20. 視線
新人の初仕事にたまたま遭遇し現場研修での対応相手第一号となる、そういう巡り合わせなのだろうか。レリスに連れて来られて柚希が付き合わされているのは、召喚被害者への状況説明の正しい手順講座であった。
言語魔法を使える人員であることから、今後に似たようなことが起きた場合に被害者に最初に接触する可能性が高いのは彼だと推測される。そのために一度、きちんと順を追って事前練習をするべきだとなったらしい。
やはりというか、想像通り連れて来られたのはメレディスの下である。段取りの記された紙片をレリスへと渡し、その内容について細々と指示を与えている。
大人しく椅子に座って待っていると、準備は良いかといった様子でメレディスが視線を向けてくる。相変わらずその視線に居心地の悪さを感じる。
日本では見慣れぬ色の瞳に慣れていないからなのかとも思ったが、レリスだって見慣れぬ鮮やかな青色の目をしている。彼に見られても別になんとも感じないのに、どうしてメレディスの視線ばかり威圧感が強いのかが奇妙に感じて仕方がない。
これまでが緊張感を強いられる場面での対面だったため、場の空気と相まって苦手意識が強まるのか。あるいは感情をあまり表に出さない薄い表情が掴みどころの無さを感じさせるのか。
ともあれ練習に付き合うことに同意してしまったのだから今さら拒否もできないだろう。了承したというように頷くと、紙片を手にしたレリスが手順を実行するために柚希の座る前へと陣取り、法律や保護やらの説明を開始した。
一通りの説明が終わる。内容は前日までの二日間前後しながらも把握したこととほとんど変わらない。きちんとした手順を踏むと、なんと簡単に済むことか。いささか肩すかし気味に感じながらも、役割を果たせたことに気持ちが楽になる。
ただし話された内容は事前に理解しており、また現在落ち着いた精神状態だからこそ納得できるものであって、もし混乱の極みにあれば言葉をさえぎって喚き散らすのかもしれない。そのように想像をしながら、初めに説明を面倒臭がった面々の気持ちを理解する。
「これは相手の抵抗がなかった時の手順だ。君のように扱いやすい被害者ばかりではない。むしろ言葉の分からない状態で混乱して暴れることのほうが多いぐらいだからね」
自分が暴れてもすぐに取り押さえられてしまうのだろうけれど。そう考え込んでいる柚希へとメレディスが言葉をかけた。
「おそらく手順の改善が必要だが、こちらの世界での常識で考えている分にはどの辺りに問題があるのか分かりづらい。それで被害の当事者である君の意見を訊きたいと思う」
研究材料にされない代わりにそういう役割を押し付けられるのかとぼんやり考える。召喚被害者がどのぐらいの頻度で現れるのかは知らないが、次の機会へ活かす前例の一つにされてしまうのだろう。
質問に答えるため、段取りがどうだったか内容を確認しようとレリスが読んでいた手順書を見せてもらう。しかしそこに記されている文字は柚希には読むことのできない文字だった。
「どうしたの?」
紙片を見つめたまま黙りこんでいる柚希に気付き、レリスが声をかける。一方メレディスの方はいち早く理由に気づいたようだった。
「いくら魔法で言葉が理解できるようになるといっても、その範囲は話し言葉だけにしか及ばない。文字の方はまるで意味不明、そういうことだね?」
図星である。
思い出してみれば彼女が書いた文字をノヴァは読めなかったではないか。しかしその事実を忘れてしまうほど、極普通に会話が成立している現状がある。それでもやはりというべきか、便利な技にも能力の限度が存在している。
「こういうことが起きるから言葉については出来るだけ魔法に頼らない方がいいと思う。聞いていると思うが、君さえ良ければ私が語学の授業をしてもいい。ある程度なら魔法がなくても私は君の言葉が理解できるから」
提案に付け加えて聞き捨てならない情報。いったいどこで言葉など学習したのか。だがその疑問を先読みしたかのように。
「私がここに職を得たのは言葉ができるからだよ。なまじ魔法で言葉が通じてしまうと、あえて魔法抜きで学習しようという人間はいなくなる。話し言葉でそうなのだから、さらに文字なんて誰も見向きもしない」
魔法があれば学習せずとも言葉は通じる。召喚された生き物を制限付きの環境に置くだけならばそれで充分なのだろう。それをわざわざ魔法抜きに理解しようとするのはこちらの感覚では余計な労力ということだ。しかし彼はそれを厭わないごく少数の物好きに属するらしい。
だが言葉の問題を解決するためにその力に縋るとしても、彼は頼れるのか、その確証が今ひとつ掴めない。これまでの発言に嘘はないだろう。しかし要所ごとに結論を急ぎ、そのことが柚希を苛立たせる。だからこそ苦手意識を持つのだろうが、その発言が間違っていないのもどこか癪に障った。
要するに強引な決定に納得がいかないだけなのだ。信用する以前に、正しい意見を呑まされる。だが彼女としては呑み込む前に咀嚼する余裕がほしい。その辺りの意識のずれが改善しない限り苦手意識は消え去らないだろう。
どのみち他へ行く当てがなければできる限り摩擦を起こさずに時を過ごす他はない。しかし聞き分けの良い態度を続けることにより、否応もなく予定されたレールに載る選択を取り続けているような気もする。
「返事をするまで少しだけ時間をください」
せめてもの反抗として時間の猶予を願い出た。だがその要求もメレディスの予想の範囲内だったようで、一瞬の躊躇すらなく了承される。とりあえず柚希に関すること、意見を述べさせたり、語学関係のことは後回しとなった。
「今は説明手順の続きだ。頼むが拘束が必要な生物の実例になってくれるね」
仕切りなおすかのように問われるが、口調に拒否できるような余地はない。今度は身柄確保に抵抗する召喚生物役らしい。いろいろと忙しいことである。
新人教育に彼女のような部外者(というか被害者)を参加させるのも考えものだが、紆余曲折がなければ起こっていたかもしれない仮の展開を知っておくのも損はなかろう。特に抵抗を封じる手段については保護する側に限らず、荒ぶる召喚生物に対面する人々によって使用される方策なのだという。
「手を出して」
座る柚希のすぐ前にメレディスが陣取ってひざまずく。実物に触れながらの説明だと言い、まるで催し事に女性をエスコートする同伴者であるかのように自らの手を差し出した。
求められるまま右手を重ねると強い力で握られ、ひっくり返されて手の平を上へと向けられた。
「この辺り。魔法が使える我々だと、ここに魔力が溜まる部位があるとされている。感覚を集中させれば相手の魔力の性質や量を読み取ることができるのだが、魔法のない世界であっても魔力そのものは存在しているようだ」
手首周辺を指で撫でながら、一つずつ念を押すように説明をする。どうやら体の要所ごとに魔力が溜まっており、そこが生物の弱点の一つであるらしい。特に手首は指先に近いから、魔法の行使にとって重要な体の部分だということのようだ。
しかし何とか柚希に理解できたのはその程度である。その後は専門用語や長々とした技術論が続き、基本的な部分から魔法の知識のない彼女ではとてもついていけない。理解を深めるために聞き返すことも、知識が皆無の状態であればどう質問を用意すべきかも覚束ない。その結果、触れられるがまま自分の手を相手に預けつづけることとなる。
「──だから魔法で相手の動きを拘束する場合、魔力の蓄積している結節を狙う。まあ、こんな風に都合よく相手の手を掴んでいる状況はほとんど無いから、確実にそこを狙う方法は考える必要がある」
専門用語の羅列は続く。それらを柚希が理解できなくとも問題なく、説明を聞かせているのはレリスに対してだ。彼女を実例に使って講義らしきものを展開しているのだろう。やはりこれも珍しい動物の生態観察という扱いなのか。
意思疎通ができて、基本的な社会常識の点では大きな隔たりはないものの、魔法の有る無しは相互理解のための最後の一線を越えることを阻む。語られている専門用語の幾つかは魔法では訳しきれないらしく、柚希の耳には解読不能の音節として聞こえていた。
時々日本語として認識される専門用語は小説やゲームのような架空の知識の応用であるらしかった。どうやら翻訳される言葉の概念をある程度は理解していないとならない魔法らしい。ならば彼女がこちらには存在しない事柄について発言すれば、こちらの人々には通じないのだろうか。
手首の筋をなぞるような指の動きがくすぐったい。そこにある何とかという名称の器官の検査であることは分かっているが、男性に手を握りしめられている状態なのだ。しかも苦手だとはいえ容姿の美しい相手である。他意は無いといっても、異性との交際経験がない柚希には刺激の強い体験と言えよう。
恥ずかしくなって、まだ説明を続けているメレディスへと申し出た。
「まだ手を握っている必要はありますか? そろそろ離してもらえれば──」
「ああ、すまない」
言いながらメレディスが手首へと向けていた視線を上げた。予期せぬ薄青い色に不意を衝かれる。あまりに近い位置だ。
驚いた瞬間、触れられている部分に静電気の放電のような鋭い衝撃が起きる。反射的に握られた手を振りほどこうとした。だがすぐには手を引きぬくことはできず、揉みあううちに反対側の手が相手の眼鏡を弾く。
「ごめんなさい、つい……」
「謝らなくてもいい。予想外のことが起きた」
眼鏡を直しながら、感情の起伏を抑えた口調で言う。彼も驚いたはずだが、それを瞬時に薄い表情の内に塗り込めてしまったようだ。
「今のは何でしょう」
自由になった右手を擦りながら柚希は尋ねる。突然のことに驚きはしたものの、問題の場所に痛みは既に残っていない。
「我々のように日常的に魔法を使う人間だと使用に備えて常に指先に魔力をまとわせているのだが、それが少し漏れだして君の魔力と反応して暴発したらしい。だが痛みを伴うほどの量ではなかったはずだし──」
怪我がないかの確認のために手を見せろとの身振りをされるが、もう一度手を預ける行為に応じるほどの覚悟はなかった。仕方ないというふうにメレディスは手を引っ込める。代わりに、触れ合った自分の指先を確認するように手を二、三度ほど握ったり開いたりしていた。
「魔法の無い世界出身だと、魔法に対する防御がほとんど無いことは知識として知っていたが、この程度の暴発も防げないのかもしれない。使用されて飛び交う魔力が無い分、体が防御する必要がない。その結果、過敏に反応するのだろうか」
体が魔力に慣れていないから。砂糖抜きのコーヒーが最初は苦くて飲みづらくても毎日続けていれば平気になるようなものか。喩えが適切かどうかは分からないが、そのように解釈をする。
「あくまでも暴発なんですね。説明や検査のために魔法を使ったわけではないんですね」
「少なくとも意図的に何かをしたわけではない。私も予測していなかった」
念を押すようなレリスの問いにメレディスが回答をする。魔力、あるいは体質を確かめるために何らかの魔法を使ったことを疑ったらしい。だが当事者である柚希の記憶では、むしろ目が合った拍子に誤って、といった印象が強い。そのことをメレディスが口にしないのは、些細な感情の起伏で暴発を引き起こしたことを恥じているからなのだろうか。
魔法がまるでわからない柚希にも、たとえ過敏なのが問題だとはいえ体が触れ合って魔力が反応したぐらいでは暴発が起きないことは予想できる。その程度で事故に至るのであれば、これまでにもこちらの人たちと何度か体が触れた瞬間はあったのだから、その時に何かが起きていてもおかしくはない。だから暴発を引き起こすもっと別の要因があるのだろうと想像するが、なぜかその話題は看過されてしまった。
むしろ、それよりも学術的な疑問が呼び起こされたらしく、レリスはなおも質問を続けている。
「──魔力に過敏ということは、彼女に対して魔法を使うと悪影響があるということですか。今は言語魔法だけですが、例えば怪我の治療に魔法を使ったりすると今みたいな暴発が起きることもあるんですか」
「そうだな。強力な治癒能力を持つ術者にありがちなことだが、自分の能力頼みで技術の向上に一切努めない者がいる。そうした魔術師の回復魔法では必要以上の魔力を魔法につぎ込んでしまうから、暴発する危険は高い。その暴発が患部近くで起きるとすれば結果は悲惨だろう──」
二人の質疑応答はまるで教師と生徒の関係のようだった。徐々に交わす言葉に専門用語が増えてゆく。それに応じて翻訳されきれない異世界の単語が場を満たし、やがて理解不能な会話に対して意識が集中できなくなっていった。
すっかり除け者にされた彼女は自分の手首を見つめる。そこに魔力が溜まる、しかし彼女にはどうすることもできない無駄な魔力である。無駄な上に過敏すぎて暴発を招く、難儀な代物。
小さくても衝撃は強かったのに、もっと大規模な暴発が起きたらどうなってしまうのか。二人の口ぶりでは状況と規模によっては怪我どころか命の危険もあるようだ。
魔法の能力と知識のない悔しさを噛み殺す。
「厄介ですね」
「何かが起きる前に問題を把握できて良かったのではないか。対策を立てる余裕はあるのだから」
むしろ対策が無ければ困るだろう。打ちどころと言っていいのか、暴発の位置が悪ければ柚希は死ぬ。そんな危ないものを放置するわけにはいかない。
「とりあえず一時凌ぎにすぎないが、今から魔法を一つ作ろう」
そのための資料を持ってくるようにレリスへと命じた。戸口の方へと一旦二人で出て行き、そこで資料の詳しい在処を伝えている。しばらくの会話の後、廊下を歩き去る足音。
「彼が戻ってくるまで少し時間がかかるだろう」
そう言いながらメレディスが大股で戻ってきた。そして空いている椅子を移動させ、柚希の前へと席を確保する。意図したものか否か、その位置は膝を突き合わせるほど近い。
「その間に少し話をしよう。いくつか確かめておきたいこともあるし」
声の位置が近すぎる。ついさっき何らかの理由で魔力を暴発させてしまったのだから、こんなに近い位置にいるのは拙いのではないか。そう言おうとして相手の顔を見た。
座高の差から彼の顔はやや見上げなければならない高い位置にある。そこから冷ややかな色彩が瞬きもせず見下ろしている。
目を向けるというような生易しいものではない、ひたと張り付くような強く力のある視線を柚希へと据えていた。
動揺のあまり息が止まり、思わず体が逃げ出しかける。が、その様子をメレディスは見逃さず、逸らさぬ視線で彼女の動きを制した。
「私のことが怖いようだね」