3話 運命を決める魔法
クラリスは、生まれ変わってからわりと早い段階で気がついた。
――この世界には、魔法がある。
しかもそれは、ひとりひとつ。
みんな違う、たったひとつの特別な力。
最初に見せてくれたのは、パン屋を営む父だった。
「ほらクラリス、みててごらん?」
そう言って、掌から光をにじませる父の手を見たときは、思わず口をぽかんと開けてしまったものだ。
「お父さんの手はね、温度を自在に変えられるんだよ」
「……何度まで行ける? 肉とか焼けるなら止血できるね!」
つい、悲しい職業病の名残で返してしまって、父が微妙な顔をしていたのを――
クラリスは今でも強く覚えている。
それからというもの、クラリスは魔法について調べまくった。
魔法図鑑は片っ端から読み漁ったし、パン屋に届く小麦袋の中にも何かが宿っていないか、毎日こっそり観察していた。
けれど、大人に聞いても、本を読んでも、結局答えはひとつだった。
――「七歳の誕生日を迎えたら、教会で神にその力を示していただく」
なんだそれ。
そう思ったけれど、クラリスは楽しみにしていた。
いや、もう、心の底から待ちわびていた。
だって、この世界でどんな人生を送るかは、魔法にかかってる。
前世では、死ぬほど働いて、ほんとうに死んでしまったのだ。
今世こそは、健康で、ゆとりがあって、ついでにお金持ちになって――そんなふうに、ちゃんと幸せになりたい。
「もう医師は懲り懲りよ。できれば楽に暮らせる魔法が欲しい。お金が増やせるとか、そんなような……」
七歳の誕生日が近づくたび、クラリスは毎日、真剣な顔でお祈りをしていた。
欲しいのは“神様の力”なので。
お祈りだって、手は抜かない。
……もちろん、不安がなかったわけじゃない。
「もし、しょぼい魔法だったら……」
「“一日一回、スライムを水に戻せる”みたいな微妙なやつだったら、どうしよう……」
夜、布団の中でこっそり悩む日だってあった。
どれだけ前向きに考えても、魔法次第で人生が変わるのは、間違いないのだから。
それでも。
「どんな魔法でも、使いこなしてやるんだから…そして、悠々自適な生活を手に入れてみせる」
クラリスは、そっと拳を握る。
その胸の奥では、何かが確かに――光ろうとしていた。
そうして、ついに迎えた七歳の誕生日。
本当なら、当日に飛び跳ねるように教会へ行きたかった。
けれど――
「親の同伴が必要です」
そう言われて、クラリスは思わず目の前が真っ暗になった。
両親はパン屋を営んでいる。
この町の朝は、パンの香りと共に始まる。
つまり、それを休ませるわけにはいかないのだ。
(なんてこった……神の力とわたしの人生がかかった大事なイベントなのに!)
クラリスは唇を噛んでこらえた。
けれど、夜の布団の中ではシーツをぎゅっと握ってちょっと泣いた。
そして二週間後。
ようやく辿り着いた教会は、朝の陽射しをステンドグラスで七色に染め、静けさと厳かさに満ちていた。
硬い木の椅子に腰かけ、クラリスは両親と並んで座っていた。
周りにも同じ年頃の子供たちがずらりと並び、それぞれの家族と肩を寄せ合っている。
(とうとう来た…この日が…!)
……そんな高揚も、長くは続かなかった。
「まだかな…?もう1時間も待ってるよ」
前の席の少年がぽつりと漏らすと、母親に優しく宥められる。
クラリスも、ほんの少しだけ腰をずらして、座り直した。
その時だった。
「ルスカ王子殿下の御成である!」
高らかな声が響き、重たい扉がゆっくりと開く。
振り向いたその先にいたのは――
堂々と腰に手を当て、ふんぞり返った少年。
やけに豪華なマントを揺らし、まるで舞台の主人公のように、まっすぐに教会の中央を歩いてくる。
(なんだあいつは…)
クラリスは眉を寄せる。
周囲の空気も、少しだけざわめく。
子供の誰かが、「本物の王子様…」と小さく息を呑んだ。
けれど、王子――ルスカは周囲などものともせず、大司教のもとへと進み出た。
そして。
大司教がゆっくりと両手を掲げ、祈りを唱えると――
眩い光が、天井の奥から差し込むように、少年を包み込んだ。
「……!」
クラリスは思わず目を閉じた。
光は、ほんの一瞬、視界すら焼きそうなほどに鮮やかだった。
しばらくして、やがて光がすうっと収まり、教会に静けさが戻る。
大司教が、そっと一枚の紙を掲げ、読み上げた。
「ルスカ・パストリア王子殿下の御能力は――顕現。隠れているものを、露わにする能力のようですな」
その言葉に、場がふたたびざわめいた。
「えっ、なんか王族なのにしょぼ…」
「第一王子のシュヴァン様は天気を操れるって聞いたよ…?」
「しっ!」
誰かの囁きが聞こえ、大人たちが焦ってたしなめる。
ルスカは、はっきりと肩を落とし、憔悴した様子で教会を後にしていった。
(……すごい能力なのに)
クラリスは、思わずじっとその背を見つめていた。
(隠れた癌とか、下肢の静脈血栓とか……見えないものが見えるって、すごくない?チートじゃん……)
そこまで考えて、クラリスははっと息を呑んだ。
(ダメだダメだ、医師はもうしない!)
思わず大きく首を振ると、隣に座っていた母親が「どうしたの?」と小声で尋ねてくる。
クラリスは何でもないと笑って、正面を見つめ直した。
「それでは、お集まりの皆様……始めましょう」
大司教の声が再び響き渡り、神聖な儀式の幕が静かに上がる。
一人、また一人と名が呼ばれ、子供たちが前へと進んでいく。
クラリスの心臓は、まるで鼓動そのものが魔法のように、ぽんぽんと跳ねていた。
「では、クラリスさん。前へ」
「はいっ!」
名前を呼ばれるや否や、クラリスは勢いよく立ち上がった。
返事はやや喰い気味で、声もやけに張りがある。
そのまま前へ進む足取りは、もはや競歩。
静かな教会の床に、コツコツと足音が小気味よく響いた。
壇上に立ったクラリスを待ち構えていたのは、大司教……ではなく、隣で名簿を持っていたおじさんだった。
「では、この水晶に手をかざしなさい」
(……え、大司教が魔法で何か力を目覚めさせるんじゃないの?)
少し拍子抜けしながらも、クラリスは水晶にそっと手を伸ばす。
掌の下で、水晶がかすかに熱を帯びたような気がした。
ふわりと風が吹き抜け、クラリスの髪が揺れる。
――そして、その瞬間。
水晶の奥に、うっすらと文字が浮かび上がった。
『消去。対象を消す能力』
(……えっ)
呆然としたまま隣を見ると、おじさんは淡々とその文字を紙に書き留めている。
何の感慨もなく。
そして肘で大司教を小突くと、大司教は慌てたように手をかざし、ようやく光が放たれた。
クラリスの体が、温かな光に包まれていく。
(いや、今忘れてたよね……?絶対……)
口をぽかんと開けたままのクラリスに、まったく空気を読まない声が高らかに響いた。
「貴女の能力は“消去”。対象を消す能力です。神に授かりし力、正しく使うように」
(そ、それだけ!?)
クラリスは思わず前のめりになった。
ついに手に入れた“神の力”に、情報があまりに少なすぎる。
「えっ、ちょっと待ってください!発動方法は!?回数制限は!?“対象”って有機物?無機物?痛みとか記憶も消せたりするんですか?!」
尋常でない勢いでまくし立てるクラリスに、教会内がざわついた。
名簿係のおじさんは後ずさり、大司教は苦笑して視線を逸らす。
そのときだった。
「こらっ!クラリス!」
母の声と共に、タタタ、と小走りの足音が近づいてきた。
「申し訳ありません、この子ったら……楽しみにしすぎていて……」
クラリスの腕をぐいっと引き寄せ、半ば強引に元の席へと戻していく。
「これから学校で教わるの!言ってあったでしょ!」
小声で母から耳打ちされたが、クラリスは唇を尖らせる。
「だって1人1人授かる魔法が違うのに、共通の使い方なんて教えてもらえるわけないじゃない!」
熱のこもった反論に、母はぴしりと拳骨を落とした。
「いたっ……!」
びしっという音と共に、クラリスの視界に火花が散る。
沈黙の中、頭を押さえながら席についたクラリスは、まだ胸の奥が高鳴っているのを感じていた。
――対象を、消す。
それだけ。たったそれだけの文字なのに。
(……これって、もしかして、あれじゃない?)
たら、とこめかみを汗が流れる。
(独裁スイッチ――手に入れてしまったってやつじゃない!?)
にやりと、唇が自然と笑みの形を作り、笑い声がこぼれる。
その時、再度隣の母から鉄槌が振り下ろされ……こうして、クラリスの記念すべき魔法の授与式は、静かに幕を閉じたのだった。




