1話 クラリス、働きます!
あれから5年が経った。
パストリア王国は相変わらず水と花に溢れ、人々は活気に満ちていた。
クラリスは17歳になった。
背は伸び、白衣は新調され、髪も高く結えるほど長くなりーーそして何より。
「わたくし、働いて、働いて、働いてーーー働いて、参ります!」
「頭打った?」
燃えていた。
「患者が多すぎる!!」
全てはこの一言から始まった。
遡ること5年前。
フィーリア姫を“救った”という出来事をきっかけに、ミュラー診療所の名は国中に知れ渡ることとなった。
……現実とは、少し違う形で。
「ミュラー大先生!!どうか、わたしの父を診てください!」
「ミュラー先生!うちの子のこのケガを…!」
「ミュラー先生!」
「お前のせいだぞクラリス……」
ミュラー診療所には、勘違いによって生まれた“信仰”が押し寄せていた。
なにせクラリスは、まだ資格を持たない医者見習い。
国としても、王女の主治医が“無資格の少女”だったなどとは言えるはずもなかった。
だが、噂は尾ひれをつけて膨れ上がり――
その結果、診療所は“王に仕えし天才医師ミュラー”のもとにある、国一番の名門医院と化してしまったのだった。
診療所はてんてこまいで、あのヴィルですら、カルテの整理を放棄する始末だった。
さらに追い打ちをかけたのが、腸炎パンデミックの一件。
これを解決したのも実はミュラー診療所だったと知れ渡ってしまってからは、各地の医療機関から相談が舞い込み始める始末。
「過労死ライン、見えてきてない……?」
クラリスはガチガチに張った肩を揉み、ため息をつきながら、ある病院へ足を運んでいた。
相談内容は「産褥熱(出産後に高熱を出す症例)が多発している」というものだった。
そこで、気付いたのだ。
素手で処置した医師たちが、手洗いをせずに次の患者に当たっていることが、産褥熱の原因だと。
(この世界は、細菌という概念がまだないんだ……!)
目から鱗が落ちた気分だった。
「細菌が手についてるなら、石鹸で洗えばいいじゃない」
ほくそ笑んだクラリスだったが、すぐさま絶望に膝をついた。
「この世界には石鹸がない」
作り方もわからない。
気づいてしまったあの日、クラリスは静かに膝をつき、すすり泣いた。
けれど、ミュラーがやけ酒しているのを見て気付いたのだ。
(アルコール消毒なら、もしかしたら…?)
そこからは、研究にあけくれる毎日だった。
パン屋を営む父が使っている酒から始まり、王族が嗜む高級酒まで、蒸留、濃度、精製を繰り返す。
何度か火がつき文字通り炎上しかけ、ミュラーに手痛い一撃を喰らった。
そうして、ルスカに協力を仰ぎ、顕現してもらいながら、どの酒が消毒液に適しているか見極めていく。
そしてとうとう完成したアルコール消毒液ーーキンキエールと名付けたそれを、細菌の存在とともに国民に布教する仕事を始めた(ルスカにその名でよいのか何度も確認された)。
「なぜなら、その方がトータルの患者数が減るはずだから!!」
クラリスの言葉に、ミュラーは感心したように頷いていた。
その、次の言葉を耳にするまでは。
「わたしは医師免許がありませんので」
恥ずかしがって嫌がるミュラーを矢面に立たせ、クラリスが陰でカンペを出しながら、手洗いや消毒啓発の脚本を回す。
「えー…この世には、目には見えないものがおり、人呼んで細菌と…あ?ちがう?あっ!目には見えない闇の住人たちがおり……」
(地獄先生ミュラー…!!そしてわたしは、さながら、蝶ネクタイ型変声機使用少年……!!)
こうして、少しずつ「細菌」の概念が国民に浸透していき、“水で手を洗う”"人の体液に触れた後はさらに消毒を"という文化が根付き始めた。
それに伴い相談のあった産褥熱も、診療所の患者数も落ち着きを見せ始め、クラリスは確信したのだ。
「楽をするためには、働くしかない!!」
そうして、地道な草の根活動を続け5年が経つころーー
とうとう、その時がやってきたのだった。
それは、クラリスにとって「医師」としての転機。
そして、この国にとって「医療の夜明け」だった。




