北の大地へ
あの後、ヘスドールの部下によって、運ばれた私を迎えたのは母上だった。無言で私を奪うように部下から受け取った母上は、私を庇うように深く抱きしめて背後に移動させた。
「息子を連れて来て頂き、誠にありがとうございますわ。しかし、突然侍女を妾の宮に寄越したりして何なんですの?説明して頂けません?」
「突然申し訳ありません、第七側妃様。本日、我が主であるヘスドールより、新しい侍女を貴女様にとの言付けを伴って来ました。国王陛下より貴女様へ侍女の贈り物です。」
芝居がかった動作で告げる男の言葉に、母上の体が硬直した。
此処での侍女の交代が意味する事は、大体が王族や貴族によって殺されたか、性奴隷にする為に連れ去られたかだ。自分の侍女をいくら殺しても問題とならないが、他人の侍女を殺した場合は他人の所有物を害したと多少は問題視される。
しかし、それは単純に所有権を侵害した事が問題であって、更に優秀な侍女で弁償すれば不問になる。被害者(この場合は所有者)も、家具が高級になって返ってくるので抗議する者はいない。
家具である侍女には感情等は個々の区別は必要なく、重要視されるのは外見と能力だけだから、別人だろうと気にもしない。
誰かに侍女を贈られる事は、すなわち侍女が死んだか使えない状況にある事だ。
それを悟った母上は、唇を噛むとヘスドールの部下に微笑みかけた。
「まあ!陛下からの贈り物ですの?どう致しましょう、とても嬉しいですわ。陛下より侍女を頂けるなんて夢のよう。陛下より慈悲を頂き、深く感謝しているとお伝えくださいませ!」
「はい、必ずお伝え致しましょう。」
そう言ったヘスドールの部下達は頭を下げて立ち去った。
残ったのは美しい侍女達。奴らは母上に頭を下げて命令を待っていたが、母上は下がるように命じた。侍女達が立ち去るのを見送った母上は、私を伴い宮に戻った。
「母上、三人が…。」
私が見た事を母上に説明すると抱きしめられた。母上は頷き爪を噛み締めた。
「良いですかヘスタロドス。忘れなさい、あの女に今後一切関わってはいけない。」
「しかし母上!奴は婢達を!」
「ヘスタロドス!」
怒鳴った母上は私の肩をキツク掴んだ。その顔は真っ白に血の気が引いていた。
「あの者は、貴方達には多少は心を傾かせるから知らないかもしれない。あの者は陛下の忠臣、求めるのはあくまで陛下の安寧、そんな女が戯れ以外で動いたという事は貴方に何かしら思う事があるからです。あの女が邪魔と認識した者は全員死より辛い末路を辿るのです。非道にて外道、この魑魅魍魎渦巻く王城にて息づく巨魁。あの者に関わってはいけません。私は貴方を守る事を優先します。」
そう言った母上は私を真っ直ぐ見ていた。その瞳は異常な程怯えていた。恐らく母上は先程の私と同じ様に、ヘスドールの闇を垣間見た事が有るのだろう。
それよりも、私は母上から言われた言葉に動揺していた。
あの存在に目を付けられる?その可能性に思い到った瞬間、体が震えた。相対しただけで、あれ程の恐怖を味わったのだ。もし奴の不興を買ったと考えたら…。
恐ろしくて考えたくない。私は母上に頷いた。
母上は私を見ると、静かに頷いた。
その晩、私は一人で自室にいた。窓辺で膝を抱えて座っていると、月が眩しい夜の闇の中、遠くから母上の泣き声が聞こえてきた。
私は立ち上がると、鮮やかに彩色が施された机の上の一つの包みを見た。そこに三人の遺灰が入っていた。
あれから完璧に混ざってしまった遺灰を一つに纏めて、布に包んだのだ。私は母上に渡そうかと思ったが、覗いた部屋の中で激しく泣く姿を見て思い留まった。
今の母上には酷過ぎる。
もう少し落ち着いた時を見計らって渡そうと思う。私は婢達を、透かし彫りが彫られた物入れの鍵付きの棚の中に入れた。
そのままにして、閉めようとたら、不満げな奴らの顔が唐突に思い浮かんだ。
こんな殺風景な所に押し込んだら叱られるな…。
私は中に絹の織物を敷き詰め、装飾品や菓子を入れた。これで少しは満足するだろう。
そう思った瞬間、ボロボロと涙が溢れた。床に座り込む。
私は知っていたのに何も出来なかった。助ける事が出来たのに見捨てた。
感じた事のない思いと感情が駆け巡る。この感情は何だ?悲しみとも怒りとも違う取り返しのつかない感覚は…。
考えても仕方ないのに、自分の行動が思い浮かぶ。やればよかった事柄を考えた。
これは…、これが【後悔】か…。
未来を知っている私が抱える【後悔】、これは罰なのか?
未来…。その言葉を思い浮かんだ瞬間、まるで天啓のように思い出した。
そうだ未来だ
革命がおこる。十五年後には奴らが王城に流れ込み、母上達は憎き革命軍に殺されてしまう。
今更ながら焦燥が私を襲う。頭を抱えて、時の忘却により霞みが掛かった記憶を必死に探る。
革命は何時起こった?
確か、革命は北の寒村から始まった筈だ。今代の北のノースコダ地方の領主、ゴランディア。奴は北の荒れ地を襲う飢饉にて、税を納められなかった民に対して新しい税を課した。
それが【処女税】だ。
領主は新婚夫婦の新婦との初夜を領主が代わりに務める【初夜権】を持つ。それは処女の血は悪魔や災厄を呼び寄せるとされている為に、強い力を持つ権力者によって新郎の代わりに浴びるという事が起源であり。
しかし、それは迷信がまかり通る大昔に実行されていただけで、現在は形骸化しており実行する領主は殆どいない。そもそも、田舎の泥臭い娘より娼婦の方が抱くには楽しめる。
奴はそれを改悪させた。
領地内の十歳から十四歳迄の少年少女達の処女を捧げる。それが【処女税】。
私達の中でも悪趣味で一次有名になった税だ。一説には領主が執着する少年がいて、それが地方の有力者の息子だった為に無理矢理捩曲げて作った税であるとの事だ。
地方の有力者達は抵抗したが、税を納められない奴らは領主の命令に逆らえなかった。そして税が執行される日、領主は自らある村の少年少女達を狩りに来た。
しかし、予想外の事が起こった。村人が抵抗したのだ。予想すらしなかった抵抗に、領主は傷を負い配下の騎士が数名死亡した。その際に数名の少年少女が戦闘に参加して死亡、城に逃げ返った領主は直ちに鎮圧を命じた。
一方、引き返せなくなった村人達は反乱を宣言した。やけくその宣言だったが、領主の度重なる課税と今回の異常な要求に我慢の限界が来ていた領地内の村が一斉に賛同し、地方地域の小さな内乱は様々な勢力を取り込み、一気に革命へと成長した。そして国を二分する長い動乱が始まる。
何時始まる?この事件は確か日食が始まる年の夏だった。
私は机から暦を取り出してページをめくる。
見付けた。
なんと、日食が始まるのは今年だった。革命は今年から始まる。
私は考える。今なら革命を無くす事は簡単だ。領主に連絡をとり、【処女税】を徴収しに行く際に村を滅ぼせと言えば良い。それで簡単、革命は始まらない。
しかし、何故か躊躇わせる。取るに足らない農奴の命なんて、どうでもよい筈なのに。あれほど革命軍を怨んでいたのに…。
分からない分からない!何故私は躊躇う。苛立ちのあまり髪を両手で乱す。
そうだ。そもそもの始まりである【処女税】を執行させなければいいのだ。しかし、時間はそうない。
幾ら私でも領主の税を取下げるには僅かに時間がかかる。しかも私にはまだ、権力がない。
成人している兄上たちに依頼したり、母上に動いてもらうことは可能だが、もしその動きを知られたら最後。
様々な者に勘繰られ、最悪ヘスドールに目を付けられる。
最悪だ。私は出来るだけ自然に、誰にも勘繰られないように革命を阻止しなければいけない。
そうしなければ母上が死んでしまう。それは嫌だ、私は成功しなければいけない。
そして、あの事件から数週間後、私達は馬車の中で揺られていた。
豪奢な馬車は妃が乗っていることを示す青いである。その中にいる私はひたすら外を見ていた。
「大丈夫ヘスタロドス?」
「はい、母上。」
無言の私を心配したのか、母上は私に話しかけてきた。私は母上に微笑んで答える。
私達は馬車によって北の地に向かって行った。公式な目的は避暑だ。
しかし、私の目的は他にある。偶然を装い事件に干渉して革命を無くす。
避暑地に遊びに来ていた私が偶々事件に巻き込まれる。私が難癖を付けて時間稼ぎをしている間に近くに呼び寄せているストラウ゛ィオス兄上に助けを求めて、【処女税】を撤回させる。
これが私が考えた作戦だ。策とも言えない陳腐な作戦であるが仕方がない、そもそも私には時間が無いし権力も人望もない。アルスロドスと奴隷や寵妃が居ればと思うが、奴等を待つ時間は無い。
軍の仕事で忙しいストラウ゛ィオス兄上を避暑地に招待出来ただけでも褒めて貰いたいくらいだ。
ストラウ゛ィオス兄上は身内は敵か駒と思っている兄上達の中で、弟たちと親しくなろうとする稀有な性格をしている。無意味に狩りに誘ったり遊びに誘ったりしてくる。
第三王子という身分でありながら、そんな行動は有り得ない事である。よく下の兄上たちはストラウ゛ィオス兄上を嘲笑い、王族でありながら他者に媚を売るような行動を馬鹿にしていた。以前の人生ではストラウ゛ィオス兄上は何とか仲良く成ろうとしていたが、あまりにも無視され続けた為に次第に弟達と仲良くなるのを諦めて、軍の輩とまるで庶民の軍人のように方々で軍務に当たっていた。
兄上はそれ故に王家と疎遠になり、逆に民衆にしたわれ、危機感を持った一番目の兄上に暗殺されてしまったのだが。
しかし、今回は兄上の一人ぼっちぶりが吉と出た。
現在弟たちにアピールして玉砕の真っ最中であるストラウ゛ィオス兄上は、私の招待を喜んで受け入れたのだ。
どうやら様々な仕事を無理やり纏めたらしいが、軍の一端を任されている身でありながら良いのかと不安になった。ストラウ゛ィオス兄上が涙を流して喜んでいたと使者も泣きながら言っていたので、まぁ良いだろう。
そんな兄上に私が泣きつけば必ず兄上は調査する。
あの【庶民びいき】な兄上なら、この動きを事前に知れば必ず止めるだろう。
出来るなら直接知らせればいいのだが、後宮にいる私が何故起こってもいない事件を感知したかと疑われてしまう。
あくまで自然に、たまたま避暑地にきた王子が事件に巻き込まれそうになり、たまたま居た兄上に泣きついたという形をとらなければいけない。
その為に私は北への避暑を母上に提案した。
本当は母上を巻き込みたくなかったが、成人前の王子は後宮からは一人で出れない。必ず母親の同伴が必要であるのが慣例である。
母上は最初は難色を示したが、ヘスドールが居る王都より安全な遠く離れた北の避暑地に赴く方が安全だと判断したらしく、了承してくれた。
私は再び馬車の外に目をやる。外の光景は大分変わりはじめ、針葉樹が多くなり始めていた。
北の大地が近付く。




