13話 月明かり、もう一つの手
休憩室では狭すぎるからと、椅子を端に寄せた待合室。
昼間の喧騒が嘘のように、診療所は静まり返っていた。
仁王立ちするルスカの背後には、ミュラーたちが椅子に腰かけている。
ミュラーとアニは、どこか面白がるように口元を緩めていた。
(みんな他人事だと思って……)
クラリスは睨みつけるが、まるで意に介さない。
「初めてではないんだから、復習からだ。まずクローズドチェンジ」
「クローズドループ?」
「……それは絞扼性イレウスの所見だろ。ふざけてるのか?」
「すみません」
小さく頭を下げた、その時。
右手を取られ、指を絡められる。
左手はルスカの上腕へと導かれ、背には手が添えられた。
思わず顔を上げる。
ルスカは真剣な目で見下ろしていた。
(……前も、こんなに、近かった……!?)
——一瞬。
視線がぶつかる。
わずかに息が止まり、
次の瞬間、互いに逸らした。
「……さっさとやるぞ。俺の足について足を動かすんだ」
「は、はい!」
「いくぞ。1、2、3……」
ルスカが引けば、クラリスが出る。
ルスカが横に動けば、クラリスもそれに続く。
クラリスは足元を見つめながら、必死についていく。
「そう、そうだ……おい、踏んでる!こう……そう……これが基本ステップだ」
ぎこちない動きが、少しずつほどけていく。
やがて何度か繰り返し、ふたりはぴたりと止まった。
「……形にはなってる」
「ルスカすごーい!!」
ぱっと顔を上げたクラリスの笑顔に、繋いだ指が、わずかに震えた。
「……まだ、これは始まりにすぎない。つぎはボックスステップ行くぞ」
「は、はい……!!」
クラリスは慌てて、また視線を足元へ落とした。
「なあ、貴族ってなんで踊るのが好きなんだ?」
椅子に肘をつき、頬を預けたミュラー。
その手元には炙りワタンボの皮の束。
時折摘み出しては口元に運んでいた。
アニはミュラーを一瞥し、小さくため息をついた。
「さあね。見栄なんじゃないの?僕は大嫌い」
「そうな、お前は嫌いそうだな」
ミュラーが荒々しくアニの頭を撫でると、アニはその手を払う。
「…………」
ヴィルはその横で、練習をする二人をただ見つめていた。
その時。
カレルが静かに口を開いた。
「もういいのか?」
「ええ。……殿下に報告もありますので」
一度背を向け、足を止める。
わずかに振り返り——
「ね、ねえ早いって!!もっかいやって!」
「仕方ないな……」
視線の先では、ぎこちなくも楽しげにステップを踏む二人。
「殿下は……」
カレルがぽつりと言葉をもらす。
それから首を横に振ると、静かにその場を後にした。
それから数日。
月明かりが差し込む待合室。
ヴィルが見守る中、二人の足音だけが静かに響いていた。
クラリスの足取りは、最初よりもずっと滑らかになっている。
「みて、できてない?」
「ああ、いいだろう。だが——」
ルスカが足を止めた。
「……?」
クラリスも動きを止めた、その時。
肩にあったルスカの手が外れ、クラリスの顎に触れ、くい、と持ち上げられた。
視線が合う。
今度は、逸らせなかった。
ほんの一瞬、息が重なる。
——耐えきれず、二人同時に目を逸らした。
繋いだ指に、力が入る。
「……目線は上だ。慣れるまでは、俺の目でも、鼻でも見てろ」
「わ、わかった」
小さく頷き、再び、ゆっくりと足が動き出す。
ヴィルが膝の上の手を握った、その時だった。
繋いだ二人の手に重ねられるもう一つの手。
月明かりにはためく赤いマント。
「——ずいぶん楽しそうだね」
にこりと微笑むその顔は——
「シ、シュヴァン……!?いつの間に……?」
クラリスもルスカも、ヴィルすらも目を見開いた。
「き、気づいてた……?」
クラリスが小声でルスカに問うと、彼は小さく首を横に振った。
「僕のパーティのために、頑張ってくれてるんだよね」
シュヴァンが一歩踏み出す。
(あ、あれ……?そういえばなんでこんな一生懸命練習して……?)
そう思うが、いつの間にか添えられた肩への手が思考を奪う。
「さあ、クラリス」
その声と同時に、自然に手がするりと取られる。
気づけばルスカの手から離されていた。
「僕とも、練習してくれるかな」
クラリスが頷くその前に、優しく手を引かれていた。
「……すごいね」
ぼそりとヴィルが言う。
ルスカはちらと視線をヴィルに動かし、すぐに戻した。
(ルスカの時は、見るからに練習だった。けど……)
ヴィルは二人から視線を動かさなかった。
「そう、上手だね……僕を見て?足を……そう。綺麗だよ」
静かな声に導かれるように、足が迷いなく動いていく。
まるで、最初からそう決まっていたみたいに。
(けど……クラは、さっきの方が……)
クラリスは頬を真っ赤に染めたまま、シュヴァンから視線を外せずにいる。
(楽しそう、だったな……)
ヴィルはそっと目を伏せた。




