17. 異邦
たしか「女性と子供には親切に」と言っていたのではないか。そして年齢が確認された瞬間に、それまで子供の枠に入れられていた柚希が女性のほうに移動したということか。
その手の話題に疎いとはいえ、言葉の意味を彼女に理解できないわけではない。年頃の男女が出逢う。そして月並な展開。そのことを指した冗談であろう。
だがそこまで凡庸な筋書きは無理がある。
「見込みも何も、それこそ帰れたら関係のない話じゃないですか」
冷静に考えれば当たり前の話で、ここの人たちにとっては柚希は文字通り住む違う世界の存在だ。建前として元の世界に帰ることが前提となっている状態で、特定の誰かと親密になることなんて無理だろう。そもそも社会に出した際にどのような影響を及ぼすか不明な保護対象をそういう目で見てはいけないのじゃないだろうか。だからこそ、ここは境界線を一本しっかりと引いておかなくてはならない。
あくまでもリリの言葉は、柚希の見た目と実年齢の差について混ぜ返しただけだ。でも今までの感触として、彼女は弁の立つ中学生ぐらいに思われていたのだろうと想像をする。
そうした難しい年頃の子供にしては行儀が良いだとか、健気だとか思っていた人間がこちらの基準では立派な成人の年齢だったのだ。だからレリスにしたって、それまでの迷子をあやすような態度が誤解をもたらすかもしれないと気付いて恥ずかしくなったのだろう、赤面の理由もたぶんそんなところだ。
ともかく今後の話となるとどうしても空気が重くなりがちなのだ。あれぐらいの冗談で雰囲気が明るくなるのであれば、からかわれたとしても仕方がないのかもしれない。少なくともリリはそういう発言をしてもおかしくはない性格だと認識されている。
ただし、その冗談がこの場にもたらしたダメージは非常に絶大だ。
妙な空気に支配されたまま、その場での話は終了した。
「……今度こそ本当に戻ります。なので、余分な仕事というのの指示を下さい」
居たたまれなくなったのだろう。少しだけ疲れたような表情をして彼を引き止めていた肝心の要件を聞き出そうとする。親切心で関わってくれたのだろうが、最後に割を食う結果となってしまったみたいで自分が原因ながらも気の毒に思う。
「そうね。言葉の目処がつくまでは毎日魔法をかけにきて欲しいのが一つ目の仕事。それから──」
気づけば二人はすでに仕事の態勢である。人数が少ない分、忙しい部署なのだから気持ちの切り替えも早いのだろう。
自分に関わることなのに、どこか他人事のようにその様子を眺める。この施設の人間がそうやって仕事に専念してしまうと、柚希は口を挟めなくなってしまう。多少の気疲れもあり、ぼんやりとそれを眺めるほかはない。
大人しく待つうちに翌日の予定が煮詰まった様子である。それを受けてレリスは自分の部署へと戻っていき、リリは用意することを命じられていた個室へと柚希を従えていった。
収容され管理されている立場とはいえ実際の待遇について柚希が抱いた印象としては客人扱いというものだった。プライバシーの確保できる個室で閉じ込められもせず、食事もそれなりの物を様子見がてらリリが部屋まで運ぶという具合で、特別に不愉快になるようなことは何もなかった。
話の流れから、あからさまに幽閉されるような扱いは無いと思っていたけれど、あまりにガードが緩いのではないかと柚希のほうが心配になるレベルである。信用されているのか、危険ではないと見なされているだけなのか判然とはしない。だが逃走の意志も見せず、もし逃げ出したとしても行き場も無いのも事実である。
そうは言っても、ある意味で放置されている状態は考え事をまとめるのには都合が良いとも言えた。テレビやネット環境のような時間のつぶせる何かは無いので、できることは考えることだけ。
それすらもこれからの自分の運命と、起こるべき事態にどう対処するかに集中しているといった具合だ。有り余る時間を、もし帰れなかったらという仮定の話ばかりに意識を費やしてしまう。
リリが言った通り、柚希は考えて最後には答えに到達する。
もしも帰還がかなわなかった日には、彼女はおそらく協力への求めを受け入れてしまうだろう。それも社会を正すという大きな目的のためではなく、単に退屈したくないという消極的な理由によって。
翌朝、着替えが終わったタイミングを見計らったかのように部屋のドアがノックされる。対応に出るとレリスが立っており、まず魔法をかけられた。否応の返事をする前に柚希の額に手を触れる。
もちろん言語魔法のためだが、動作に淀みがないところを見ると昨日からかわれたことについては気持ちの整理がついているらしい。
そしてきちんと魔法が発動しているのかを確認するかのようににっこりと微笑んでから朝の挨拶をする。
「おはよう」
毎日これを行うのかと思っているとレリスが小さな箱を差し出した。開けてみると小さな金属片のペンダントトップがついた黒い布製のチョーカーが入っていた。素っ気ないデザインから考えると装飾品というわけではないらしい。
「魔法の道具だよ。それを身につければ言葉がとりあえず分かるようになるけれど改良途中なんだ」
詳細を聞けば、日常会話程度なら問題ないが込み入った話になるとボキャブラリーが不足する翻訳機という感じの品らしい。通常の魔法と性能に差がある訳は、組み上がった魔法を魔法陣や道具へと組み込むために図形化する技術が後追いの状態だからだという。
「でもどうして最初からこれが出てこなかったんですか。これは制限時間がないんでしょう?」
思った疑問を口にする。そもそも事情聴取だけなら難しい単語を必要とはしないはずである。
するとレリスは顔から笑顔を消して答えた。
「それの通称を知っているとね……。『首輪』って呼ばれてる」
そう呼び始めたのは保護施設に収容された獣人たちだが、言い得て妙の表現だ。これを身につけることは施設に収容された事の証となり、言葉の通じない召喚生物であることを示すことにもなる。
「魔法が切れる時間がないように出来ればいいけれど、無理な時があるかもしれない。そのためにこれを持っていて」
嫌なら身につけなくていい、そう説明されてチョーカーを押し付けられた。
なるほど、便利だがネガティブなイメージが付き纏っているアイテムだということか。だから召喚生物に対して否定的な人間にこれを見咎められると不利な立場になりかねない。そのように理解する。
この世界の人間には周知のことだが、事情を知らぬ彼女が迂闊な振る舞いをして正体が露見する。そのような危険は「首輪」以外に数えきれぬほどあるのだろう。それら全てを引っ括めて「この世界の常識」なのだ。
いざという時のため、そう割りきって制服のポケットに小箱を入れる。いろんな小物を収めるためか、用意された制服はポケットの数が非常に多い。ただしデザイン優先らしく、その多くは内側の隠しに集中している。
「言葉が一通り出来るようになれば必要はなくなるよ。けれどそうなるまでに時間が必要だよね」
結局は魔法頼りということらしい。でも彼女のために魔法の手間を求めるのは、どうも申し訳ない気がする。
長引くのであれば語学習得に励むなど何とかしなくてはいけないだろう。必要なのは自分の力だけで言葉を理解できるようにする方法である。
「もしかして魔法を自分でかけることができれば言葉も通じるようになるのですか? もちろん簡単じゃないのは分かっているつもりですけれど」
言葉絡みに限らず魔法が普通の世界だ。自分にも魔法が使えるのではないか、そんなアイデアが天啓のように降ってくる。召喚魔法ですら理論が分からなくても、方法さえわかっていれば誰でも使えるという話だった。その他の魔法でも、同じように方法がわかればひょっとして──。
「どうなんだろう。君が使える印章次第だし、持ってる魔力量が術式に足りるかどうか。試してみる?」
試すと言われても、いくつかの単語は意味がわからない。魔力量は多分ゲームで使われるマジックポイントのことだと見当はつくが、印章だとか術式だとかについては何のことだか理解不能だ。
しかし具体的な魔法の様子を見れば少しは理解できるかもしれない。百聞は一見にしかず、手本を見せてと頼んでみる。
「じゃあ、最初に魔力を体から引き出して指で印章を書くんだけれど……」
ゆっくりと順を追ってレリスは説明してくれるが、「魔力を体から引き出す」の部分で困難である。魔力は体の中にあるらしいが、それを指に集める方法など知らないからだ。
説明を続けるレリスから目を逸らし、思わず自分の指先を見つめる。指の曲げ伸ばしをしようが、両手をこすり合わせようが、何の変化も起きない。
「何をしてるのかな、指先ばかり見て」
柚希のおかしな動きに気がついたらしい。そしてすぐに彼女の行動のわけに納得をする。
「そうか、魔力の感覚がないんだ」
スタート時点ですでについていけなかった。魔法が普通の生活をしているのであれば、おそらくは五感のように意識せずとも魔力を感じるものなのであろう。だが当然というべきか、魔力がいかなる感触で察知できるのか柚希には想像もつかない。
「魔法がないって、その水準からなんだ。こちらの魔法が作用するんだから、魔力そのものは君の体にも存在するするはずなんだけど……」
首を横に振るしかない柚希に対してどう説明しようかと悩むレリス。しかし、どう考えても魔法の習得が彼女にとって不可能なのは明らかだ。
慰めようとするレリスに礼を言い、気にせぬようにと付け加える。
たとえ物語のような異世界召喚であっても、特別な能力がいきなり開花して、というわけにはいかないようだ。なので当面は言葉に関しての対処法は時間制限付きの魔法か、デメリットのあるアイテムなのである。それらにしたって意思疎通ができる分だけ恵まれているといって良い。
けれど魔法が無理だという結論は柚希にとって少なからず落胆につながっている。たとえ望まない異世界だといっても、これぐらいの恩恵ぐらいあればよかったのにと不満に感じていると。
「でも、それぐらい探究心があれば言葉もなんとかなるんじゃないかな? あの人も手加減なしで授業すると言っているみたいだし」
あの人、とは? そしてたったの二日で苦手意識を持った人物のことが脳裏に浮かぶ。
三人しかいない支局では消去法も楽だ。たしか言葉が専門と言っていた気もするし、他の二人は役職付きで余分な暇はなさそうだ。予想に間違いはないだろうが、気後れする気持ちをとどめられない。




