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僕と魔女さん  作者: 霧芽井
122/175

第121話 「灰崎 恭也は嫌がらせが得意だ。特に人が楽しんでいるのを台無しにするのがな」邪神ツクヨ談

「どうやら、一段落した様ですな」


 先程から温泉の方で、何やら一騒ぎ有った模様。突然、一切の探知が出来なくなり、そして、つい先程、それが解除されました。僅かながら漂う、この冷たい妖気。……ハルカ嬢が暴れましたか。それを止められる。しかも、周りに一切、影響を与えない程の実力者。酔い潰れてしまった以上、ナナ殿達ではありませんな。


「……これは、秘蔵の酒を用意せねばなりませんな。肴も必要です」


 キッチンへ向かう私。取り急ぎ、簡単な酒と肴の準備をせねばなりません。邪神ツクヨの為に。少なからず、消耗しているはずですし。


 表向きは明るく振る舞っていましたが、やはりハルカ嬢のトラウマは深かった様です。何らかのきっかけで、大暴れしたのでしょう。そして、その相手をしたのが、真十二柱、序列十二位。邪神ツクヨ。……他にいませんからな。


 改めて思いますが、恐るべき実力者です。ともあれ、今は酒と肴を準備しましょう。とりあえず、秘蔵の赤ワインを出しますかな。それと、ハルカ嬢の話によれば、肉、特に『人肉』を好むらしいですが……。ジャーキーを出すとしましょう。


「邪神殿がお気に召すかは分かりませんが、何もしないよりはマシでしょう」


 あの邪神は見た感じ、礼儀作法にこだわる様には見えません。しかし、蔑ろにして良い相手でもありません。全ての神魔の頂点に立つ、真十二柱が一柱。その怒りを買う事は、破滅と同義。断じて避けねばなりません。


「まさに私の執事としての器が試されていますな」


 どうやら、ハルカ嬢を部屋に運んだ後、こちらに向かっている模様。酒と肴の準備をして正解だった様です。じきにドアが開き、入ってきたのは、言わずと知れたお方。邪神ツクヨです。


「ん? いたのか執事。ちょうど良い。腹が減った。酒と肴を出せ」


 入ってくるなり、酒と肴を要求。読み通り。


「かしこまりました。僭越ながら、私が選びました赤ワインのヴィンテージ物などいかがでしょう? それと、ツクヨ様は肉を好まれるとハルカ嬢より伺いましたので、肴はジャーキーでございます。南西の『竜の巣』山脈に住む飛竜の肉を使った逸品です」


「悪くないな」


 邪神ツクヨはそう言って席に着くと、空中よりワイングラスを取り出しました。艶やかに煌めくワイングラスを。さすがは真十二柱。ワイングラス一つにしても、極上品。我がスイーツブルグ侯爵家にも、あれほどの極上品は有りません。私はそこへ赤ワインを注ぎます。


「……良いワインだな」


 赤ワインの注がれたワイングラスを片手に揺らし、その香りと色合いを楽しむ邪神ツクヨ。そして、ワインを一口。今度は味を堪能。率直にワインを褒めます。どうやら、お気に召して頂けた様です。続いてジャーキーをかじり、一人、ささやかな酒宴を楽しんでいる模様。と、そこで何を思ったか、こんな事を言い出しました。


「良いワインだ。せっかくだから、お前も飲めよ」


 なんと、ワインを勧めてきました。私は執事。立場上、主人や客人の前での飲酒はしません。しかし、今回は相手が相手。下手に断って怒りを買うのは得策ではありません。時には臨機応変も必要。


「私は執事という立場上、むやみに飲酒は出来ない身ですが、貴女様の様な美しい女性からのお誘いを無碍にする訳にはいきませんな。失礼に当たりますので。では、お言葉に甘えて」


「ふん、つくづく口の上手い奴だな。まぁ、俺も女だ。そう言われて悪い気はしない。ほら、グラスを出せ。注いでやる」


「これはこれは、恐れ多い事で。かの真十二柱、序列十二位。邪神ツクヨ様直々にワインを注いで頂けるとは、この不肖、エスプレッソ。身に余る光栄に存じます」


 ご機嫌取りの美辞麗句を並べ、ワイングラスを取り出すと、邪神ツクヨ直々にワインが注がれました。真十二柱からワインを注いで頂けるとは、我ながら、極めて貴重な体験をしていますな。


「では、さっそく一口」


 断りを入れた上で、注がれたワインを一口。自分で言うのも何ですが、これは良いワインです。豊潤な香りと、奥深い味わい。たまりませんな。


「これは実に良いワインでございます。ましてや、美しい女神様に注いで頂いたのですから、その味わいはまた一段と格別」


 ワインを堪能しつつ、邪神ツクヨを褒め称えるのも忘れません。性格や言動はどうあれ、美しい女神である事は事実。全ての神魔の頂点に立つ、真十二柱の一柱だけに、その美しさはまさに絶世。その気になれば、傾国どころか、亡国すら容易いでしょう。……恐ろしいお方です。







 さて、しばしワインを酌み交わした所で、良い機会だと思い、邪神ツクヨに話を聞いてみる事に。もちろん、機嫌を損ねないように、細心の注意を払いながら。


「邪神ツクヨ様。せっかくのささやかな酒宴を堪能されている所、誠に恐れ多いのですが、いくつかの質問をする事、何とぞお許し願えませんでしょうか」


 ワインとジャーキーでささやかな酒宴を楽しんでいる所へ、へりくだりながら、質問の許可を願います。


「……良いだろう、言ってみろ。ただし、内容次第だがな」


「ありがとうございます」


 ふぅ、どうやら機嫌を損ねる事なく、話を付ける事が出来ました。この機会、逃す訳にはまいりません。







「で、何を聞きたい?」


 ワインを片手に邪神ツクヨは尋ねてきました。では、さっそく質問しましょうか。


「それでは、お言葉に甘えて。率直に伺います、灰崎 恭也とやらを討ち取る算段は、お有りでしょうか? 聞けば、非常に用心深く、逃げ足の速い輩だそうですが」


 私が聞きたい事。それは灰崎 恭也を討ち取る算段について。これまでに聞いた話の内容からしても、討ち取るのは至難の業。非常に用心深く、表に姿を現さない。逃げ足も速く、とにかく抜け目が無い。全くもって、厄介極まりない相手です。すると邪神ツクヨは答えました。


「一応、有るには有る。奴は基本的に表に姿を現さない。しかし、あいつがハルカを自分の新たな器として狙っている事がこちらにとっても狙い目だ」


 灰崎 恭也がハルカ嬢の身体を乗っ取る事を目的としているのは既に知っております。それがこちらにとっても狙い目とは……。そういう事ですか! 私は邪神ツクヨの考えている方法に思い当たりました。何という事を! しかし、それ以外に決め手が無いのも事実。ナナ殿は断じて許さないでしょうが。


「……ハルカ嬢を囮にする気ですか。身体を乗っ取る以上、どうしても本人が直接出てくる必要が有りますからな。ハルカ嬢に接触してきた所を叩くと」


「古典的だが、これが一番有効だ。あいつが姿を現したその時を狙うしか無いからな。バカは必要以上にしゃしゃり出てくるから簡単に殺れるが、あいつはそうもいかん。頭の切れる、臆病者。敵に回すとここまで厄介とはな」


 そう言って苦い表情を浮かべる邪神ツクヨは、グラスを一息に煽りました。


「……おかわり」


「は、ただいま」


 空になったワイングラスを差し出し、ワインのおかわりを要求。私が、すぐさまワインを注ぐと、今度はチヒチビと飲んでいますが、その苦い表情は変わりません。


 用心深く、基本的に姿を現さない灰崎 恭也。それが討ち取れない大きな理由。しかし、ハルカ嬢の身体を乗っ取る事を目的にしている以上、必ず本人が出てくる必要が有ります。そこを狙うのは理にかなっています。しかし、それとて上手くいく保証は有りません。向こうとて、その事は重々、承知しているはず。当然、対策はしているでしょう。確かに厄介な相手です。


 それからしばらく、私と邪神ツクヨは黙ってワイングラスを傾けていました。どうにも気まずい雰囲気でしたので。と、そこへ新たな来客が。


「私にも一杯、もらえるかい?」


 ハルカ嬢と同じ部屋でお休みになられていたはずのナナ殿です。


「……執事、あいつにも一杯注いでやれ」


 突然の来客に、邪神ツクヨは怒るでもなく、私にナナ殿の分のワインを注ぐよう命じました。


「承知いたしました」


 私はすぐさまワイングラスを取り出し、ワインを注ぎます。


「では、ナナ殿」


「頂くよ」


 私の差し出したワイングラスを受け取ると、一息で飲み干すナナ殿。……私の秘蔵のワインなのですから、もう少し味わって飲んで頂きたいのですが。まぁ、ナナ殿ですからな。


 そんな私の思いなど、どこ吹く風とばかりに無視して席に着くナナ殿。勝手にジャーキーを食べ始めます。


「おい、バカ魔女。それは俺の肴だぞ」


「うるさいね。真十二柱のくせにガタガタ言うんじゃないよ! セコいね!」


 勝手に自分の肴を食べられた事に怒る邪神ツクヨと、悪びれないナナ殿。やれやれ、これは肴を追加しなければなりませんな。






「で、あんた達、こんな夜中に何してたんだい?」


 ナナ殿はワインよりビールが良いと、亜空間から取り出した缶ビールを飲みながら、そう尋ねてきました。私の秘蔵のワインよりビールが良いとは、失礼な。


「大した事じゃない。ただ、執事の質問に答えてやっていただけだ。後、俺にもビールよこせ。良いワインだが、ビールの方が性に合う」


「……はいよ」


 それに対し、大した事ではないと答えつつ、ついでにナナ殿に缶ビールを要求する邪神ツクヨ。彼女もワインよりビール派の様です。ナナ殿は渋々ながらも缶ビールを渡します。邪神ツクヨは受け取ったそばから、すぐに蓋を開け、一気に煽ります。


「くぅ〜! 沁みるな!」


 豪快な飲みっぷりでいらっしゃる。ナナ殿もかなりのハイペースで、缶ビールを空にしておられます。そこへ、ナナ殿が話を切り出しました。


「おい、クソ邪神。あんた、エスプレッソの奴の質問に答えていたそうだね。だったら、私の質問にも答えてくれるかい? 代金として、もっと良いビール出してやるからさ。ほら」


 そう言うと、ナナ殿はビールの入った大ジョッキを出して、ゴクゴクとそれは美味しそうに飲み干されました。ふむ、あれは生ビールですな。それにしても、見事な飲みっぷり、思わず、私まで飲みたくなりましたよ。それは邪神ツクヨも同様だった様です。


「誰がクソ邪神だ。しかし、お前も嫌らしいな。生ビールをそんなに美味そうに飲まれたら、俺も飲みたくなる。良いだろう。お前の質問にも答えてやるよ。その代わり、俺にも生ビール出せ。もちろん、大ジョッキでな」


「分かってるよ。大ジョッキと言わず、更にデカいの出してやるよ。ほらよ」


 ナナ殿は見事、邪神ツクヨに対する質問権を獲得。その代金として、大ジョッキより更に大きい、特大ジョッキを出してきました。なみなみと生ビールが注がれたそれを見て、邪神ツクヨは口笛を吹き、驚嘆の表情を浮かべます。


「ヒュウ♪ デカいな! もう、ジョッキと言うよりバケツだな。だが、それが良い」


 特大ジョッキを片手で掴み、生ビールをたちどころに飲み干し、満足気な邪神ツクヨ。


「美味い! もう一杯!」


 大層お気に召したらしく、おかわりを要求。


「……良いけど、私の質問にも答えてもらうよ?」


 おかわりを注ぎつつ、ナナ殿は自分の質問にも答える様、釘を刺します。ただ酒を飲ませる訳にはまいりません。


「分かっている。何を聞きたい?」


 2杯目の生ビールを飲みながら、邪神ツクヨはナナ殿に問います。


「そうだね。聞きたい事はいくつか有る。まぁ、飲みながらで良いから答えとくれ」


 ナナ殿はご自身も大ジョッキで生ビールを飲みながら、邪神ツクヨへの質問に入りました。








 邪神ツクヨとナナ殿は生ビール。私は赤ワインを飲みながら、ナナ殿の質問が始まりました。


「質問と言うか、まずは、『灰色の傀儡師』灰崎 恭也が今すぐにでもハルカを狙ってくるかどうか。あんたはどう見る?」


 ナナ殿の質問。それは『灰色の傀儡師』灰崎 恭也が今すぐにでも、ハルカ嬢を狙ってくるかどうかに対する、邪神ツクヨの見解でした。私達は灰崎 恭也に対し、あまりに無知。ならば、知っている者に聞くまで。真十二柱は灰崎 恭也を追っているそうですからな。もっとも、望む答えを得られるかどうかは分かりませんが。


「そうだな。あいつの慎重な性格からして、今すぐハルカの身体を乗っ取りに掛かる可能性は低いな。ハルカはまだ未熟。あいつがハルカの身体を乗っ取るなら、2〜3年は先と見るな。ハルカが成熟したその時を狙うだろう。きっちり準備を整えた、万全の態勢でな。蒼辰国での一件は、ぶっちゃけ様子見だろう」


 灰崎 恭也がハルカ嬢の身体の乗っ取りを実行するなら、2〜3年後。それも万全の態勢で。ナナ殿の問いにそう答える邪神ツクヨ。ですが、彼女はこう続けました。


「身体の乗っ取りを実行に移すのは、しばらく先としても、『ちょっかい』は度々仕掛けてくるぞ。あいつはそういう奴だ。自分の新しい『器』となる者。それも極上ときた。その極上の『器』をより良くする為にな。あいつは目的を果たす為なら、いくらでも待てるし、労も惜しまん。そういった所もあいつの恐ろしさだ」


 灰崎 恭也は今すぐ、ハルカ嬢の身体の乗っ取りは実行に移さない。しかし、『ちょっかい』は掛けてくる。全ては自らの新しい『器』をより良くする為に。邪神ツクヨはそう語りました。


「……何を仕掛けてくるんだろうね?」


「知るか。まぁ、ろくな事じゃないのは確かだな」


 ナナ殿の問いを邪神ツクヨはバッサリと切り捨て、特大ジョッキで生ビールを煽ります。ナナ殿も同様です。そして、ジョッキが空になった所で、ナナ殿は次の質問を投げ掛けました。


「じゃあ、次の質問。魔道神は異能の根源にして、異能に対する絶対支配権を持つそうだね」


「あぁ、そうだ。それこそが、クロユリの奴が真十二柱、序列二位たる理由だ」


 ナナ殿は真十二柱、序列二位。魔道神クロユリの事を話題に出しました。当然、それに答える邪神ツクヨ。


「だったらさ。なぜ、魔道神クロユリは、『灰崎 恭也に対し、有効打が無い』んだい? 蒼辰国での一件でも、『人形』相手に手を焼いていたし。真十二柱、序列二位にしちゃ、おかしいね。別に実力を疑っている訳じゃないけどさ」


 ナナ殿らしい、意地の悪い質問でいらっしゃる。しかし、確かにおっしゃる通り。異能の根源たる魔道神。その権能を持ってすれば、灰崎 恭也を討ち取るぐらい容易いと思いますが。








「その事か。言ってしまえば、クロユリがヘマをした。以上」


 ナナ殿の意地の悪い質問に対し、邪神ツクヨは実にあっさりと答えました。ですが、その内容が問題です。あの魔道神クロユリがヘマをした? どういう事でしょうか? ナナ殿も同感らしく、すかさず、質問しました。


「そりゃ、一体どういう事だい?」


 すると、邪神ツクヨはジャーキーをかじりながら答えました。


「実に馬鹿馬鹿しい話さ。灰崎 恭也はどうやったのかは知らんが、魔道神から力の一部を盗んだんだ。だから、あいつは魔道神の権能から逃れられる」


 邪神ツクヨは事も無げに言いましたが、それは驚愕の事実。あの魔道神から、一部とはいえ、力を盗むとは。ナナ殿も、驚きを隠せません。しばらくして、やっと口を開きます。


「……大したもんだね。あの魔道神から力を盗むとはね」


 改めて、灰崎 恭也の恐ろしさを痛感したらしいナナ殿。少なからず、声が震えていました。蒼辰国での一件で、魔道神の力を身を持って知っておられますし。


「あいつは典型的な術者タイプ。故に異能に対する絶対支配権を持つ魔道神を恐れた。せっかく手に入れた『人形』への支配力を消されては困るからな。だからこそ、手を打った。策を練り、準備を整え、機会を伺い、遂に、魔道神から力を盗む事に成功した。魔道神が言っていたよ。一世一代の不覚ってな」


 そして、灰崎 恭也がなぜ、危険を冒してまで魔道神から力を盗んだかを語る邪神ツクヨ。確かに、異能に対する絶対支配権を持つ魔道神は異能の使い手の天敵。その力から逃れる為だと。慎重で用心深い反面、必要と有らば、大胆な手に打って出る事も有る。また、何ともやり辛い相手です。







「さて、そろそろお開きにするか。特にナナ。お前はさっさとハルカの元へ戻れ。もしハルカが起きて、お前がいないと知ったらうるさいぞ」


 そう言い、夜中の酒宴の終わりを告げる邪神ツクヨ。既に日付は変わり、午前1時を過ぎていました。


「そうだね。戻るとするか。ハルカにバレるとうるさいし」


「では、後片付けは私が致しましょう。お休みなさいませ」


「そうか。じゃ、任せたぞ執事」


 後片付けを私が引き受け、ナナ殿と邪神ツクヨは帰っていきました。さて、手早く後片付けを済ませてしまいましょう。翌朝の準備も有りますからな。執事たる者、いつ、いかなる時も、きちんと仕事をこなせねばなりません。








 邪神ツクヨとナナ殿を交えた夜中の酒宴から、明けて翌朝。午前5時。雪山の別荘地だけに、身を切る様な冷たい朝の空気。目覚ましには最適ですな。窓の外は雲一つ無い快晴。冷え込む訳です。


「さ、早く朝の支度をせねばなりません。それに今日は慰安旅行の最終日。帰る支度も有りますし」


 ハルカ嬢の為の慰安旅行。二泊三日の予定でしたので、今日が最終日。予定では、昼食の後に帰路に着きます。出来れば、もう少し、長めに滞在したかったのですが……。世の中、ままならないものです。そう思いをはせていると……。


「おはようございます、エスプレッソさん。早いですね」


 なんと、ハルカ嬢が窓拭きをなさっていました。近くに水の入ったバケツも有ります。この冬の寒い最中、窓拭きをなさるとは。ともあれ、まずは朝の挨拶です。


「おはようございます、ハルカ嬢。しかし、なぜ窓拭きなど、なさっておられるのでしょう? せっかくの慰安旅行です、ゆっくりくつろがれるべきでは?」


 朝の挨拶をしつつ、私はハルカ嬢に窓拭きをなさっている理由を尋ねました。


「……お気遣いはとてもありがたく思っています。でも、休んでばかりというのも、性に合わなくて。今日は最終日ですし、せめて窓拭きぐらいはしておこうと思ったんです」


 ハルカ嬢は窓拭きをする、その手を動かしながら、そう言われました。つくづく、真面目な性格でいらっしゃる。ただ、その真面目な性格故に、苦しんでおられるのも、また事実ですが。


「左様でございますか。感心致しました。全く、ナナ殿は良い弟子を得られたものです。では、私は朝食の準備に取り掛かります。今日は旅行の最終日です。仕事熱心なのも結構ですが、旅行を楽しむ事が一番ですぞ」


 余計なお世話かもしれませんが、せっかくの慰安旅行。楽しむ事を薦めました。


「はい、お気遣いありがとうございます。朝ごはんを済ませたら、存分に遊びます」


「そうですか。大いに結構。若いのですから、存分に楽しんでください」


 ふむ。旅行前と比べれば、多少なりと持ち直してきた様に思えます。と、そこへ聞こえてきた奇妙な歌声。


「バッコッコ、バッコッコ、バッコッコのコ♪ アッホッホ、アッホッホ、アッホッホのホ♪ へーへーブーブー、へーブーブー♪ へーへーブーブー、へーブーブー♪」


 この意味不明な歌声は、あれですな。案の定、やってきたのは二足歩行する、肥満体の大きな三毛猫。バコ様という名前でしたな。歌って踊りながら、ハルカ嬢の足元に来ました。そしてその周りを歌って踊りながら、回ります。するとハルカ嬢は、かがんで目線を三毛猫に合わせ、話しかけました。


「おはようバコ様。お腹が空いたの?」


「バッコッコのコ! バッコッコのコ!」


「もう少し、待ってね。窓拭きを済ませるから」


「へーへーブーブー! へーブーブー!」


「……分かったよ。ほら、カニかまあげるから」


「バッコッコのコ♪ バッコッコのコ♪」


 …………どうやらハルカ嬢は、この頭のボケた三毛猫が何を言っているのか、ある程度分かる模様。ちなみに私には全く理解不能でした。何せ、「バッコッコのコ」、「へーへーブーブー」ぐらいしか言わないので。


「ハルカ嬢、貴女はこの三毛猫が何を言っているのか、分かる模様ですな」


 私がそう尋ねると、ハルカ嬢はこう答えられました。


「なんとなくですけどね。何か要求が有る時は『バッコッコのコ』で、不満が有る時は『へーへーブーブー』みたいです。本当に合っているのかは分かりませんけど」


 あくまでも、なんとなくとの事。それでも今見た限りでは、一応、意志の疎通が出来ていた模様。現に、三毛猫はハルカ嬢が出したカニかまを食べていますし。ともあれ、今は朝食の準備が先。


「いやいや、十分、意志の疎通が出来ていると思われます。私には無理です。それでは私は朝食の準備が有りますので、失礼します」


「分かりました。僕はもう少し、窓拭きをしますね」


 ハルカ嬢と言葉を交わし、キッチンへ。さて、今日の朝食は何にしましょうか? そうですな、単にトーストでは芸が有りませんし、一手間加えて、フレンチトーストにしましょう。







 さて、午前7時。朝食の時間となりました。ハルカ嬢を始め、『ほぼ全員』がダイニングに揃いました。そう『ほぼ全員』です。魔道神達、3人の姿は有りませんでした。


「魔道神様達がいらっしゃいませんわね」


「起こしに行きましたけど、部屋にはいませんでした」


 その事にミルフィーユお嬢様が触れられ、ハルカ嬢が部屋にはいなかったと、続けます。と、そこへ邪神ツクヨ。


「あいつらなら、帰ったぞ。灰崎 恭也を追わねばならないからな」


 彼女が言うには、既に帰ったとの事。何ともせわしない事です。しかしながら、灰崎 恭也の危険性を考えれば、当然といえましょう。


「ふん、愛想の無い奴らだね。まぁ、今は朝飯だよ。ほら、ハルカ、しっかり食いな。今日は最終日だからね。最後まで楽しまないと損だよ」


 あまり魔道神の事は話題にしたくないらしいナナ殿。強引に話題を変えられます。


「……そうですね。そうします」


 ハルカ嬢もナナ殿の意を汲み、それ以上は魔道神の事は口にせず、朝食のフレンチトーストにかじりつきました。


 そして始まる朝食。フレンチトーストとサラダとコーヒーのセット。人数が人数だけに、多目にフレンチトーストとサラダを作ったのですが、みるみる内に無くなっていきます。そんな中、突然、ハルカ嬢が意を決した様に立ち上がり、邪神ツクヨの元へと行きました。……薄々、見当は付きますが。


「なんだ、ハルカ?」


 そう尋ねる邪神ツクヨに対し、ハルカ嬢はいきなり、頭を下げました。


「昨日は八つ当たりをして、すみませんでした!」


 それは、昨夜の一騒動に対する謝罪でした。どういう経緯が有ったのかは知りませんが、邪神ツクヨはハルカ嬢のストレス解消の役を引き受けた様です。ハルカ嬢が、かなり派手にやらかしたのは確か。とはいえ、そこは真面目な性格のハルカ嬢。一晩経って、頭が冷えたらしく、きちんと謝罪。もっとも、当の邪神ツクヨは特に気にする様子も無く。


「気にするな。誰だって、ストレス解消は必要だ。下手に抱え込まれて、肝心な時に暴走されるぐらいなら、八つ当たりされたほうが、まだマシだ。しかし、腕を上げたな。以前より格段に強くなった。良い事だ」


 ハルカ嬢に気にするなと諭し、それどころか、以前より格段に腕を上げたと賞賛。器の大きい方です。


「……そうですか。ありがとうございます」


 そう言って、改めて頭を下げるハルカ嬢。


「だから、謝らなくて良いから。ほら、ナナにも言われただろう? さっさと朝飯を食え」


 そう言われて、やっとハルカ嬢は席に戻り、朝食を再開。朝食後は元気に外へと遊びに行かれました。正直、灰崎 恭也が何か仕掛けてくるのではないかと心配でしたが、幸い、何事も無く、お昼を迎えました。しかし、私とした事が、実に初歩的な事を忘れていたのです。


『油断大敵』という事を。








「皆さん、忘れ物はございませんか? 確認は済ませられましたか?」


 二泊三日の慰安旅行も、終了。魔道神クロユリ達や、邪神ツクヨ達の来訪といった、想定外の事も有りましたが、幸い、怪我人や、犠牲者も無く、終わりを迎えられそうです。帰り支度を済ませ、行きと同じく、ワゴン車に乗り込む事に。しかし、その時でした。


「全員、飛べ!!」


 突如、叫ぶ邪神ツクヨ。彼女は近くにいたハルカ嬢を捕まえ、上空へ一気に飛翔。私達も反射的に上空へと飛翔。正に間一髪。巨大な雪崩が辺り一帯を飲み込んでいったのです。危ない所でした。しかし、不自然です。この辺りは雪崩など起きないはず。念の為、結界も張られていますし。……まさか。私は一つの可能性に思い当たります。そして、それは見事に的中。


「フヒヒヒ、残念残念。僕の予知では、今の雪崩で、何人かは始末出来たんだけど」


 嫌味ったらしい口調でそう話すのは、中学生ぐらいの少女。空中に浮かび、こちらを見ていました。いつの間に。しかし、その少女、明らかに死にかけていました。土気色の荒れた肌、血走った眼。何より、眼、鼻、耳、口のあらゆる穴から血を垂れ流している始末。ですが、油断はなりません。私達は最大限の警戒をします。


「まぁ、良いや。どうせ僕は死ぬからね。それじゃ、さ・よ・な・ら」


 わざわざ一文字ずつ区切ってさよならと言う少女。その言葉に不吉なものを感じる私。


「イサム!」


 またしても叫ぶ邪神ツクヨ。自らの従者の少女、コウにしがみついていた、同じく従者の少年、イサムが即座に抜刀。放たれた斬撃が少女を一刀両断。しかし、それでも、最後の攻撃を止める事は叶わず。直後、凄まじい爆発が辺り一帯を吹き飛ばしたのです。







「ふぅ。とんだ慰安旅行になっちまったね。ごめんよ、ハルカ」


「いえ、ナナさん達のせいじゃないですよ。それより、全員、無事で何よりです」


 そう語り合う、ナナ殿とハルカ嬢。いやはや、ナナ殿のおっしゃる通り、とんだ慰安旅行になってしまいました。こうして全員無事なのが奇跡と言えましょう。


「お前ら感謝しろよ。イサムがあいつを斬って、威力を下げた上で、俺が結界を張ったんだからな」


 そこへ恩着せがましく言う邪神ツクヨ。しかしながら、事実です。文句は言えません。


 見知らぬ少女による雪崩。及び自爆。危ない所でしたが、邪神ツクヨ達のおかげで難を逃れる事が出来ました。そして、現在、スイーツブルグ侯爵家にて一息ついております。ちなみにあの少女は灰崎 恭也の送り込んだ刺客と、邪神ツクヨは語りました。私達に気付かれる事無く接近するとは、恐ろしい限り。そして、平然と部下を使い捨てる灰崎 恭也も。


「あのガキは、予知能力者だったみたいだな。もっとも、予知能力は脳に膨大な負担が掛かるから、基本的に短命でな。だからこそ、使い捨てにしたんだ。しかし、あいつめ。霊子爆弾を完成させていたとはな」


 邪神ツクヨは今回の襲撃について語りました。灰崎 恭也は既に余命いくばくも無い予知能力者の少女を使い捨ての刺客として差し向け、更には新型の術の実験台にしたと。


「霊子爆弾。あれは生命力の全てを暴走させ、大爆発を起こす術。しかも、生命力を破壊力にするだけに、理論上、神魔にも有効だ。ハルカ、君も辛いだろうが、覚悟は決めろ。あいつはこれからも度々、仕掛けてくるぞ。今回は軽い挨拶だろうな」


 邪神ツクヨはそう語りました。あまりにも、残酷な内容。しかし、ハルカ嬢はそれから逃れる事は叶わないのです。


「嫌なら、強くなれ。強くなって、灰崎 恭也を討ち取れ。それ以外に道は無い」


 邪神ツクヨはそう締めくくるのでした。





お待たせしました。第121話です。


今回は執事、エスプレッソ視点。邪神ツクヨとナナさんを交え、語り合いました。そして迎えた、慰安旅行最終日。無事に終わるかと思った所へ、灰崎 恭也からの嫌がらせ。あの雪崩と爆発で、スイーツブルグ侯爵家所有の別荘は台無し。


最後に灰崎 恭也の開発した新兵器。霊子爆弾。生命力を暴走させて破壊力にする、生体兵器。その性質上、神魔にも有効な恐ろしい兵器。優秀な人間程、威力が上がります。


では、次回予告。安国さんのお店の手伝いに行くハルカ。小豆を使った新商品を安国さんと共に考える事に。


それでは、次回。

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