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桜の大合奏

 春の音楽の街に、特別な一日がやってくる。

 桜の大合奏祭。

 朝早くから、街じゅうに淡い桃色の気配が満ちていた。

 桜並木の下では、風に揺れた花びらが“ひらり、ひらり”と落ちるたびに、小さな音が生まれる。

 “ちりん”

 “りろりん”

 “ぽそ”

 “ぱらん”

 花びらひとつひとつが、ほんのり違う音色を持っていた。

 この街では、桜の花びらにだって声があるのだ。


 ソラが桜並木に着くと、すでにたくさんの住人が集まっていた。

 音を拾うための楽器、“花音かのんの器”を持ち、花びらの落ちる方へそっと手を伸ばしている。

 器は貝殻のように丸く、内側に薄い弦が貼られていた。

 花びらが触れると、その音が器の中に吸い込まれていく。

「すごい……花びらの数だけ音があるんだ」

 風が吹くと、桜が一斉に揺れた。

 そしてーー

 “さらさらさら……”

 “りりん……”

 “ひゅ、ひゅるるん”

 まるで桜そのものが大きな楽団のように、色と音を降らせる。

 ソラはただ見上げて立ちすくんでいた。

 胸の奥が、この街に来てからずっと感じていた“かすかなざわめき”でいっぱいになっていく。

 そのとき、後ろから軽やかな声がした。

「ソラ!」

 振り返ると、ルースが手を振っている。

 今日は白いシャツに淡い風色のスカーフを巻き、いつもより少し大人っぽい。

「ルース、今日演奏するんだよね?」

「まあね。春の奏手は全員参加なんだ。街じゅうの花の音をつなげて、大きな曲にするんだよ」

 ルースはソラに一つの“花音の器”を手渡した。

「これ、君にも使ってほしいんだ」

「ぼくに……? でも、音楽なんて分からないよ」

「大丈夫。音楽の街は“分かる人”じゃなくて、“感じる人”を呼ぶから」

 その言葉は、小さな励まし以上の重さを持っていた。


 祭りが始まる合図に、街じゅうの鐘が鳴った。

 “りぃん……りぃん……”

 その余韻は桜色の空をゆっくりと満たしていく。

 ソラは花の器を手に、舞い落ちる花びらをそっと受けとめた。

 “ちりりん”

 器の中が柔らかく光る。

 次の花びらを受けると、

 “ぴ、りん”

 色の違う光が重なる。

「……ほんとに音が見えるみたいだ」

 器は桜の音を吸い込み、光で満たされていく。

 周りでも住人たちが同じように音を集めていた。

 ルースはというと、まるで風と話すみたいに自由に花びらをすくっていた。

 “ふぁん……”

 “しろろん”

 その音を聞くだけで、心が軽くなる。

「ソラ、いいね。君の器……優しい音が集まってる」

「優しい?」

「うん。君が花に触れたときの気持ちが音に出るんだよ」

 ソラの器を覗くと、淡い桃色と白がふわりと混ざりあって、やわらかい光になっていた。

「君の音は“はじまりの色”だね」

 その言葉に、胸が少しだけ熱くなった。


 やがて広場の中央に大きな円が作られた。

 桜並木を囲むように、百人以上の奏手たちが並んでいる。

 中央には街でいちばん大きな桜の木。

 “響桜きょうおう”と呼ばれる古い桜だ。

 ルースが説明してくれた。

「この木が街の春の中心なんだ。桜の大合奏は、響桜が音を放つと始まるんだよ」

 風が吹く。

 ひらひらと舞う花びらが、響桜の太い枝を通り抜けた。

 その瞬間、

 “ぽん……ぱらり……んんんんんん……!”

 桜の木そのものが歌い出した。

 街じゅうの空気が震える。

 ソラの足元も、胸の奥も、柔らかく揺れている。

 指揮役の奏手が高く手を上げた。

「では、春の大合奏をはじめよう!」

 その声にあわせて、奏手たちが器を掲げた。

 器に溜めた花の音が光の弧をつくり、桜の木を中心に円を描いた。

 “りりりん”

 “ぽろん”

 “ひゅるるるる”

 花の音が空へ、空へ、昇っていく。


 ソラも見よう見まねで器を掲げた。

 器の内側が桜の光を反射し、ふわりと舞った花びらがその上に落ちる。

 “ち……ん”

 その瞬間、器が強く光った。

「え……?」

 周りの音とは明らかに違う。

 花びらの音なのに、どこか懐かしい……

 昨日、風の塔で胸の奥を震わせた“あの音”にすごくよく似ている。

 鼓動が早くなる。

 器の光は強まり、桜の木の歌と重なりはじめた。

「……ソラ?」

 ルースが心配そうに近づこうとするが、その前に、

 “ぱんっ!”

 大きく澄んだ音が、ソラの器から弾けた。

 桜の光に紛れず、街じゅうが一瞬静まるほどの透明な響き。

 どの花の音とも違う。

 けれど桜の大合奏とぴたりと調和し、まるで春の中心そのものを貫くようだった。

 風が吹き、桜が雪のように舞う。

 街の住人たちがざわめく。

「今の音……?」

「誰の?」

「春の核みたいな……すごい音だぞ」

 ルースは驚きの表情でソラを見た。

「ソラ……今、何をしたの?」

「わ、わからない……!  花を受けただけで……」

「でも、君の音だよ。あれは君の中にある“失くしている音”のひとつだ……!」

 その言葉に、ソラの胸が大きく揺れる。

「ぼくの中の……音?」

 そのとき。

 響桜の枝が風に揺れ、花びらがソラの肩にそっと落ちた。

 花はまるで耳元で囁くように、ほのかな音を立てた。

 “ふ……う”

 どこか遠い記憶を呼び覚ますような音。

 小さな手。

 あたたかい声。

 名前を呼ぶ声。

「……!」

 その記憶が形になる前に、花びらは風にさらわれてしまった。

 合奏は再び勢いを取り戻したが、ソラの鼓動だけがいつまでも落ち着かなかった。


 祭りが終わるころ、桜並木は夕日の色に染まっていた。

 街じゅうが音の余韻に満ちて、どこか甘い疲れに包まれている。

 ルースはソラの隣に座り、桜の木を眺めた。

「……あの音、すごかったよ」

「ぼくの……だったの?」

「うん。君の器、花びらより先に光ったからね。君の記憶の奥に、春の音があるんだと思う」

 ソラは膝を抱え、しばらく黙っていた。

 桜並木の風が髪を揺らす。

「……こわくはないけど、なんだか切ないよ」

「失くした音ってね、きれいなものほど切ないんだよ。でも、取り戻せたらすごく強くなれる」

 ルースの声は春の夕風みたいに静かであたたかい。

「ソラ。焦らなくていい。でもいつか、その音が全部そろったら……君はきっと“街の季節を決める人”になれるよ」

「季節を……決める?」

「うん。この街の季節は、人の音が動かすんだ」

 難しい意味はまだよくわからない。

 けれど、ソラの胸はさっきより少しだけ軽かった。

「ぼく、自分の音をちゃんと知りたいよ」

「それでいい。ゆっくり探そう」

 桜並木に夕風が吹き、最後の花びらが舞い落ちた。

 ソラはその花を手に取り、胸の奥の“知らない音”をそっと抱きしめた。


 春の大合奏は、ソラの中に眠る音をもう一度目覚めさせたのだった。

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