していた大量の召喚生物の乱入により混戦の様相を呈する事となる。異世界出身の彼らは武装集団の出現に怯え、激しい抵抗をしめしたのだ。予定では彼ら召喚生物は捕縛作業終了後に「保護」することになっていたのだが、開始された攻撃が自らにも向けられると恐れたらしい。だがその勘違いを正そうにも、言葉の通じぬ相手であれば説得することもできない。
被害者の立場である彼らではあるが、攻撃の意思を見せれば被疑者と同様に制圧する必要が生じる。結果として彼らを無力化するために暴力的な捕縛が開始され、すぐさまそれが容赦のない殺戮へと移行するのにそれほどの時間はかからなかった。もとより作戦に参加しているのは十分な統制がとれているとは言いがたい烏合の衆である、暴走した残虐行為を止める者などいない。
違法集団により集められた召喚生物のうち特に数の多かったのは妖精族だった。妖精族は見目麗しい存在であるが、いざ戦う相手となるとなかなか恐ろしい生き物である。貧弱な身体能力を埋め合わせる高い魔法の能力、それへの対策を施さぬ限り無傷で彼らを取り押さえることはできない。また他の生物においては無力化と同意義の魔力切れを狙うことも、ある特殊能力を持つせいでほぼ不可能であると言えた。
「君は妖精族の捕縛に参加した経験はあるね。なら分かっていると思うけれど、彼らには魔力吸収能力がある。戦いの最中にどうやるのかは知らないが、体に触れた相手から魔力を吸い取って自分のものにするんだ。吸収できる魔力が身近にある限り、彼らには魔力切れの問題は起こらないからね」
吸収した魔力はすぐに反撃のための魔法へと転用され、そのために一旦は術式を形作る目的で指先へと引き出される。しかし魔法を完成させるには時間が必要で、それ以前に術者本人が戦闘不能に陥れば未使用の魔力はそのまま空間へと無駄に放出されてしまう。しかも放出される魔力は妖精族の体を通ることで増幅されており、さらには人数も多数となれば場に満ちる魔力が非常に濃密になっていたことは想像に難くない。
そして捕縛相手を逃がさないための魔法壁が仇となった。決着を急ぐために防壁の範囲を引き絞ったことで、閉鎖された空間の中に充満した魔力が濃縮される。瞬く間に魔力量は人間の技術で制御できる程度を大きく超え、危険な水準へと到達。そこへまだ少年に過ぎなかった一人の魔術師が放った氷魔法が、のちに伝説として語られる大破壊を誘発した。
「でもそこまでの威力の魔法は無理だと今まで説明してくれたのではないですか?」
「言っただろう? 通常の状態では無理だって。魔力が増幅された場所だったからこそ可能なんだ。それに周囲を魔法壁で囲んでいたから中で衝撃が圧縮されたんじゃないのかな。つまりいくつかの要因が重ならないと無理だということ、これは研究者としての推測だよ」
アリオールの疑問に仮説で答える。そういわれれば件の殺人現場では部屋そのものに防壁が施されていたのだと思い至る。だが、ノヴァの口振りでは魔法発動の場をあらかじめ魔力で満たす必要があるらしい。やはり魔力量の問題だ。
魔法の効果限界が魔力量であるならばその問題を乗り越えさえすれば問題の殆どは解決する。しかし現場に魔力を持ち込むにしてもその前段階で大量の魔力が必要となる。その魔力をどこから捻出し、どのように制御するのか。
しかし魔術に関わる部署に配属はされていても、専門家と比べてはその方面には疎いアリオールにはその難易度について具体的な印象は湧かない。
考えあぐねて沈黙をしていると、その様子をノヴァは別の意味に受け取ったらしい。
「資料を記憶しているだけにしては詳しすぎると思っているんだろう? まるで見てきたみたいに小さな情報まで知ってるってね。その疑問はもっともだけど、わけを話せば不思議でも何でもない。だって僕は現場にいたんだからね」
この日何度目かの驚きか。
目前の人物が召喚魔法を専門としていることは知っている。だからといって単なる研究者に過ぎない人物が、魔法濫用の結果としての召喚生物狩りに参加するというのも考えにくい。アリオールがそう感じてしまうのも、日常は机に向かい書類を決裁して、実労働は騎士団に一任するいつものノヴァしか知らないからなのかもしれないが。
「そうだよ。臨時とはいえ、研究所が恥を忍んで市井の魔術師を雇ったんだ。研究所側の人間が誰も参加しないというわけにはいかない。それで僕は頭数を揃える理由で参加させられたから」
とはいうものの戦闘の専門家と較べて大した仕事が出来るわけでもない。そのために誰にでも出来る仕事、魔法壁に魔力を注ぎ込む作業をしていたのだという。
「僕の専門は魔法陣がなければ何もできない分野だからね。現場に出たってそれぐらいしか出来る作業はなかったんだ。おかげで命拾いもできたんだけれど。それでも暴発の瞬間に物凄い衝撃が通り抜けていって、僕は立っていられなかった。それなりの距離があってまだ威力が充分には削げなかったんだから中心がどうなってたかは……、まあ想像してみてくれれば良い」
はっきりとは口にしないが、非常に悲惨なことになっていたことは予想される。乞えば詳しく教えてもくれようが、おそらくは思い出すのにも抵抗を覚えるのだろう。
巻き込まれた者達は捕縛する側もされる側も大多数が死傷したという結末はすでに知っている。しかし伝聞で事細かく全てを説明し尽くした物語よりも、現実を知る人間の沈黙のほうが数段も雄弁だ。
「でも彼らに罪はない。魔法で勝手に呼ばれて、こちらの都合で殺されかけたんだ。身を守る権利ぐらい本当ならあるはずだよ。だけどここまで目立った被害が出てしまうと、恐れて冷静とは程遠い気持ちを抱く人間も少なくない」
結果として生じた召喚生物への激しい差別意識。暴発そのものは召喚生物の仕業ではないが、その過程で彼らを扱う違法組織の存在が挟まることで、全てを引っ括めての嫌悪感が凝り固まってしまっている。
「事件の処理を終える頃には僕も偉くなってたよ。研究所の責任者も少なからず巻き込まれたから欠員を埋めるように僕の地位が迫り上がったんだ。おかげでそれに便乗して騎士団に専門の部署を作ることもできたし、法律を作るときには微力ながら政治力を発揮することができるようになった。だからといって起きたことの埋め合わせになるわけじゃない」
苦い思い出を噛み潰すかのような表情。
「それまでは偉くなる必要なんてない、研究に専念できさえすればいいと思っていたけれどね。でも対策を先送りにしたぶん、払わねばならないツケは増えてしまったんだ。結局僕はこうして違法召喚の問題に取り組まざるをえない立場に据えられている」
今のノヴァの地位が本人の望んだものではないことは日頃の言動からは勘付いていた。それでも職務を投げ出さないだけの理由を彼なりに抱えている。
「野放図な召喚魔法が最悪の結果を起こしかねないことは以前から分かってはいたよ。でも人間はそこまで愚かではないから、そうなる前に何とかするだろうと根拠なく信じていたんだ。けれど一旦、欲望の力で動き始めてしまったものを止めることは難しい。そして取り返しの付かないことが起きてしまってから僕たちはようやく反省するんだよ」
猫じみた笑みは今は控えられている。重要な職務か、あるいは学術的な会話をする際にわずかに見受けられる真剣な表情だ。一見、愛想がよく見えるせいで人畜無害な印象を与えるが、その裏で意外なほど複雑に計画を立てることの出来る人物だ。過去の事件を反芻しながら、今現在は手元で進行中の事態に気持ちを向けているに違いない。
新しく保護された召喚魔法の被害者の少女を中核として、ノヴァを含め支局内の三人が何事かを計画しているらしいことには気づいている。そのためにいくつかの規則を意図的に無視していることも。それが今後どう転ぶのかアリオールには予想もできないが、しかしそれが昔の事件の埋め合わせであることは推測できる。
より高度に発展していく魔法技術の一方で、時折その変化に対応しきれない歪みが劇的に表出することがある。過去の暴発事件や、未だ摘発の途切れない違法召喚はその一例であろう。
だが社会が魔法に頼る以上、魔法の発展がもたらす悪しき影響力をどこかで断ち切る必要がある。そのための線引きをする仕事こそが彼自身の天命なのだとノヴァは考えているのに違いない。
「暴発の話のはずだったのに、僕の個人的な話になってしまったね」
話が本筋から逸れたことを謝罪する。しかし、そこにこそ普段明かさない彼の本音が見えたのも確かである。
「いいえ、有益な話でした」
脱線も無駄ではなく、また少なくとも魔法の転送を行うために必要な要素を抽出することは出来た。ただしそのことにより一つ疑問が増えてしまったのも事実であるのだが。
「それで、問題の彼をどう考えるのですか? 優秀だったのか、あるいは魔力を扱いきれなかった未熟な魔術師だったのか」
古今類のない規模での事故を起こしたとされる少年は、その後生死不明の存在となってしまった。また彼の身近にいた人間たちも同じ事故で命を落としているとなれば、彼の詳細を知る人間はさらに減る。それゆえに至近距離にいたという生き証人から少しでも多くの情報を引き出しておこうという意識が働き、相手へと質問を投げかけていた。
だがノヴァの方は一瞬、虚を突かれたような顔になった。
「彼?」
「『氷のマリク』暴発を引き起こしたとされる少年です」
何を訊かれたのか分からないといった様子のため、事件の別名ともなっている少年の二つ名を告げた。
暴発の他には、今となってはその名前しか伝えられていない。その他は一切不明、まるで何らかの力が働いたかのように、あらゆる情報が拭い去られたようにかき消されている。だからこそ知りたい欲求を刺激されるのであるが。
その質問を予想していなかったのに違いない、取り繕う表情で言い訳じみた言葉が漏れた。
「ああ、うん、氷のね。すまない、いろいろ思い出していたものだから」
考え事にふけり、つい陥ってしまったぼんやりとした態度を振り払うかのようにノヴァは努めて明るい声を出しているかのようだった。そして話をどう切り出すかを考えるかのように黙りこむ。
だが折り悪くノックの音。
それに対してノヴァが即座に入室の許可を与える。入ってきたのはメレディス。ここの事務員であり雑用一般をこなすノヴァの最も身近な部下である。彼がここへの立ち寄るのは当然のことだが、何故か大量の資料を抱えていた。
しかしわざわざ彼を避けてこちらへと来たのに、ここで顔を合わせるのはアリオールにとってはこの上なく決まりが悪い。
「報告を……」
そう言いかけて資料を置いたところで彼は先客のアリオールに気付いたらしい。いたのかと言わんばかりに一瞬だけ視線を送る。そして机の上に置かれた書類の束を確認し、立ったまま手に取ると無言で内容を精査しだした。
互いに必要以上の言葉は交わさない。気詰まりのする遣り取りを数年間繰り返し、到達した妥協点である。無言の精査の後、書類に不備がある場合のみメレディスはその部分を指摘する。
嫌な沈黙の中でノヴァはどうしているのかと見れば、別の関係ない書類を取り出してさっさと決裁のためのサインを入れ始めていた。部下同士が折り合いが悪かろうと、壊滅的な不仲となり仕事が流れなくなるようなことがない限り彼は気にしないと決めているようだ。アリオール自身も現在の妥協点をなんとかする意志がないのだからノヴァの態度を責めることはできない。
そうしている内に書類の残り枚数も少なくなっている。こっそりと窺っていると、ヴァローナの清書した書類に差し掛かったのが分かった。その一枚に時間をかける。決して上手くはない文字だが、不可が出るほど下手でもないはずだ。それに何度も誤字がないか確認したはず──。
紙同士の擦れる小さな音。メレディスが書類から顔を上げていた。
書類確認が終了したのだろう。通るか否か、姿勢を正してその最終通告を待ち構える。
「不備はないですね」
短くそれだけを言い、処理を終わらせた書類を上司へと手渡した。そして自分が運んできた資料を再び抱えると退室しようとする。相手のほうも同じ部屋にいるのは気まずいようだが。
「待ってくれないか。君の持っている資料だ」
急にノヴァがメレディスへと声をかけた。呼ばれた方は立ち止まる。
「必要になったので持ち出しました。これから返却するところです。これが何か?」
「ちょうど必要な物が混ざっているようだからね。少し見せてくれないかな」
そう言ってメレディスの持ち去ろうとしていた資料を受け取り、内容を調べ始めた。どこを見れば良いのかは分かっているらしく、一冊を数秒の間隔で中身を調べては次へと移っていく。それでも冊子の数は多く、すぐには作業は終了しない。
その間、退室しようとしていたメレディスは直立不動で作業の終わるのを待ち受けていた。気持ちの上では時間を持て余しているのであろうが表には出さず、変化に乏しい表情だ。ノヴァとは違う意味で読み取りづらい。たとえ特筆すべき優れた容貌を誇っていても、その無表情は冷たく人を遠ざける。そのことが元々良好ではない彼の評価をさらに下げているが、本人はそうやって周囲から毛嫌いされようとまるで気にもしない様子だ。
無言のまま時間が経つ。
そして、ようやく作業が終わるとノヴァは数冊の冊子をアリオールの方へ差し出す。
「魔法の暴発関係の資料が必要だと言っていたね。おそらくその辺りが参考になるはずだ」
返事をする余裕すら与えられぬまま押し付けられた。だが資料を与えられても、最も知りたかった情報は聞かされたところだ。何を今さらと思うが、それが本来の目的だったために拒否することもできない。
「これで君の要件は済んだはずだ。すまないがこの場を外してくれないか?」
それこそ、この瞬間に資料を手渡した理由であろう。これから二人は他部署の人間には聞かせたくない話をするのだろう。
秘密をちらつかされ、、アリオールには退去する他に術はない。




