16. 見込
籠の鳥という表現も、隔離されて栽培される植物も示している状況は同じ。
「聞きました。保護といっても、ただ閉じ込めておくだけだと」
何度か繰り返されたこれらの言葉を聞いても、柚希はもうほとんど無感動であった。たしかに自由はないけれど、少なくとも今の状況に不満はない。ここの人たちに縋らねばならないが、そのことに屈辱を覚えなければ別に構わないといった消極的な諦めの心境である。
しかしそれを納得出来ない人間が一人。
「やっぱり彼女は閉じ込められたままここで過ごすんですか。そのうちに本部に送られて二度と──」
レリスがリリに向かって質問をぶつけるが、それを最後まで口にすることはできなかった。刺すようなリリの視線が相手を興味深く観察し始めたからだ。
しばしの時間の後リリが問う。
「この子を放っておけないんでしょ?」
レリスはそうだというようにうなずいた。
「そうよね、勝手に連れ歩いて色んな所を駆け回っていたみたいだし。でも本気でこの子を守りたいと思ったのなら、私たちが相手にしているものが何なのか知ってもらう必要があるわ」
そして、この中庭は盗聴がしにくいからと物騒な一言を付け加える。
「閉じ込めるだけ。いいえ、実際はもっとひどいことになっているわ。保護といって集められた被害者は……、研究材料として有効活用されるの」
一瞬リリが口ごもり「研究材料」と言葉を選んだことに気づく。おそらく元々はその部分は聞かせたくない単語なのだろう。だが曖昧にぼやかされてしまったせいで具体的なところは想像もつかないが、行動観察や聞き取り調査のようなごく一般的な研究目的ではなさそうだ。
「少なくとも送り返せるかどうか見極められるまではここにいてもらわなければ。それまでは本部指示でどのようなことを命じられても一切無視する予定よ」
本部指示を無視する。そんなことができるのかと頭をひねっていると。
「こんなに広いのに、働いているのは実質三人なのよ。信じられる?」
今、ありえないことを言わなかったか。
「三人ですか」
念を押して訊いてみる。
「任されている仕事は三人いればなんとかなるものだから。何年か前に新しく本部研究所ができて、ここは移転後に残された旧館よ。支局なんてそれらしい名前がついているけれど、私たちの役割は留守居ね」
その際に残された施設を有効活用するため、空いた建物のいくつかが騎士団の詰所とされたのだという。その中に違法召喚対策の部署があり、支局長であるノヴァが外部相談役として責任者を務めている。そして支局に所属する職員は名簿の上では二十人強だがほとんどが騎士団への出向組であり、専業で働くのはノヴァとリリとメレディスの三人だ。召喚生物管理部が一人しかいない部署なのも衝撃だったが、上位組織も似たようなものなのである。
それで困らないのかと思っていると、リリの顔は得意気になった。
「理由があって私たちは本部から煙たがられているの。でも人数が少ないからって、何も出来ないわけじゃない」
少ないからこそ本部から見くびられているのだと言う。その分監視が緩い。
「だから仕事さえこなしているように見えれば、けっこう好き勝手出来るのよ。もちろん仕事量は多いけれど、私たち優秀だから問題ないわ」
逆に人数が増えれば、互いが何をしているか把握できずに能率が下がるとか。
「本部なんてまさにその状態ね。その上、派閥だらけでお互いの仕事や研究を巡って足を引っ張り合ってるの。傍から見たら私たちは僻地に飛ばされて出世から遠ざかったみたいに見えるけれど、邪魔をする人間がいない方がよっぽどマシよ」
職場の人間関係が、という話はどこでも同じものなのか。
「今のところこの支局はうまくいっているわ。本部から人員を送り込まれるような隙を見せない程度にはね」
ここの人たちは本部を毛嫌いしているらしい。煙たがられていると言っていたから、何か重要な点での主義主張がぶつかり合うのだろう。そして、その対立とは召喚生物の管理や保護に関係する部分かもしれない。
「ちなみに本部から求められた報告書には『保護対象が極度の混乱状態にあるため事情聴取不能』って書いてある。だからいくらでも混乱して抵抗しても別に構わないのよ、少なくとも時間は稼げるから」
おとなしく話を聞いている柚希に向かってこの発言である。そういう物言いに付いていける才知がないとここではやっていけないことを理解した。
「時間稼ぎが必要なんですね」
何はともあれ説明の中から単語を取り出す。
するとリリは帰還には時間が掛かるからと、魔法の説明を開始した。
「魔法の存在する世界のほうが門を開くための世界の綻びが多いみたいなのね。魔法を使うほど、世界の壁が傷ついていくの。同じ門を何度も使って召喚をすると、だんだんその門が固定してきて門が開きやすくなる。詳しくは専門的な話になるから、無理して理解する必要はないのよ」
草むらを誰かが歩くと獣道が出来るようなものなのだろうか。そこを通る人や動物が多ければ、最初は獣道だったものがやがてはきちんとした道路となる。召喚のための門も同じような理屈で、召喚される機会の多い妖精や獣人については帰還のための門もおそらくは開きやすい。
「あなたのように前例の少ない世界からの召喚だと、門自体がまだ不安定だから同じ場所に戻せるかどうかは分からないわね。だからこそ召喚直後のまだ痕跡がはっきり残っている時間内に送り返す必用があるのよ。それに魔法がないと言っていたから世界の壁は頑丈だろうし、難しい仕事なのは間違いない」
柚希の帰るべき門は開くかどうかの確証すらないということだ。
「こういうわけだから、あなたをすぐに帰すことは出来ないの。それに時間が経てば門の座標に誤差が生じるから魔法陣の再設計をしなければいけない。魔法陣を調べて、そこから計算をしなおすことになる」
帰れるか否か以前に、最初からここに残ることになる前提の話が多かったのはそういうことか。門が開きにくい世界、座標位置の計算、魔法を理解しない柚希にもその難易度の高さは想像できる。
「魔法陣の調査と、座標の計算。そこから再設計をして、必要な魔力を蓄積する。少なくとも四、五十日はかかると思うし、複雑なものだったらその倍以上の時間が必要ね。そして時間制限もあるわ、座標の誤差が計算できなくなってしまうから」
最低でも一ヶ月以上。短くはない時間だ。
「召喚に使われた魔法陣を見たたわけじゃないから断言はできないけれど、一般に出回っている術式を適当に組み合わせてくっつけただけの魔法陣なら再現が可能かもしれない。でも、ああいった半端に知識を持ってる集団って、変な自信で触ってはいけない部分の術式を描き換えちゃうことがあるからその時は諦めてね」
どこの世界にも実力はないくせに自信過剰な人間がいるようで。マニュアル通りにやっておけば失敗しないのに、なぜか自分は優れていると思い込んで自己流のアレンジを加えてしまう。そのアレンジが理屈に合わない無茶なものであった場合、論理的な復元が不可能ということだ。
単に「無理」といわれるよりも、筋道立てた説明のほうが納得して落胆できる。まあ「落胆」に納得するのも変だけれど。
「帰還のための技術的な問題は一先理解できたかしら?」
これらの説明におそらく嘘はないだろう。
「帰れない前提で話をされる意味がわかりました。それから帰ることができても時間が掛かることも」
長い時間を過ごしたら情に絆されてしまいそうだ。例の「協力」の話が頭をよぎる。
だがリリは、そんな柚希の考えを読んだかのように言った。
「大方『被害者の権利が』なんて言われたんでしょう? でも、そんなのあなたが帰れたら関係ないことよ」
メレディスのところでの長い話を一言でバッサリだ。
「確かに現状に満足しているわけじゃないけれど、あなたを巻き込んだら召喚生物を実験に流用している研究者と大差ない気もするわ」
目的のために本来は保護すべき被害者を好き勝手に利用しているのだから、そう苦々しく言い放つ。しかし現状では本部と距離を置き過ぎたため、地道な政治的働きかけでは効果的な方策を打つには時間と手間がかかりすぎる。
「無理強いはできない。でも私たちにとってあなたが強力な切り札に見えているのは確かなの。実験材料として軽々しく扱うには憚られるような知的な存在として」
「あまりこちらの事情を理解していないので、求められている役目を演じられるかどうかは分かりません。人形のように操られろというのなら別ですが」
柚希が口を挟むとリリは少し複雑な表情をした。
「嘘が通用するのならそれでやり過ごすこともできるけれど、あなたの場合は考えて答えに到達してしまうでしょう? ならば理解して行動してくれたほうがありがたいわね」
ただし覚悟が必要。足を踏み入れれば途中で投げ出すことはできない。そして時には命を狙われる危険もあるからと。
「どこも綺麗事ばかりじゃない。研究所だって派閥争いや成果を焦る研究員なんかで本音と建前が入り乱れているの。私たちは違法召喚を取り締まるために法律成立に尽力はしたけれど、そのせいで逆に珍しい召喚生物が研究所に集まる状況を作りだしてしまったわ。今すぐにあなたを帰せればいいのに──」
最後の一言が本音であろう。切り札であると同時に保護の必要な被害者として柚希の扱いには慎重にならざるをえないという意味で。
「だからといって保護しないわけにもいかない。本来はこの世界の住人じゃないのだもの、こちらの常識がわからなくて事件や問題を起こしたりもする。そうした出来事で被害を受けた経験がある人たちは召喚生物と聞いただけで敵意をむき出しにすることも多いわ」
犬に噛まれて、犬を恐れる。躾が行き届いて噛まない犬がそこにいても、犬嫌いの人間にとってはどれも同類。
「生活のための知識をつければ、どこかで下働きでもして生きていけるんじゃないかと思っていました。でも召喚された生き物全体がそういうふうに思われているんですね」
遅ればせながら権利だとか状況改善という言葉の中身を知る。このまま帰れないと決定した時には柚希は研究材料、あるいは差別対象なのだ。「ごく普通の生活」を望んだとしても困難が伴うだろう。
もしもの時には衣食住に困らなければいい、それがかなり甘い見通しだったことが分かる。それ以上が欲しかったら声を上げなくてはいけない。だからといって何をどう変えてゆくのか。
元の世界にいるときにはただ目前の課題をこなしてゆくだけだったのだ。勉強し、試験に立ち向かい、目指す学校に入る。容易なことではないが、それは自分自身が上に登るための努力で社会全体を変えるものではない──。
「泣いてもいいのよ?」
物思いに入り込んでいるとリリの声。
「泣くのが前提なんですか?」
確かに前日は泣いた。そういえば直前にもメレディスに「泣かない」と不思議がられていた記憶があるが、もしかして彼女は泣き虫キャラだと認識されてしまったのか。
「だって子供なんでしょ?」
今まで子供扱いだったらしい。薄々とそんな予想はしていた。日本人の女子としては平均よりも身長が低めだったから、身長の高い人が多いこちらではもっと小さく見えていたのだろう。
「十九歳です。元の世界では二十歳が成人年齢で、身体はこれ以上あまり成長しません」
特に身長に対してコンプレックスは感じていなかったが、ここまで露骨に子供扱いでは自分がもう少し大人であることを主張したくなる。といっても未成年であることには間違いないのだけれど。
「一つ違い──」
変な方向から声が上がった。
見ればこれまでただ黙って聞いていただけのレリスが言葉の途中で絶句している。「一つ違い」とはどういう意味か、何故そこで無言になるのか、そんなに見た目が子供すぎるのか。
リリが高らかに笑い声を上げた。
「こちらの成人年齢は十六歳よ。あなたの歳なら結婚して子供の一人や二人いてもおかしくないもの」
もちろん一年の日数が違えば誤差もあるだろう。だが二人のおかしな反応の原因は多分、こんなチビっ子がこちらの基準では立派な大人だという意味での驚きで──。
「結婚や恋人や、そういう相手はいませんでした。えっと……」
リリの言葉に反応して自分のプライベート情報をつい漏らしてしまう。しかし彼氏がいないなんてことをここで言う必要がないことに気づいた時には手遅れだった。
頭の黒い猫が笑っている。
「よかったわね、見込みあるわよ?」
何の見込みか? 言葉の意味を図りかね彼女の視線をたどるとレリスが赤くなっていた。




