第132話 決着、ハルカVSスイーツブルグ侯爵夫人
「……強いとは思っていたけど、これ程とはね。人外の域に片足どころじゃなく突っ込んでいるね、あれは」
「見事なもんだ。あれだけの炎の使い手はそうそういない。さて、ハルカはどう出るかな? これは見物だ」
離れているにもかかわらず、こちらにまで強烈な熱気が吹き付ける。その発生源はスイーツブルグ侯爵夫人。人の身でこれ程の域に達するとは。正直、私も驚いた。私のすぐそばでポップコーンを頬張りつつ観戦していたクソ邪神も、愉快そうに笑う。しかし、侯爵夫人め。そんじょそこらの炎の使い手とは一味どころじゃなく違うね。クソ邪神の言う様に、ハルカはどう出るかね? ただの炎の使い手じゃない事は『見れば分かる』し。
ハルカ達の使い魔絡みの件で訪れた、スイーツブルグ侯爵家。そこで急遽行われる事となった、ハルカ対スイーツブルグ侯爵夫人の対決。言葉の応酬による小手調べから始まり、小太刀二刀流と、棍による武術対決。そしていよいよ勝負は最終ラウンド。お互いに魔力を解放しての対決へ。侯爵夫人が炎、ハルカが氷、それぞれの魔力を放つ。熱気と冷気がせめぎ合う。
「以前にも増して、力強い冷気ですね。その若さで素晴らしい」
「侯爵夫人こそ、見事な炎です」
お互いの足元から迸る、炎と冷気。その威力を称え合う。だが、ここで侯爵夫人が切り札を一枚切ってきた。
「本来なら、この状態でお相手するのですが、貴女に敬意を示し、もう一段階、上を御覧にいれましょう。少々、やり過ぎてしまうかもしれませんが……」
何と侯爵夫人、もう一段階、上を見せると言い出した。これにはハルカも驚きを隠せない。むやみやたらと切り札は切るものじゃないからね。もっともハルカとて、バカじゃない。すぐさま気持ちを切り替えて、応戦状態に入る。ぐずぐずしていたら、実戦だとお陀仏だし。その辺は私がしっかり仕込んである。さて、侯爵夫人は何を見せてくれるのかね? 私としても興味深い。
「では、お見せしましょう。これがもう一段階、上です」
侯爵夫人がそう宣言すると、まずは棍をしまった。続いて足元から噴き上げていた激しい炎が『消えた』。しかし、ハルカは警戒を緩めない。むしろ、より一層、警戒を跳ね上げた。よしよし、ちゃんと分かっているね。ハルカは侯爵夫人の足元から噴き上げていた炎が消えた理由を見抜いた様だ。そしてそれが何を意味するかを。
「ありゃ、初見殺しだな。本質を見抜けないアホなら、ひとたまりも無いな。ま、ハルカは見抜いたみたいだがな」
「当たり前だろ。あの子を有象無象のカスと一緒くたにするんじゃないよ」
私の隣で観戦中のクソ邪神もきっちり見抜いており、初見殺しと評する。確かにあれは初見殺し。物事の上っ面しか見えないバカなら、まず引っ掛かる。その愚かさは死を持って知る事になるだろうけど。
「では、行きますよ。くれぐれも死なないでください」
わざわざ攻撃を宣言する侯爵夫人。ハルカもそれを受け、改めて身構える。その直後、いきなりハルカが吹っ飛ばされた!
文字通りの目にも止まらぬ、超高速の一撃。それを受け、吹き飛ばされるハルカ。更に舞台の上を二転三転し、危うく場外に落ちかけるが、ギリギリの所で踏みとどまった。しかし、受けたダメージは大きかったらしく、みぞおちの辺りを押さえている。……また、何とも嫌らしい場所を殴るね、侯爵夫人は。
「イサム、竜胆、お前ら、今の見えたか? 見えたなら、説明してみろ」
クソ邪神は相変わらずポップコーンを頬張りつつ、イサムと竜胆に話を振る。こいつなりに、2人を試しているらしい。
「では、僭越ながら、私が。侯爵夫人は外部に放出していた炎の魔力を体内へと収納。そうする事により、身体能力を飛躍的に強化しました」
まずは竜胆が侯爵夫人の異常な速さと力を種明かし。続けてイサム。
「攻撃自体はシンプル。間合いを詰めて、ハルカのみぞおちにボディブローを打ち込んだ。的が大きく、なおかつ避けづらい胴体狙い。しかもあれ、胃の辺りを狙ったストマックブローです。あれやられると、滅茶苦茶苦しいんですよ。マジ、えげつないな、あの人」
イサムもその苦痛を思い浮かべたのか、顔をしかめる。しかも、あの一撃、単なるボディブローじゃないよ。その証拠にメイド服の殴られた部分が焼け焦げ、更にハルカの身体まで焼いている。蛋白質の焼けた匂いが流れてくる。単に身体能力の強化だけではなく、自身を灼熱の塊に変えているのか。正に攻防一体。下手に触れれば火傷じゃ済まない。……場合によっちゃ、止めに入るか。
「……事と次第によっては止めないとまずいな。イサム、竜胆、いつでも出られる様にしておけ。コウ、その際の治療は頼むぞ」
クソ邪神もこの事態を重く見たらしく、もしもの際に備え、指示を飛ばす。だが、まだ手出しはしない。なぜなら、ハルカも侯爵夫人もまだまだやる気だからだ。
「わざわざ僕が立つまで待ってくださるとは、親切ですね」
「別に叩きのめしても良かったのですが、そう簡単に決着を付けてはつまらないので。それに、私はまだ貴女の力を見ていません。見せてください、貴女の力を。出し惜しみをしている場合ではありませんよ? 切り札の切り時を見誤る者には、死有るのみです。これは人生の先輩としての忠告です」
何とか立ち上がったハルカに対し、余裕を見せ付ける侯爵夫人。忠告までする辺り、実に余裕だ。しかし、言っている事は正しい。
「ご忠告、痛み入ります。ならば、ご期待に応えます!」
ハルカもまた、一段ギアを上げる。ハルカの長所の一つ、それは謙虚な所。自らを素人と、未熟とわきまえている事。だから、忠告は素直に聞くし、相手の良い所はどんどん取り入れる。なりふり構わないとも言えるが、それがどうした? 負けは死を意味する。この世界はアニメやゲームじゃない。ハルカは主人公じゃない。主人公補正なんぞという、ご都合主義は無い。負ければ死ぬ。弱ければ死ぬ。ただ、それだけだ。
私も過去にいわゆる転生者の自称、主人公を何人も見てきたが、まともに生き残った奴はいない。特典もらったぐらいで、全てが上手くいく訳ないんだよ。現実舐めるな。
「つい最近、身に付けたばかりで、まだ、使いこなす域には達していないんですが……行きます!」
力を見せろと言った侯爵夫人に応え、ハルカもまた、新たに手にした力を発動させる。しかし、本人も言う通り、つい最近になって得た力。まだまだ使いこなす域には達していない。長期戦に持ち込まれたら負けだ。結果はどうあれ、決着が付くのは早そうだね。きちんと見ておかないといけない。師匠としても、魔女としても。
ハルカの宣言と共に、その影が水面の様に波打ち、揺らめく。通常なら、あり得ない光景。話には聞いていたが、あれがハルカの新しい力か。侯爵夫人も興味深そうに眺めている。だからといって、寸分の油断も見せない辺りはさすが。
「影が水の様に揺らめくとは。実に興味深いですね。さて、ここからどう出ます?」
侯爵夫人からの問いかけに、ハルカも答える。
「そうですね。ありきたりですが、こんなのはいかがですか?!」
ハルカの言葉に応え、影から飛び出してきたのは大量の黒い蛇。それらは一斉に侯爵夫人に向かって牙を剥いて襲いかかる。
「……ハルカには失礼ですけれど、悪趣味ですわね」
「それは仕方ありません、ミルフィーユお嬢様。ハルカ嬢の根源の型は蛇。よってあの形が最もハルカ嬢に適したものなのです。それにもっと醜悪な形を取る者もおります。それと比べれば蛇など可愛いものでございます」
「あんた達、私の弟子に対して失礼だね! まぁ、周囲からの受けが悪いのは認めるけど」
ハルカの使う蛇に対し、好き勝手言ってくれるミルフィーユとエスプレッソ。全く、失礼だね。あの若さで魔道の極意の一つである根源の型に至り、更にはその力を使えるにまで至ったんだよ、ハルカは。
……まぁ、蛇という形を取る関係上、世間一般からの受けが悪いのは認めるけど。神話や昔話において、蛇ってのは悪者扱いが多いからね。ハルカの世界の聖書とやらでも、イヴとか言う女をそそのかした悪者らしいし。世の中上手くいかないね。もっとこう、ハルカにふさわしい、華やかなのが良かったんだけどさ。そんな私の思いなどそっちのけでハルカと侯爵夫人の対決は激化の一途を辿る。
「ぬぅううううううっ!!」
「はぁああああああっ!!」
ハルカは自分の影から数十に及ぶ、黒い蛇を繰り出し、四方八方から侯爵夫人に攻撃を仕掛ける。ちなみに黒い蛇は高密度かつ、高水圧の黒い水で出来ており、下手に触れたら終わりだ。全く、とんでもない子だよ。まだあの子は新しい力である黒い水を使いこなす域には達していないにもかかわらず、大量の蛇を操っている。侯爵夫人という強敵との戦いを通じて、急速に成長している。この分なら、そう遠くない内に黒い水を使いこなせる様になるだろう。
しかし、侯爵夫人もまた負けていない。ぶっちゃけ全方位攻撃を受けているのに、黒い蛇の全てを捌き、粉砕し、あまつさえハルカに攻撃を仕掛ける始末。さっきも言ったが、黒い蛇は高密度、高水圧の塊であり、何よりハルカの魔力の産物。それを捌くわ、粉砕するわ、あんな芸当が出来る奴なんて、私を始めとする三大魔女を含めてもそうはいない。魔力、攻撃力、速さ、技量、体力、精神力、どれを見てもずば抜けている。
「面白いね。実に面白い。人の身でありながら、ここまでの高みに来るとはね」
私は改めて侯爵夫人に対する評価を上げる。
「あんたの手腕も大したもんだね、エスプレッソ」
そして、侯爵夫人を育て上げた師匠であるエスプレッソに対してもね。気に入らない奴だが、その手腕を認めない程、私は狭量じゃない。
「これはこれは。伝説の三大魔女が一角たる、ナナ殿からお褒めの言葉を頂くとは。身に余る光栄ですな」
私の称賛に、芝居がかった大仰な仕草で返すエスプレッソ。ふん、相変わらず、気に入らない奴だよ。しかし、この勝負、終わりが近い。他の連中もそれを察し、それぞれ準備を始めている。
「コウ、治療の準備を。両方ともかなりのダメージを受けているからな。きっちり完治させろ。費用は俺が全額持つ」
「了解しましたマスター。その代わり、一切まかりませんよ?」
「うるさい。真十二柱、舐めるな」
漫才みたいなやり取りをしているが、やるべき事はきっちりやってくれるみたいだ。その一方で、ハルカと侯爵夫人の戦いはいよいよ最終局面に近付いてきた。
しかし、我が弟子ながら、恐ろしい成長力だ。さっきまでは立ち止まった状態で影から黒い蛇を出して操っていたのが、多少、数を減らしたのと引き換えに、今は走りながら自分の腕の周りから黒い蛇を出して、やってのけている。あの子、並列思考が出来るからね。移動と複数の蛇を使った攻撃の同時運用を会得したか。侯爵夫人も変則的な動きをする蛇と、ハルカの二段構えには手を焼いている。
だが、それでも侯爵夫人は倒れない。一度はしまった棍を取り出し、四方八方から襲いかかる蛇の攻撃と、それに交えたハルカの嫌がらせ満載の攻撃を迎え撃ち、隙有らば鋭い突きを放ってくる。こんな勝負、そうそう見られるものじゃない。しかし、現実は無情。何事にも終わりは有る。
「そろそろ終わりだね」
「そうだな」
私の呟きにクソ邪神が相槌を打つ。片方の攻撃に乱れが出てきたからだ。そしてそれは致命的な隙となる。更に言えば、それを見逃す程、甘い相手じゃない。
「隙有り!」
僅かな攻撃の乱れを突いての一撃。それは的確に左胸を突く。ぶっちゃけ、致命傷になりかねない一撃。
「ハルカ!」
思わず叫ぶイサム。そう、劣勢になったのはハルカ。やはり、まだ新しい力を使うには早かった。本人の予想以上に消耗してしまったらしい。どうにか致命傷は避けたみたいだけど、今のは相当堪えた様だ。左胸を押さえながら、どうにか立ち上がる。
「…………本当に容赦ないですね。……死ぬかと思いましたよ」
苦しい息を付きつつ、ハルカは侯爵夫人を見据える。その瞳はまだ闘志を失っていない。基本的に穏やかな性格の子だけど、その一方でなかなかの負けず嫌いだからね。このまま引き下がるのは、プライドが許さないか。そんなハルカの気持ちを侯爵夫人も汲んだらしい。
「その若さで見事な闘志です。その闘志に敬意を表し、私の最終段階を持って応えましょう。光栄に思いなさい。これを使うのは貴女が3人目です。何せ大抵の相手は、使うまでもなく終わりましたから。これで決着を付けましょう」
「……それは…光栄ですね。だったら、僕も最後に全力の一撃を出します」
侯爵夫人からの、最終段階使用宣言。それは同時に決着を付ける宣言でもあった。侯爵夫人はハルカを子供ではなく、対等に戦う相手として認めた。だからこその宣言。間違いない。次の一撃で決まる。止めないとまずいと思う反面、決着を見てみたいという思いも有る。……我ながら業が深いと言うか、何と言うか。
「複雑な気分だな。両者の安全を最優先にするなら、止めねばならん。だが、あれだけ盛り上がっているのを止めるのは惜しいと思うのもまた、事実」
どうやらクソ邪神も似たような事を思っていたらしい。
「そうですな。奥方様があれだけ楽しそうにしていらっしゃるのは、いつ以来でしょうかな。今、ここで割って入ろうものなら、間違いなく、お怒りを買う事になりましょう」
そこへエスプレッソの奴も相槌を打つ。……仕方ないね。だが、最悪の事態になりそうなら、その時は止める。出来れば、そうならない事を願うけどね。そうこうしている内に、決着の時が迫っていた。
「さぁ、とくと目に焼き付けなさい。これが私の最終段階です」
遂に最終段階を見せる侯爵夫人。宣言と共に、その全身が青い業火に包まれる。一見、自爆した様に見える。バカなら、そう思うだろうね。しかし、私には分かる。あれはほんの序の口。来るよ、侯爵夫人の本気モードが。ハルカもそれを察し、黒い蛇を大量に呼び出し、備える。そして、侯爵夫人を包んでいた青い業火が弾け飛ぶ。
「おっと、危ない!」
結界を張り、飛び散る火の粉を防ぐ。ったく、たかが火の粉のくせに、大した火力だよ。だが、遂に侯爵夫人の最終段階がお出ましだ。
「何と言うか、やはり親子ですね。ミルフィーユさんのと、そっくりです」
「そうですか。血は争えないですね。それとあらかじめ、忠告します。この形態になると手加減が上手く出来ません。あしからず」
侯爵夫人の最終段階を見て、娘のミルフィーユとそっくりと感想を口にするハルカ。そんなハルカに対し、最終段階になると手加減が上手く出来ないと語る侯爵夫人。その背中には、一対の青い炎の翼が出現していた。あれが侯爵夫人の最終段階か。手加減が上手く出来ないってのも納得だ。凄まじい力を感じる。ハルカの言葉から察するに、ミルフィーユも同じ様な翼を出すらしい。まぁ、今はそれどころじゃない。強大な力は、負担も大きい。いわゆる、短期決戦用。決着は近い。
「行きます」
「来なさい」
お互いに手短に言葉を交わす。余計な事は言わず、次の一撃に全てを賭ける。
ハルカの影から黒い水が巻き上がり、胸の辺りの高さで激しく渦巻く。
侯爵夫人の背中の青い炎の翼が、より一段と大きくなり、ハルカと同じく胸の辺りの高さに、燃え盛る青い炎の球が現れる。
「決着の時だ」
クソ邪神がそう呟いたのと、ほぼ同時にハルカと侯爵夫人が最後の一撃を放った。
「行けえぇぇぇぇぇぇっ!!!」
「はぁあああああああっ!!!」
ハルカが放ったのは漆黒の大蛇。牙を剥き、侯爵夫人目掛けて襲いかかる。対する侯爵夫人が放ったのは青い炎の巨鳥。大蛇を貫かんとばかりに鋭い嘴を向け、ハルカ目掛けて突き進む。そして両者が激突。凄まじい衝撃が巻き起こり、辺りを吹き飛ばす。事前に結界を張ってなければ危なかった。しかし、こりゃまずい。私の予想以上だ。このままじゃ、ハルカも侯爵夫人もただじゃ済まない。
「クソ邪神、止めに入るよ。これ以上は、まずい。エスプレッソ、結界を頼んだよ」
私はクソ邪神と共に止めに入る事にし、結界はエスプレッソに頼んだ。しかし、事態は意外な結末を迎えてしまった。
黒い大蛇と青い巨鳥。両者が激しく激突し、喰らい合う。もはや、単なる魔力のぶつかり合いを超えた対決。それらを放ったハルカと侯爵夫人もまた、その場から一歩も退かず、攻撃に集中していた。この勝負、僅かでも集中を切らした側が、まともに攻撃を受ける羽目になる。しかし、勝った側もただでは済まない。だからこそ止めに入ろうとしたんだけど……。
ブリブリブリ! ブピー!
この状況に似つかわしくない、生理的に嫌な音がいきなり響き渡った。
「へーへーブーブー! へーブーブー! へーへーブーブー! へーブーブー!」
何をとち狂ったのか、ハルカと侯爵夫人の対決している舞台の上に上がり込んだボケ猫が、盛大にウンコを漏らしやがった! しかも、その状態で歌って踊る始末。このバカ! この状況で何やってるんだよ! と、そこで私は気付いた。まずい!
ボケ猫のバカな振る舞いのせいで、ハルカと侯爵夫人、共に集中が乱れた。そのせいで、それまで均衡を保っていた魔力同士が暴発してしまう!
「ちっ!」
クソ邪神が舌打ちしつつ、急いで暴発寸前の魔力の塊に向かう。ところが、ここで予想外の事態。
「へーへーブーブー! へーブーブー! へーへーブーブー! へーブーブー!」
突如、魔力の塊が上空へと急上昇を開始。それはみるみる内に遠ざかり、やがて大爆発。しかし、相当離れたらしく、さほどの被害は無かった。それと共に、膝を着くハルカと侯爵夫人。どうやら、力を使い果たしてしまい、立つ事すら出来ないらしい。この勝負、ここまでだね。
「両者、戦闘続行不可能と見なし、この勝負、ここまでとします!」
今回の審判であるエスプレッソが、勝負の終了を告げる。こうして、ハルカ対、侯爵夫人の対決は幕を閉じた。
さて、勝負が終わり、すぐさまハルカと侯爵夫人に対する治療開始。クソ邪神の従者である、無表情娘。コウが奇妙な書を片手に、もう片方の手をかざすと、みるみる内に2人の傷が癒える。
「完了です。マスター、代金の方は後ほど請求させていただきます」
「相変わらず、がめついな。分かっている。後できっちり払う」
ハルカと侯爵夫人の治療を済ませ、その代金をクソ邪神に請求。主従関係ながら、その辺はきっちりしているらしい。で、動ける様になったハルカは、急いでボケ猫の所に向かう。
「へーへーブーブー! へーブーブー! へーへーブーブー! へーブーブー!」
一連の騒ぎにもかかわらず、歌って踊るボケ猫。ここまでボケていると、一周回って、凄いと思えてきたよ。
「遅くなってごめんね、バコ様。お漏らしして気持ち悪かったんだね。すぐに綺麗にしてオムツを代えるから」
ハルカはボケ猫に話しかけ、慣れた手付きで履かせているオムツを脱がせ、ケツを綺麗に拭いて消毒。新しいオムツを履かせる。更に自分の手の洗浄、消毒も忘れない。
「バッコッコのコ♪ バッコッコのコ♪」
すっきりしたのか、歌って踊るボケ猫。お気楽な奴だね。ある意味、幸せな奴だよ。明日、世界が滅ぶとしても、きっと、歌って踊っているんだろうね。私はごめんだけどさ。
その後、用件も済んだ事だし、帰宅。クソ邪神達は宿を取っているらしく、竜胆もそれに付いていった。さて、屋敷に戻った私とハルカ。リビングにて、ハルカの淹れた紅茶を飲んで一息つく。落ち着いた所で、早速、今回の反省会を始める。こういうのは、さっさと始めないと意味が無い。
「ハルカ。落ち着いた所で、今回の反省会を始めるよ」
「はい。ナナさん」
お互いにソファーに座り、テーブルを挟んで向かい合う。私とハルカが話し合う際の恒例のスタイルだ。まずは私が話題を切り出す。
「ハルカ。今回の侯爵夫人との模擬戦だけど、あんたは自己採点で何点付ける?」
私はハルカに今回の模擬戦に対する、評価を問う。それに対し、ハルカは紅茶を一口飲むと、こう答えた。
「0点ですね。僕の完敗です」
ふん。まぁ、そうだろうね。ここでふざけた事を抜かしたら、お仕置き確定だったけどさ。
私も紅茶を一口飲むと、ハルカに尋ねた。
「0点ね。なぜなのか、説明しな」
評価を出すだけなら、誰でも出来る。適当な事を抜かすだけならね。だが、私はそれで納得はしない。ましてや、私の弟子なら、なおさら。だから理由を問う。そしてハルカは答える。
「あの模擬戦ですが、あれが実戦なら、少なくとも僕は2回殺されていました。実戦において、敗北は死。よって、0点です。ちなみに1回目は、侯爵夫人からのボディーブローを受けた際。2回目は、左胸に棍で突きを受けた際。ボディーブローの際は、あれが拳ではなく、貫手であったなら、胴体を貫かれていました。ましてや、左胸に突きを受けた際は、棍ではなく槍であったなら、心臓を貫かれていました。そして何より、侯爵夫人の方が技量がずっと上でした。力を使いこなしている侯爵夫人と、新しい力を使いこなせていない僕。そもそも使いこなせていない力を使う羽目になった事自体、致命的。まさに完敗です」
自分なりの評価を言うと、紅茶を飲んで一息付くハルカ。
「ふん。まぁ、及第点だね。自分の敗因を理解しているのは評価してやるよ」
やはり、ハルカは出来た子だよ。つまらない言い訳をせず、自らの敗因を理解している。この子は更に強くなる。自らを弱者と、未熟と知るからこそ。
「まぁ、今日は疲れただろう。晩飯は軽くで良い。さっさと風呂に入って寝な」
「はい。そうします」
結果はどうあれ、今日は激しく戦ったんだ。早めに休ませてやろう。キッチンに向かうハルカを見送り、紅茶をまた、一口。
「しかし、お前は何なんだろうね? 何とか言いな、このデブ」
「バッコッコ、バッコッコ、バッコッコのコ♪ アッホッホ、アッホッホ、アッホッホのホ♪ へーへーブーブー、へーブーブー♪ へーへーブーブー、へーブーブー♪」
「…………やっぱりダメか」
時間は午後11時を廻った辺り。ハルカは既に寝た後。やはり、かなり疲れていたらしく、晩飯は手早くミートソースパスタを作り、その後、後片付けを済ませて、入浴、午後10時辺りでさっさと寝てしまった。使い魔の白いツチノコを連れてね。で、私はリビングで頭のボケたデブの三毛猫に話しかけていた。結果は見事に無駄だったけど。全く、意思の疎通が出来ないよ、このデブ。
「バッコッコのコ♪ バッコッコのコ♪」
相変わらずの訳の分からない歌と踊りを繰り返すばかり。読心術を試した事も有ったんだけど、意味不明な抽象画みたいなのが見え、気分が悪くなって即、やめた。全くもって、正体不明、素性不明の訳の分からない存在なんだよ。……危害を加えてはこないし、下手に捨てたらハルカが怒るから、屋敷に置いているんだけどさ。正直、さっさと追い出したい。うるさいし、時と場所をわきまえず漏らすし。
「何より、不気味なんだよね、お前」
私の目の前で歌って踊るボケ猫。何度も探知を仕掛けたが、何の力も感じない。にもかかわらず、こいつの周りでは奇妙な事ばかり起きる。
「安国のハゲの話といい、ハルカから聞いた話といい、今回の件といい、偶然にしては出来過ぎている。奇跡ってのは起きないから奇跡なんだしね」
蒼辰国では襲撃してきた兵器を撃退。ハルカ達が向かった異世界では、灰崎 恭也の『人形』を苦しめ、今日の模擬戦では暴発寸前の魔力を遥か上空へと飛ばした。こうも立て続けに偶然が起きるか? それも都合の良い偶然が。
「バッコッコのコ♪ バッコッコのコ♪」
私の思いなど知った事じゃないんだろうね。ボケ猫は能天気に歌って踊るばかり。
「まぁ、なるようにしかならないか。ほら、もう寝るよ」
残念ながら、現状、こいつの正体を知る術は無い。よって保留だ。ずっしり重いボケ猫を抱き上げ、猫用ベッドに運ぶ。するとボケ猫も丸くなり、ブーブーいびきをかいて寝てしまった。
「さて、私も寝るかね」
既に歯は磨いたし、後は寝るだけ。それに私達にはボケ猫以上に問題が山積みでね。
「ハルカを試しに来る、真十二柱。そして、ハルカを狙う灰崎 恭也か。……全く、嫌になるね」
だが、今さら、避けられない。やるしかない。師匠の面子にかけてもね。
「やれやれ、師匠ってのも辛いね」
長らくお待たせしました。第132話です。
ハルカ対、スイーツブルグ侯爵夫人の対決は、試合としては引き分けに終わりましたが、ハルカの自己採点では0点。負けでした。実戦であったなら、殺されていたと。青い炎を使いこなしている侯爵夫人と、黒い水をまだ使いこなしていないハルカ。年季が違いました。
後、来そうな質問として、なぜ侯爵夫人は転生者であるハルカに勝てる程、強いのか? それはひとえに、執事のエスプレッソの仕業。ネタバレになりますが、かつてのスイーツブルグ家は地方の田舎貴族に過ぎませんでした。しかし、エスプレッソが執事として、仕える様になり、以降、スイーツブルグ家強化計画が実行。嫌な言い方をすれば、品種改良を代々重ねてきました。馬のサラブレッドと同じです。その結果、生まれたのが侯爵夫人。そして、3人の娘達。
その一方で、頭のボケたデブの三毛猫、バコ様に懸念を抱くナナさん。変な歌と踊りを繰り返すばかりのボケ猫ですが、その周りでは奇妙な事が立て続けに起きる。偶然にしては出来過ぎ。しかし、バコ様からは何の力も感じない。謎です。
更には、ハルカを試しにやって来る真十二柱。そしてハルカを狙う、灰崎 恭也。前途多難です。
さて、次回からしばらく番外編。気になる人も少なくないと思われる灰崎 恭也視点の『灰崎 恭也編』開始です。
ではまた、次回。