忘れていた【日常】1
あれから暫くの月日が経った。
私は十二歳になり、アルスロドスは十歳になった。アルスロドスは中々優秀である。まだ十歳だが剣術は優秀だし、特に暗器で戦う技術は中々な物だ。
しかも私に忠実。良い掘り出し物をした。自分自身を褒めてやりたい!フハハハハ!
ある日、蔓薔薇の広場で茶を飲んでいたら奴が話し掛けてきた。ちなみに奴隷は戦闘専門調教師に出した為にいないから頗る機嫌が良い。
「あにうえ聞いて下さい。先日ちいさな子供に会いました。おそらく僕達のおとうとです。」
「弟?そんな奴はいない筈だ。現在の後宮にはお前より小さな王子はいない。」「でもいました、小さな子供です。守らないと僕みたいに虐められます。」
「だから勘違いと言っているだろうが愚か者が。そんな奴は存在しない。」
カップを突き付けると、奴はむくれながら紅茶を注ぐ。紅茶も旨く煎れれるようになり、私に役立つようになったのは良いが、最近口答えするようになったのだ。
婢達は仕方ないと言っていたが、こういうのは最初が肝心だ。反抗は最初に叩き潰さないと慢心を呼ぶ。二度と反抗しようと気が起きないように、一度徹底的に打ち据える必要があるな。
私は懐から調教計画書に書き込む。
「なんですか?兄うえ。」
「関係ない。クククク。」
そして、私達が紅茶を楽しんでいると、脇からキンキンと甲高くて煩い女達の笑い声が響いた。
伝え忘れていた事だが、私の蔓薔薇の広場が母上と婢達にばれた。
ちっ!
どうやら、大量の花の株や苗木を運ぶアルスロドスに婢達が怪しみ問いただされたようだった。
馬鹿三人娘は奴の師匠でもある。問いただされた奴は吐いた。
それから速やかに母上に言い付けられ、私は母上達に使用許可を要請された。
断れるわけがない。
それ以来、母上は時折此処で茶会を催し、婢達は休み時間になったりすると、寵妃の婢と一緒に出没して楽しむようになった。
静かな私一人の隠れ家が随分と手狭になった物だ。まず最初はアルスロドスが増えて奴の私物が増え、次に奴隷が作った家具が増えて東屋が出来た。婢達が手入れを手伝った事で、広場の花は盛を増して鮮やかに咲き誇っている。気疲れしている寵妃の気怠い溜息と母上の慰める声。いつの間にか訪れるようになった鳥達の囀りが響く。
静かだった広場には女達の笑い声が響いている。
アルスロドスに袖を引かれて振り返る。奴はアメジストの瞳を輝かせて上を指差した。私は座っていた東屋の天井を見上げた。
そこには燕の巣が出来ていて、不格好な小さな雛が親鳥を呼んで鳴いていた。
燕が巣を作ると幸運が舞い降りると言う。
「吉兆です兄うえ!」
アルスロドスが私を見て笑ったので、私も思わず奴に微笑んだ。
ある日、寵妃とその婢達が慌ただしかった。
どうやら、アルスロドスと母親が西の国の王が崩御したので葬式に出席する為になったらしい。
出発する前日、むやみやたらに大騒ぎする婢達。奴らは見送り会なんて不戯けた物を蔓薔薇の広場で開催しよった。一応参加してやると、奴が私に縋り付いてくる。
邪魔だ!
ベシッと地面に叩きつけるとキラキラした瞳で見つめてきた。ふざけた反応に少し心配になる。
コイツは私が命じた事を覚えているのだろうか?
今回西の国へ赴くにあたり、西の国のある人物に対しての接触を命じたのだ。その人物は確か現在はアルスロドスと同い年。未来の宰相になる男である。
奴と渡りを付ければ、強力な駒となるだろう。
それを確認したら、アルスロドスはやけに力強く頷いた。中々やる気に満ち溢れている。
コイツは可愛がられて人好きする性格である。それに加えてこの美貌。恐らく奴は、アルスロドスと親しくなり私の下僕の一員への一歩を踏み出す。
あの威厳に満ち溢れた男が私の物になるのか…。そう考えると実に愉快だった。
ズキン
私は酒盛りをする婢達を背に、気合いを入れて何故か珍妙な踊りを披露するアルスロドスを見てジュースを飲んでいた。
突然現れた胸の痛みに手を当てる。胸の奥がジリジリと痛い。
以前もあったな、何なんだろうこの痛みは?奴らが出発して大分経った。
母上以外の側妃達は父上のお気に入りである寵妃がいなくなった事に狂喜していた。
しかし、アルスロドスがいないと随分と退屈である。いつの間にか私の生活は奴を中心に回っていたらしく、する事が無くてつまらない。
婢達は奴に教えたい技がまだ沢山あるらしく、帰国を待ち侘びている。母上も寵妃がいなくて寂しそうだ。
この期に兄上達に媚びを売って地盤固めをしたが、それも順調で退屈である。チョロ過ぎだ兄上方。
そんな私は久し振りに、泉の遊歩道に置いてあった丸太の上で昼寝をしていた。アルスロドスは使命を果たしたのだろうか?いつ頃帰ってくるのか?
そんな事をツラツラと考えながら眠りの淵をさ迷っていると物音がした。恐らく足音、しかし兄上達ではない。兄上達なら、こんな伺うような足音はしない。
私は寝転んだまま瞳を動かして周りを見た。すると随分と近くに足音の主がいた。全く気配がしなかった事とその容姿に驚く。
恐らく七歳くらいの子供だった。末の子供であるアルスロドスよりも遥かに小さい。体つきは華奢で肌は血管が透けるように白く、太く重たい睫毛に縁取られた翡翠色の瞳は大きい。柔らかそうな頬は薔薇色で、一番目を引くのは烏濡羽色の艶やかな髪だ。この幼子の他の全ての魅力を吸い取ってしまうような、恐ろしいくらい強烈な美しい髪。
アルスロドス以上の美貌を初めて見た。
トガを着ているから王族か?私は眉をひそめる。しかし、アルスロドスより小さな子供なんていなかった筈だ。それなら私も知っている筈、私は以前の記憶も探ってみるが全く思い出せない。
考えてもみたら、今回の人生+前回の人生分の約二十年時間が経っているのだ。記憶漏れがあっても仕方ないだろう。人間は一生の記憶を正しく保有出来るように作られていない。
「あの。」
「何だ?」
話し掛けて来たので起き上がると、幼児は悲鳴を上げて逃げてしまった。失礼な…。しかし用事があるらしく、幼児は木の影から私を伺ってきた。
暫く無言で見つめていると、何故か泣きはじめた。女々しい…。苛々しながら私は片足を丸太の上にかけて座り、幼児に話し掛けた。
「おい子供、お前は何者だ?何用で近付いてきた?」
「あ…う…。話しちゃ駄目なの…。」
その話し方にイラァとする。何だその女みたいな話し方!
「何だと?」
「ヒウ!」
「メソメソするな、苛々する!私に話し掛けたのなら何か用事があるのであろう。何かあるならさっさと話せ馬鹿者!何も無くてこの私に話し掛けたのなら、不戯けた喉をかっ切ってやろう!」怒鳴り付けると、幼児は本格的に泣きはじめた。しかし、泣きながらも隠れてきた木から出て来ると、しゃっくり上げながら口を開いた。意外と根性あるではないか?
「は…はい。あの…、お兄ちゃんを…知りません…か?」
「兄?」
「肌が黒くて…お月様みたいな髪の人…。」
その言葉に私は思い出した。アルスロドスが言っていた子供かコイツは!
「アルスロドスは今はこの後宮にいない。」
「え…?う…そ…ひっく…。お…兄ちゃ…う…。」
泣き始めたぞ、おい…。
何だコイツは、すぐにグズグズ泣く。ダン!と試しに丸太を蹴ってみたら、ビクン!と身体を震わせて泣いた。
本当に欝陶しい奴だ。アルスロドスは滅多に泣かなかった為に、幼児特有の甲高い泣き声に辟易する。
ええい!シクシクシクシク煩い!
私は奴に話し掛けた。
「おい、アルスロドスに会いたいか?」
「う…。」
「それなら毎日此処に来い。奴が来たら教えてやる。」
「ほん…と?」
私が不承不承頷くと幼児は笑顔になった。
「お前、名前は何と言う?」
「…。」
黙る幼児に私は溜息をつく。王家しか纏えないトガを身に纏いながら、私が知られていない幼児。父上の隠し子か?しかし、それなら後宮にいれる必要はない。噂がなく他人に知られていないなら殺せば良い。
こんなに大きくなるまで生かす必要はない。
まぁ良いか…。コイツの身元は後から調べれば良い。
私は懐から菓子を出して幼児に渡した。菓子を見た瞬間、一気に顔を輝かせる幼児に笑いが零れる。
「私はアルスロドスの兄だが、お前が名乗らぬなら私も名乗らぬ。お前の事は黒髪と呼ぶから、私の事は…。」
その時、泉から白鷺が飛び立ち羽音を響かせて空を駆けた。
「白鷺と呼べ。」
「分かった…、白鷺…お兄ちゃん…。」
小さなコイツを見下ろして笑う。この美しさは利用価値が高い、新しい下僕候補に笑みを深めた。
【黒髪の少年Side】
仲良くなった衛兵さんが僕を外に出してくれるようになった。【あの人】が来ない時間だけの限られた自由だけど、初めての外は空はとても綺麗だった。
風が吹いて僕の肌を撫でる。地下室には無いその感触に涙が溢れた。
僕ははしゃいで庭を走り回り衛兵さんと逸れてしまった。道が分からなくて泣いていた。もし時間までに戻らなければ【あの人】にお仕置きされる。その事を考えると震えが止まらなかった。
薬を使われるのも道具を使われるのも嫌いだった。
泉の側でうずくまって泣いていると、綺麗な人が近付いてきた。褐色の肌にお月様の髪のお兄ちゃん。僕には沢山のお兄ちゃんがいる事を教えてくれた。でも、その殆どは近付いちゃいけない悪い人だって。でも、一人だけ優しい人がいるらしい。
「僕はしょうらい兄うえにお仕えするのです!」
アルスロドスお兄ちゃんはそう言って胸を張った。僕は羨ましくてお兄ちゃんを見詰めた。
お兄ちゃんと話していたら衛兵さんが迎えに来てくれて、僕は地下室に戻った。
暫く経って、もう一度抜け出した。僕はまた泉に出てお兄ちゃんを探した。
けど、アルスロドスお兄ちゃんはいなかった。僕は泣きながらお兄ちゃんを呼んで探し回った。
「お兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃん。何処にいるの?またお話しようよ。頭ナデナデしてよ。」
すると、お兄ちゃんの代わりに別の人がいた。丸太の上でお昼寝しているその人はゴボウみたいな人。
何だか不機嫌そうで怖い…。でも、お兄ちゃんがいないから居場所を聞こうとして近付いたら目を覚ました。
怠そうな青い瞳が僕を見た。その人に怒られて僕は泣いちゃったけど、お兄ちゃんの事を聞いた。すると、その人は会いたかったら此処に来るように言われた。顔を見ると優しく僕に微笑んでくれた。
いい人だ。
僕は手の中のお菓子を握りしめる。生きてて二度目に与えられた優しさに胸が暖かくなる。
大丈夫、僕は大丈夫。
この暖かさがあるなら、今晩も【あの人】が来ても頑張れる。
白鷺お兄ちゃんは僕と仲良くしてくれるかな?絶対遊びに行こう。
僕はあの時、優しくしてくれた白鷺に縋り付いてしまった。アルスロドス兄がいないあの時に、僕が心の依り所に出来るのはあの人だけだった。
抜け出すのを手伝ってくれた衛兵は、僕に同情しただけで優しくはなかった。優しさをくれたのは兄達だけ。
一度優しさを知ってしまった幼い僕は、それがなければ生きていけない気がした。
馬鹿だ僕は、無邪気に誰かを慕う事なんて出来る筈はない。なのに望んでしまったんだ。
優しい誰かを…。
ごめんなさい
ごめんなさい
ごめんなさい
ごめんなさい
泣き声と鳴き声は絡み合い、深い闇に響き渡る。何も望まなければ何も起こらない。傷付く事も傷付けられる事も無い。
何故望んでしまったのか?
自分のせいであの人達は死んでしまった。
組み敷かれる身体は濡れて心を爛れさせる。殴られる身体は折れて心に突き刺さり、ツギハギされた心はイビツに歪む。あれ?ごめんなさいって何だっけ?
優しいって何だっけ?
目の前には四肢を切られて、目と鼻をえぐられた衛兵の死体
何度も繰り返されるお仕置きに、たった一つの優しくされた思い出が、唯一の楽しかった希望がある記憶さえも歪んでいく
【忘れて朕を見ろ】
【あの人】の言葉が記憶を塗り潰す。止めて…、止めてくれ。僕にはこれしかないんだ。地下室しか知らない僕には他人と関わった記憶はこれしか無いんだ。
記憶が塗り潰される
殴られて黒い色が叩き付けられる
犯されて黒い色が垂れる
飲まされて黒い色が満ちる
真っ暗だ…、何も無い黒い顔が俺を見つめる
アルスロドス兄の顔?
アルスロドス兄の声?
白鷺お兄ちゃんの顔?
白鷺お兄ちゃんの声?
衛兵の顔?
衛兵の声?思い出せない
嗚呼…、俺にはイビツなこんな思い出が調度良いんだ
白鷺お兄ちゃんのメイドを殺してしまった俺には…。
俺は二度と関わっちゃいけないんだぁ。
分かったよぉ父上。
俺はずっとずうっと一人でいないといけないんだねぇ?僕は一人ぼっちなんだぁ
アハハ…アハッ…!アハハハハハハハ!キャハハハハハ!クヒャヒャヒヒヒ!