第54話 ミルフィーユお嬢様の悩み事
ナナさん、ハルカ師弟が異世界で修行をしていた同日。スイーツブルグ侯爵家。
足りない。こんな程度ではとても足りない。あの背中に追い付けない。私の脳裏に浮かぶは、腰まで届くストレートの銀髪の少女の後ろ姿。
ズダァアァァン!
激しい音と共に強かに床に叩き付けられる。
「ふぅ。ミルフィーユお嬢様、今回はここまでにしましょう」
訓練の相手、執事のエスプレッソは顔色一つ変えず、息一つ乱さず、そう告げましたわ。
「大丈夫、まだまだやれますわ」
強がりを言うものの、正直、限界ですわ。体力、魔力共に。でも、これぐらい乗り越えなくては、到底、ハルカに追い付けませんわ。ツクヨポリスより帰ってきて以来、私は連日、執事のエスプレッソ相手に激しい訓練を続けていましたの。全ては強くなる為に。私は弱い。あまりにも弱いですから。そんな私にエスプレッソが言いましたわ。
「ミルフィーユお嬢様、何をそんなに焦っておられるのですか? 熱心なのは結構ですが、明らかに限界に達しておられますな。これ以上は危険でございます」
「大丈夫だと言っているでしょう! エスプレッソ!」
『焦っている』痛い所を突かれ、つい大声を張り上げてしまいましたが、エスプレッソは動じません。
「なりません。今回はここまででございます」
もちろん、本当はエスプレッソの言う通りだと分かっています。無理をした所で身体を壊すだけ。でも分かっていても割り切れないのもまた、事実ですわね。まぁ、今は身体をほぐすとしましょう。
「……分かりましたわ。今回もありがとうエスプレッソ。それではマッサージをお願いしますわ」
「は、かしこまりました。では失礼致します」
酷使した身体をマッサージしてほぐしてくれるエスプレッソ。本当にエスプレッソ様々ですわね。このマッサージのおかげで、連日の訓練が出来るのですから。 それにエスプレッソは決して、卑猥な事はしませんから、安心して任せられますわ。
「エスプレッソ」
「何ですかな? ミルフィーユお嬢様」
「貴方のマッサージは本当に良く効きますわね。明日に疲労や筋肉痛が残りませんもの」
本当に優秀な執事ですわね、エスプレッソは。
「ありがとうございます。ただ、残念ながら、豊胸効果は有りませんが」
「大きなお世話ですわ!」
「小さい胸だけに大きなお世話ですか。いや、実に上手く言われましたな」
「お黙りなさい! エスプレッソ!!」
性格は最悪ですけど……。
時間は流れて、午後。私は気分転換に出かける事にしましたの。最近は訓練漬けの日々でしたし。もっとも、1人ではありません。エスプレッソも一緒ですが。さて、どこに行きましょうか? そうですわね、ここはやはり、ナナ様のお屋敷にしましょう。アポ無しですが。とりあえず、手土産が必要ですわね。途中で安国さんのお店に寄るとしましょう。
「それでは行きますわよ、エスプレッソ」
「かしこまりました、ミルフィーユお嬢様」
こうして、エスプレッソをお供に久しぶりに一般市街地へとお出かけ。貴族というのも楽ではありませんわ。気軽に外出が出来ませんもの。さて、手土産には何が良いかしら? まぁ、安国さんのお店のスイーツなら、外れは有りませんが。
カラン、カラン。
店のドアを開くと軽快に鳴り響くベルの音。そして店の中に満ちる甘い匂い。女性を中心としたお客さんが思い思いにスイーツを選んでいますわ。さすがは大陸一と評判のパティシエ、安国さんのお店。今日も繁盛していますわね。
「おぅ、ミルフィーユの嬢ちゃんに執事さんか。よく来たな」
店の奥から、店主の安国さんが姿を見せましたわ。2メートルを越す長身の鍛え上げられた肉体に、スキンヘッドにサングラスの強面。どう見てもパティシエには見えません。実際、初めて店を訪れたお客さんが、安国さんを見た途端、逃げ出す事が多いとか。失礼ながら、私も初対面の時は怖かったですし……。
「こんにちは、安国さん」
「こんにちは、安国殿。今日も商売繁盛な様で何より」
「あぁ、お陰様でな」
「ところで安国さん。これからナナ様のお屋敷に伺おうと思いますの。何かお勧めのスイーツは有りません?」
安国さんのお手製スイーツはどれも素晴らしい味ですが、どうせならお勧めの品を手土産にしたいですわね。
「お勧めか…….。だったら、これにしたらどうだ? チーズケーキだ。良いチーズが手に入ったんで作ったんだ。我ながら良い出来だぜ。メイドの嬢ちゃんも喜んでくれるだろ」
そう言って安国さんが選んでくれたのは、チーズケーキ。
「ラッキーだぜ、嬢ちゃん。俺は良いチーズが手に入った時しか、チーズケーキを作らないからな。わざわざこいつ目当てに毎日通う客もいるんだぜ」
それは驚きですわね。そんなレアな品を買えるとは本当にラッキーでしたわ。
「ありがとうございます、安国さん。そのチーズケーキを頂きますわ」
「おぅ、毎度あり」
「良い手土産が出来ましたな、ミルフィーユお嬢様」
安国さんが慣れた手つきで、チーズケーキを持ち帰り用のケースに納め、私はレジにて代金の支払い。ちなみにカード払いですわ。
「それでは、失礼致します安国さん」
「おぅ、また来てくれよ」
こうして、安国さん特製チーズケーキを手土産にナナ様のお屋敷へ。ハルカが喜びそうですわね。
「……どうやら、お留守の様ですな」
「そんな……。せっかく、チーズケーキを手土産に持って来ましたのに」
そう、ナナ様のお屋敷を訪ねたものの、チャイムを鳴らしても返事が無く、留守の様でしたの。
「それは言っても仕方ありません、ミルフィーユお嬢様。ナナ殿やハルカ嬢にも都合は有ります。それにアポ無しで訪ねたのですから」
確かにその通りですが……。
「それにしても、ナナ様とハルカはどこに行ったのでしょう?」
「それは分かりませんな」
もしかしたら、またどこかへ修行に出ているのかもしれませんわね。またハルカの背中が遠ざかる。そんな気持ちになりましたの……。
「いかがなされました? ミルフィーユお嬢様? なにやら、顔色がすぐれませんが?」
思っていた事が、顔に出ていた様ですわね。エスプレッソに言われてしまいましたわ。
「いえ、何でもありませんわ。しかし、このチーズケーキをどうしましょう? 屋敷で皆で分けるには足りませんし、私だけでは多いですし」
そう、安国さん特製チーズケーキは丸々、1ホール有りますの。生物ですから早く食べてしまわないと。
「ならば、クローネ殿の所を訪ねてみてはいかがですかな? あの方は甘党でいらっしゃる。特に出かける様な話は聞いておりませんし、多分在宅でしょう。チーズケーキを持参すれば喜んでくださるかと」
エスプレッソが助け船を出してくれましたわ。そうですわね、当初の予定とは変わりましたが、そうしましょう。
「分かりましたわ、エスプレッソ。クローネ様のお屋敷にお邪魔しましょう」
こうして、私達は予定を変更。クローネ様のお屋敷に向かいましたの。
王都の一角に立つ、子供向けの格闘道場。ここがクローネ様のお住まいですわ。
「よく来たな、ミルフィーユ、エスプレッソ。まぁ、上がると良い」
幸い、クローネ様は在宅でしたわ。道場も今日はお休みとの事。
「突然、お邪魔して申し訳ありませんクローネ様。後、これはつまらない物ですが」
そう言って、私はチーズケーキを差し出します。
「む、それは安国の特製チーズケーキではないか! なかなか買えない貴重な品だぞ。ありがたく、頂くとしよう」
甘党のクローネ様はチーズケーキを見て、喜んでくださいました。
で、現在、客間。切り分けられたチーズケーキの乗ったお皿が『4枚』、紅茶が『4人分』。
「ありがとうね、クローネちゃん。わざわざ呼んでくれて。ミルフィーユちゃんもチーズケーキありがとうね。これ、なかなか買えないから」
喜んでいるのは、ファム様。クローネ様が呼びましたの。貴重なチーズケーキですし、3人で食べるにはやや多いので。そして始まったティータイム。そんな中、ふと私は最近の悩みをこぼしましたの。正直、誰かに聞いて貰いたかったのですわ。
「ハルカは良いですわね。ナナ様より教えを受け、魔水晶の武器を与えられ、しかも魔王の身体を持つ転生者。本当に恵まれていますわね」
本当に羨ましい。私が持たない物をいくつも持っているハルカが。
「ミルフィーユお嬢様、その言葉、ハルカ嬢の前では断じて口になさらない様に」
私の言葉に反応したのはエスプレッソ。見れば、クローネ様、ファム様も何やら、不機嫌そうな顔。
「我も今の発言は感心せんな」
「アタシも」
何ですか、3人共。そんなに睨まなくても……。そこへエスプレッソ。
「ミルフィーユお嬢様、ハルカ嬢は確かに恵まれています。ですがそれは『自ら望んだ事でしょうか?』」
えっ? それは……。続いてクローネ様。
「ハルカは元は普通の人間。家族と共に暮らし、当たり前の日常を送ってきた。そしてそれが続くと思っていただろう。だが、その全てを壊されてしまった。自らの死、更には異世界への転生という形でな」
更にファム様。
「ハルカちゃんは優しい子。誰かを傷付けたり、殺したりする『力』なんて欲しくなかったと思う。欲しくもない物を与えられた代償が、それまでの日常。あんまりだよ……」
再び、エスプレッソ。
「ハルカ嬢を転生させた死神。先日、話を伺った際に、死神はハルカ嬢を実験体として転生させたとか。まず間違い無く、死神はハルカ嬢の全データを収集している事でしょう。酷い話ですが、死神に対してハルカ嬢はプライバシーが無い事になります。これでもハルカ嬢が羨ましいですかな? ミルフィーユお嬢様?」
「……私が悪かったですわ。ハルカの立場や気持ちも考えずに軽々しい発言をしてしまいましたわ」
3人から容赦無く、叩かれてしまいましたわ。でも、確かにその通りですわね。ハルカの愛する平和な日常を失った代償に得た『力』。そんな物が果たしてハルカにどれ程の価値が有るでしょう? 少なくとも、私の知るハルカは浅ましく『力』を求める人ではありませんわ。
「分かって頂けて、何よりでございます。ですが、ミルフィーユお嬢様のお気持ちも分からないではありません。ハルカ嬢は確かに羨望の的ですからな」
「持ち上げるのか、落とすのか、どちらかになさいエスプレッソ」
「世の中、理屈だけでは割り切れませんからな。他人を羨むのもまた仕方ない事でございます」
「まぁ、羨み、妬む事しか出来ない奴など程度が知れる」
「結局は本人次第なんだよね」
本当に、持ち上げるのか落としたいのか、分からない人達ですわね。
「そうですわね。羨む暇が有るなら、少しでも努力をしますわ。例え、追い付けず、距離を離されるだけだとしても……」
本当に遠いハルカの背中。やはり私は追い付けないのでしょうか?
その後、私達はクローネ様のお屋敷を後にしました。帰り際、クローネ様に言われました。
「ミルフィーユ。ありきたりな言葉だが、焦るな。『力』を求めるあまり、道を踏み外した輩は後を絶たぬ。お前にとって、ハルカは何だ? 良く考える事だ」
私にとってのハルカですか……。
その夜。
「ふぅ、さっぱりしましたわ」
入浴を済ませ、自室に戻ってきた私。ですが、そこにいるはずの無い人物が。
『風呂上がりか、なかなか色っぽいな。貧乳が残念だがな。ククククク……』
ベッドに腰掛け、嫌な笑い声を上げる真紅のチャイナドレスを纏う若い女。真紅の瞳がこちらを見つめます。
「何故、ここに? 『邪神ツクヨ』!!」
読者の皆様、お待たせしました。第五十四話をお届けします。
ハルカとの『力』の差に悩むミルフィーユ。いかに天才と言えど、ミルフィーユは人間。対するハルカは魔王の身体を持つ転生者。しかも伝説の魔女のナナさんに師事し、魔水晶の武器まで持っている。そりゃ、羨ましく、妬ましいでしょう。人間ですもの。何とも思わない方がおかしい。
そして、最後に出てきた邪神ツクヨ。一体、何をしに出てきたのか?
ではまた次回。