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22. 開扉

一人で運ぶには多すぎると思えるほどの資料を抱え、開いた扉の向こうの廊下にレリスが立っていた。話し込んでいた二人を気にしてか、部屋に入るかどうか躊躇していたらしい。気づいたメレディスが入室しろと手振りで示す。


似たようなことが以前にもあったと記憶を巡らし、そういえば知らぬ間に部屋へとノヴァがやってきていて後ろから「議論が」と言った時のことを思いだす。開く音がしなかったので気付かなかったけれど、静音仕様にでもなっているのか。


「扉の音……」

頭の中を占めるいろんなことから目を逸らすかのように、どうでもいい疑問に意識を向ける。そのはずだったのだが。


「そもそも扉を閉めていない。男女二人きりなのだから誤解を招かぬ行動をするべきだ」

指摘されて初めて気がついた。語学教師を買って出たメレディスは男性である。はっきりした年齢は分からないが、それほど年配ではない、見た目で推測したら二十代後半といったところか。異世界での感覚は分からないが、若いと言っていい。


セクハラ対策なのだろう。その割にべたべたと触ってきたくせに。


「気を(つか)ってくれた、そう考えて間違いないですか? でも私があなたの生徒として一対一の授業を受けたらそれこそ変な噂がたつ気がしますが」


皮肉を込めて答える。もちろん男と女が出会ったからといって何かが起きるとは限らないが、人間の想像力など所詮そんなものであろう。


「人員の少ない支局内で世間体を問うのもおかしなものだがね。まあ支局には三人しかいないが、多少の関係者の出入りはある。そこから妙な憶測をされないとは限らない」


事実無根のことで疑われるのも困る、彼がそう考えている内心が透けて見えた。来歴が怪しい分、行動では清廉潔白を貫く必要があるのか。

そして一方の柚希にしても素行正しく過ごす必要はある。保護の実情が単に男女の情で絆すというのでは、冗談にしても質が悪い。


「しかしこの支局周辺は若い女性が少ない。のぼせ上がってしまう者の一人や二人──」

「慣れない環境で親切にされたからって、すぐに心が動くほど自分が単純だとも思いませんが」


事実、今この瞬間は保護された立場でありながら相手に向かって喧嘩腰だ。一瞬だけ訪れた妙に穏やかな雰囲気はいつの間にか失われている。だが逆に少し緊張を伴いつつ、互いを探りあいながら言葉をぶつけあう方が会話が進展する皮肉な状況でもある。


傍で聞いているレリスにはどう思われているのだろう。当人は空いているミニテーブルを見つけて資料を積み重ね、それごと二人が話をしている位置まで寄せようとしていた。力仕事の最中だが、会話が聞こえないはずはない。大人しいふりをしていたのが、ここへ来て急に反抗的になったように見えているのではないか。しかし、彼がいない間にここで起きていたのは柚希に警戒心を抱かせるには当然の出来事だったのだが。


そんなふうに柚希が一瞬レリスへと気を逸らしたこともメレディスは気にも止めていないようで、自分の話を彼女が聞いているのが当然というように言葉を続けていた。


「だが全く動かないわけでもない。恋愛という感情は便利だと思わないか? 好きな相手が傍にいるだけで世界の様相が変わって見えてくる。たとえ残酷な運命の中にあっても明日に希望をつなげられるという意味ではね」


「何が言いたいの。恋人の一人でもできれば元の世界を忘れられるとでも? そうしてこちらに私を縛り付けようと思ってるの?」

口調が乱暴になった。たとえ恋愛のような人間的な感情であろうと、役立つとなれば彼にとっては道具でしかないのか。


「だって私はこちらの人間ではないし、扱いは珍獣なのでしょう。せいぜい評価されても便利な道具扱いなのに、恋愛なんて出来るはずがない」

「恋愛に関して特に禁じてはいないが、こそこそと隠れて交際するのは困る。私はそう考えている」


柚希へと向けられていた視線を外し、レリスの方へと素早く向ける。この会話もわざと彼に聞かせているに違いない。禁じていないと言いながらも注意しろと釘を刺す、メレディスのしているのはそういう種類の行動だ。


「召喚された異世界の生き物なんですよ。物珍しいのは否定しませんが種族が違えば子供もできないでしょう?」


表面上は男女が結びついたとしても生物学的には何も起きない。そういう現象を恋愛と呼ぶべきか。特殊な枠組みに入る恋愛形態各種を知らないわけではないけれど、それらは通常アブノーマルと呼んでいるわけで……。


繊細な話題に触れようとして、内容の遠慮なさに口ごもる。恋愛すれば即、肉体関係というわけではない。ましてやその先にある人数が増える展開まで話す必要などあるのか。

だが飛び出た言葉を引っ込めることはできない。せめて学術的な話に聞こえるようにと言葉を選んだ。


「生物としての問題です。最初の前提として、見た目は似ていても別世界の人間が種族として同じなのですか? 進化の過程が違うでしょう」


「異種族間の妊娠か。『進化』という言葉の意味は分からないが、君の世界の生物学ではそういう理屈になっているようだね。つまり恋愛の最終的な目的が家庭を作るためであれば、子供を成せないのは不毛だと言いたいわけだ。だが妊娠が困難であるからこそ逆に好都合だと考えることもできると思わないか? まあ、これは男の側の意見だが」


覚悟もなしに(しか)るべき行為をし、数週間後に「責任をとって」となる。そうした危険が少ないからこそ後腐れない関係に浸れるのだと。やけに生々しい話である。


「それは責任をとる必要がないから、好き勝手できるということですか。こちらの恋愛の仕方や、結婚制度も分からないうちから好きも勝手も考えなければいけないんですか」

「そうは言っても、一切責任を取らなくてもいいほどには確率が低いわけでもない。君のところとは違って、こちらでは種としてはかけ離れた生物同士でも案外と容易に交雑することが確認されている。それほど好き勝手というわけにもいかない」


男女のうち、片方の性しか存在しない種族がいるのだとメレディスは続けた。そうした種族では種を超えての妊娠の確率を高める仕組みがあるのだという。

理論は複雑だが、一言で言ってしまえばそれも魔法だ。説明されてもちっとも理解できないが、訳の分からない現象はとりあえず魔法に結びつくらしい。どうもこちらの常識では生殖の仕組みは二重螺旋や染色体だけで解決するわけではないようだ。


「女性には守らねばならないものが多いということだな。しかし君がそのつもりでこの話を始めたのではないことも承知している。学術的な意味で興味深いとは思うが」

「当たり前でしょう? 単純に恋愛は無理だというだけのつもりだったのに」


どうしてこんな露骨な話をする羽目になっているのか。自衛のために通り一遍の性教育の知識は授けられたが、実践した経験はない。そんなことを考える必要のある相手もいなかったし、年齢的にもうしばらくは時間の余裕があると高を括っていたものだから。


なのに異世界で放埒(ほうらつ)な性行為の危険性を訴えなければいけないのか。事情の分からない世界では最低限の防御のための道具や薬があるのかすら知らない。最悪の場合、それこそ「魔法で」ということになりそうだが、魔法の理解できない彼女にとっては逃げ道のないのと同じことである。

ならば最も確実な防衛法は禁欲だ。


「ともかく恋愛はありません。そんな気持ちはないですから」

「気持ちが有ろうと無かろうと、容易(たやす)い相手だと思えば欲を優先して体の関係を求める人間もいる。そうしたことから君を守るのもここでの保護に含まれていることを理解しているのだと思っていたが──」


言葉を慎重に選んでいるらしく少しの間、口をつぐむ


「女性である以前に、君は違法召喚の被害者だ。人種の違い程度で外見が我々とそれほど違わないから実感がわかないかも知れないが、元からこの世界にいる住民と同等の権利はない。そのために君が召喚生物だと知れてしまえばそれを理由に犯罪に巻き込まれる危険もある。なぜなら人間ではない生き物では被害を訴える事もできないのだから」


どういう種類の犯罪か、メレディスは口にはしなかったがそれが何なのかは分かる。現状では人間扱いではないため、望まぬ行為を強いられても泣き寝入りする他はないということである。


「最悪の事態なんて考えたくはないですが、ここはそういう危険な世界なんですか?」


心配になり、こちらの限られた場所しかまだ知らない彼女は恐る恐る尋ねてみた。返ってきた答えは「残念ながら」というものである。


「召喚生物に権利を与えるということは、それらもまとめて考えることだよ。恋愛の末に家庭を持つ、異種族との間に子供が出来る。その際に差別されない、そうした社会にしていくことをね」


帰れないと分かった時に関わることになるのはそういう活動である。きちんと権利を得るということは、こちらで人間として生きることになる。通常の人生であれば結婚について考える時期も訪れるはずだ。


「それに婚姻制度こそ、まさに社会制度の根幹に関わる知識だと思わないか? 人同士を結びつけ、財産や家系をどのように継承させるか、場合によっては国同士の戦争の原因にもなりうる。単に生物同士がくっつくだけじゃない」


そうしたことを追々(おいおい)学ばせるのだ。メレディスの言葉は遠回しにそうした計画を柚希に告げている。自分の立場がだんだんと絡め取られていくのだと感じる。おそらくそこから逃げ出すには元の世界へと帰還する他に方法はない。

何を考えるにしても、最終的に行き着くところはそこなのだ。可能性は低いと言われながら、帰還を諦めることはできない。元の世界では、人間一人が理由もなく消えてしまった状態だろう。少なくとも家族は心配しているはずである。


話し込んでいるうちに資料を運び終えたレリスが、無言のまま待っていた。さすがに話の内容を考えると途中から口を挟むことはできなかったようである。


それにしても恋愛と肉体関係、結婚に妊娠だとは。出会って三日目の男女が交わす会話としては誤解を生む以外の何物でもないが、あくまで異世界同士の常識を比較して確認するという目的だ。そんなふうに頭の中で言い訳じみたことを考える。


どのみち一旦はキリの良いところで話は終了している。メレディスはそう判断したようで、運ばれてきた資料へと意識を移した。


「先にこの資料について、やるべきことを済ませてしまおう」


そう言ってメレディスは山と積まれた資料を手早く分類する。整理の手間を考慮してか冊子に綴じられたそれらから、わずかに三冊を残して必要なページを開くと確認しておくべき箇所をレリスへと示した。


「それほど分量のある文章ではないから時間をかけずに読みきれるだろう。今ここで確認しておくといい」


内容は頭の中に入っていると言っていたが、それはどうやら本当だったらしい。分類もページを開くのもほとんど時間がかからず、どこに何があるのか知り尽くしている動きだ。

レリスへと資料を押しつけると、残りを抱えてメレディスは立ち上がる。


「不要な分は私が片付けておく。ついでに支局長のところに報告をして……」

座る柚希の方へと一瞬視線を送る。どうするのか逡巡するような表情となり、そして思い切ったかのように提案をしてきた。

「続きを話しながら一緒に行こうか?」


「行きません」

即座に拒否した。すでに精神の許容量はぎりぎりで、彼との会話に集中するのは無理だろう。

「作戦会議でも何でもしてきてください。私はしばらく気持ちを静めたいですから」


柚希がどんな気持ちであろうとも、結局彼らの抱える計画に乗せられるだけに決まっているのだから。不満を声には出さず、ゆっくりとそれまでの会話へと意識を巡らす。結局、考え事の種が増えてしまったのが悔しい。


ならばとメレディスはここへ残るレリスへといろいろと指示を出す。主に柚希に関わることだが、その中には遅くなったら彼女を部屋へと戻し、適当に帰ってよいというものも含まれていた。もちろん明日以降のことも。


「これから話をする機会はいくらでもある。続きは語学の授業の時にでも」


そう言い置いて、張り詰めた空気の原因であるメレディスは立ち去った。当然のことながら扉は開け放たれたままである。


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別ページに番外短篇集を投稿しています
『I've been summoned.』 番外短篇集
都合により本編に入れられなかったエピソードなど収納しています




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