23. 同情
部屋の主が去った後の部屋にはいくらか穏やかな空気が漂い始めていた。そんな中で、勝手知ったる他人の家のごとく来客用に用意されている椅子を適当に選ぶと、レリスは指示された資料の確認を開始した。
仕事を邪魔してはいけないと柚希は座ったまま無言で、資料を読むレリスを眺めていた。こうやってじろじろ観察するのは良くないとは思うが、どうもちょうどよい高さに彼の頭があるのだ。立っている時には身長差のために見上げなければならなかった分、こうした角度は新鮮に感じる。不躾ではあるけれど、手持ち無沙汰を紛らすために相手の様子を見守っていた。
煩くないように短く切りそろえられた金色の髪と、今は書類へと向けられている青い目の色。これが世にいう金髪碧眼なのだと妙なことを納得する。物腰は柔らかで、所々で気遣いをしてくれる様子も見受けられる。典型的な異世界召喚物のフィクションでは彼が王子様役に抜擢されるに違いない。自分がまさに召喚されたという状況に陥っていることは分かっているけれど、柚希はあえてそのことを棚に上げて取り留めのない物思いに耽る。
実際には彼は騎士だが、その単語でイメージするような輝く鎧を身にまとい白馬に乗ってやってくるというキラキラした存在ではない。こちらでの騎士という職業は、治安維持を目的として国家に雇われた兵士という位置づけらしく、言ってみれば武力行使のできる警察官のようなものだそうだ。
それでも実用性を重視したらしい制服は軍服萌え属性の人間にとっては心奪われる代物なのではないか。優れたデザインの制服はそれだけで仕事ができそうな印象を増してくれる。とくに力が入れられているのは肩に縫い付けられた二つの徽章、錦糸で施された竜と鳥の刺繍であろう。
竜が騎士団のもので鳥が召喚魔法関係の部署を示しているのだと、レリスに連れ歩かれたときに聞かされた。その二つは制服の徽章以外にも建物の指示表示としてあちこちに描かれているため、いざ街で道に迷った時にはそれらを目指して歩けば分かる場所に出ると教えられたのだ。さすがに警察的な組織に属しているだけあって迷子の扱いには慣れている。しかし「分かる場所」といわれても柚希には街の地理自体が分かっていない上、元より外へと出歩くことさえ制限があるのが現状だ。知ってはいても情報としては役には立ちそうにもない。
結論のないふわふわとした考え事に身を任せていると、レリスが急に顔を上げる。視線を逸らす隙もなく目が合ってしまうと、小さく微笑みかけられた。
「何かな?」
遠慮なく観察している視線に気付かれたらしい。声をかけられて、自分が失礼なことをしていた事実に赤面をし、慌てて謝罪の言葉を述べた。
「すいません、じろじろ見られたら気が散りますよね?」
「気にしなくてもいいよ。ただ待っているだけじゃ退屈だから。その気持は分かる」
レリスは軽く笑い声を上げて、恐縮する柚希の言葉を制する。
「この資料を読んで魔力暴発の対策を練らないといけないんだ。君のための仕事だから、知りたくなっても不思議はないよ」
柚希の向けていた視線の意味を勘違いしているらしい。だが彼自身の容姿を品定めしていたとも正直には言えないため曖昧に頷いた。
こっそり探るように他人を見てはいけない。気持ちを切り替えて再び大人しく座っていると、退屈を紛らそうとしてかレリスが自分の身の上話をぽつりぽつりと語り始めた。彼自身の目は書かれた文字を追っているので顔は資料に向けられたまま、目が合うようなことはない。対話になることも期待してはいないのだろう、一方的に展開される話題に柚希は耳を傾けていた。
騎士団に出向を命じられて半年の新人。体を使う技術は剣も格闘もお粗末で、使える魔法の種類に制限があるから現在は下っ端の雑用係として鋭意努力中なこと。
驚いたことに柚希の感覚からすればすごい異世界技術だと思われた言語魔法も、こちらの感覚では地味な魔法だととらえられているらしい。人気のあるのは派手に光ったり、爆発させたり、吹き飛ばすといった見た目からも効果が明らかなもので、それらは専門家も多い。一方で言語魔法を含めた雑用魔法や、攻撃を受けなければ効果の程度が分からない防御魔法などは、便利さこそ理解されていても専門とする魔術師も少ないことから扱いが軽んじられているのだという。
攻撃魔法も回復魔法も使えない、まるで実戦に向いていない彼が果たして騎士団でやっていけるのか。心配されたものの意外とすんなり順応はできた。どこにでも地味な仕事は転がっているもので、そうしたものを細々とこなしている内に信頼を置かれるようになってきたらしい。今のところ書類仕事がほとんどだが、雑用係であっても自分の居場所が確保されている状態は悪くはない。
自分のことを語る彼の口調は率直である。その言葉に柚希は口を挟むこともない。失礼な観察の後でもあり、しつこく質問するほどの周りくどい話し方でもなかったからだ。
そんなレリスの言葉が急にぴたりと止まる。続く、長くて深い溜息。
「でも悔しいな」
漏らす言葉。一抱えで持ってきたはずが、閲覧するときには三冊にまで減ってしまった資料を指差しながら柚希へと物問いたげな表情を向けた。
「本当に必要な資料はたったのこれだけなんだから。時間がかかるように、あの人はわざと余分な資料まで探させたりしたんだ。僕がここで聞いてたらできない話をしてたってことだよね?」
言われた通りである。二人の間に見過ごせない緊張関係があり、それを利用してメレディスが柚希を精神的に揺さぶってきたこと。一種の圧迫面接なのだろうが、常識の違う異世界でそうしたパワハラ的な概念があるのかどうかは知らない。しかし、それによって言葉を学ばせるという理由付きで柚希を手の届く範囲で管理するという、支局の人間にとって望む結果を得たらしいことは確かなのだけれど。
だが、そんな話は人の良さそうなレリスに告げるわけにはいかない。当事者二人は役割だと割りきって妥協はしたが、彼は当然のように強引なやり方に心配をするだろうから。
どう答えたらいいのかと言葉を探すが、それを遮るように彼は表情をゆるめた。
「話したくないことを無理に聞き出す気はないよ。あの人にはそうするだけの理由があるんだと信じているけれど」
彼がメレディスのことを名前ではなく「あの人」と呼ぶことに気付く。そこに感じるのは心理的な距離だ。煙たがられていると言っていたが、柚希がそう感じるように彼を苦手としている人間は多いようである。だが能力については信用はされている。
理解できない人物だ。
「本当にただの事務員なんですか?」
「あの人のこと?」
つい零した疑問にレリスが真顔になる。「あの人」が彼の想定している人間であることを肯定するために柚希はうなずいた。
「そうだよね。ああ見えていまだに正規職員じゃないんだから。研究所にはいくつか既定があるけれど、うちの支局長だったらいくらでも無理を通せるはずだしね」
彼女の持つ疑問を、レリスは当然だと思っている口振りだ。この国で教育を受けていないと駄目だとか、そんな条件は後からいくらでも何とかなりそうなものである。それに対する不審は関係者でも抱えているわけだ。
「推測なんだけど、正規職員になるとこの支局から異動させられるからじゃないのかな。臨時職員のままなら支局長の権限でずっとここにいられるけれど、正式に研究員になると本部勤務だろうし」
本部と支局の折り合いが悪いらしいのは既に知っているが、水面下での人員の奪い合いも原因か。言葉を濁した個人的事情とやらも異動を拒否するためであれば納得も行く。
しかしそこまで嫌われている本部とはいったいどんな所なのか。気にはなるが、知らないほうがいいこともあるのではないかと思い直す。召喚生物を掻き集めて実験動物扱いするというのだからロクな場所ではない。
この世界に元々からいる住民と召喚された生物をどうやって見分けるのかは不明だけれど、戸籍のようなものがあるのだろうか。そうした公的な記録なりを元にして内と外を分けるが、そこに記載のない存在はすなわち余所者だ。身内でないものは守られない、だから人間扱いもされない。
召喚に巻き込まれてしまったことで失ってしまったものの大きさが改めて身にしみる。人間としての権利も立場も曖昧なことがどれだけ心許ないか、時間が経つにつれて実感された。しかし通常の成り行きでは、その時間の余裕すら与えられずに本部送りだったはずだ。
そんな不安も柚希の中では既に馴染みの感覚となっている。本部がどのような場所であろうとも、今はそこへと送られる予定はないのだから余計な心配をする必要もないはずだ。
ほとんど表情も変化していないだろうと自覚しながら、まだ話を続けようとするレリスの言葉を促した。
「それに、あの人の元々の師匠は召喚生物を狩る専門の魔術師だったんだ。もう亡くなってしまったそうだけど。でもそういう立場の人に個人指導を受けているってことも、研究所ではよく思われない経歴の一つだよ」
その人物は研究所には所属していない魔術師で、逃げ出したり世話をしきれずに放棄された召喚生物を金銭と引き換えに捕らえる仕事をしていたのだという。それでメレディスは抵抗する生物の無力化の方法を知っていたのだろう、握られた手首とそこで起きた暴発の感触を思い出す。
狩るというのだから保護するのとは違う、捕縛に抵抗すれば手荒い手段もあり得るのだと。彼はそうした稼業に関わっていた人間なのだ。
だからこそ彼なりの召喚生物に対する思いがあるに違いない。過去の経験から捕縛の際には彼らが全力で抵抗するのが常なのに、自分ときたらちんまり大人しく椅子に座って指示を待っていた。危機感がないといえばそれまでだが、その悠長さを咎めるために所々で彼女自身の立場への自覚を促す発言を彼は繰り返すのだろう。
「そうした自由契約で仕事をする魔術師は少人数で仕事をこなさなくちゃならない。報酬を頭割りすると一人の取り分が減ってしまうという理由でね。だからできる限り多くの種類の技術を身につける。専門家になるよりも広く浅く何でもできるほうが都合がいいんだ」
そのために師匠という人物はその弟子へとあらゆる技術と知識を授けたということか。求められれば何でもやる、その態度はこうした経歴のためだったようだ。
だからこそ身分があれば正規職員の立場にこだわらないという発言へと繋がる。日銭を稼ぐために仕事を求めて西へ東へと彷徨う日々と比較すれば、一箇所に留まる生活は安定してると言って良い。
理解し難い人物の正体を知る糸口をつかんだような気がした。
しかし本人がいないところで個人情報にあたることを話してもいいのだろうか。そんな気がかりが表情に出ていたのかもしれない。すぐにレリスは安心させるような笑顔を浮かべて柚希に話の続きをする。
「僕が知っているぐらいだから、ここの全員が知っていることだよ。特に秘密でも何でもない。もちろんわざわざ大声で言って歩くようなことじゃないけれどね」
そうは言っても語られた情報は平凡の枠からは飛び出た経歴の話である。
「やっぱり普通の事務員というわけじゃないんですね」
素直に柚希が感想を述べた。
するとレリスはそんな彼女の言葉を面白がった様子で。
「君だって、ただの女の子には見えないよ。見た目は普通なのに、話し始めるといろんな聞いたことのないような言葉が出てくるところとか。あそこまで長く会話を続けられる人は滅多にいないよ。あの人は興味を惹かない話題だと会話をしないし、逆に興味を惹く話題には手加減なしだから話の途中で相手が逃げだすんだ」
確かに日常の会話で異種族間の交雑の話題など出てこないだろう。つつけば面白い話が聞ける、自分を守るために捏ねた理屈がそのように捉えられてしまったのだろうか。
「きっと君はあの人の知識欲を刺激してしまったんだと思う」
「それは私が珍しい動物だから?」
こちらにきてから彼女に与えられた分類は、異世界由来の珍獣だ。いくらか自嘲気味に自分の立場を表現してみると、目に見えてレリスは狼狽える。
「えっと、珍しいとかそういうんじゃなくて……」
どう言うべきか言葉を選ぶ様子だ。傷つけるような単語を避けているのか迷うように口ごもり、やがて表現することを諦めた。
「うまく言えないな。きちんと説明できるといいのに」
そう言って彼は考え込むように頬杖をつく。
「経験を積んでいろんな仕事をこなしていけば、こういう時に丁度いい言葉を思いつくようになるのかもしれないけれど」
いずれ柚希自身もその「何か」について自分の言葉で表現できるようになるのか。ただしそうなるには長い時間をこの世界で過ごすことを意味している。帰れないことが既に決定していれば覚悟を決めることもできるのに、少ない帰還への可能性が柚希の心をいまだに揺さぶる。
「だけど、ああした言い方をしてたってことは、こそこそしなければ大丈夫ってことなのかな?」
「こそこそ、何を?」
「ああ、いや、あの、堂々と交際するってことじゃなくて」
柚希が理解できずに首を傾げると、すぐにレリスは慌てて自らの言葉を否定した。おかげでその手のことに鈍感な彼女にも素早く理解が及ぶ。
「恋愛とかそういうのは関係なしに、君の力になりたいのは本当なんだ。初めての重要な仕事だからかもしれないけど、君が召喚されたことが偶然だとは思えなくて」
照れた表情を隠すためか、俯きがちに話し出す。けれど頬が赤みを帯びているのはしっかりと見えていた。
「だって君は魔法が使えないし、言葉だってそのままじゃ通じないんだし」
住むところもない、頼る人もいない。できないことを羅列する。
「なんにも知らないのに勝手に連れて来られて、僕たちの都合でいろんなことを押し付けているよね? それに女の子だから僕たちみたいな男だと気が付かない不自由なことがあるかも知れない。そういうのは言ってもらわないと気が付かないと思う」
声に心配の色合いが混じる。心から彼女のことを気にかけているのだと感じた。
「だから困った事があったら何でも相談して。大したことが出来るわけじゃないけれど、どうしたら良いかを一緒に考えることぐらいできるだろうから。僕の経験が足りなくて甘いことを言っているだけかもしれないけど、大変なときには頼って欲しいんだ。そうしたら堂々と君を助けることが出来る」
「ありがとうございます。もし何かあったら──」
気持ちだけ受け取っておこう、そう思って礼を言う。
するとレリスは溜め込んだものを一気に開放したかのようなすっきりと晴れやかな笑顔を浮かべた。後ろ暗いところの一切ない無防備な喜びの表現だった。何か悩んでいたもの、たとえば人間らしい気持ちと、管轄や権限のような規則との兼ね合いが彼の中で腑に落ちたのだろう。その豊かな表情を見ながら、彼はとても親切な人なのだと感じる。
だがその気持ちに考えなしに縋りつく事もできないのも現実だ。頼れば楽になるだろうが、甘え過ぎたら特別な関係になってしまいそうだ。可能性が低くとも帰還を信じる彼女としては、特定の誰かと親密になリ過ぎるようなことは避けたい。
彼のこれまでの態度を見ていると、召喚被害者に対しての気遣い以外の何かが入り交じっているようにも思えた。あからさまではないものの、薄っすらと透けて見える特別な感情だ。
それが同情なのか好意なのか。恋愛と親切とを切り分けるには柚希の経験はあまりにも浅い。




