15. 普通
悪いことを企む、言葉こそ物騒だけれどノヴァの口調から考えるに二人で協力やら政治やらの続きをするのだろう。どの辺りから柚希とメレディスの話を聞いていたのかは不明だが、あれを「議論」と呼んだのだから妙な期待をされてしまっているのに違いない。
そう推測をしながら見送っていると、同じように廊下に取り残されていたレリスが近づいてきて持ち場に帰るために別れの挨拶を告げた。
「じゃあ僕は戻るよ、またね」
「お手間を取らせてしまって。ありがとうございました」
頭を下げて柚希は礼を言う。単に書類を届けるだけの仕事だったらしいのを、寄り道や行き違いで今まで邪魔立てしてしまったのだ。
しかしそのやり取りをリリが見咎めた。
「戻っては駄目よ。今日は私たちに付き合いなさい」
「えっ、仕事が──」
引き止められたレリスが慌てる。
「どうせ待ってるのは書類でしょ? そんなの他の誰かが片付けてくれるわよ。それにあなただって仕事途中のはずなのにこの子を勝手に連れ歩いたのだから。今さら無関係なんて言わせない」
堰を切ったかのような啖呵の数々。言葉をぶつけられているレリスが答えを返す僅かな隙もない。
「せっかくだから昨日あなたたちが説明をこちらに丸投げした分、余分な仕事をしてもらうわ。出向といっても籍はまだこちらにあるの」
言いながらリリは傍観している柚希へと視線を向ける。
「それよりもこの子の言葉を何とかしたのはあなたでしょう? あの魔法は時間制限があるはずだから、明日以降どうするか検討する必要があるわ。毎日魔法をかけ直しにきても良いけれど、手間を考えたら現実的ではないもの」
そういえば言葉の問題があるのだ。話が込み入ってきて難しい単語が混じってくると忘れがちになるが、魔法のない状態では挨拶すらも儘ならないはずだ。魔法がなければ真っ当に言葉を覚えねばならず、その手間をかけてもらえるのかどうかもわからない。その上もし教えを受けるとなれば、その見返りとして例の話を突き付けられそうで──。
そんなことをつらつらと考えていると、気づけばリリもレリスも黙って柚希の方を見つめていた。その視線に驚いていると、リリが首を傾げながら口を開いた。
「そうやって黙って考えこんでしまう。だから掴みどころがない印象が強いのね」
「掴みどころですか?」
どういう意味なのか。
「静かすぎて何を考えているのかわからないのよ。不安で声も出せないのかと思っていれば話し出すと時々鋭いことを言うし。それでどう扱っていいのか迷ってしまう」
言葉を選んでいるのかしばらく無言でリリは柚希の顔を眺める。
「何をどう訊いたらいいのかしら」
「事情聴取の延長ですか?」
訊けばその通りだというように頷く。こちらの反応を知りたいというところか。だが探られるように観察されるより、こうして面と向かって「知りたい」と宣言されたほうが我慢できる。
「構いませんが、私みたいな存在は珍しいのでしょうか?」
「そうね、珍しいというよりは特別な感じかしら。あなたの場合は待っている時にきちんと指示に従って、妙に行儀が良かったから私たちの興味を惹いたのよ」
そういえば逆らうことなど思いもしなかった気がする。でも、そんな些細な事が他とは違うことだとは。
「こちらがあなたを観察しているのに、逆に探られているような感じがしたわね」
同じ居心地の悪さを相手も感じていたらしい。
そのことに対して物思いに沈んでいると。
「また黙りこんでいる」
異常な事態にずっと観察と推測を繰り返していたけれど、それが用心深い印象と受け取られていたのだろうか。
「嘘が通用しない気がするのね。だからどう説明すれば適切なのか考えすぎてしまったみたい」
専門の部署を作るぐらいだから違法召喚が少ないはずはない。なのに周囲の対応を見る限り、柚希に関しては腫れ物にさわるような扱いをしているように感じられた。その理由が沈黙して考え込む態度だったということだろうか。
「こうやって収容される他の召喚被害者はもっと大きく違うのでしょうか?」
「違うというよりはまず意思疎通が測れないことが大部分よ。言葉が通じたとしても、自分たちが住んでいる場所とは次元の違う世界があることを最初は理解できないもの」
しかし彼らに対しての説明の必要はないのだという。通常はもっと否応なしに状況を納得することになるからとリリは付け加えた。
「扱う機会の多い被害者の大半は妖精と獣人ね。その二種類は保護事例が多いから対処法が決まっているの」
妖精は魔法に特化しており、獣人は体力に優れた種族だと説明される。その長所を生かして暴れられれば被害につながるため、違法集団は魔法や動きを封じる魔法を召喚直後に施すことが多い。そのために保護される頃にはそれらの被害者はすでに自分の置かれた状況を思い知らされているので、わざわざ説明する必要もないのだという。
「そうやって抵抗する力を奪われてしまった被害者が、こちらを簡単に信用するはずないもの。そうなると然るべき施設に一旦収容して怒りが冷めるのを待つしかないわ」
通常は怒りを解し説明を受け入れられるようになるまで時間を置くことになる。
「あなたのように特別な処置もされない状態で召喚直後に保護される例は珍しいの。第一印象は大事よね」
気づいたらここにいた。この世界についての情報を何一つ刻みつけられていない真っ更な存在にかけるべき最初の言葉。たしかに悩むべきことである。
だからほとんど説明のない状態でさえ召喚魔法という言葉にたどり着いた彼女に驚いているのだという。しかもそれが魔法のない世界の住人だということも驚きに拍車をかけている。
「そういう小説があるんです、魔法で異世界へ呼び出されてって。あ、小説って想像で書かれた事実じゃない物語のことです」
種明かしのように「小説」という単語を持ち出す。ある意味でイメージ・トレーニングのようなものだ。しかし実際の召喚では勇者でも巫女でもなく被害者扱いだけれど。
「普通に出回っているもので、特別なものでは──」
「楽しみのための印刷物が出回っている文化は特別でしょう?」
小さく、だからあの好奇心なのかとつぶやく。
「ともかく一度その点については話し合う必要はあるわね。あなたの言う『普通』と、私たちの考えている『普通』は違うものだと思う」
再び考え込むリリ。
理解し合えそうで肝心の一点で歩み寄れない、そんなもどかしさがしつこく残る。
「こんなところで長話していては……。個室を用意する指示が出ていたと思うんですけど」
廊下にとどまったままの会話にレリスが痺れを切らしたらしい。ノヴァに命じられたことを持ちだしてリリに思い出させようとした。
「たしかにここでは良くないわ」
意識は指示の方には向かっていない。
「落ち着いて話せる場所。そうね、中庭に行くわよ。見せたいものもあるし」
窓の方を向いての猫の微笑み。だが、ノヴァの笑みが玩具を見つけて遠くから狙いを澄ましている時の猫だとすれば、リリのそれはかまって欲しくて人間の膝に爪を引っ掛けながらよじ登る猫である。
返事も待たずリリは歩き出した。
「勝手に彼女を連れ歩いたら──」
すぐにレリスが後を追う。柚希も一人だけ置いて行かれたくなくて二人に従った。
「良いんですか。私は収容されている立場なんでしょう?」
「あなたに対しての直接の権限は私にあるのよ」
そう言って舌を噛みそうなほど長い肩書きを口にした。王立魔法研究所フィリーハ支局・召喚生物管理部部長。フィリーハというのはこの施設のある街の名前だという。
「立派な役職名のくせに担当職員は私だけ。部長というのも職員一人しかいないから便宜的なものね」
電話番一人しかいない地方にある中小企業の出張所で所長と呼ばれているようなものかもしれない。なんというか……、とても衝撃的だ。
前日はしっかりと確認していなかったが、廊下は片側が採光用の窓だった。その外側に樹や花が植えられた庭園となっている。そこへと向かう扉を開け、中央の開けた場所へ。
両腕で抱えるほどの太さの樹々が何本も植えられ、覆い尽くす枝葉が空を遮っている。しかし不思議と地面に影は差さず日当たりのように明るい。木漏れ日というのでもない、見あげれば樹の葉そのものが燐光を放っていた。
「驚いた? この樹は光るの」
別の異世界では聖樹とされている植物らしい。この世界に持ち込まれた経緯は不明だが、光る性質を利用して照明代わりにされているのだという。地脈や空気から効率よく魔力を合成する仕組みがあり、それを用いて魔物を退ける力があるとか。
「ここでは魔物がいないから効果は不明よ。でも光ると同時に放出している魔力で害虫がつきにくいのは確かね」
聖なる力が害虫除けとはなんとも乱暴な発言である。しかしふわふわとした眠気を誘うような淡い光に、気が遠くなるような魅力を感じるのは間違いない。それが初めて見る植物への物珍しさなのか、あるいは元々の世界では縁のなかった魔力の効果なのかは判別がつかないが。
ともあれ、廊下で感じた照明設備に関しての疑問が解決されて感心していると、リリが言葉を継ぎ足してくる。
「異世界の生物といっても、動物ばかりではないわ。こういった植物もここに持ち込まれる。聖樹は役に立つ樹だからこうして栽培をしているけれど、害になる植物もあるわ。そうしたものが召喚現場に放置されて異常繁殖することもあるから、その対策のために採集した植物は性質を調べる必要があるの」
見れば中庭のあちこちが升目のように区切られて畑のようになっている箇所がある。そこに一つ一つに分類されるように何種類かの植物が栽培されていた。それら植物は派手な見た目のものもあったが、多くは雑草と見間違うような地味なものである。
こうやって植物すらも収容されるのかと興味深く感じていると、リリが一言。
「栽培はされているけれど外へは持ち出せない。ある意味、ここの植物もあなたと同じ立場ね」




