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10. 標本

「結局、いまだに私たちはあの子の名前も知らないわけね」

支局長室でリリはノヴァに対して文句を言った。


昨夜の口論は深夜にまでおよび、決着のつかぬままメレディスが部屋を飛び出していったことで終わった。同時にメレディスが召喚された彼女の名前を書き付けた紙を持ち帰ってしまったため、二人は彼女の名前を知る(すべ)を失っていたのである。


「でも本部に対して報告が遅れる理由にはなるよね。今回のこの件に関しては僕はゆっくり仕事をすることにしたんだ」

そういってノヴァはリリへと一枚の紙を渡す。縁取りに特徴的な模様の入った研究所本部からの指示書である。


「今朝一番に送られてきたよ。指示書一枚にあの燃費の悪い転送機を使うんだから本部の連中がどれだけ色めき立っているか分かるってものだ」

「これは──」

指示書には召喚生物について大至急調査して報告すべき項目が羅列(られつ)してあった。大部分は身長体重などの体型的特徴を問うものであったが、なぜか繁殖能力の部分に下線が引かれて強調してある。


「そういうのに執着している一派がいるんだ。野菜や家畜の品種改良みたいなことを考えている連中だよ」

「召喚被害者をなんだと思ってるの。これじゃ違法召喚に手を染める奴らとやってることは変わらないわっ!!」

「うん、僕もそう思う。だから彼女を保護したのがこちらだったのは幸運だったんじゃないかな? 少なくとも説明もなしに実験動物扱いはしないから」


報告書の提出を求められているということは、その後に彼女の身柄の引渡しを想定しているのだろう。だが本部での派閥争いを考えると、あまり快適な扱いは期待できない。業績を焦る一派であれば、彼女の意志など関係なく無理を強いる危険もある。


元々そのような無体を防止するための保護法だったはずが、召喚魔法実施そのものの減少により絶対数の減った召喚生物を合法的に研究所へと集めるための方便となっていることは皮肉なことだった。


それでもまだ本来の理念通りに生命や意志を尊重して保護がなされれば救いがあるとも言える。しかし研究者たちの知識欲はしばしばその理念をないがしろにした。


法律が成立して以降おおっぴらに召喚実験ができなくなったため、摘発によって収容された召喚生物を研究材料に流用することは半ば公然と行われている。そうした流用は召喚に関わる二つの法の趣旨から照らしあわせると非常に問題の大きい行為であるが、興味深い素材を目前にした研究者たちの好奇心を完全には制御することはできない。


結果として闇で高額で取引されるか、あるいは保護という美名で研究所に引き取られるかの違い程度で、召喚生物の多くは特別な用途に用いられ続けているのが実情だ。むしろ公の機関が大義名分を掲げている分、研究所のほうが(たち)が悪い。


「向こうは『面白い標本』だとしか思っていないんだろうけれど、自分がどういう目で見られているかを彼女が知ったらかなり傷付くんじゃないかな。さすがにこのことは僕らから彼女に話すわけにはいかないよ」

ただでさえ被害者なのである。その上、繁殖能力を求められていることなど若い女性に伝えられるはずがない。世の中には真実であっても知らないほうが良いことがあるのだ。


「それにしても、よく『繁殖』なんて言葉が出てくるものね、本部も」

半ばあきれながらリリが言う。

「彼らは彼女の外見がこっちの人間とあまり違わないのを知らないんだ。おそらく獣人や妖精みたいなものだと考えているんだろうね。食料や魔力を充分に与えて縛っておけば大人しく言うことを聞くような生き物なんだろうと」


「閉じ込めて生かし続けることが保護というわけじゃないのに」

「分かってる。管理できるつもりでも、予定外のことが起きて被害が出ることは何度も経験してきたじゃないか。でも過去にそうしたことがあったからこそ僕らは現状を変える努力を始めたはずだよ」


そもそも法律が必要となった背景には、まず不法に放棄される召喚生物の激増の問題があった。

異世界召喚が最も横行した時期には、短期間に数多くの妖精族が召喚された事例がある。見目麗しく、快楽を魔力に変換して食らう妖精族が一時期、夜の接待業で人気を博していたためであるが、その結末は非常に悲惨なものであった。


いくら人気があったとはいえ、どこでも妖精族ばかりでは物珍しさは薄れてしまう。

やがて市場価値を失った妖精族が辻々に放棄されるのにそれほどの時間はかからなかった。野良(のら)化した妖精族は活動に必要な魔力を得るため手当たり次第に生物を襲うようになる。その被害を防ぐため妖精狩りが繰り返されたのだが、いまだ完全に野良妖精がいなくなる気配はない。


「無闇に召喚しておいて、管理しきれないものを捨ててしまう人間がいけないんだけどね。でも法律成立以降、一部の研究を不可能にしてしまったせいで僕はかなり恨まれるようになったから」

召喚魔法を巡る諸々(もろもろ)は根の深い問題を伴っている。


「だけど実際に彼女を見ると法整備は無駄じゃなかったと思うよ。人種的な差や文明の違いは考慮しなくちゃいけないけれど、少なくともあの子にはしっかりとした知性は感じるし、こちらの事情を理解できる柔軟さもあるようだ」

こと問いたげな表情をしながらも、説明を開始するまでは大人しく待っていた様子を思いだす。そして聞き捨てならない言葉尻を捕らえてのいくつかの質問。小柄な体型なので幼いのではないかと思っていたが、彼女の知性を見ぬくという点においてはメレディスのほうが本質をついていたらしい。


「でもメレディスにとっては彼女は別の意味で『面白い標本』なんだろう。言葉の違いに食いついていたよ」

「専門分野だから? 興味の持ち方としては理解しやすいわね」


文字文化のある世界からの知的生物の召喚だ。書物と書類と効率にしか興味を持たない男が、異世界の文字を目にした途端に滅多に見せない人間に対しての好奇心をのぞかせた瞬間を二人は見逃してはいない。それがあまりに薄い反応だったとしても付き合いが長い分、強く印象に残っていた。

その時のことを二人ともが思い出し、会話が途切れる。


長い沈黙の後、ノヴァは発端となった指示書をつまみ上げた。

「僕も君もこの指示書の内容が気に食わないという点では意見が一致しているということでいいね。じゃあこれを無視するための理由を考えないと」


額を揉みながらノヴァは知恵を絞り、思いつきを口にする。

「処理すべき書類が大量すぎてどこかに(まぎ)れてしまったことにしよう。それで僕らが見る前に廃棄文書行きになってしまったんだ」


そう言うとノヴァは問題の指示書をダーツ矢の形に折り、壁へと向けて放った。そこには下手くそな手跡で(ゆが)んだ円形の(まと)が描かれている。真っ直ぐに飛んでいった矢はそこに命中すると、その下に置かれたゴミ箱の中へと収まった。


「さて、つまらない書類は僕の不注意で紛失してしまったわけだが。うちとしての今後の方針を決めてしまわないとね」

まっさらな紙を取り出して、そこへ箇条書きでいくつかの項目を書き加えてゆく。その動作にほとんど(よど)みがないところを見ると基本方針は最初から決まっていたらしい。


「彼女を帰すのが最優先で、それまでの時間を本部からの要求をどうやって(かわ)すか。こういう仕事のために偉くなろうと決めたのに、現実に機会が巡ってくる度に悩むものだね」


いくら支局での裁量権があるとはいえ本部指示は無視し続けることの出来るものではない。考えられる想定をいくつか挙げながら、それごとに対応を決めていく。


しばらくそれを続けた後、用意した紙が隙間なくびっしりと書付で埋まるとようやく顔を上げる

「結局、また無理なことを引き受けることになるね。さあ彼女を連れてきてくれるかな?」

そう言ってノヴァは口元に猫じみた笑みを浮かべた。


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別ページに番外短篇集を投稿しています
『I've been summoned.』 番外短篇集
都合により本編に入れられなかったエピソードなど収納しています




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