第69話 兄(姉?)と妹の約束
ハル兄との話を済ませた私は、ナナさんに言われてハル兄と一緒にお風呂に入る事に。ハル兄に案内されて、2人でお風呂に向かう。
「ねぇ、ハル兄」
「何、彼方?」
先を進むハル兄に話しかける。
「えっと、その……ハル兄と一緒にお風呂に入るのは久しぶりだなって……」
「……そうだね。小さい頃は母さんや姉さん、彼方と良く一緒に入ったけど、大きくなるにつれて、別々に入る様になったからね。本当に久しぶりだね」
昔はいつも一緒だったのに、いつしか別々にお風呂に入る様になった。性別が違う上、成長する以上、仕方ないんだけどね。ましてや、ハル兄が死んだ事で、もう二度と一緒にお風呂に入る事は無いと思っていたし。そうこうしている内に、脱衣場に到着。
清潔感溢れる、綺麗な脱衣場。さて、ここで服を脱いでお風呂に入るわけだけれど、何やら恥ずかしそうなハル兄。
「あの……彼方」
「何、ハル兄?」
おずおずと話しかけてくるハル兄。私は借り物のメイド服を脱ぎながら答える。あ、脱いだ服を入れるカゴはそこか。脱いだメイド服をカゴに放り込む。
「彼方、服を放り投げたらダメだよ。行儀が悪いし、服が痛むよ」
「相変わらず、細かい事を気にするよねハル兄は」
私に対し、注意をするハル兄。本当に変わらない。こういう真面目な所。でも、その前に何か私に聞こうとしていたよね。まぁ、大体予想はつくけど。
「それよりハル兄。さっき何を聞こうとしたの?」
こっちから逆に聞くと、言葉に詰まるハル兄。やがて、恐る恐る答える。
「…………その、本当に良いの?」
「だから何が? 主語が抜けてちゃ分からないんだけど?」
本当、予想はついているけど、ここはあえて意地悪をする。 あ、ハル兄困ってる。この先を言うべきかどうか、迷っているのが良く分かる。でも、覚悟を決めたらしく、やっと口を開く。
「……その、僕と一緒にお風呂に入って。嫌じゃないの? いくら兄妹でも、もう子供じゃないんだし」
本当に、ハル兄は変わらない。姿や性別は変わっても、その中身は変わらない。相変わらず、真面目一直線なんだから。
「何、バカな事言ってるのハル兄。嫌なら最初から断っているわよ。私の性格はハル兄も良く知っているでしょ? 私はハル兄と一緒にお風呂に入りたいの。それにね、以前ならともかく、今や同じ女同士だし。何か問題有る?」
「……分かった。そこまで言うならね。じゃあ、早くお風呂に入ろう」
やっとハル兄が折れてくれた。あれで結構、頑固な所が有るからね。さ、ハル兄と一緒にお風呂。数年ぶりね。
「広いね~。それに見るからに高級そう。ナナさんってお金持ちなんだね、ハル兄」
「ナナさん、お風呂好きだからね。特に力を入れたって言っていたよ。後、ナナさんの総資産額は凄いらしいよ。あまり使わないみたいだけど」
引き戸を開けて入った浴室。まず、広い! そして綺麗! ナナさんの性格を表してか、高級ホテルの様な派手さは無いけれど、壁や床、浴槽は見るからに高級そう。ナナさんのお風呂に対するこだわりを感じる。しかし、広い浴槽ね。大人2人で足を伸ばして入っても余裕でいける。
「彼方、まずは身体を洗おう。それからゆっくりお風呂に浸かろう」
浴室の内容に感心していたら、ハル兄に声をかけられた。いけない、いけない。感心している場合じゃない。お風呂に入りに来たんだから。
「うん、ハル兄」
とりあえず、洗面器でお湯をすくって身体を洗い、お風呂へ。大理石みたいな石製の浴槽は私とハル兄の2人で入ってもゆったりと足を伸ばせる。やっぱり広いお風呂って良いなぁ。私は浴槽にもたれ掛かって足を伸ばしてリラックス。湯加減もちょうど良いし。まさに命の洗濯ね。ハル兄も私と同じ姿勢でリラックス中。目を閉じ、気持ち良さそうにしている。で、私の視線はハル兄のある一ヶ所に注がれる。
「……負けた。元は男のハル兄に。着痩せするタイプなんだ」
ハル兄の胸でその存在を主張する立派な2つの膨らみ。腹の立つ事に明らかに私より大きい! 元は男の癖に!
「あの……どうしたの? 彼方。さっきから僕の方を見ているけど……」
私に見られているのに気付いたハル兄が心配そうに聞いてくる。しまった、ガン見し過ぎたか。
「あ、その……ハル兄はスタイルが良いなって思って。何か秘訣でも有るの?」
さすがに胸の大きさに嫉妬していたとは言えず、とはいえ、そのスタイルの良さは気になるのでハル兄に秘訣を聞く。上手くすれば私にもあのスタイルが。でも、その期待はあっさり打ち砕かれる。
「秘訣と言われても特にはね……。強いて言うなら、バランスの良い食事と適度な運動かなぁ。特に僕の場合、ナナさんから直々に稽古を付けて貰っているからね。だから、あまり参考にはならないと思うよ」
「……うん。本当にあまり参考にならない」
ちっ! そんなにうまい話は無いか。それからしばらく、お互いに何も言わずにお風呂に浸かる。沈黙を破ったのはハル兄。
「彼方」
「何、ハル兄?」
「僕が死んでから、そっちがどうなったか聞かせてくれないかな? 彼方や母さん、姉さんがどうしていたのか気になるし」
そういえば、まだ話していなかった。ハル兄だって確証を掴めていなかったからね。
「別に良いけど。でも、あまり楽しくないと思うよ」
「それでも構わない。聞かせて」
「うん、分かった」
そして私はハル兄に請われるままに、ハル兄亡き後の事を話した。私の事、母さんの事、クー姉の事、家の事、学校の事、その他色々。ハル兄は私の話を静かに聞きながら、感心したり、驚いたり、悲しんだりしていた。
「そう、僕が死んでから色々と変わったんだね……」
「まぁね……」
しんみりとした雰囲気に包まれる私達。ハル兄が死んでから本当に色々と変わった。
「僕としては、彼方が家事を出来るようになったのは嬉しいな。その一方で母さんと姉さんは心配だけど」
「そこは私も否定出来ない。でも、言ってもあの2人は聞いてくれないんだよね」
ハル兄亡き後、以前にもまして母さんは仕事に、クー姉は勉強に打ち込む様になった。はっきり言って、いつ身体を壊してもおかしくないぐらい。私もやり過ぎだと言ったものの、聞く耳持たず。そこまでしなくても、元々、凄く出来る2人なのに。
「ごめん。僕が死んだばっかりに」
責任を感じたらしいハル兄。暗い表情でうつむいてしまう。マズイ、フォロー入れなきゃ。
「仕方ないよ、ハル兄。別にハル兄が死にたくて死んだ訳じゃないし! 事故だったんだからさ! 悪いのは暴走車を運転していたバカだし!」
実際、ハル兄に非は無かった。事故の目撃者の話では、きちんと信号待ちをしていたハル兄に暴走車が突っ込んできたそうだ。
「……ありがとう、彼方」
なんとか、持ち直したハル兄。良かった。私はここぞとばかりに話題を変える。
「ところでさ、ハル兄。一緒に帰らない? ほら、ナナさんがもう少しでブローチを解明出来るって言ってたし。母さんもクー姉も喜ぶよ」
私は考えていた事をハル兄に話す。するとハル兄は何かを言おうとしたけれど、それは別の声に遮られた。
「残念だけど、それは無理だよ」
私とハル兄は声のした方。浴室の入り口を見る。そこにいたのは、ナナさんだった。抜群のプロポーションを誇る身体を隠す事なく、堂々と入ってくる。しかし、でかいわね……。何、あの胸。ハル兄が美乳なら、ナナさんは巨乳。いや、あれはまさに魔乳! でかいくせに、一切垂れず、見事な形を保っている……って、そうじゃなくて! 思わず、ナナさんの魔乳に惑わされてしまったけど、私は本来の話題に戻す。
「ナナさん、私の話を聞いていたんですね。でも、無理ってどういう事ですか?」
「言った通りさ。彼方、あんたとハルカが一緒に帰る事は無理なのさ」
私の質問に淡々と答えるナナさん。続けて説明してくれる。
「彼方、ハルカも良く聞きな。ついさっき、やっとブローチの解明が終わった。その結果、分かったんだけど、あのブローチは一人用なんだ。そしてこちらの世界と向こうの世界を一往復する術式が組まれていた。要は行って帰る使い捨ての品なんだ。残念だけど、帰れるのは1人だけ。もし、2人以上で使ったら、それこそ、何が起こるか分からない。命の保証は無いよ」
そう言うと洗面器でお風呂のお湯をすくい、身体を流すナナさん。
「それにね」
ナナさんは更に話を続ける。
「仮にあんたとハルカが帰ったとしてだ。ハルカの事はどうするんだい? ハルカには戸籍も何にも無い。突然現れた上、見ての通りの銀髪碧眼の美少女。目立つよ。とどめは魔法という異能を持っている。もし、バレたらえらい事になるね。言っちゃ悪いけど、ハルカが元の世界に戻るのは、あまりにもリスクが高過ぎる」
ナナさんは別に悪意で言っている訳じゃない事は分かる。言われてみればその通り。でも……理屈では分かっていても、やはり割り切れない。そこへハル兄が声をかけてくれた。
「彼方、僕は大丈夫。元の世界に帰るんだ。父さん、僕に続いて彼方までいなくなったら、母さんと姉さんはどうするの?」
「ハル兄……」
思わず、泣きそうになる。ハル兄だって、帰りたいはず。それなのに……。そんな雰囲気をナナさんが吹き飛ばす。
「メソメソしてるんじゃないよ、あんた達。ほら、彼方。あんたは元の世界に帰れるんだ。もっと喜びな。それとあんた達、一旦風呂から出な。さすがに3人入るにゃ狭いからね。もう少し広い風呂に変えるよ」
もう少し広い風呂に変える? 妙な事を言われて、私とハル兄は風呂から出る。するとナナさんが指をパチンと鳴らし、直後、浴室の内装が全くの別物に変わる。いわゆる、銭湯に。
「これでよし! さ、入りな」
言うなり、さっさと湯船に浸かるナナさん。魔女とは分かっているものの、無茶苦茶するなぁ。
「ナナさんのやる事にツッコミを入れるのは野暮だよ。湯冷めしない内に早く浸かろう」
呆れていると、既に慣れっこらしいハル兄に言われる。そうね、早く湯船に浸かろう。こうして、私、ハル兄、ナナさんの3人で広い湯船を心ゆくまで堪能した。後、母さん、クー姉でさんざん見せ付けられたけど、でかいと浮きます、胸のあれが。ドチクショウ!!
「今夜はこの部屋を使ってね。何か有ったらすぐに知らせて」
「うん、分かった。ありがとうハル兄」
「それじゃ、おやすみ彼方」
「おやすみ、ハル兄」
3人でのお風呂を済ませた後、リビングでお喋りを楽しんでいたけれど、そろそろ寝る時間。ハル兄に案内されて部屋へ。場所は2階。ハル兄の部屋の向かい。ちなみにハル兄の部屋の隣がナナさんの部屋。お互いにおやすみを言って、それぞれの部屋へ。用意された部屋は綺麗に整理整頓されていて、ベッドもきちんとセットされている。触ってみるとフカフカ。寝心地抜群。さっそく、ベッドイン。色々と有って疲れていたのか、すぐに睡魔に襲われ、寝てしまった。
「ん……? あ、そうか……。ここ、ウチじゃなかったっけ……」
まだ夜中なのに起きてしまった。見慣れない室内に少し驚いたけれど、自分の状況を思い出す。時計を見ると、午前2時を少し回った所。
「ちょっと喉が渇いたな」
もう一度寝ようと思ったけれど、水を飲みたくなり、キッチンに行こうと部屋を出る。その時だった。
ギシギシ……
何かが軋む様な音。更に。
「あ……ナナさ……」
「ハル……こんなに……しち……って……」
ハル兄とナナさんの声が聞こえてきた。見れば、向かいの部屋。ハル兄の部屋のドアが少し開いている。妙な音と2人の声はそこから聞こえてくる。なぜかな? 見るな、聞くな、早く立ち去るべきと私の勘が騒ぎ立てる。でも、やっぱり気になるものは、気になる。私はこっそり、ドアの隙間から覗いて見る。すると……。
ベッドの上で、ナナさんとハル兄が絡みあっていました。
『全裸で!!』
いや、私、耳だけでなく、目も良いんだけどね。隙間からの上、薄暗い室内の状況ながらも、きちんと見えちゃった。ナナさんがハル兄のその……下半身の大事な所に顔を突っ込んでいるのがね。なんかピチャピチャって聞こえてくるし。そしてハル兄が切なげな、甘い声を上げているし。
「…………どうしよう? これ、母さんにバレたらヤバいどころじゃ済まないんだけど」
正直、私はハル兄とナナさんの関係は怪しいなと思っていた。ナナさんが百合の人なのは身を持って知ったし、ハル兄もナナさんを見る目が時々、熱っぽかったしね。しかし、あのド天然のハル兄がねぇ。ある意味感心する。でもね、ハル兄。母さんの事、忘れてない?
母さんは基本的にクールな人だけど、その反面、怒ると凄く怖い。そして、唯一の息子であるハル兄をとても可愛がってきた。ハル兄に他の女が近付いてきただけで、一気に機嫌が悪くなるほどに。そのハル兄がナナさんとベッドの上で全裸で絡みあっていると知ったらどうなる事か。しかも、同性愛。ん? 考えてみれば、ハル兄は元は男なんだから、女のナナさんと付き合うのはある意味、自然かな? でも、今は女な訳だし。う~ん。ま、いずれにせよ、母さん大激怒は間違いない。
「とりあえず、離れよう。あいにく、私がどうこう出来る事じゃなさそうだし」
触らぬ神に祟り無し。昔からのことわざに従い、私は静かにその場を離れ、キッチンへ。離れる直前、ナナさんとハル兄はいわゆる、シッ〇スナ〇ンをしていた。うん、これは絶対に誰にも言えない。
「彼方、朝だよ! ほら、早く起きて!」
翌朝、気持ち良く寝ていた所をハル兄に起こされた。
「………ん、おはよう、ハル兄……」
まだ眠いけれど、ハル兄におはようを言う。
「おはよう、彼方。さ、とりあえず、シャワーを浴びてきたら? 着替えは用意してあるから。終わったら、ダイニングに来てね。朝ごはんを用意するから」
「うん、分かった」
「それじゃ、僕はナナさんを起こしてくるね」
そう言うと部屋を出ていくハル兄。私はまだ眠いのに、朝から元気な事。夜中にナナさんと絡みあっていたとは、とても思えない。でも、あれは夢じゃない。それは断言出来る。しかしハル兄、そんなそぶりは全然、見せなかったな。まぁ、バレたら困るだろうし。とにかく、今はシャワーを浴びに行こう。
「おはようございます、ナナさん」
「あぁ、おはよう、彼方」
シャワーを済ませてダイニングに入ると、そこには既にナナさんが席に着いていた。そしてお互いに朝の挨拶。キッチンではハル兄がせっせと朝ごはんの準備。あらかじめ作っておけば良さそうなものだけど、ハル兄はそれを嫌がる。それではせっかくの料理が冷めたり、温くなってしまうからと。だから、ハル兄は手間が掛かっても、できたての料理を出す。もちろん、時と場合によるけれど。あ、出来たみたい。
「お待たせしました。朝ごはんですよ。さ、召し上がれ」
ハル兄が湯気の上がるできたてホカホカの朝ごはんをお盆に乗せて持ってきた。そして手際よく、並べていく。うん、美味しそう。
「今朝は洋風にしてみました」
メニューはご飯。野菜入りコンソメスープ。ベーコンエッグに、サラダ。
そつの無いメニューね。ハル兄らしい。ハル兄いわく、奇をてらうと、ろくな事にならないと。やっぱり基本、定番は大事。
「お~、今朝も旨そうな朝飯だね。ほら、ハルカも早く座りな」
ナナさんも美味しそうな朝ごはんを見て、ご満悦。ハル兄に席に着くよう、促し、ハル兄も席に着く。全員が席に着いたのを確認したナナさんが皆を代表して言う。
「いただきます!」
「「いただきます!」」
ナナさんに続いて私とハル兄もいただきますを言う。こうして始まる楽しい朝食。そして、このお屋敷での最後の朝食……。
私は意を決して、ナナさんに聞いた。
「ナナさん」
「何だい、彼方?」
ベーコンエッグをくわえながら、答えるナナさん。
「あの……ブローチの解明が済んだって言いましたよね? それって、もう、元の世界に帰れるという事ですよね?」
「あぁ、そうだよ。いつでも帰れるよ。それがどうかしたかい?」
私の質問に何を今さらという感じで答えるナナさん。そこへ無理を承知で頼み込む。
「その事なんですけど、夕方まで待ってくれませんか? わがままは承知ですけど、もう少しだけ、ここにいさせてください。お願いします!」
帰りたくない訳じゃない。母さんとクー姉が待っているんだから。でも、帰ったら、ハル兄と会えなくなってしまう。だから、せめてもう少しだけでもハル兄と一緒にいたい。この際、外聞もへったくれもない。ナナさんが土下座しろと言うなら喜んでやる。それで頼みを聞いてもらえるなら。そんな私を見てナナさんは呆れた顔で言う。
「やれやれ、ハルカがマザコンなら、あんたはブラコンかい? 分かったよ。あんたを送り返すのは夕方まで待ってやるよ」
「ありがとうございます、ナナさん!」
ナナさんが話の分かる人で良かった。感激していると、さらに告げられる。
「でもね、これ以上は妥協しないよ。あんたは向こうじゃ行方不明なんだからね。あんまり長くなるとまずいだろう?」
「う、言われてみれば、そうですよね。すみません……」
確かにナナさんの言う通り。私は向こうじゃ行方不明扱い。あまりに長期間になるとまずい。
「分かったなら、それで良い。ハルカ、あんたは今日は休みにしてやる。彼方と2人で好きに過ごしな」
最後にナナさんはハル兄にも話を振り、休みにしてくれた。これにはハル兄も喜ぶ。
「ありがとうございます、ナナさん」
頭を下げて感謝するハル兄を見つめるナナさん。
「せっかくだから、2人で遊びに行ってきな。昼飯代もやるよ。その代わり、必ず夕方までには帰ってくるんだよ。良いね?」
「「はい、ナナさん!」」
最後は私とハル兄の2人で見事にハモった。異世界体験最終日。しかも。ハル兄と二人きり。楽しみ!
「それじゃ行ってきます、ナナさん」
「ナナさん、わがままを聞いてもらってすみません。本当にありがとうございます」
「はいはい、分かったからさっさと行きな。その代わり、夕方の5時までには帰ってくるんだよ」
「「はい!」」
玄関でナナさんに見送られてハル兄と私の二人きりで街へとくり出す。考えてみれば、ハル兄と二人きりで出かけるなんて久しぶり。それはハル兄も同感だったらしい。
「彼方、こうして2人で出かけるのも久しぶりだね」
「そうね、ハル兄。私はもう二度と出来ないと思っていたし」
「僕もだよ、彼方。良かった……もう一度、会えて……」
ちょっと、涙声になるハル兄。そうだよね、本来なら、一度死んだハル兄と私が再会するなんて、あり得ない事なんだから。その辺に関しては、ハル兄を転生させた死神に感謝。
「うん、私もハル兄に会えて嬉しいよ。さぁ、ハル兄。せっかくナナさんにお休みをもらったんだから、思いっきり遊ぼう!」
なんだか雰囲気が湿っぽくなってきたから、明るい口調で吹き飛ばす。ハル兄はあまり人を引っ張るタイプじゃないから、私がリードしないと。
「そうだね、せっかくのお休みだしね。あちこち回ろうか」
「賛成! 頼りにしてるよ、ハル兄!」
「ふふ、ご期待に添える様に頑張るよ」
私の言葉に楽しそうに笑って答えるハル兄。ここで私は以前からやりたかった事を実行に移す。
「ハル兄、ちょっと良い?」
「何?」
不思議そうに聞くハル兄の右腕に私の左腕を絡める。要は腕を組む。
「ちょっと、彼方!」
さすがのハル兄もこれには困惑気味。でも、ここぞとばかりに押し切る。
「良いでしょ? 別に。兄妹なんだから。長い間、ほったらかしにされていたんだし、これぐらいさせてくれてもバチは当たらないわよ」
「……分かったよ。彼方の好きにして」
「さすが、ハル兄。話が分かる! じゃ、行こう!」
夢だったんだ。こうしてハル兄と恋人みたいに腕を組んでデートするのが。……ハル兄が私の事を妹としてしか見ていないのは、分かっているけど。
ハル兄と腕を組んで、王都のあちこちを見て回る。
ウィンドウショッピングをしたり、買い食いしたり、ゲーセンで遊んだり。お昼はハル兄がナナさんから教わったカフェで料理を堪能。その後もハル兄と一緒に楽しい時間を過ごした。
でもね、楽しい時間は、あっという間に過ぎてしまう。時間は午後4時を廻った。ナナさんとの約束の時間まで残り僅か。そんな私達は公園のベンチに並んで座っていた。
「ハル兄」
「何、彼方?」
ここで会話が途切れてしまう。もっと色々、話がしたいのに。再び別れる時がすぐそこまで来ているのに。何を話して良いのか分からない。するとハル兄がベンチから立ち上がる。
「彼方、ちょっと待ってて」
そう言うとその場から離れ、近くの自販機から飲み物を2つ買って帰ってきた。
「はい、これ。ミルクティー」
「ありがとう、ハル兄」
さすがはハル兄。ちゃんと私の好きな飲み物を買ってきてくれた。ハル兄も同じミルクティーを手にしている。そして、再び2人でベンチに座ってミルクティーを飲む。温かいミルクティーを飲んだら、気持ちが落ち着いてきた。そこで、私はハル兄に思っていた事を聞いてみた。
「ねぇ、ハル兄。ハル兄は元の世界に帰りたくないの? もう一つ、ハル兄は今の暮らしに満足しているの?」
我ながら、酷い質問だと思う。でも私はハル兄の気持ちが知りたかった。対するハル兄は、しばしの沈黙の後、やっと答えてくれた。
「…………僕だって、元の世界に帰りたいよ。でもね、元の世界にはもう僕の居場所は無い。天之川 遥は死んだからね。それにね、僕は今の暮らしに結構、満足しているんだ。そりゃ、不満が無いとは言わないけどね」
やっぱり、ハル兄も帰りたいんだ。でも、ハル兄の言う通り、帰っても居場所が無い。そして、ハル兄なりに今の暮らしに満足していると。
「……そうなんだ。ゴメンねハル兄。嫌な質問して」
「気にしないで。それよりも、そろそろ帰らないとね。ナナさん、約束の時間に遅れるとすぐ怒るから」
「うん、ハル兄」
そして2人、ベンチから立つと飲み終わったミルクティーの空き缶をゴミ箱に捨てて、ナナさんのお屋敷へと帰る。再びハル兄と腕を組みながら。
「「ただいま、ナナさん」」
帰ってきた、ナナさんのお屋敷。玄関で2人揃ってただいまを言うと、奥からナナさんが出てきた。
「お帰り、2人とも。腹が減ったし、早いとこ晩飯を頼むよ」
「はい、ナナさん」
ハル兄がナナさんにそう答えた所で、私が割って入る。
「ナナさん、ハル兄。今日の晩御飯だけど、私に作らせて。お願い!」
「彼方?!」
「おやおや、面白い事を言うじゃないか」
私の発言にびっくりするハル兄と、面白そうにニヤニヤ笑うナナさん。私は更に続ける。
「私ね、ハル兄に私の作った料理を食べて欲しいの。大丈夫、以前とは違うから。ハル兄がいなくなってから、一生懸命練習して、家事をやってきたんだから。だから……」
私のずっと抱いていた願い。必死になって頼み込む。そんな中、口を開いたのはナナさん。
「ハルカ、ここまで言うんだ。好きにさせてやりな。あんたとしても楽が出来て良いじゃないか」
「……分かりました、ナナさん。それじゃ、彼方。今日の晩御飯はお願いするね」
「うん、任せてハル兄。それとありがとうございます、ナナさん」
ナナさんがハル兄に口添えしてくれ、結果、ハル兄も任せてくれた。
「話が決まったなら、早く晩飯を作っとくれ。私は腹が減ってるんだよ」
話が決まったとたんに晩御飯の催促をするナナさん。
「分かりました! すぐに始めます!」
こうして私は急いでキッチンに向かった。一応、作るメニューは考えてある。パーティーの料理を作っている途中で材料は確認したし。
「さて、作りますか」
キッチンにて、調理開始。今日のメニューはカツカレー。私がこっちに来る前日に作ったメニューと同じ。普通のカレーでも良かったんだけど、私はハル兄に家事の腕が上がった所を見て欲しかった。ハル兄がいた頃は揚げ物は作った事が無かったし。
「本当に大丈夫? 彼方。やっぱり、手伝おうか?」
ダイニングから心配そうに言うハル兄。
「ハルカ、あんたは余計な事をするんじゃないよ。黙って見てな」
そんなハル兄をたしなめるナナさん。
「大丈夫、ハル兄。いいから見てて」
ハル兄の心遣いは嬉しいけど、今回ばかりは私1人でやらないと意味が無い。まずは鍋に水を張り沸かし始める。続いて包丁で野菜の皮を剥き始める。そして、剥いた野菜を角切りに。お肉も炒めないと。カツも揚げないといけない。毎度、思うけど、やっぱりハル兄の手際の良さには敵わないな。でも、私なりに頑張る。
しばらくして、カレーが完成。お次はカツを揚げよう。事前に冷蔵庫から出しておいたカツ用のお肉に小麦粉、卵、パン粉の順でまぶす。油を張ったお鍋を火にかけ、適温になるまで待つ。頃合いを見計らい、カツを投入。ジュワ~ッ! と良い音と香ばしい匂いがする。一度に揚げると油の温度が下がるから、1枚ずつ。
「彼方、ちゃんと揚げ物が出来る様になったんだね。以前は油跳ねが怖いって嫌がっていたのに」
私が揚げ物を出来る様になっていた事にハル兄が感心する。
「どう? ハル兄。私、上達したでしょ?」
「うん、偉いね彼方」
私としても鼻が高い。おっと、カツを揚げる事に集中しないと。油を使った調理は危ないからね。そして、私は無事、3人分のカツを揚げた。揚げたカツを包丁で切って、カレー皿にご飯を盛り、カレーをかけて、切ったカツを載せてカツカレーの完成。
「ハル兄! ナナさん! 晩御飯ですよ!」
私はダイニングのハル兄とナナさんに声をかける。さぁ、晩御飯だ。この世界でハル兄と一緒に食べる最後の晩御飯……。
「いただきます!」
「「いただきます!」」
朝御飯同様、まずナナさんがいただきますを言い、私とハル兄が続く。3人それぞれ、カツカレーを食べる。
「どう? ハル兄、ナナさん」
2人に味の感想を聞いてみる。
「美味しいよ、彼方。料理が上手くなったね。揚げ物も出来る様になったし、僕は嬉しいよ」
「ふむ、ハルカには及ばないけど、悪くないね」
ハル兄は素直に褒めてくれて、ナナさんはひねくれた言い方をする。でも、ナナさんは手を止める事なく、カツカレーを食べる。
「彼方、おかわり」
きっちりお皿を空にして、おかわりの催促。
「良かったね、彼方。ナナさんは美味しい料理じゃないと食べてくれないんだ。ましてや、おかわりなんてしない。自信を持って良いよ。あ、僕もおかわりお願い」
ナナさんもハル兄も私の作ったカツカレーをきれいにたいらげ、おかわりを言ってくれた。2人とも私の料理を認めてくれた。何より、ハル兄が私の作った料理を食べて、美味しいと言ってくれた。今までずっと夢見ていた、そしてもう叶わないと思っていた事が叶った。その事に涙が込み上げてくる。
「ちょっと、何で泣いてるの彼方?!」
「全く。察してやりな、ハルカ。それより、おかわりまだ?」
困惑するハル兄と、そのハル兄に呆れるナナさん。
「すみません、すぐ済ませますから」
あわてて涙を拭い、カレーのおかわりを入れる私だった。カツは無いけどね。ちなみに2人はおかわりの分もきれいにたいらげてくれた。本当に作ったかいが有った。本当に……。
晩御飯を済ませ、洗い物。私1人で良いと言ったけど、ハル兄が手伝ってくれた。一緒にしたいと言ってくれて。で、洗い物も終わり、今はリビング。3人でハル兄の淹れてくれた緑茶を飲む。もうすぐ、私は元の世界へと帰る。誰も何も言わず、ただ、時間が流れる。そんな中、沈黙を破ったのはナナさん。
「いつまでもこうしていても仕方ない。彼方、そろそろあんたを元の世界に送り返すよ。2人とも、何かしたい事が有るなら済ませな。それぐらいは待ってやるから。済んだら私の部屋に来な。……心残りの無い様にね」
それだけ言うとナナさんは去っていった。ナナさんなりに気を遣ってくれたんだ。こうして、リビングには私とハル兄の2人だけになる。
「……ハル兄」
「何?」
公園の時と同じ会話。私は自分の胸の内を吐き出す。
「帰りたくないよ! ハル兄と離れたくないよ! やっと会えたのに! もう二度と会えないと思っていたハル兄ともう一度会えたのに! また、離ればなれになるなんて、嫌だよ! 私はハル兄と一緒にいたいよ!!!」
もう限界だった。私はハル兄にすがり付き、大声で泣き叫ぶ。ブラコンと笑われたって構わない。私はハル兄が大好きなんだから。するとハル兄が私の頭を優しく撫でながら言った。
「泣かないで彼方。僕だって、彼方と離れたくないよ。もう二度と会えないと思っていた彼方と会えたんだから」
「だったら……」
いまだに泣きじゃくる私の頭を撫でながら、ハル兄は続ける。
「お風呂でも言ったよね。父さん、僕に続いて彼方までいなくなったら、残された母さんと姉さんはどうするの? 彼方、帰るんだ。母さんと姉さんの為にも。ね?」
「……ハル兄」
私は感極まって、より一層、強くハル兄に抱きつく。そんな私の頭を優しく撫でてくれるハル兄。本当にハル兄は変わらない。昔から私が泣いているとこうして優しく撫でてくれた。私はそんな優しいハル兄が大好き。それからハル兄は私が落ち着くまで、ずっと撫でてくれた。ありがとう、ハル兄。
「もう、落ち着いた?」
「うん、ありがとうハル兄。ゴメンね、迷惑かけて」
「気にしないで。後、ちょっと待ってて。渡したい物が有るんだ」
ハル兄に抱き付いてさんざん泣いた後、やっと落ち着いた私。それを確認したハル兄はキッチンへ。冷蔵庫を開け、何かを取り出すと調理開始。それほど時間をかけず、何かを持って戻ってきた。それはタッパーだった。
「彼方、これを持って帰って。僕特製のだし巻き卵」
「ありがとう、ハル兄。母さんとクー姉も喜ぶよ」
タッパーの中身はハル兄特製のだし巻き卵。まさにハル兄の代名詞とも言える料理。私も母さんもクー姉も大好きだ。
「良かった。さぁ、ナナさんの部屋へ行こう」
「うん」
ハル兄に促され、2人でナナさんの部屋へ。いよいよ、元の世界に帰る時だ。
コンコンコン
「ナナさん、ハルカです。彼方も一緒です。入っても良いですか?」
ナナさんの部屋の前。ハル兄がドアをノックし、ナナさんに声をかける。
「来たかい。良いよ、入ってきな」
ナナさんの返事が聞こえ、2人で中へ。
「失礼します、ナナさん」
「失礼します」
ハル兄、私の順で室内へ。初めて見たけど、ナナさんの部屋は汚いな~。ちょっとは片付けたら?
「これでも以前と比べたら、マシだよ」
私の思った事を察したらしいハル兄が言う。これで以前よりマシって。どれだけ汚かったんだか。呆れているとナナさん。
「やっと来たね。それじゃ、まずはこいつを返すよ」
ナナさんが私に手渡したのは、私が異世界に来る原因となった黒百合のブローチ。
「しっかり持っているんだよ。そいつが無きゃ、帰れないんだからね。さ、ハルカの部屋に行くよ。来た場所がそこである以上、帰る場所もそこだからね」
そう言うと部屋を出るナナさん。私達も後に続く。そしてハル兄の部屋へ。
「さぁ、彼方、これからあんたを元の世界に送り返すよ。準備は良いかい?」
私に聞くナナさんに、1つだけお願いをする。
「すみません、ナナさん。最後に1つだけお願いが有るんです。記念写真を撮らせてください。ダメですか?」
するとナナさん、呆れ顔をする。
「全く、手間をかけさせてくれるね。まぁ、良いさ。ハルカもそう思っているみたいだし。ほら、あんた達、さっさと並びな」
どうやら、ハル兄も同じ気持ちだったらしい。ナナさんに言われて私達は横に並ぶ。ハル兄の右に私が立ち、その手を握る。するとハル兄も握り返してくれる。ナナさんは空中からカメラを取り出すと構え、私達の後ろに立つ。カメラはそのまま宙に浮いている。さすがは魔女。
「良いかい? チーズで撮るよ?」
「「はい、ナナさん」」
ナナさんに言われ、二人で返事。
「よし、じゃ、チーズ!」
カシャッ!
シャッター音がして撮影終了。ナナさんはカメラを手にする。ポラロイドカメラだったらしく、写真が出てくる。
「ほら、彼方」
「ありがとうございます、ナナさん」
ナナさんから写真を渡される。うん、綺麗に撮れてる。
「ハルカ、あんたも」
もう1枚写真が出てきて、それはハル兄へ。
「僕にもですか? ありがとうございます」
ハル兄も喜んでいる。そんな私達を見ているナナさん。でも、別れの時は迫っていた。
「あんた達。喜んでいる所、悪いんだけど、そろそろ始めるよ」
「「はい」」
ナナさんに言われ、別れに備える。
「よし、じゃ、やるよ!」
私達の返事を聞いたナナさんは、まず、ハル兄の部屋のクローゼットの扉を開く。中には、ハル兄のメイド服。そして、ナナさんは、何かブツブツと言い始める。すると、クローゼットの中に異変が起きた。空中に小さな黒い染みの様な物が現れ、それはみるみる内に拡がり、クローゼットの中は『闇』で満たされた。そう、私がこっちに来た際にクローゼットの中で見た『闇』だ。
「ふぅ、成功だ。『門』が開いたよ。後はこの中に入るだけ。そうすりゃ、あんたは元の世界に帰れる」
そう言うナナさん。この『門』に入れば帰れる。でも……。
「ハル兄、1つ約束して」
私はハル兄に1つの約束をする。
「いつか、必ず帰って来るって。お願い」
「彼方、それは……」
困った顔をするハル兄。それはそうだ。簡単に帰れるなら、ハル兄はとっくに帰っている。でも、ナナさんは言っていた。無数に存在する世界から、1つを特定して帰るのは不可能に近いと。でも、言わずにはいられなかった。そこへナナさんが言う。
「任せな。時間は掛かるだろうけど、必ず、ハルカをそっちの世界に行かせてやるよ。今までは、ハルカの元いた世界の座標が分からなかったから無理だったけど、今回の一件で手掛かりを掴めたからね」
「本当ですか? ナナさん!」
よっぽど嬉しかったのか、大声で聞くハル兄。私も嬉しい。
「落ち着きなって! すぐには無理だから。でも、約束するよ」
「ありがとうございます、ナナさん!」
私も大声でナナさんにお礼を言う。
「本当に似たもの同士だね、あんた達。あぁ、それと、これをやるよ」
ナナさんが出してきたのは、リュックサック。
「荷物はこれに入れな。元の世界に戻る最中に落としたら嫌だろ?」
「そうですね、ありがとうございます」
ナナさんにお礼を言って、ハル兄からのだし巻き卵入りのタッパー、ナナさんに貰った写真、そしてブローチをリュックサックに入れる。そこへハル兄が話しかける。
「彼方、これを。僕からの手紙。昨夜寝る前に書いたんだ。向こうに帰ったらみんなで読んで」
そう言って、1通の封筒を渡してくる。ハル兄の好きなヒヨコ柄の可愛い封筒を。私はそれを受け取り、リュックサックの中へ。
「うん、ハル兄。帰ったら必ず読むから」
「それともう1つ」
「まだ有るの?」
「僕の部屋の本棚。上から2番目の棚の右側に有るノート。それは僕の料理のレシピ帳なんだ。彼方にあげる」
ハル兄のその言葉に驚きを隠せない私。だって、ハル兄は料理のレシピに関してはかなりの秘密主義だから。
「本当に良いの? あんなに大事にしていたレシピなのに」
尋ねる私にハル兄は笑って答える。
「構わないよ。彼方の今後の為にも役立てて欲しいんだ」
「……ありがとう、ハル兄。帰ったら必ず読むね。大事に使わせて貰うから」
「うん、そうして。でも、僕の真似するだけじゃダメだよ。彼方なりのレシピも編み出してね。これからは彼方のレシピ帳を作るんだ」
「分かった、ハル兄」
もっとハル兄と話をしたい。でも、帰らなきゃ。私は覚悟を決める。
「ハル兄、ナナさん、私、そろそろ帰ります。ハル兄、会えて嬉しかったよ。ナナさん、短い間ですけど、お世話になりました」
「うん、僕も会えて嬉しかったよ」
「ふん、まぁ、大した事はしてないけどね」
寂しそうなハル兄と、いつも通りのナナさん。
「ハル兄、ちょっと来て」
「何? 彼方」
少々、伝えたい事が有り、ハル兄を呼ぶ。私の元まで来た所で、ハル兄の耳に口を寄せて小声で話す。
(ハル兄、ナナさんとの関係は秘密にしてあげる。母さんにバレたら一大事だし)
すると、顔を真っ赤にして慌てるハル兄。
(気付いてたの?)
(昨日の夜にね)
ここで話を切り上げ、ハル兄から離れる。もう、行かなきゃ!
私は『闇』を湛えるクローゼットの方を向く。そして、最後に振り返る。
「ハル兄、またね!」
精一杯の笑顔でハル兄にそう言う。
「うん、彼方、またね!」
ハル兄も精一杯の笑顔で返してくれた。私はクローゼットに向き合う。もう、振り返らない。
「やぁっ!!!」
気合い一発、私はクローゼットの中の『闇』に飛び込んだ。とたんに周りから一切の音も光も消え去る。上下左右も、自分が落ちているのか、浮いているのかも分からない。そして、意識が急速に遠のいていく。
(待ってるからね、ハル兄……)
「……た! し…か……て! 彼方!!」
う~ん、うるさいなぁ。誰よ、大声で騒いでいるのは……。誰かが私のそばで騒ぎ立てている。あまりにうるさいので、起きる事にした。すると、目に入ったのは……。
「彼方!!! 良かった、気が付いたのね!」
涙を流す母さんの顔だった。よく見れば、私は母さんに抱き絞められた状態だった…………って、母さん?! 自分の置かれた状況を理解して、大声を上げそうになる。私は慌てて周りを見る。そこは見慣れた場所。私の家の私の部屋。そう、私は元の世界に帰ってきた。
「 彼方、どこか痛い所とか無い? 大丈夫なの?!」
クー姉も心配そうに聞いてくる。2人には本当に悪い事をしてしまったな。まずは、これを言わないと。
「私は大丈夫。母さん、クー姉、ただいま! それと心配かけてごめんなさい!」
2人にただいま、そして、心配をかけた事を謝る。でも、甘く見てたよ、母さんの大激怒。
「…………彼方、ごめんなさいで済むなら…………警察も軍隊も要らないのよ!!! あんたって子は!! お尻百叩きの刑よ!!!」
「あ~ぁ。彼方、悪いけど、自業自得だから」
「キャアァアアアアアッ!!!」
こうして、私は元の世界に帰ってきて、そうそう母さんにお尻百叩きの刑を受けました……。痛い~~~~っ!!
「う~痛いよ~」
「心配をかけた罰よ。一体、今までどこに行ってたの? 突然、いなくなったって久遠から聞いたけど。その上、突然、戻ってきて」
母さんが当然の疑問を口にする。
「それに、何? その格好。メイドのコスプレでもしてたの?」
クー姉は私の服装につっこむ。ナナさんに貰ったハル兄とお揃いのメイド服だからね。ちなみに私が帰ってきた時の状況は聞いた。方々探し回っても私が見付からず、途方に暮れてウチに帰って来たら、私の部屋で物音がして、何かと思って入ったら、私が開きっぱなしのクローゼットの前で倒れていたと。さて、とりあえず、私がいなくなった事の説明をしないと。
「母さん、クー姉、今から話す事だけど、よく聞いてね。私がこの家を留守にしている間に有った事。正直、無茶苦茶な内容だけど」
まずは、そう前置き。
「分かったわ。話してちょうだい」
「さて、何を聞かせてくれるんだか?」
母さんはともかく、クー姉、ちょっとムカつく。まぁ、それはさておき。私は2人に留守中の事を話した。クローゼットから異世界に飛ばされた事、生まれ変わったハル兄に会った事、ナナさん達の事を。でもね~~。やっぱり、信じてくれない。そりゃ、私も同じ立場なら信じない。
「彼方、いくらなんでも、そんな話は信じられないわね」
「厨二病にも程があるわよ、彼方」
母さんはともかく、クー姉は本当、ムカつくな。ならば、証拠を出す。私はリュックサックからタッパーと手紙を取り出す。
「母さん、クー姉、これを見て」
まずはタッパーを開け、だし巻き卵を見せる。2人ともそれを見て、ギョッとする。見覚えの有る品だもの。
「とりあえず、食べてみて」
行儀は悪いけど、手でちぎって2人に渡す。2人はそれを口にして目を丸くする。
「遥の味だわ……」
「間違いないよ、母さん。これ、遥のだし巻き卵だよ」
何度も食べてきた、ハル兄特製だし巻き卵。私達家族が忘れるはずがない、間違えるはずがない。この味を出せるのは、ハル兄だけ。更にとどめ。
「これ、ハル兄からの手紙」
母さんにハル兄からの手紙を渡す。母さんはさっそく封を開け、中身を読む。そこにはハル兄からの死んだ事に関する謝罪。異世界で元気にやっている事、私達に健康に気を遣う様に書いてあった。
「遥……貴方って子は……。良かった、元気でやっているのね……」
「確かに遥の字ね。本当にヒヨコ好きなんだから……」
母さんもクー姉もハル兄からの手紙を読んで涙ぐむ。
「母さん、クー姉、見て。向こうで撮った写真。こっちがハル兄で、後ろにいるのがナナさん」
2人に今度は写真を見せる。
「これが今の遥……」
「うわ、すっかりイメチェンしちゃって。銀髪碧眼とは、またあざといキャラで」
写真を見て盛り上がる2人。こうして、本来、あり得ないはずの再会を果たした、私の不思議な異世界体験は幕を閉じた。その時、ふと思い出した。そもそものきっかけとなった、黒百合のブローチ。あれをリュックサックから出していない。出そうと入れた場所を探ったら、ブローチではなく、平たく、丸い物が有った。
「500円玉……何で?」
そう、私が黒百合のブローチを買った際に支払った額。それがブローチの代わりに有った。
(代金は確かに返したッスよ)
あれ? 今、あのアクセサリー売りの女性の声がしたような? 気のせいかなぁ?
まぁ、良いか。私は帰ってきた。また、いつも通りの生活が始まる。
「母さん、クー姉、お風呂は沸いてる? 沸いてるなら、お風呂に入りたいんだけど?」
聞いてみたら、クー姉が答えてくれた。
「沸いてる。行ってきたら。私は母さんと写真を見てるから」
「うん!」
私は足取り軽く、我が家のお風呂へ向かった。全く、2人とも写真に夢中なんだから。
「やっぱり、ハル兄は凄いな。一つ一つの料理のレシピについて、きっちり細かい所まで書いてある。それでいて、凄く分かりやすい」
翌日、私は自分の部屋で、ハル兄の料理のレシピ帳を読んでいた。ハル兄の言った通り、ハル兄の部屋の本棚の上から2番目の棚の右側に納められていた大量のノート。ハル兄の大事な宝物。有りがたく読ませて貰う。
「ハル兄、待ってるからね。私、今度会う時はもっと料理が上手くなっているから。楽しみにしててね」
私は遥か遠い異世界にいるハル兄に向けて、そう呟いた。
読者の皆さん、お久しぶりです。作者の霧芽井です。2015年の初投稿、僕と魔女さん、第六十九話をお届けします。
相変わらずの書けない病。一月を過ぎて二月になってしまいました。そして、やっと、彼方編が完結です。最後はハルカと元の世界での再会を約束して、帰っていった彼方。彼女は元の世界で頑張っています。ハルカもまた、ナナさんの元で負けじと頑張っています。二人とも、いつの日かの再会を夢見て。
ですが、謎も残りました。事件のきっかけとなった、黒百合のブローチ。あれを売った女性。彼女が口にした、「先輩」、「カオルさん」。その正体や目的は分からずじまい。『今はまだ』。
最後に、長編は疲れるので、しばらくは一話完結の短編にしようと思います。
では、また次回。