11. 心馳
騎士団内の一部署であっても召喚魔法対策課は少し特殊な立場にある。創設目的が違法召喚と召喚生物への対応のため、その方面の専門家つまり魔術師を多く採用する必要があるが、そうした人員は大抵は魔術研究所に所属している。組織の垣根を解消するため名目上「出向」という形を取るが、出向を命じられる人員に関しては研究所の意向が強い。その結果、騎士であっても実質的な責任者は研究所の幹部が務める例外的な組織構成となっていた。
通常、そうした異質な組織二つにまたがる団体が問題なくまとまることは非常に難しいものだが、第二隊に関しては奇跡のバランスが成立していた。隊内の実務を隊長のベルクトが仕切り、研究所本部との対応をノヴァが受け持ち、そこへ騎士団本部との調整役として副隊長のアリオールが加わり、そうやって実務をこなしてゆくことで研究所にも騎士団にも不服を出させない仕事ぶりを実現している。
それゆえに外部からは非常に優秀な隊であると見做されていた。事実、副隊長アリオールによる意見書や推薦状は、隊員が第二隊から他へと異動する際に絶大な威力を発揮する。それら書類目当てに入隊希望者が後を絶たないが、だからこそ隊内部における書類の扱いは、ミスや偽造の危険を防ぐために厳密を極めることとなった。
新人ながらもレリスは隊内で書類作成を任される数少ない人員である。魔術師故か教育の賜物か、彼が書く文字の読みやすいことが評価され現時点で書類形式を一通り叩きこまれている最中だが、簡単なものであれば一から作成できる。しかし特別な場合に必要な複雑な形式はまだ指導を受けながらでないと作成できないため、そのつど指導を受けつつ覚えている最中だ。
そして、昨日のような突入作戦で必要な書類の作成が初めての場合こそ新しい書類形式を叩き込まれるタイミングである。朝から指導係であるアリオールに見張られながら、大量の書類を書き上げてゆく。それらが完成するとレリスは新しい仕事の習得に大きな満足感を感じた。
たとえ大きな仕事の後であっても夜が明ければ通常の業務が待っている。特別なことと普通が繰り返すうちに、徐々に仕事に慣れていくのだ。そうやって一段階ずつ自分が成長し、やがて一人前になるのだと思うと、山となった書類が誇らしくなる。
しかし書類を書き上げただけでは仕事が完了するわけではない。すぐに書類を抱えレリスは研究所の支局長室の方へと向かった。
長い廊下の角を曲がると、所在無さげにしている人物を見つける。研究所の制服を着た小柄なその人物が昨日の彼女であることにすぐ気付いた。名前も知らない、そのうちに本部にでも引き渡されてしまえば二度と顔を見ることもなくなる相手である。
しかし落ち着きなくグルグルとその場で歩き回っている彼女を見ていたら、何となく放ってはおけない気持ちになった。その場からあまり遠くまで動かないのは待つように言われたからだろうが、そろそろ我慢の限界近くだと推測する。
支局長室までの道のりはその方向なので、途中で彼女とすれ違う。その時に声でも掛けようかと思ったが、前日かけた言語魔法の継続時間のことが気になった。おそらく今頃は効果が切れている。
一度確認してからかけ直そう、そう決めて彼女の方へと歩いて行った。
長い廊下に特に視界を遮るものはないので、すぐに彼女はこちらの存在を見つけたようだ。「おはよう」と声をかけたが、何を言われたかわからないという表情をする。
一旦、持っていた書類を足元に置き、素早く魔法を組み立てた。発動させて相手の額に触れる。
身体に触れられることで相手が驚いた表情をした。だが劇的というわけではない、少し戸惑ったような顔である。
「言語魔法をかけ直したんだけれど」
安心させるように微笑みかけながら、説明する。だが彼女はまだ怪訝そうだった。
「言葉が分かるようになる魔法だよ。確かめればわかるけれど、口の動きと聞こえる言葉が違うはず」
そう言うと「なるほど」という表情をした。すぐに横を向き、小声で「あーあー」と言い始める。しかし自分の口では確認できないとすぐに気付いたようで、小首を傾げて考えだした。
その様子を面白がって見つめていると、視線に気付いたようで「あっ」と恥ずかしげに小さな声を上げるのが聞こえた。
「探究心は大事だと思うし。見てて」
笑い出しそうなのを我慢して自らの口元を示した。
「『こんにちは、今日はいい天気ですね』 ね、分かった?」
「本当だ」
見つめられる視線にこそばゆさを感じるものの、表情の和らぐ相手に安心もする。おどおどしているよりも女の子はやっぱり笑っている方がいい。
「あの、ありがとうございます」
思い出したかのように感謝の言葉。しかしレリスはそれを制した。
「うちの隊長の信念なんだ。『女性と子どもには親切に。泣かせたら承知しない』って」
騎士の仕事は治安維持の仕事がほとんどで、いつもならば捕縛した犯罪者の怒声を浴びせられることばかりだと先輩隊員がぼやいていた。こんなふうにごく普通の素直な感謝を向けられることには慣れていない。
照れながら仕事の途中だと説明し、置いた書類を拾い上げた。
「これを支局長室まで持って行かないと──」
「支局長室ですかっ!」
急に大声を上げる。だがすぐに大声を恥ずかしく思ったのか顔を伏せた。
「一緒について行ってもいいですか? 待っていても誰も来ないので」
考えてみればまだ午前中とはいえ、レリス自身は大量の書類仕事を済ませてきた後なのだ。それぐらいの時間を目前の相手は放置されていたのだと考えると──。
そうか不安だろうな。
その様子も彼女の身に起きたことを考えれば仕方ないだろう。知らない土地に一人で、これからの扱いも未定。言葉はかろうじて通じるが魔法頼りだ。先程までのやり取りから彼女がそうした魔法の存在を知らなかったのは明らかである。他にもこちらの常識が通じないことがたくさんあるに違いない。
「良いよ、付いてきて」
完全に自己判断だが、別に禁じられていないのだと思い直す。前日に大人しく指示に従っていた様子を知っているので予想外の行動はしないだろう。
「よかった」
目に見えてほっとした表情になったのを見てレリスは少し安心した。
歩き出しながら召喚の様子を思い出す。違法集団の最後の博打。あれは捕縛間際の一発逆転を狙ったものだったが、阻止できずに召喚は為されてしまった。もう少し早く捕縛が済めば召喚そのものが中断されていただろう。
その時に考えられる最善を尽くしたつもりだが、もっと自分に経験があったら召喚は阻止できたのかもしれない。そう思うと後を追う彼女に申し訳なく思えてきて。
「ごめんね」
思わず口から言葉がこぼれていた。
振り返ると、何を謝られているのか分からないといった表情。
「僕は現場にいたんだ。召喚を止められたかもしれないのに力不足だったから」
泣き出すか、こちらを詰るか。関係者が優秀であれば、そもそもこんな事態に巻き込まれることがなかったと知ればそういう反応が返ってきてもおかしくない。
しかし返ってきたのは意外な答えだった。
「起きてしまったことは変えられないですよね?」
急に大人びた表情に変化して言う。
「昨日聞きました。帰れるかもしれないし無理かもしれないって」
破損した魔法陣で帰ることは出来ないが、だからといって代わりの魔法陣を組み立てられるかどうか。それはこれからの調査次第である。そのことを彼女はすでに聞いたらしい。
「でもそれが分かるまで時間がかかりそうだし。だったら少しでも気持ちの準備をしておいたほうがいいと思って」
気丈だな。
待っていた間にずっと考えていたのだろう。存外しっかりとしている。
「私、おかしなことを言いましたか?」
レリスが黙り込んだことを気にして訊いてくる。一旦引っ込んだはずの不安が再び彼女のもとに舞い戻っていた。
「おかしくないよ。でも、先のことがわからないって不安だよね」
そうぽつりと呟くと、小さく頷いた。
その心細げな表情に無闇と心がざわつく。放ってはおけないが、騎士として日常業務が別にあるレリスでは彼女を支えるのは難しいだろう。
だが、彼女には味方が必要だ。




