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黒騎士英雄物語~その後~

作者: かまたかま

 大陸最大のシルバレス王国は、崩壊の一途を辿っていた。力が支配する街は荒み、さらに力の強い者に支配され、また荒む。何が原因かと人々に問えば、皆は口を揃えてこう言うだろう。


「魔王が悪い」


 増えた魔物。それが団体となって街を襲う。その街と交流のあった近くの街の人々は恐怖し、逃げる。それに賊がつけ込み街は腐敗していく。そうして碌に機能しなくなった自衛の手段では魔物は抑える事は当然出来ない。悪循環は続き、人々は死に、魔物は増え続けた。

 そう、全て「魔王」が悪いのだ。人々はそう思い、事実その通りだった。


 そんなシルバレス王国に救世主は突然現れた。


 どこの誰とも分からない救世主とその仲間は魔物に支配された地域を次々に解放し、魔王の軍勢を撃破していく。その威容と報酬を断固として受け取らなかった精神に敬意を表し、救世主の姿を見た人々はその人をこう呼び始めた。


 黒騎士、と。


 かくして黒騎士とその仲間達は、城にまで忍び込んでいた悪しき魔王を討ち取り、シルバレス王国に平和が戻る。感謝の宴を開く、と言った王の招待にも応じず、黒騎士達は姿を消した。その最後まで高潔な態度は語り草となり、戯曲や絵本など様々な媒体となって人々の復興の支えとなった。

 そう、シルバレス王国に平和が戻ったのである。


 これはそんな動乱から二年後のお話。



□□□□□□□□□□□□□□




「さて、これで今日の分は終わりか」


 カズヤ・クニサキは出来上がった手袋を台の上に置き、座ったまま両手を上げ、伸びをした。

 若い男性。二十歳になるかならないか位だろうか。この世界では非常に珍しい黒の髪と目。黒縁眼鏡は少し汚れているがまだまだ使えない程ではない。

 中肉中背のどこにでもいそうな体型に童顔の彼は、窓から見える白い雲を見上げた。

 仕事部屋と居間を繋ぐ扉が音を立てて開く。


「あら、カズヤ。まだホームシックは治らないの? いい加減シャキッとしてくれないと、あたしまで町の人に変な目で見られるんだからねっ」


 リデア・ミントラインは年相応の小さな唇からため息を吐き、窓際の花瓶に小さな花を差した。

 煌びやかな金の髪。波打つ豊かなそれは彼女の性格のように強く輝く。身長は低いが立ち姿は綺麗で、ぱっと見ただけでは子供に見えない。だが将来を約束された美貌はまだつぼみで、可愛らしい。

 それでも同年代の子供達よりかなり大人びた口調で、彼女は続けた。


「この前だって『元の世界の食べ物が恋しい』とか言って出来もしない料理をしてたのに。そろそろ順応しなさい」


「分かってるよ。でも、ちょっとくらい良いじゃないか」


 あれからもう二年だよ、と呟いてカズヤはもう一度窓から空を見上げた。

 思い出すのはこの世界に初めて来た時の事。


 元の世界で散歩をしていたら急に目の前が真っ暗になった。気付いた時にはこの少女、リデアの住む道場で介抱されていた。

 それから様々な事が起こり、いつの間にやら魔王を倒す旅に出た。何故か使えるようになっていた不思議な力を駆使し、リデアや他の仲間達とどうにか魔王を亡きものに出来たのは本当に幸運だった。

 リデアは小さな体を目一杯大きく見せるように腰に手を当てた。


「過去の事はもう終わった事よ。あんたはこの世界に来て、もうこの世界に生きてる」


 それより、とリデアは扉を開けながら続ける。


「お昼ご飯、出来てるわよ。そんなに元の世界のご飯が食べたいのなら、無理にとは言わないけどねっ」


「ああっ、食べるよ! ごめんリデア、謝るからそんなに怒らないでよっ!」


 ふんっ、と部屋から出て行ったリデアを見て、カズヤは自分がレディの扱いに失敗した事を悟った。


 シルバレス王国の辺境にあるリラの町。そのまた更に外れにある家の、昼過ぎのいつもの風景だった。






「うん、やっぱりリデアのご飯は最高だ。元の世界のご飯? いやいや、リデアのご飯に比べたらあんなものはただの栄養を補給するだけの味気の無いただの物体だよ」


「そう、ならいいけど」


 何でもない風を装いスープを飲むリデア。その耳元が少し紅くなっているのを見て、カズヤは自分の行動が正解だった事を確信した。同時に母さんごめん、と思った。

 自分もスープを飲む。この世界では調味料自体が高級品で、食事は総じて薄味だ。母さんの手料理や化学調味料たっぷりのジャンクフードが恋しかった。

 でもやっぱりおいしいと思うリデアの手料理を食べながら、カズヤは言った。


「リデア、イルはまだ寝てるの?」


「さっき起こしたんだけど、なかなか起きなくて……。カズヤ、食べ終わったら起こしてきてよ」


「えっ、やだよ。イルの寝起きの悪さはリデアだって知ってるだろ?」


「あたしだってこれから町に行くのに、こんなとこで体力使いたくないわよっ! 大体、カズヤのが作った物が売れないのが……」


 そうしてリデアの話がカズヤの全体的なセンスの無さにまで及んだ時、居間に扉の開く音が響いた。


「あー、良い匂いー。お腹減ったー」


 猫のように目を擦りながらテーブルにふらふらと近寄るイルジーニアス・ミントラインは一つあくびをした。

 彼女はこの世界では非常に珍しい黒を全身に纏う。何よりも黒く輝く短めの髪は今は寝癖がついている。瞳も全てを吸い込みそうなほど黒く、指で押せば心地よい弾力を返すであろう褐色の肌も磨き抜かれた黒真珠のようだ。良く動く小動物のような表情はまだ眠りから覚めきっていないが、それでも彼女の生来の顔立ちの良さは幼いながらも際立っていた。

 リデアと同じくらいの歳だが仕草のせいで年下に見えるイルを見て、リデアはスプーンをテーブルに落とした。


「う、嘘……イルが自分から……起きた? 毎朝毎朝揺すってつねって捻って叩いて、最終的に一か八かの全力の[心滅掌]まで繰り出さないと起きなかったイルが……」


「ごめんリデア、今度から僕が起こしに行くよ」


 そんな毎朝命の危険に晒されていた事を知らないイルは、カズヤを見付けて無邪気な笑みを浮かべた。


「おはよー、カズヤ」


 そのまま座ったままのカズヤに向かって倒れ込むように抱きつくイル。その体勢が彼女にとって楽だったらしく、猫のようにカズヤのお腹にぐりぐりと顔を擦りつけた後、また眠ってしまった。

 カズヤはその黒く輝く短めの髪の寝癖を、撫でて直しながら言う。


「イルが自分から起きてくるなんて珍しいね。今日は夕立が降るかな」


「夕立じゃなくて槍でも降るんじゃない? ほらカズヤ、イルをきちんと椅子に座らせて。あたしはイルの分のご飯作るから」


 あ、それから、とリデアは続けた。


「これから町に行くけど、食料とか以外に何か欲しいものある? あんまり高いのは駄目だけど」


 席を立ち台所へ向かうリデアの背中に、カズヤはイルの髪を撫でながら目を伏せて言った。


「……ごめんね」


「なによ、あんたの作った物が売れないのは今に始まった事じゃ無いでしょ? あ、今日ルビーおばさんの店に卸す分、後で持って来てね」


「そうじゃなくて」


 リデアが振り向くのを見て、カズヤは言う。


「僕達が町に行けない事。リデアにばっかり迷惑かけてる」


 ふん、とリデアは鼻を鳴らした。


「それこそ今に始まった事じゃ無いわよ。黒目黒髪が不吉の象徴なんて迷信は都会じゃもう死んでるのに、未だに信じてるこの片田舎が悪い。物を作れる人が物を作る。薬草を採れる人が薬草を採る。町に行ける人が町に行く。あたし達の方がよっぽど合理的よ」


 そう言って年齢に似合わない不敵な笑みを浮かべるリデア。

 うん、ありがとう、とカズヤは言った。







 つい十日前まで猛威をふるっていた日差しはこれから日を追う毎に弱くなるだろう。そして今日に限って言えばひんやりとした空気と柔らかな陽光が相まって、暖かさと涼しさが同居するとても過ごしやすい気候だ。

 家を出て一時間。その金の髪に太陽の光を反射させて、リデアは町中を歩いていた。


「やあ、リデアちゃん。今日も元気だね」


 生きた年月の長さを感じさせるしわがれた声。リデアはその声のする方へ満面の笑顔と共に振り向いた。


「スティルさん!」


 壮年の男性。ベンチに座ったスティルはその顔のしわを一層深くして笑った。

 腕の荷物を抱え直してリデアはスティルに近寄った。


「お久しぶりです、スティルさん」


「そうだね。前は二週間前くらいだったかな。まあこんなじじいにとっては二週間なんてあっという間なんだけどね」


 そう言って茶目っ気たっぷりにウィンクするスティル。つられてリデアも笑った。

 リデアにとってスティルはこの町の中で心許せる数少ない人間の一人だ。前に一度カズヤとイルを連れて町に下りた時、強い拒絶の中でリデア達をかばったのもスティルだった。


「スティルさん、自警団の顧問で忙しいんでしょう? だから二週間が短く感じるんですよ。もう少し自分を労らないと」


「ははっ、そうかもね。なあに、まだまだ若い奴には負けんよ」


 スティルはそう言って顔の皺を深める彼独特の愛嬌のある笑顔を作った後、その表情をくぐり抜けた年月を感じさせる真剣なものにした。


「ただ最近はちょっと妙な事が立て続けに起こっててね」


 妙な事、と聞き返すリデア。

 スティルは節くれだった指で頭を掻き、短い沈黙を挟んで口を開いた。


「最近、魔物が増えてるらしいんだ」


「魔物、ですか」


 リデアの眉根が僅かに歪むのを見て、スティルは人差し指を立てて優しく言う。


「ああ、それもこの地方ではあまり見かけない類の魔物がね。幸い危険度の高い奴はいないらしいから心配は無いとは思うけど、もし見かけたら直ぐに逃げなさい」


「……はい、分かりました」


 真剣な顔で頷くリデア。

 良い子だ、と言ってスティルは頷いた後、リデアの膨らんだ荷物を見て話題を変えるように陽気に言った。


「ところでカズヤ君の新作は出来たのかい? この前の五本指に別れた靴下は、夜なんかにとても重宝してるんだけど」


「あ、はい。さっきルビーおばさんの店に持っていきました。今度のはカズヤが言うには『これから水仕事で手の荒れる奥様を狙い撃ち。ラブリーチャーミングあたたか手袋』らしいんで、スティルさんのお気に召すかは分からないんですけど」


 スティルの意図を汲み取って笑顔で話すリデア。歳不相応な気遣いを見せる少女を見たスティルは悲しみを覚えたが、年の功でそれをおくびにも出さず笑顔を返した。


「それは流石にこのじじいには勿体無いかな。彼は良いものを作る。私みたいな良さに気付く人も増えてきているから、どんどん作ってくれ、と彼に伝えてくれないかい? あ、そうだ、今度我が家に連れて来ると良い。歓迎するよ。もちろんイルちゃんもね」


 リデアは戸惑いがちに答えた。


「……良いんですか? 他の人に見られたらスティルさん達が…………」


「なに、馬鹿な迷信を信じる人ばかりじゃない。ルビーだってそうだろう? 安心して、堂々と来なさい。若者をもてなすのもじじいの仕事だよ」


「……はい、ありがとうございます!」


 リデアは深く頭を下げた。

 そんなリデアの姿を見たスティルは一つ頷き、悪戯な光を目に浮かべた。


「さて、時にリデアちゃん。この前教えた昔から伝わる『想い人と一緒になる方法』は実践してるかな? これからの季節は少し難しくなるけど、きちんと毎日届けないと駄目だよ?」


 がばっ、とリデアは顔を上げた。その柔らかな頬は朱の花で染め上げたように鮮やかに色づいている。


「そ、そそそんな子供じみた事しませんよっ! だ、大体あたしに想い人なんていませんし、仮にいたとしてもそんな現実的じゃない事はもう卒業しました!」


 慌てて両手を大きく左右に振り否定するリデア。スティルは本当の孫を見るようにまなじりを下げた。


「そうかい? 誰かを想う事も、共に生きれるように祈る事も素敵な事だと思うけど。ほら、カズヤ君は見たところなかなか純朴そうだから、そういうロマンチックな女の子なんて好きそうじゃないか」


「な、なんでそこであいつの名前が出るんですかっ! あいつは家族みたいなものだしっ、べ、別にそういう風に見たことなんて無いですっ! そもそもあいつはずぼらだし、料理出来ないし、センスだって微妙だし、それから…………」


 必死にカズヤの欠点をあげるリデア。その姿は年相応の可愛らしさが溢れていて、スティルはまたまなじりを下げた。

 次第にカズヤの欠点からちょっと良いところにリデアの話は変わっていく。


 こんな良い子達が何故不遇な目に遭わなければいけないのか。そして何故自分にそれを無くす力が無いのか。


 二年前の動乱で悪くした脚を撫でて、目の前の心優しい少女の話に相づちをうちながら、スティルはそんなことを思った。








「ありがとうございました」


 無愛想な店主に礼を言い、重たくなった荷物を抱えてリデアは家へと歩き始める。こんな対応には慣れている。物を売ってくれるだけまだマシだ。今更何も思わない。

 遠くでこっちを見ながら囁き合う主婦達。過ぎ去り際に舌打ちをする若い男。初めから自分など存在しないかのように振る舞う髭を生やした中年。

 カズヤ達との旅の中ではもっと酷い目に遭った。毒で瀕死に陥った事だってあったし、ドラゴン十体に囲まれた事もあった。


 大丈夫、全然その時に比べたら痛く無い。


 リデアは歩き続けた。



「おい、お前たちって疫病神なんだろっ? 早くこの前町から出ていけよっ」


 もうすぐ家への長い一本道に差し掛かる、という所で後ろから幼い声が聞こえた。

 リデアが振り向くと三人の子供は少しだけ怯んだ後、直ぐに子供特有の嗜虐心に口を歪めた。

 リーダーらしき他の子供より上等な服を着た短髪の男の子は一歩前に出る。


「なんだよ。疫病神の仲間だからどんな怪物かと思ってたらチビのガキじゃんか。こんなのにお父さん達はビビってんのかよ」


 短髪の男の子は更に一歩前に出る。両隣の太った男の子と痩せた男の子もそれに続く。


「黒目黒髪がふたり、それも片方はあの魔王と同じで肌まで黒いんだろっ。お前たちがいるから最近魔物だって多いんだ。だからさっさと出てけよっ、よそ者っ!」


 そうだそうだ、と両隣の男の子達も騒ぎ立てる。短髪の男の子は勝ち誇った顔で胸を張った。

 リデアは何事も無かったかのように、また家へ歩き出す。

 その姿を見た短髪の男の子は力いっぱい空に右手を突き上げた。


「やったっ、俺達が勝ったんだ! ディス、ダリ! 腰抜けコージーの奴らに自慢しに行こうぜっ。俺達が黒騎士様と同じで、災厄を追い出したんだって!」


 さっきより少しだけ早く歩くリデアの後ろで男の子達の甲高い歓声が響く。


 大丈夫、いつもの事だ。全然痛くは、無い。


 リデアは歩き続ける。

 空気はカラッとしていて太陽が気持ちいい。アニーの店でカズヤの作った物の評判が以前より良くなっていた。たまたまスティルに会って他愛の無い話をした。だから今日はいつもより素敵な日だ。


 小さな足は砂利混じりの道を進んで行く。

 リデアはさっきの男の子達の言葉を思い出す。


 黒騎士は災厄を追い出した。


 笑ってしまう。黒騎士一行として旅をしたリデアにとって、あれはそんな世のため人のための旅では無かった。ただ、あの全身に黒を纏う、自分と同じ姓の少女、イルのためだけの旅だった。荒れた国も、傷付く他人も、本当はどうだって良い。ただ、あの家族同然の少女のために戦った。

 国民だって、始めは黒目黒髪のカズヤを見て嫌悪の感情を露わにした。たまたまその町を守っても、それは変わらない。全てが終わった後、まるで初めからそうだったかのように口々に自分達を褒め称えた。


 リデアはふと足を止めた。


 道端に咲くちんまりとした赤い花。スティルの皺だらけの、優しい笑顔が脳裏によぎる。


――リデアちゃん。想い人とずっと一緒にいれるおまじないを教えよう。花を届けるんだ。そう、小さくても良い。ずっと一緒にいたい、と気持ちを込めて毎日ね。そうすればリデアちゃんが大きくなる頃には、きっと想い人も共に同じ気持ちで隣に立っているよ。


 全然そんなつもりは無いし、これっぽっちもそんな気持ちは無いけれど、毎日たまたま花を見掛けていたから偶然続いているこのおまじない。今日はもう届けてしまったけど、今日は珍しくイルも自分から起きてきた。だから、何となくもう一輪くらいは良いだろう。


 リデアは小さな手で小さな花を摘み、どこか控えめに香りを嗅ぐ。くしゅっ、と可愛らしいくしゃみが出る。


 くしゃみのせいで潤んでいた瞳を、リデアは袖で強く擦った。








「あ、リデアー。おかえりー」


 リデアが家に入ると、テーブルで薬草を調合しているイルが声をかけてきた。

 リデアは荷物を下ろしながら部屋を見渡す。


「ただいま、イル。カズヤは? 仕事部屋?」


「あ、うん」


 歯切れの悪いイル。リデアはイルの近くに立ち、腕を組んだ。


「どうしたの?」


「あのね。今朝、夢を見て起きたんだ」


 すぐに二度寝しちゃったけど、と苦笑いしながらもイルは調合の手を止めない。良く見ればそれは売り物の簡単な物では無く、即効性のある非常用だ。


「今日の夜に、大きいのが来るよ」



 同時刻、リデア達の家とは逆方向の町外れ。子供達は秘密の場所にいた。大人達は入ってはいけない、と言った森の中。最近見つけた子供達の集会所。中央に古びた細い木の立っている透き通った泉のほとり。その木は今にも折れそうなほど痛んでいた。


「だから、本当に俺達が疫病神を追い返したんだよ! なあ、ディス、ダリ!」


 喚きたてる短髪の男の子。その両隣で大仰な仕草で頷く痩せた男の子と太った男の子。

 向かいに立つ同年代の少年はそんな男の子を鼻で笑った。


「はっ、どうせいつものウソなんだろ? ほら吹きウェイパーはウソしかつかないからな」


 はははっ、と少年とその取り巻きは声を上げた。

 短髪の男の子は顔を真っ赤にして言い返す。


「本当だって! いきなりあいつが襲いかかって来たから、こうやって返り討ちにしてやったんだ」


 短髪の男の子は地面の拳大の石を掴み、泉の中央に立つ細い木目掛けて放り投げる。

 石は木に当たらず、音を立てて泉に吸い込まれていった。


「ははっ、そんなヘタクソでどうやって追い返したんだ!? 見てろよ、このコージー様が手本を見せてやるっ」


 少年はそう言って先程より少し大きい石を手に取った。

 少年から放たれた石は木に当たる。ばきり、と木は中ほどから綺麗に折れてしまった。もう、木としての役目は果たせない。


「ほら見たかっ! このコージー様の素晴らしい命中力をっ」


「お、俺だって次には当てられるさっ! さっきのはたまたまだ!」


 そうして石は投げられる。いつしか少年達は石を木に当てる事自体に熱中していく。実に単純な遊びだが、それ故に子供達は飽きない。この遊びは日も落ち始め、空が紅く染まる頃まで続いた。


――だからだろう。少年達が徐々に濁っていく泉に気付かなかったのは。








 初めはただの聞き間違いかと思った。次に誰かのイタズラかと思った。そしてその音が体を伝わる振動に変わった時、人々はようやくその物体に気付いた。


 大きな、という表現では足りない。それは巨大な水晶の狼だった。


 人と比べることすらおこがましい半透明の巨躯。町の建造物など脚の半分にも満たない。思わず目を奪われる見事な毛並みは月の明かりを反射し、その姿を人々の目に焼き付ける。


 狼が、動く。


 口を開き、その一本一本が人間大の牙を見せながら、狼は月に向かって音も無く吼える。だが、その姿を見た町の人々は確かに破壊の始まりの雄叫びを聞いた。







 老体のせいか、早めに床に着くようになったスティルは全てを揺るがす爆発音で飛び起きた。上手く動いてくれない脚を叱咤し、家の外に出る。そこで見たものは、鼻先を町の入り口に突き刺している巨大な水晶の狼だった。


「な、何だこれは…………」


 スティルは無意識に言葉を漏らした。長い人生で色んな事を経験したが、ここまで唐突に強大な何かが現れた事は無かった。普通はなにかしらの予兆があるものだ。


――最近増えていた魔物――


 一瞬頭によぎったその考え。だがそれもこれほどまでの災厄の予兆とは到底思えない。

 考えても埒が明かない、と判断してスティルは上手く動かない脚で自警団の本部へ向かった。

 途中、こっちへ向かっているらしかった団員と遭遇する。


「アダム、いったいどうなってるんだっ!?」


「スティルさん! 良かった、直ぐに本部まで行きましょうっ」


 アダムと呼ばれた青年は迷いなくスティルを抱え、来た道を戻り始めた。


「すまんな、アダム。それでいったいこの状況はどういう事なんだ」


「それが僕達にも全然分かりません。ただ分かっている事は、このままじゃあの大型魔獣に町は壊滅させられるって事だけです」


 大型魔獣。スティルは若りし日、一度だけその獣との戦いに参加した事がある。あれは地獄だった。

 その名の通り大型魔獣は非常に大きい。そして大きいという事はそれだけで力になる。あの時は手に大木を持った大猿だったが、猿が一度大木を振るえば人など原型も残さず砕け散る。自分達の命を犠牲にしてただ猿を止め、いつ着くかも分からない王国直属の魔術団の到着を待つ。数刻魔術団の到着が遅ければ、自分もあの地面の赤黒い染みの一つになっていただろう。


 それと同じ、大型魔獣がこの町に出た。


 青年に抱えられ自警団の本部に向かう中、スティルは恐怖した。


――この辺境の町に王国直属の魔術団が来るまでどれだけかかる?


 最悪の想像だけはしないように、ただ今から出来る最善の行動を、それだけをスティルは考えた。



 水晶の狼はゆっくりと顔を上げる。虹彩のない目は何かを探しているかのように町を見下ろす。そして一つの立派な民家に視線を定め、ゆっくりと動き出した。








 町に緊急を告げる鐘が響く。だがそれよりも大きく断続的な地響きに、短髪の男の子ウェイパーの胸は高鳴った。

 町長の息子であるウェイパーは自宅の二階の寝室に居た。両親には絶対に家から出るな、と念を押されている。父親は状況を確認する為に自警団の本部に、さっきまでそばにいた母親は階下に水を取りに行ったため、今はそばにいない。


 何が起こっているのだろう。もしかして魔王が復活したのか。でも大丈夫、だって自分は疫病神の仲間を追い返したではないか。魔王が復活しても何とか出来る。

 まさか、疫病神は実は本当に魔王だったのか。昼間の報復に来たのか。それこそ望むところだ。尊敬する黒騎士様のように、もう一度倒してやる。そうしたら自分だって英雄になれる。


 幼い考えにまたウェイパーの胸が高鳴った。

 その胸の高鳴りに身を任せ、そっと扉を開ける。母親は気付いていない。こみ上げる笑い。これから自分を取り巻くであろう輝かしい未来へ第一歩として、ウェイパーは一気に階段を駆け降り玄関を開け通りに出た。


――コレは何だ?


 ウェイパーは眼前に広がる、きらきらとした水晶の群に目を奪われた。途方も無く大きい壁。こんなモノは家に戻る時には無かった。


 上を見上げる。

 水晶の群はなだらかな曲線を描き、上まで続いている。月を反射するそれは、ただただ美しかった。


 上を、上を見上げる。

 首が痛くなる程視線が上を向いた時、同時にウェイパーは地面にへたり込んだ。


 目が、合ってしまった。


 虹彩のない目。しかしそれは確かに自分を見ている。


――魔王が来た? 俺が追い払う? 馬鹿馬鹿しい。こんなもの、人間に勝てるはず無いじゃないか。きっと黒騎士様だって無理に決まってる。


 ウェイパーはただ一歩も動けず、そんな事を思う。

 玄関が開いている事に気付いた母親の悲鳴と、遠くから全速力でこっちに向かって走る父親の自分を呼ぶ声。


 ウェイパーは、凄まじい速度で近付いて来る現実感の無い虹彩のない目を見詰め続ける事しか出来なかった。




 それは黒い、ただ黒い。艶など何も無い、月の光も反射しない黒い甲冑。全身をくまなくその甲冑で覆った黒騎士は、遥か上空から叩きつけられた水晶の狼の鼻先を片手で受け止めて、隣でへたり込んでいるウェイパーをもう片手で掴み父親の近くに放り投げた。


 直後、鼻先を叩きつけられた地面がひび割れる。いつの間にか避けていた黒騎士は親子にどこかへ行け、と手で追い払う仕草をした。

 ウェイパーは震える口で呟く。


「く、黒騎士様?」


 聞こえていないのか黒騎士は答えない。ただ、その黒い甲冑、見惚れるほど綺麗な立ち姿、さっきの巨大な鉄槌を軽々と止めた実力から、ウェイパーは黒騎士本人だと確信した。


「く、黒騎士様だ! 俺達を助けに来てくれたんだっ!」


 そう言って隣の口髭を生やした父親にウェイパーはしがみついた。

 後ろからウェイパーの見知らぬ男性の声がする。


「リデア、無視は流石に酷いんじゃないかな。ほら、一応英雄様なんだから、子供の夢くらい守っておかないと」


 その声にウェイパーが振り向くと、そこには疫病神の黒目黒髪の童顔の男性と、同じく疫病神の黒目黒髪、更に魔王と同じで肌まで黒い小さな女の子がいた。


 ウェイパーはこの時初めて疫病神達を見て驚いた。父親達が言うには、彼らはこの町に不幸をもたらし衰退させ、あまつさえ滅びすら連れて来る疫病神なのに、全然禍々しくない。一人は冴えない優男だし、それどころか魔王と呼んだもう一人は同年代くらいの女の子なのだ。

 彼らのどこが災厄なのか、ウェイパーには分からなかった。

 黒騎士は甲冑の頭部を指で弾く。するとそれは魔法のように消え去り、見えなかった黒騎士の顔を露わにした。


「そんな事知らないわよ。命があるだけ感謝しなさい」


 広がる黄金の輝き。将来を約束された美貌はまだつぼみで、可愛らしい。


 ウェイパーは黒騎士の正体を知り、さっきの比にならない衝撃を受けた。


「く、黒騎士様が疫病神の仲間……? え?」


「誰が黒騎士で誰が疫病神よ。そんなもの、あなた達が勝手に言ってるだけじゃない」


 黒騎士は疫病神の仲間で、黒騎士は国を救った英雄で疫病神は不幸をもたらす。

 意味も解らぬままにウェイパーは疑問をぶつける。


「で、でも、黒騎士様は魔王を倒して、みんなを助けてくれたんだろっ!?」


「助けたくて助けたわけじゃ無いわ。ただ、そこにいるあたしの家族を助けたついでよ。それもあの腐った低脳で馬鹿な王様の尻拭いにね」


 ウェイパーは混乱の中で絶句した。夢に描いた黒騎士は昼間の疫病神の仲間で、みんなを助けたのはついでで、更には王様まで馬鹿呼ばわりだ。隣の父親も状況が把握出来ていないらしく、口を開けたまま呆然としている。



 リデアはそんな二人を見て溜め息をついた。

 いつもそうだ。人々は勝手な理想を持ち出し、それに従わないと失望し、挙げ句の果てには罵る者まで出てくる。


 ウェイパーの父親は気を取り戻し、矢継ぎ早に言う。


「おいっ、お、お前は黒騎士なんだろう!? 今まで悪かったっ。く、黒騎士ならその化け物を早くどうにかしてくれっ」


 リデアは正面を向く。水晶の狼は地面に鼻先をつけたまま、大きく口を開けた。


「――まずいっ! イル、そいつらとカズヤをよろしくっ」


「はいはーい」


 全身に黒を纏う少女、イルは気軽に返事をして、指を鳴らす。


 突如、四人の周囲に闇が出現する。


 闇の魔法。その闇はどこまでも深く、どこまでも純粋だった。歴史の中でこの闇の魔法を使ったとされるのは僅か数名。その数名には共通点がある。

 ウェイパーの父親は信じられないものを見るかのように、その闇を見て言葉を吐いた。


「ば、バカなっ。闇の魔法が使えるのは魔王だけだっ! 魔王はあの黒騎士に殺されたはずでは……」


「うん、わたしは確かに死んだよ」


 元魔王、イルジーニアス・ミントラインは頬を掻いた。


「だけど、生きててごめんね」


 その後、寂しそうに笑った。








 二年前の動乱の始まりは飢饉だった。飢えて死ぬ民が出れば領地を納める貴族にとって痛手となる。

 王達は頭を痛めた。いくら大陸最大のシルバレス王国と言えど、周りには虎視眈々と広大な土地を狙う諸国の存在がある。このままでは我が国は搾取する側から搾取される側に変わってしまう。

 王は閃いた。


――そうだ、偽の魔王を自分達で作れば良いではないか。


 魔王が現れればそれは聖戦。国民の不満は魔王に向けさせ、貴族は討伐の為に士気を上げる。適当な所で切り上げればその間に飢饉も過ぎるだろう。諸国もまさか魔王の狙う土地に攻め入る程馬鹿ではあるまい。


 王はほくそ笑んだ。

 史上、魔王という名前をこれほど有効に使った王はいないだろう。偽の魔王には不満のはけ口になって貰い、その後に自分は王自ら魔王を討伐した最初の偉人となるのだ。

 かくして、その計画は秘密裏に進められた。王の情報網は広く、遠い村の中の孤児を預かっている道場に、魔王に良く似た黒目黒髪黒肌の少女が居る事が分かるまで、時間は余りかからなかった。


 強引に捕らえた少女とその道場にいた者達は抵抗したが、王直属の裏騎士団にはなすすべも無く、魔王に良く似た少女は城の奥底で魔王として生きる事を余儀なくされる。王の懐に裏騎士団から黒目黒髪の男も居た、という報告も入ったが、肌が違うという理由でそれは捨て置かせた。


 魔王の出現は面白い程に効果を発揮する。理由があったのかは今となっては解らないが、当時少し増えていた魔物の存在が民や貴族を信じさせるに至った。


 王は確信した。やはり自分は歴史に名を残す選ばれた人間だ、と。夜毎聞こえる偽の魔王を陵辱する音。王もそれに参加し、酷く興奮していた。




 いつからだろうか、魔物が異常なほど増えていたのは。魔物が攻めて来るから援軍を、という嘆願書が50を越えた時、それは起こった。


 それを初めに見つけたのは偽の魔王を痛める事を日課にしていた裏騎士団の一人だった。

 いつものように監獄へ続く階段を降りていくと、妙に薄暗かった。奇妙に思いながらも更に降りると、明かりは点いているのに足下すら見えないほどの淀んだ闇が満ちている。


 それは国中の民の不満や悲しみ、怨みや絶望の塊。国中の貴族の殺意や浅ましい功名心、嫉妬や虚栄心の渦。

 そして国の全ての負の感情を、自身の負の感情で身に纏う。


 それこそ、魔王のあるべき姿。


 なんて事はない。魔王は人が創るのだ。本来なら魔物の王が受けるべき業。それの器を王はわざわざ用意した。だから偽の魔王は魔王になった。単純な話だ。




 二年前の真実。決して語られぬ言葉。


 リデアとカズヤとその仲間達は必死でイルを元に戻す方法を模索した。最終的に運良く魔王のイルは死に、人間のイルとして生きられるようになったが、イルの近くでは『魔物が活性化する』という性質が残ってしまった。だからイル達は長く一定の場所には留まれない。


 今回もイルがいなければこの魔物も死の眠りから醒めなかっただろう。


 大昔、スティルの産まれるずっとずっと前。


 かつてこのリタの町の人々を愛し、守護者として生きた水晶の魔物は。








「どりゃ!」


 水晶の狼の牙一本一本から創られた小型の水晶の狼達。その一体の心臓部をリデアは掌底で打ち抜く。


 [心滅掌]――ミントライン流活殺術の奥義とされる『気』を操り、相手の心臓部および内臓を内側から破壊する技である。

 久しぶりに魔王の防御力を持つイル以外に打たれた『気』は、小型の狼の体を一瞬止めた後、振動と共に巨大な狼と同じ水晶で出来た体を粉々にした。

 残りはまだ十数体。


 リデアから一番遠かった小型の水晶の狼は、隙をついてウェイパー達に襲いかかった。


「うわぁぁっ!」


 情けない声を上げて父親と共にもつれて倒れるウェイパー。その投げ出された小さな脚を狙って狼は食らいつく。


「だめだよー。めっ」


 イルが場にそぐわぬ呑気な声と共に指を鳴らすと、ウェイパー達の周囲の闇は鋭く尖り、狼を串刺しにした。

 実力差を知ったのかなかなか近寄ろうとしない狼達に、リデアはしびれを切らした。


「カズヤ。面倒だからアレ、頂戴っ」


「えー? アレは結構疲れるから、出来れば出したく無いんだけど」


「つべこべ言わないっ。道具と頭は使わないと、どんどん錆びていくのよ」


「頭はともかく、アレが錆びる訳無いんだけど……」


 仕方ないなぁ、とぼやきながらカズヤは地面にしゃがみこむ。


 今日は月が強く光って綺麗だ。


 足下に影が出来るほど。


 カズヤは自分の影に両手を突っ込んだ。異様な光景。地面は確かに存在するのに、カズヤの手首から先は何事も無いかのように影をまさぐる。

 割れ目も奥行きも解らない出来損ないの切り絵のような光景に、ウェイパー親子は息を飲んだ。


「お、あったあった。リデア、投げるよ」


 カズヤは返事も聞かずに、影から取り出したそれを投げる。

 リデアはまるで初めからそれがそこに来るのが分かっているかのように、振り向かずに左手を横に突き出した。




――カズヤ・クニサキは異世界の住人だった。争いを経験した事など無かったし、目の前で自分に良くしてくれた黒い少女が屈強な男達に連れ去られた事も当然無かった。

 少女を取り戻す旅の途中で、カズヤは己の無力さを噛み締めた。自分より小さな女の子が傷つき、身を挺して護ってくれているのに、自分はただそれを見ることしか出来ない。


 力が欲しい、と願った。自分が全てを助け、戦いに傷つく少女を護るための力が。




 一振りの両刃の大剣。だがあまりにも分厚く、長い。使い手よりも大きく、甲冑と同じく全く月の光を返さない素材で全てが構成されていて、騎士剣と呼ぶには無骨過ぎる。

 それでもウェイパー達はその無骨過ぎる剣を持ったリデアを見て、同時に同じ事を思った。


 綺麗な立ち姿で佇む夜より黒い甲冑。その身長よりも長い剣を重さが無いかのように正眼に構える。重心に偏りは無く、ただただ敵だけを見据える。全ては自分より後ろの者達を守るために。


 ああ、黒い騎士だ、と。


「久し振りだけど錆びてはいないみたいね。安心したわ」


「当たり前だよ。ほら、ちゃっちゃと倒して次の町に行く準備するよ。イルの魔法が万能なおかげで家ごと移動出来るけど、食べ物なんかはある程度備蓄しとかないと」


「そういう言葉は料理が出来るようになってから言いなさいっ」


 厳しいなぁ、とカズヤは苦笑いし、隣のイルはカズヤの頭を撫でて慰めてあげようと必死に手を伸ばすが、身長が足りないため届かない。

 場にそぐわない会話を狼達は好機と感じたのか、同時に四体がリデアに迫り、残りは後ろの者達を襲おうとリデアの横をすり抜けようとする。


「それじゃ、さよならっ!」


 横に一閃。大気が歪む程の速度。ただ、それだけで数十体いた狼達は全て跡形も無く消えた。砕けた訳でも無く、ただ初めから存在しなかったかのように、この世界から消失した。


「な、何が起こったんだよ……」


 理解不能の現象にウェイパーはそう呟いた。


 これこそが力を願ったカズヤの能力。カズヤが誰かを助けるために、誰かを必死に助けるリデアにだけ力を与える魔法。


 異世界から来たカズヤだけの世界でただ一つ、リデアのためだけの力。


 名前も無い黒い甲冑と巨大な両刃の大剣。それらはリデアに迫る危険を打ち消し、リデアの障害となるものは虚空の彼方に消し去る。


 ただ一つの、皮肉で理不尽な魔法。


「いつも思うけど、僕って情けないなぁ」


 カズヤは苦笑いのまま、ぼそりとこぼした。

 イルは周囲の闇で足下に台を作り、やっと届いたカズヤの頭を撫でた。



 分身を殺された怒りか、ただ単に自分がその気になったのか。巨大な水晶の狼は地面から鼻先を引き抜き、リデアに向けて音もなく吼えた。


 衝撃波がリデア達を襲う。リデアは大剣を盾にし、周囲の闇が広がりカズヤ達とウェイパー親子はイルが防御する。

 一秒。二秒。長い。既にリデア達の立つ通りに面した建造物は崩れ落ち、未だに続く衝撃波は地面を削りながら石を砂に変えていった。


 たっぷり十秒以上破壊の塊を撒き散らし、巨大な水晶の狼はゆっくり口を閉じた。これこそが大型魔獣の強さ。常人では目の前に存在する事すら許さない。百人が束になってようやく足止めになり、倒すには国直属の魔術団の総力をあげて魔法を撃ち込まなければならない。


 もはや天災とも思える破壊の傷跡から、リデアは声を荒げた。


「もうっ、せっかく被害は少なめにして次の町に行こうって思ってたのに、今ので台無しよっ!」


 大きく広がっていた闇が元に戻る。

 イルは舞い上がった埃を吸い込んで咳をした。


「けほっ、けほっ。リデア、町の中まで入れた時点でもう遅いと思うよ…………」


「仕方ないじゃない! 家からここまで遠いんだからっ」


 周囲の惨状は凄まじい。リデア達が立っている場所以外の地面は大きく抉れ、通りに面した家は衝撃の余波で半分ほどに削られている。

 カズヤはズレたメガネを直した。


「リデア、さくっとよろしく」


「分かってるわよっ」


 リデアは地面がひび割れるほど高く、飛んだ。









 住民の避難を済ませ、ふと広場から空を見上げたスティルは見た。


 空に輝く月と、その光を反射する巨大な水晶の狼と、その巨大な狼よりも更に大きな黒い無骨な大剣のシルエットを。

 その大剣は吸い込まれるように巨大な水晶の狼へと振り下ろされる。直後、まるで元々何も存在しなかったように、悪い夢から醒めるように、巨大な水晶の狼は消えた。


「何が起こった……?」


 自警団の団員のアダムの制止の声も聞かず、スティルは巨大な水晶の狼が居た方向へ、言うことを聞かない脚を動かして走る。

 本当に悪い夢だったのか。それとも自分は既にあの狼に食われてしまったから、あんなに都合の良い光景が見えたのか。

 容量を越えた今日の出来事は、ただスティルを走らせた。途中何度か転んだがそれでも走る。

 古くなった体が悲鳴を上げ、次に倒れれば受け身も取れない程疲労したとき、スティルは巨大な水晶の狼が居たであろう通りに着いた。


 惨状。地面は子供が道をスコップで掘ったように抉れ、家も削り取ったように半壊している。その惨状が夢では無かった事をスティルに告げ、同時に本当に巨大な水晶の狼が消え去った事も教えた。

 抉り取られた地面の、何故か三カ所だけそれを逃れた地面の一カ所に誰かが居る。気力を振り絞りその近くに行くと、見えたのは座り込んでいるこの町の町長とその息子だった。


「はあはあ、おい、町長。いったい、何がここで、あったんだ」


 乱れた呼吸を整えるのも忘れ、スティルは町長に言った。だが、放心したような顔のまま町長は答えない。

 代わりに息子の短髪の男の子、ウェイパーは沈んだ声で喋り出した。


「…………スティル、さん。俺、強くなりたいです。黒騎士様……いや、あいつらと同じくらい」


「ウェイパー?」


 黒騎士がこんな辺境の町にいるはず無いし、あいつらが誰なのかも分からない。スティルは首を傾げてウェイパーの顔を覗き込んだ。


「力もそうだけど、在り方そのものが、強くなりたい、です」


 ウェイパーの瞳には涙が溢れんばかりに溜まっていた。唇を強く噛み締め、睨むように前を見ている。自分の両腕を膝の上で強く掴んだウェイパーの姿はちっぽけだった。

 スティルはきっと凄まじい何かがここであって、ウェイパーはそれを見て感じた事があったのだろうと思った。

 巨大な水晶の狼はどこへ行ったのか、あいつらとは誰なのか。聞きたい事は山ほどあったが、スティルはウェイパーの頭をがしがし、と撫でた。










「ふう、今日はこんなもんか。……良い出来なんだけどなぁ。何で売れないんだろ」


 カズヤ・クニサキはそう呟いてマフラーを近くの台に置いた。窓を見上げても木しか見えないが、今度の土地は随分と冷え込んだ空気が幅を利かせている。


 巨大な水晶の狼を倒した夜が明ける頃に、リデア達は次の町へ移動を始めた。もうこのククリの町の外れに家を構えてから一ヶ月が経つ。

 道中は特に何事も無かったが、少しだけ変わった事がある。


「おっ、フィル。遊んで欲しいのか?」


 短いしっぽをぱたぱた振って、水晶で出来た小さな狼、フィルはカズヤの脚にじゃれついた。


 あの巨大な水晶の狼をリデアがそれより大きくした大剣で斬ったら、何故か小型犬ほどの水晶の狼がそこにいた。

 それまでの狼達とは違い人懐っこく、魔物に敏感なイルも敵意は無いと言っていたので仕方なく連れてきた。虹彩の無い瞳も見慣れれば案外可愛く、今では家族同然だ。


 よしよーし、と言ってフィルを抱き上げるカズヤ。

 仕事部屋と居間を繋ぐ扉が音を立てて開いた。


「あっ、また仕事サボってフィルと遊んで」


 リデアは小さな体を目一杯大きく見せるように片手を腰に当てた。

 水晶なのに柔らかい、不思議な感触を手に楽しみながらカズヤは笑う。


「ちょっとくらい良いじゃないか。ほら、前の町から出てきて結構経つし、たまには息抜きしないと」


「たまには、ね」


 リデアは両手を後ろで組んでカズヤをジト目で見た。だが能天気な顔で笑うカズヤを見て、前の町で良くしてくれたスティルの愛嬌のある笑顔や、ルビーの豪快な笑い声が浮かんだ。

 あまり多くは無かったが、だからこそ大切に思える思い出。リデアはそんな人達に礼の一つも言わなかった事を後悔した。

 同じように何かを考えていたらしいカズヤは含み笑いのまま喋り出した。


「そういえばあのでかい奴を倒した後に、あの子供を怒鳴りつけた説教は凄かったよ、リデア」


「あれは思った事を言っただけよ。今までの恨みを返さないと気が済まなかったし。まあ、ついでに町長にも怒っちゃったけど、これからあの人達がどうなろうと知ったこっちゃないし」


 あの時、フィルの心を感じたイルから今回の大型魔獣の復活の理由を聞いて、自分達にも原因があった事を棚に上げてでもリデアは怒鳴らずにはいられなかった。納得が出来なかったからだ。しかし、リデアは後悔していない。


「私が絶対に正しいとは思ってないけど、だからって沈黙する気はないわ。沈黙は停滞だもの」


「ははっ、リデアって子供なのに難しいこと言うよね。なんていうか、哲学者みたい」


「哲学者?」


 カズヤは顎に手を当てた。


「ああ、この世界にはそういう言葉が無いのか。うーん……平たく言えば、難しいことを考える人かな」


「なにそれ」


「ごめん、僕も良くわかんないや」


 そう言ってカズヤは笑い、言葉を続けた。


「でも、説教の最後に『文句があったらあたしより強くなりなさい!』って言ったとこは流石にどうかと思ったよ」


「当然でしょ。力が無いと話すことだって出来ないって、あたしは二年前に思い知ったんだから」


「でもリデアはそんなこと言いながら、弱い人も知らない人も護ってきたんだからね」


 たまたまよっ、と言ってそっぽを向いたリデアを、カズヤは柔らかな気持ちで見つめる。横を向いた事でよく見えるようになった耳元が少し紅いのには気付いてないらしい。

 そんなリデアを、カズヤは護りたいと思った。

 照れ隠しか、少し早口でリデアは言う。


「ほらっ、話してないでもっと良いもの作りなさい! このままじゃこの冬は餓死するわよっ」


「はははっ。冗談キツいよ、リデア。いくら僕の作った日用品が売れないからって、餓死は…………」


「ゼロよ」


 え、とカズヤは間抜けな声を出した。 

 調子を取り戻してきたリデアはまだ幼さの残る瞳をカズヤに向ける。


「この町に来て一カ月、カズヤの作った物が売れた数。この町の人達とはセンスが絶望的に合わないみたい。何とか今はイルの薬草を売って生活してるけど、それもこの時期からは難しくなるんだから」


「そ、そんな馬鹿な…………。かゆい所に手が届くように配慮してるのに……」


「それがこの町の人達には気に入らないみたいよ。無駄、だって」


 ふぅ、とカズヤはため息を吐いてメガネの位置を直した。


「リデア、大事な話があるんだ」


 カズヤの稀に見る真剣な表情。いつもは締まりの無い口元も、今は強い意志の見える一の形だ。

 リデアの心臓が大きく跳ねる。普段は間抜けな男だが、ここぞと言うときはいつも自分を助けてくれる。

 えっ、とリデアは声を上げた後、慌てて左右を何度か見て後ろに組んだ両手をカズヤの死角で組みなおした。いつもは綺麗な立ち姿だが、紅くなる耳元を自覚してか顔が俯きがちで年相応に見える。若干泳いでいるが、それでも視線は相手の目を見ていた。


「えっと、はい。な、なんですか……?」


 責任を取って、とか君のためなら、といった感じの文がリデアの脳裏をよぎる。巨大な水晶の狼との戦いとは比べ物にならない程、手に汗をかいている。

 カズヤはそのリデアの様子を少し変に思いながらも、大事な言葉を伝えた。


「今日の晩ご飯は景気付けに味の濃い料理をお願い。明日から本気出すから」


「…………はい?」


「えっと、だから今日は味の濃い料理をお願い。明日から本気出すから」


 大事な事だからカズヤは二度言った。明日から頑張るから今日くらいは贅沢したい。カズヤは味の濃い料理が恋しかった。

 リデアが頭を下げると、見事な金色の髪が紅くなっていた顔を隠した。後ろに組んだままの両手は少し震えている。

 やっぱり贅沢は駄目だったかな、とカズヤが考えていると、リデアは音も無くカズヤの懐に踏み込んだ。


「このっ、馬鹿カズヤっ! 死ねっ!!」


「ぐっ、がはぁぁああっ!?」


 [心滅掌]を打ち込まれたカズヤはびくびくっと痙攣した後、地面にうつ伏せな倒れて動かなくなる。そのカズヤの背中にフィルは乗り、丸まって昼寝を始めた。


「はぁはぁ。もうっ、今日はご飯抜きよっ!」


 そう言ってリデアは窓際の花瓶に小さな黄色い花を一つ挿して、乱暴に部屋から出て行く。先程のどたばたのせいか花弁が一枚欠けている。


 朦朧とする意識の中、カズヤは思った。


――女の子の思うことって、どんな難しい哲学よりも理解できないや。




 その小さな黄色い花は、この地方の今の季節はなかなか見つからないらしい。



 シルバレス王国の辺境にあるククリの町。そのまた更に外れにある家の、昼過ぎのいつもの風景だった。




 黒騎士英雄物語~その後~     了



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