名前①
生まれてから名前が好きだと思ったことがなかった。
やたら珍しく、読み方が難しい苗字のせいで嫌な気持ちになったことは数えきれないほどある。
電話中本人確認が必要な時1回で聞き取ってもらえない。
漢字の説明を1文字1文字しなきゃいけない。
学生時代学年が上がるごと、教科担当が分かれるたびに毎度読み方を訂正しないといけない等。
田中さんや山田さんでは理解のできない世界が毎日繰り広げられている。
好奇の目に晒されること、悪目立ちすること、知らない人に苗字を聞かれることに酷くストレスを感じていた。
好きな人には名前を呼ばれたいけど、苗字が珍しいせいで下の名前を呼ばれることはほぼない。
結婚するときは絶対に相手の名前にしたいけど、一般的すぎる苗字になることへの勿体無さもある。
我ながら面倒臭いやつだ、と毎度毎度同世代と結婚の話が出た時に思う。
だけど、結婚するつもりはない。
私は私が嫌いだから、この世に自分の遺伝子を残したくないから。
そんな私はSNSに心が疲れていた。いつからだろう。
Instagram、TikTokが流行り出して自分のキラキラした部分だけを表現したい、見せたい、羨んでほしいという世界ばかりになったくらいだったかもしれない。
自慢だらけの世界を見たいわけではないと逃げ出したのが小説だった。
小説は現実逃避にちょうどよかった。とてもよかった。
元々本をたくさん読むような人間ではなかったけど、自分の知らない世界がそこにあること、面白いと思える感性が私の中にもあること、それに気づけるのが楽しかった。
年50冊くらいだったのに今では年100冊以上読むような生活になった。
今日初めて作家さんのトークショー兼サイン会に足を運んだ。
サイン会でどんな名前を書いてもらうか悩んだ。
渾名か下の名前にするか、本名を書いてもらうか。
でも、ふと気づいたことがある。
「大人になってから好きな人(憧れの人)に名前を直筆で書いてもらうことなんてないな」と。
好きな人に書いてもらう名前であれば私は私のことを少しは大事にできるかもしれない。
純粋に私の名前を知って欲しいという気持ちもどこかにはあったかもしれない。
作家さんに「お名前格好良いですね!!!!!」と言われた時、単純だけど少しだけ好きになれたかもしれない。かもしれないけど、その体験だけで十分だった。
私はその時気づいた。
好きな人に私の名前を書いてもらいたい。言葉じゃなくて書いてほしいと。
結婚したら私の苗字になってほしい。
あなたが書いた私の名前に価値がある そう思った。




