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番外編 音楽街の休日

 ある日の朝、音楽の街に珍しい静けさが訪れた。

 いつもなら、街のどこからか楽器の音や足音、鳥や風の調べが絶えず流れているはずなのに、その日はほとんど音がなかった。

 住人たちは一斉に「音を作るのをお休み」していたのだという。

 商店のベルも、工房の金属の響きも、広場の小さな演奏会も、すべて止まっている。

 街全体が、ふわりと息を潜めたようだった。


 ソラは目を丸くして、広場を歩き出した。

 普段なら楽器や音の精たちの賑やかな旋律に囲まれている場所も、今は静まり返り、空気は驚くほど澄んでいた。

 小鳥たちもさえずりを控え、川のせせらぎも弱くなる。まるで街全体が眠っているようだ。

「……こんな街、初めてだ」

 ソラはつぶやき、ふわりと息を吐いた。冷たい朝の空気に自分の呼吸が少しだけ音を立てる。


 しかし、静かな街の中で、ソラは別の不思議なことに気づいた。

 音が少ないからこそ、これまであまり意識していなかった心の中の音が、はっきりと聞こえてくるのだ。

 自分の心臓の鼓動、血の流れる音、胸の奥で揺れる感情のリズム……

 それらが、街全体の静けさに反射して、耳の奥で響いていた。

「これ……すごい」

 ソラは小さく笑った。

 普段なら外の音に紛れてしまう、自分の心の旋律が、今なら街中で自由に広がる。

 悲しみや不安も、喜びや希望も、すべてが微かなリズムとなって耳に届く。

 歩きながら、ソラはふと思い出す。

 桜の大合奏や落ち葉のワルツ、雪結晶のエチュードーーあのときも、心の奥で音を感じることがあった。

 でも今日は違う。外の音がなくなることで、自分の内側の音が、街全体に響くようになったのだ。


 広場にある大きな時計塔の前で、ソラは立ち止まった。

 いつもなら鐘やリズムに合わせて人々が集まる場所も、今は誰もいない。

 その静寂の中で、ソラは胸の奥のリズムに耳を澄ます。

 小さな揺らぎ、過去の記憶、未来への期待ーーそれらが一つ一つ音となり、街に溶けていく。

 歩き続けると、通り沿いの家々からも微かな心の旋律が聞こえてきた。

 店の主人の心のリズム、子どもたちの眠る息遣い、猫の足音のように静かに響く小さな音。

 すべてが街の空気に混ざり、穏やかで優しい和音を作り出していた。

「なるほど……音楽の街って、音だけじゃないんだ」

 ソラは目を細め、手を胸に当てる。

 外の音がなくても、街は音楽で満ちている。

 それは、人々の心の中にある旋律であり、街そのものが生きている証拠だった。


 昼下がり、街の広場でソラは小さく跳ねる。

 風は葉や花を揺らさず、光だけが街を照らす。

 それでも、胸の中で鳴る音は、心を躍らせるリズムとなり、歩くたびに街の空気に広がった。

 雪の精や風の精は静かに見守り、時折光の粒を散らしてソラの音を受け止めているようだった。


 夕暮れ、オレンジ色の光が街を包み込む頃、住人たちも少しずつ外に出てきた。

 みんなが微笑みながら歩き、自然に耳を澄ませている。

 誰も楽器を手に取らなくても、街は生きている。

 心の音で満ちていると感じているのだ。


 ソラは広場に座り、目を閉じた。

 心の中で自分の音が街全体に溶け、住人たちの小さな旋律と混ざり合う。

 まるで、街全体が一つの静かな交響曲を奏でているかのようだった。

「音を作らなくても、音楽って存在するんだ……」

 ソラは微笑み、静かに頷く。

 普段は気づけなかった、街の中の音、自然の音、人々の音、そして自分の音。

 それらすべてが、休日の静けさの中で美しく輝いていた。


 夜、街灯が灯り始める頃、ソラは立ち上がり、広場を歩きながら小さな歌を口ずさむ。

 声はかすかで、街にはほとんど届かない。でも胸の中では、確かに鳴っている。

 音の少ない街だからこそ、自分の内側の音はこんなにも鮮やかで、大切なものなのだと気づいた。


 そして、ソラは静かな街を後にしながら、心の中で約束した。

 どんなときも、街の音も、自分の音も、忘れずに感じ続ける。

 音楽は、音だけじゃなく、心の中にあるんだ、と。


 その夜、月が昇り、星が瞬く空の下で、音楽の街は静かに眠った。

 でも、街の住人も、ソラも、胸の中には確かな旋律が息づき、音楽の休日は、心に残る静かで温かい調べとなったのだった。

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