第97話 挑む弟子、祈る師匠
「ナナさん、僕は言いましたよね? 『やり過ぎないでください』って」
僕の目の前で正座するナナさん。顔色が悪いが、今回は無視。
「あの、ハルカ。わざとじゃないんだよ。そのあれだよ、その場のノリっていうか、久しぶりに楽しくなってさ。そりゃ、やり過ぎたとは私も思う…けど……」
ナナさんは一応、反論するものの、僕の顔を見ると次第に言葉が尻すぼみに。何ですか、そんなに僕の顔が怖いとでも? 笑顔を浮かべているんですけど?
「実際、怖いですよ。なまじ笑顔な分、余計に」
ナナさんの横で同じく正座中の竜胆さん。失礼な事を言わないでください。というか、貴女もナナさんと同罪ですからね。全く、何て事をしてくれたんですか!
「大体、そんなに怒る様な事ですか? 貴女方は、『こういう事態』も想定してここに来たのでしょう?」
竜胆さんはナナさんと違い、全く悪びれもせず、しれっと言う。
「確かにそうですけどね! 危うく僕達まで巻き込まれる所でしたよ! ちょっとは反省してください! 辺り一面、焦土になってしまいましたよ! 大惨事じゃないですか!」
元々は都市部の廃墟であり、ビルやら何やらの廃墟が建ち並んでいた景色は、今や何も無い焦土が広がるばかり。無人の世界だから良かったものの、もしこれが、普通に都市部で起きたら、大惨事どころじゃない。トップニュース間違いなしだよ、悪い意味で。
朝ごはんの後に始まった、ナナさん対、竜胆さんの模擬戦という名の戦い。爆発が起きる、辺り一面に無数のトゲが生える等、どんどん過激になっていき、最後は空中から無数の赤い光の槍が現れ、相対するように、巨大な紫の光の玉が出現。離れた所で稽古をしていた僕達だけど、これを見て、即座にその場から逃げ出した!
直後、赤い光の槍が雨霰と降り注ぎ、紫の光の玉が炸裂、紫の雷を撒き散らし、両者が激突した結果、大爆発が発生。ファムさんが結界で僕達を包み、更に僕をクローネさんが、ミルフィーユさんをエスプレッソさんが庇ってくれたものの、直後に凄まじい衝撃と閃光が起き、結界ごと吹き飛ばされてしまった。
気が付けば、僕は1人、海に浮かんでいた。都市部にいたはずがこんな所まで吹き飛ばされてしまうなんて……。ナナさんと竜胆さんの激突の威力の凄まじさに改めて、背筋が寒くなる。ファムさんの結界とクローネさんに守られたとはいえ、よく生きていたなぁ。幸い、特にケガは無く、とりあえず、空中に上がる。濡れっぱなしは嫌だし。
「他のみんなはどうしたのかな? 無事だと良いけど」
姿の見えない他の人達を案じ、念話で連絡を取ってみる。しばらくすると、ファムさんから返事が来た。それからクローネさんから返事。エスプレッソさんとミルフィーユさんからも返事が来て、全員の無事を確認。
その後、合流して帰ってきたんだけど、その惨状にびっくり。廃墟の都市部がきれいに無くなっていた。そして、倒れている竜胆さんを踏みつけて勝利のポーズを取るナナさんを発見。
とりあえず、ナナさんにローリングソバットを入れた僕は悪くない。
そんな訳で本来なら、ナナさんの後にエスプレッソさんと竜胆さんの模擬戦にするはずだったのを予定変更し、ナナさんと竜胆さんへのお仕置きタイムに。正直、エスプレッソさんには申し訳ない事をしてしまった。でも、信賞必罰は迅速にしなくてはならない。これは昔から変わらない。称賛は時間が経つとありがたみが無くなるし、罰も時間が経つと反省しない。
しかし、いつまでも続けている訳にもいかない。お昼時でお腹も空いたし、午後の予定も有る。切り上げ時だね。
「ちゃんと反省してくださいね。それじゃ、そろそろお昼にしましょう。でも食材が無いですから、ナナさん、よろしくお願いします」
「ふぅ……やっと終わった……。うっ、足がチクチクする……。分かった、出してやるよ。ほら、受け取りな」
お仕置きタイムが終わり、やっと足を伸ばせるナナさん。長時間、正座をした後の、あの独特のチクチクした痛さは辛いよね。
ナナさんも痛みに顔をしかめながらも、空中からパック入りのゼリーを人数分、出してくれる。
「情けない、たかが2時間程度の正座で音を上げるとは」
一方、同じく正座していたはずの竜胆さんは特に堪えた様子も無く、涼しい顔。凄いな。
さて、ナナさん特製のこれは、必要な栄養が全て取れる完全栄養食。味もなかなか。ちなみに僕はリンゴ味がお気に入り。そして受け取ったパック入りゼリーをみんなに配る。
こうして始まる侘しいお昼。みんな、すぐに済ませてしまう。まぁ、時間を掛けずに素早く栄養補給する為の物だしね。それに、ナナさん曰く、これから行う儀式に備えて固形物は食べない方が良いらしいし。そう、『根源の型』を知るという大事な儀式に備えて。
「ハルカ、ミルフィーユ。2人共、準備は良いかい?」
「はい、大丈夫です」
「私も大丈夫ですわ」
ここはナナさんの携帯式個室。2つのベッドが用意され、1つは僕、もう1つはミルフィーユさんが横になっていた。『根源の型』を知る為の儀式を始める為に。現在、部屋にいるのは儀式を受ける僕とミルフィーユさん。儀式の実行係にして僕の付き添いのナナさん。ミルフィーユさんの付き添いのエスプレッソさんの4人。
ナナさんの話によると、自分の精神世界に潜り、その奥深くまで行かなくてはならないそうだ。ただ、精神世界とはとても不安定でデリケートな世界。ちょっとした事がそのまま命取りになると。でも、避けては通れない。更なる高みへと進む為に。
「よし、じゃあ、そろそろ始めるよ。良いかい? 必ず帰っておいで。あんたに死なれちゃ、色々困るからね」
「はい、ナナさん」
「それでは行ってきますわ、エスプレッソ。私達が帰ってきたら、お茶にしますので、ちゃんと準備をしておきなさい」
「は、しかとご用命承りました。それでは行ってらっしゃいませ、ミルフィーユお嬢様」
精神世界への出発を目前に、僕はナナさんと。ミルフィーユさんはエスプレッソさんと言葉を交わす。もしかしたら、死ぬかもしれない危険な儀式。死ぬ気は無いけど、どうなるかは分からないからね。普段は皮肉屋のエスプレッソさんも、今回は一切、皮肉、嫌味を言わない。
「一応、命綱は用意したけど、絶対じゃない。一端、精神世界に入ったら、現実世界の私達は基本的に干渉出来ないからね。頼れるのは自分だけだよ。生きて帰れるか、死ぬかは、あんた達次第」
ナナさんはもしもの事態に備え、僕の右手首に赤い糸を括りつけ、もう片方を自分の右手首に括りつけていた。いざという時、緊急脱出させる物だそうだ。ミルフィーユさんとエスプレッソさんも同様にしている。ただし、絶対の安全を保証する物ではないらしい。
「それじゃ、さっさと寝な。そうすりゃ自動的に精神世界に行ける。……死ぬんじゃないよ!」
「はい!」
「行ってきますわ、ナナ様、エスプレッソ」
いよいよ精神世界に出発。僕はベッドに仰向けに寝て目を閉じる。すると、急激に眠くなっていく……。
………………ふと、気付けば、知らない場所にいた。雪の降り積もる雪原に。周りを見渡すけど、誰もいない。と、ここで自分の格好に気付いた。うわ! 何も着てない! 僕は全裸で雪原の真っ只中にいた。今は吹雪いていないけど、このままじゃ凍死してしまう。慌てて亜空間から予備のメイド服を出そうとするけど、出ない。
「そんな! どうして服が出せないの?!」
普段ならあり得ない事態にパニック寸前。でも、ここで思い出した。そうだ、僕は自分の精神世界へと来たんだった。ならば、亜空間から物を出せないのも当然。
「出せなくて当たり前だよね。ここは精神世界。要は夢の中。とりあえず、落ち着こう僕。はい、深呼吸。冷静に冷静に。クールダウン、クールダウン」
精神世界で深呼吸というのも変だけど、今はとにかく落ち着かなきゃ。深呼吸をしながら、落ち着くべく自己暗示。しばらく続けていたら、何とか気分が落ち着いてきた。とりあえず、今の自分の置かれた状況を把握しなきゃ。
「鏡が無いから、顔は分からないけど、髪の毛や、身体を見るに普段の姿だろうと思う。後、裸だけど寒くないね」
肩から流れる長い銀髪。更に今や見慣れた女の身体。その事から、普段の姿だろうと予想を立てる。後、精神世界なせいか、全裸で雪原にいるのに寒くない。これはありがたい。現実世界なら、凍死している所だよ。この分だと、お腹も空かないし、眠くもならないと予想。でもね、困った事も有る。
「どこに行けば良いんだろう? ナナさんは奥深くに行けって言ってたけど、そもそも、どっちが奥なのか分からないよ」
そう、自分の行くべき方向が分からない。何せ、地図もナビも行き先案内の看板も何も無いからね。
これがゲームなら、王様なり、賢者なり、主人公に行き先を示してくれる人がいるんだろう。でも、これは現実。そんな人はいない。開始早々、詰まったよ。
「……どうしたら良いんだろう?」
思わず頭を抱えてしまう。でも、誰も答えてはくれない。ナナさんが言った様に、頼れるのは自分だけ。自力で何とかするしかない。
「……とりあえず、進もう」
色々考えてみたものの、上手い方法は見付からず、結局その場から移動する事にした。でも……。
「あぁ、もう! いくら進んでも何も見付からない! そもそも、ヒントも何も無しじゃ、どうにもならないよ! 何が奥深くに進めだよ! ナナさんのバカ! 無責任!」
いくら進んでも進んでも、何も変化が無く、ただひたすら雪原を進む事に、いい加減うんざりの僕。とうとう地面に寝転がって、盛大に愚痴る。すると、状況に変化が。ただし、悪い意味で。
「あれ? 何か風が強くなってきたような……」
何て思っていたら、突然、激しい吹雪が! あまりにも激しいそれに、目も開けられない。声も出せない。助けを求めようにも、他に誰もいない。
『精神世界ではちょっとした事がそのまま命取りになる』
脳裏に浮かんだのはナナさんの言葉。このまま死ぬのかな? 絶望に染まりかける所へ、またナナさんの言葉。
『死ぬんじゃないよ』
……そうだ。僕は死ねない。こんな所で死んでたまるか! 再び勇気を奮い起こす。落ち着こう僕。ここは精神世界。全ては僕の心が生み出した物。この吹雪もそう。僕の心が乱れたからだ。ならば、心を落ち着かせれば鎮まる。
僕はその場で座禅を組む。精神統一にはこれだ。目を閉じ、静かに瞑想を始める。落ち着け、怯むな、怯えるな、全ては僕の心が生み出した幻影だ。僕のすべき事を考えるんだ。……こういう点では、ナナさんに鍛えられたおかげかな。
ともあれ、僕は考える。
まずはこの場所だね。何も無い雪原。いくら進んでも何も変化が無い。というか、ここが精神世界の奥深くとは思えない。多分、入り口付近だろう。いきなり奥深くに行けたら苦労しない。そもそも、『根源の型』とは何だろう? なぜ、精神世界の奥深くに行かなくてはならないんだろう? それが分からなくては始まらない。ナナさんは全てを教えてはくれなかった。……自分で何とかしろって事だろう。
今まで教わった事を必死に思い出す。ナナさんは確かに厳しい。平気で『無茶』をさせる。でも、『無理』な事はさせない。ナナさんは僕が出来ると判断したからこそ、今回の儀式を行ったんだ。ならば、打開策は有る。もっと考えろ、ナナさん以外の教えも思い出せ。そこで思い出したのはクローネさんの言葉。あれは以前、霊魂に関する事を教わった時の事だ。
『ハルカ、よく覚えておくがいい。魂とは単なる生命の源に有らず。血筋も単なる飾りに有らず。魂の奥底には、その血筋に受け継がれる力や、記憶が刻み込まれている。だからこそ、優れた力を宿す一族は、その血脈を守り、更に強化しようと努めるのだ。そして、魂の奥底に眠る力を引き出せたならば、大いなる力を手にする事が出来る。過去、何人もの者達がそれに挑んだ』
『いわゆる、一族に受け継がれる潜在能力ですか。何か、カッコいいですね』
『バカ者! そんな甘いものではない! 確かに潜在能力を引き出せた場合のメリットは大きい。しかし、大部分の者は失敗した。半数以上は死に、生き残った者も大半は精神を病み、結局、破滅した。なぜなら、魂の奥底には自らの『暗黒面』が有るからだ。認めたくない、知られたくない、自らの醜い面がな。それは『怪物』の姿をしている。そして、その怪物に破滅させられてしまうのだ。強い力を持つ者程、強力な『怪物』にな』
『じゃあ、僕の中にも?』
『うむ、いる。基本的に例外は無い。人の心に闇有る限り、『怪物』はいる。君にも我にも誰しもな』
魂の奥底にいる『怪物』か。ナナさんの言う『根源の型』っていうのは多分、これだろう。命懸けな辺り、共通してるし。でも、どうすれば、魂の奥底に行けるのか? これに関してもクローネさんが言っていた。
『でも、クローネさん。どうやって、魂の奥底に行くんですか?』
『行く事自体は、割りと簡単だ。それ相応の準備と力が有れば行ける。魂の世界は意思の力が全て。道を切り開かんとする覚悟が有れば、道は開ける。ただし、生きて帰れる保証は無いがな』
『あの、それ洒落にならないんですけど……』
『当たり前だ。リスクを冒さず強くなれるか』
僕はここで目を開ける。
「ここは精神世界。思いが形となり、力となる。ならば、僕が望めば道は開けるはず。ナナさんにも死ぬなと言われたし、何より……ミルフィーユさんには負けられない!」
この儀式を受けたのは僕だけじゃない。ミルフィーユさんも正に今、精神世界を進んでいるだろう。以前は僕が勝っていたけど、ミルフィーユさんは、最近になって大幅なパワーアップを遂げ、結果、負け続けている。ここで遅れを取ったら、更に差を付けられる。
「こういう時はシンプルに。奥深くに行くなら、下だ!」
精神世界の奥深くへと行きたい。ただ一心に念じ、地面に突きを放つ。すると、ぽっかりと穴が開き、落ちる。
「やっぱり、落ちるんだーっ!」
悲鳴を上げつつ、僕は穴を落ちていった。
現実世界side
「ハルカ……頑張れ」
ベッドで眠るハルカの手を取り、私は無事を祈る。危険を伴う、精神世界へのダイブ。果たして無事に帰ってくるだろうか? 一応、命綱たる赤い糸でお互いの手首を繋いでいるが、あくまで、一応。絶対の安全を保証するものではない。もし、精神世界でデカい何かが起きれば、切れてしまう。
「ナナ殿、ハルカ嬢を信じなさい。あのお嬢さんは、貴女が考えている以上に強い。少しは休まれてはいかがです? 温かいミルクティーをどうぞ」
「ふん……頂くよ」
そこにやってきたのはエスプレッソ。手には湯気の立ち上るティーカップ2つを乗せた盆。一応の礼を言い、ティーカップを受け取り、ミルクティーを啜る。温かくまろやかな甘さが心身共に疲れた身体に染み渡る。嫌味ったらしい、ムカつく奴だが、こういう点ではマジで有能な奴だ。だてにスイーツブルグ侯爵家の執事は務めてないね。
ミルクティーを啜りつつ、同じくミルクティーを啜るエスプレッソに私は尋ねた。
「あんたは随分、余裕だね。ミルフィーユが心配じゃないのかい?」
対するエスプレッソは、いつもの余裕を全く崩さない。
「愚問ですな。ミルフィーユお嬢様は、この程度で死ぬ様なやわな方ではありません。必ず帰ってこられます。なぜなら、『追い詰められる程に輝く』のが、ミルフィーユお嬢様なので」
ミルフィーユは必ず帰ってくると断言。……こいつは態度はともかく、実力は本物。そして、冷徹な現実主義者。甘っちょろい理想論や、根拠の無い妄想は断じて言わない。こいつ、もしかして、ミルフィーユの『根源の型』を知っているんじゃないか?
「エスプレッソ。あんた、ミルフィーユの、いやスイーツブルグ一族の『根源の型』を知っているね?」
そう問いかけた私に、エスプレッソはニヤリと笑う。
「えぇ、いかにも。かつて、『初代』が至られましたので」
こりゃ、驚きだ。だが、同時に納得だ。
今でこそ、王国屈指の名門貴族、スイーツブルグ家だが、かつてはそこまでの権勢は無かった。それが今の地位を得るに至った理由がそれか。エスプレッソは語る。
「初代の至った『根源の型』。その力は不撓不屈。追い詰められても折れず、むしろ輝く。そして、その力を強く受け継いだのが、ミルフィーユお嬢様です。しかし、初代と全く同じではありませんな」
「ほう。ま、確かに同じ血筋でも、全く同じ能力とは限らないからね」
これは事実。同じ血筋でも、必ず力が使える訳じゃないし、全く同じ能力とも限らない。要は人それぞれだ。
「それよりもハルカ嬢ですな。ナナ殿、貴女こそ、ハルカ嬢の『根源の型』について何か知っておられるのでは?」
エスプレッソはティーカップを片手に今度は私に尋ねる。全く鋭い奴だ。ムカつくね。
「まぁね。あの子の魔力適性を調べた時の事を始め、これまでの出来事を元に推論を立てていたけど、昨日の一件で、ほぼ確信したよ。あの子の『根源の型』は水に深く関わる。ただ、あの子怖がりだからね。果たして自分の『根源の型』を見て耐えられるか。恐らくあの子の『根源の型』の姿は……。
精神世界side
「……また、知らない場所だ。ここが魂の奥底なのかな?」
穴を落ちて着いた先。そこはなぜか神社だった。正確には鳥居の前。どこかの山の中らしく、周りには鬱蒼とした森が広がる。そして、鳥居の向こうには長い登りの石段。しかし変な神社。普通、こういう所には二体一対の狛犬が飾られているのに、この神社は狛犬ではなく、蛇の石像が飾られている。趣味が悪いな。
「神社の名前は書いてないかな?」
探してみると、近くに古ぼけた石碑を発見。かすれた文字だけど、何とか読めた。
「……銀……那…賀……神…社……。知らない名前だなぁ」
聞いた事も無い名前の神社。でも、こうして僕の前に現れたからには、僕と何らかの深い関わりが有るはず。
「この石段の先に何かが有る。何かは知らないけど」
鳥居の向こうに有る、長い長い石段。その先は暗い森に阻まれて見えない。不気味だし、怖いけど、進むしかない。引き返す道は無いしね。
僕の周りは森に囲まれ、鳥居の向こうの石段以外、道は無かった。選択の余地は無い。
「怖くない、怖くない。ミルフィーユさんだって、頑張っているんだ。頑張れ、僕」
怖いのを、自己暗示で必死に抑え込み、僕は鳥居をくぐり、石段に一歩を踏み出す。ふと、後ろを振り返ると森は消えていた。ただ鳥居が有るだけ。いよいよ引き返せないらしい。
「怖くない! 怖くないぞ! 僕は勇気有るんだからね!」
半分泣きそうだけど、僕は石段を登って行く。……ナナさん、早く帰りたいです。
「……やっと…着いた……。ここが…本殿かな……?」
途中、妨害は無かったものの、とにかく長い、ひたすら長い石段を、延々と登り続けてやっとたどり着いた本殿。本当に辛かった。精神世界のおかげか、お腹は空かないし、身体も疲れない。でもね、精神的にまいる。いくら登っても、全然終わりが見えないし。途中、何度か休憩を挟みながら、やっとの思いで、ここまでたどり着いた。石段の終わりが見えた時は、感動のあまり、泣いたよ。
しばらく、本殿の境内で休憩していたけど、気分も落ち着いたので、辺りを見渡す。周囲を観察し、現状を把握するのは大事。
「小さい神社だね。それに古い。長い間、ほったらかしにされていたみたい」
神社といっても、小さな社が一つ有るだけのこじんまりとした神社。しかも、ボロい。
「もう少し、辺りを調べてみよう。何か有るかも」
その場から立ち上がり、辺りを調べてみる。特に社を。
「ボロボロだなぁ。バチが当たっても知らないよ」
社の状態は酷かった。屋根は抜けているし、柱もボロボロ。よく崩れないなと、逆に感心するレベル。でも発見も有った。
社の扉に蛇が刻まれていた。鳥居の所の石像に続いて、また蛇。
「……蛇を祀っている神社みたいだね。僕の世界でも、白蛇を神の使いとして祀っている神社が有ったし。それにナナさんが言っていたっけ。蛇は水神として祀られる事が有るって。それに、ウチの家系」
僕の家、天之川家の御先祖様は、昔、蛇の化身の娘と結婚したと言われていて、以来、天之川家は水神を祀る一族らしい。そして、社の裏手に細い道が有るのを見付けた。ここが神社なら、御神体が有るはず。しかし、ここには無かった。なら、別の所に有ると考えるのが、妥当。何も御神体は物とは限らない。山岳信仰なら、山自体を御神体にしているし。
「行こう。ここが蛇、水神を祀る神社なら、水に関する何かが有る。そして、僕の『根源の型』に関する何かが」
僕は、細い道を行く。思った通り、細い道を抜けた先には大きな湖が有った。ここが、この神社の御神体だろう。とても大きくて、綺麗な湖だ。そして、僕の『根源の型』に深く関わる場所。
自分で言うのもなんだけど、僕はバカじゃない。これまでの情報を自分なりにまとめ、予想を立てる。
ウチの家系、この神社で祀られている蛇、僕の得意な魔力の属性が『水』であること、ナナさんの話、クローネさんの話、それらをまとめると、おのずと答えは出る。
「昔話だと、こういう場合、湖の主は湖の底深くにいるんだよね」
僕は確信する。この湖の底に、『答え』は有る。その為には行くしかない!
「……でも、その前に準備体操をしないと。精神世界とはいえ、もしもに備えて。後、『根源の型』に出会った時に備えて、心の準備をしなくちゃ。クローネさんの話じゃ、怪物の姿らしいし。……大体の見当は付いたけど。まぁ、『一度、近いのを見てるし』、頑張ろう。必ず、ナナさんの所に帰るんだ。帰ったら……『ご褒美』をねだってみよう」
命懸けの儀式を乗り越えたなら、それ相応のご褒美が有っても良いよね。でないと張り合いが無いし。ともあれ、準備体操を済ませ、僕は湖に向かう。目指すは湖の底。僕はちゃんと泳げるし。ただ、潜水はあまりやった事が無いのが多少不安だけど、精神世界だから、呼吸が出来なくて死ぬって事は無いだろう。僕は意を決して、湖に入る。幸か不幸か、僕は全裸のままだし。
「それじゃ、行こう。 せーの!」
掛け声と共に、湖に潜る。目指すは湖の底。
『不思議な感じだなぁ。水の中にいる感じはするのに、全然息が苦しくならない。それに随分潜ったはずなのに、水圧を感じない。やっぱり、精神世界だからか。現実世界じゃ、こうはいかないね』
湖の底を目指して、ひたすら潜る。泳ぐのは久しぶりだけど、特に問題無し。幸い、息が出来るし、声も出る。通常の水中ではあり得ない状況の中、僕は進む。
『綺麗だけど、寂しい湖だな。何もいない』
とても透明度が高く、かなり深くまで光が届いているけど、何もいない。精神世界だからかな? でも、この奥に何かがいる。それは間違いない。湖の奥底から、何かを感じるからだ。
更に潜り続け、今や周りは真っ暗。今すぐにでも逃げ出したいのを、必死に抑え込み、先へと進む。いい加減、出てきてくれないかな? すると、それがフラグだったのか、暗い水中に光る物が。しかも、近付いてくる。
『……何か、嫌な予感がする。こういう場合の鉄板パターンは……』
とりあえず、逃げる!! ここは水中。そして、ここにいる『何か』のホーム。この状況では僕が圧倒的に不利。大急ぎで、水面を目指す! え? 潜水病? 精神世界にそんなの関係無いし、それどころじゃない!! 必死に逃げるが、むこうの方が速い! どんどん距離を詰められ、遂に追い付かれた!
鱗に覆われた姿。大きく開いた口には鋭い牙。長い身体をくねらせ、凄い速さで追ってきたのは、白銀に煌めく巨大な蛇。以前、見た大海蛇なんか比較にならない程、大きい。って、こっちに来た!
凄まじい速さの突撃をギリギリでかわす。でも、突撃が巻き起こした激流に翻弄されてしまう。しかも大蛇は方向変換をして、また突撃を仕掛けてきた。まずい! 早く水中から脱出しないと殺される! 大急ぎで水面を目指す! しかし大蛇も逃がすまいとばかりに襲ってくる。
『ナナさん、大ピンチです! 助けてください!』
本来なら、魔法を使うなり、何なりとしている所だけど、精神世界に来てから、魔法が使えない。当然、武器も無い。最後の頼みの綱はナナさんだけど、何の音沙汰も無い。どうしたんですか、ナナさん! もしもの時に備えて命綱の赤い糸を繋いでいたでしょう! あまりのピンチに泣きそうになる中、思い出した。赤い糸は絶対の安全を保証する物では無い。精神世界で大きな異変が有れば、切れてしまうと。恐らく、この大蛇の襲撃のせいで切れてしまったんだ。そんな、こちらの事情などお構い無しに、大蛇は襲撃を繰り返す。どうしよう?! このままじゃ、殺される!
現実世界side
「ハルカ!!」
それは正に、突然の出来事。私とハルカ、お互いの右手首を繋ぐ赤い糸。非常事態の際、ハルカを精神世界から緊急脱出させる命綱たる、赤い糸。それが切れた。絶対の安全を保証する物では無いが、かといって、あっさり切れる様な、やわな物でも無い。つまり、精神世界で、何か大きな異変が起きたんだ!
慌ててハルカに駆け寄る私。
「落ち着きなさいナナ殿! 下手に手出しすれば、それこそ取り返しの付かない事になります!」
そこへ止めに入るエスプレッソ。
「ふざけるな!…………」
思わず反論しようとするが、エスプレッソの右手首を見て、続きを言えなくなる。そこには切れた赤い糸が垂れ下がっていた。
「ナナ殿。糸が切れてしまった以上、私達にはどうにもなりません。貴女も覚悟していたはず。この儀式は生きて帰ってくるか、死ぬか、どちらかしかないと。ならば、信じて待ちましょう。大丈夫、必ず帰ってきます。私達の教え子達は強い子達です」
「……悪かったよ、エスプレッソ。全く、悪魔のあんたにそう言われるとは、私も焼きが回ったもんだ」
私は、眠るハルカの手を握る。一体、今この子はどんな状況にあるのか? 私には知る術は無い。エスプレッソも、眠るミルフィーユの傍に控える。
「ハルカ、あんた多分、魂の奥底にいる『怪物』。『蛇』と出くわしたんじゃないか? それが、今回の試練の肝。あんたの『器量』が試されているんだ。頑張れ、見事乗り越えてみせるんだ」
少々の事では切れない赤い糸。それが切れた事から、恐らく魂の奥底にいる『怪物』。ハルカの場合は多分、『蛇』と出くわしたんじゃないかと予想。こいつをどうにかするのが、今回の儀式、最大の試練。赤い糸が切れた以上、私に出来る事は、ハルカが無事、帰ってくる事を祈るのみ。
魂の奥底に眠る『魔力の型』、またの名を『根源の型』。ハルカの場合は『蛇』でした。ちなみにナナさんは、これまでの情報から、そうじゃないかと予想済み。
そして、ハルカ大ピンチ。水中にて、大蛇の執拗な襲撃を受ける羽目に。しかも、命綱たる赤い糸が切れてしまい、緊急脱出不可能。果たして、ハルカはどうやって、この大ピンチを切り抜けるのか?
ちなみに、ミルフィーユもハルカ同様、大ピンチの真っ最中。
では、また次回。