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20話 母の審判

一通り、名だたる貴族たちの挨拶が済んだ頃――

王座の下には、マリアンヌ夫人が控えていた。


穏やかに会話を交わすのは、妃とシュヴァン、そしてマリアンヌ。

ただ話しているだけ――

なのに、その輪には、なにか近寄りがたい空気が漂っていた。


その周囲には、さらなる挨拶の機を伺う貴族たちが、ぎらぎらと視線を投げている。


(……ほ、ほんとに、あそこに行くの?)


クラリスの足が、一瞬すくむ。


(フィーリアとは出会ってまだ僅かだし、正直そんなに知らないし、そもそも期待されてないみたいだったし……)


行かない言い訳ばかりが頭に浮かぶ。


それでも。


『クラリスさん!』


脳裏に浮かぶ、あの少女の声と笑顔。


(助けたい。歩かせてあげたい)


クラリスは、ぎゅっと唇を結ぶ。


そのとき。

ぽん――と、背中に優しく触れる感触。


振り返るまでもない。

ルスカが、無言で背中を押してくれたのだ。


(……行こう)


よろ、と一歩踏み出す。


そのままの勢いで、煌びやかなシャンデリアの真下へ。



王座の前に立ち、クラリスは深く頭を下げ――

そして、大きく息を吸った。


「ひ、妃殿下に……ご挨拶申し上げます!」


その声に、周囲がしん、と静まり返る。

楽団の奏でる楽曲のみが、大きく響いていた。


(し、しまった。思ったより大きな声が……でも、もう戻れない!)


クラリスは顔を上げた。


扇で口元を隠した妃殿下の瞳が、わずかに揺れる。

隣には、どこか楽しげな表情を浮かべたシュヴァン王子。

そして――王座の前に控えていたマリアンヌ夫人が、クラリスを睨みつける。


「なんですの?あなた……」


「わたしは、フィーリア姫殿下の主治医のクラリスと申します!

お耳にお入れしたいことがございます!どうか、お時間を頂けないでしょうか!」


それは、事前に決めておいた台詞だった。


(わたしは、主治医でもなければ、まだ今世では医者ですらないけれど……)


『そうでも言わないと、母上は話を聞いてくださらないからね。

嘘も方便――ふふ、よく言ったものだよね』


あのとき笑みでクラリスの背筋を凍らせたシュヴァンの顔を思い出しながら、クラリスは今、別の意味で背筋を凍らせていた。


隣からは、怒気混じりの言葉が飛んでくる。


「なんと無礼な……!」

「こんな子供が主治医など、聞いたことがありませんわ!」

「そもそもあなた、どなたですの!」


けれど、クラリスは妃から目を逸らさなかった。

妃もまた、じっとクラリスを見下ろしている。

びりびりと肌に感じる圧力に、クラリスの背中が震える。


(こ、怖い……!あれ!?これ死ぬ!?)


その瞳は、驚くほど冷たい。


――でも。


(ここで……負けちゃだめだ!)


クラリスは決して視線を逸らさなかった。


そして、妃は扇をぱちんと閉じ、言った。


「……いいでしょう」


「お、お妃様っ!」


マリアンヌ夫人が思わず声を上げる。


「そなたは、わたくしの決めたことに反論するのか?」


冷たいその一言に、マリアンヌはぴたりと口をつぐんだ。



皆がクラリスに注目し、広間には、ただダンスの音楽のみが響く。


クラリスは大きく息を吸った。


「フィーリア姫殿下のお食事内容を、見直していただきたく存じます!」


「なっ…あ、あなた、なにを…」


マリアンヌは声を上げるが、クラリスは遮るように言葉を続ける。


「姫殿下は七歳、成長期でございます!今のお食事内容では、必要な栄養素が不足している可能性があります!」


「そ、そんなことありませんわ!このわたくしが監修しておりますの!そんなわけがありません!」


「いいえ!鉄、タンパク質、脂質、カルシウム、それにビタミンまで…」


言いながら、クラリスの胸を何かがちくりと刺した。


(……なんだろう、この違和感。なにかが、胸の奥に引っかかる……)


その時。


「おだまり!!」


マリアンヌの怒声がホールに響き渡り、楽団の奏でていた音楽までもが、ぴたりと止まった。


「フィーリア様のお食事は、わたくしの管轄です!!この国で、誰よりも栄養学に詳しいわたくしが、管理しているのです!あなたの診断が、間違えているのではなくて!?」


またも浴びせられる怒気と唾に、クラリスはぎゅっと目を閉じた。


だが、すぐに瞼を開く。


(戦うべきは、この人じゃない……!)


目を開いたクラリスは、まっすぐに妃を見上げた。


マリアンヌの声が隣で怒涛のように続く。


「なんという無礼な!こんな子供が、主治医だなんて――」


それでもクラリスは、目を逸らさない。


「妃殿下!」


声を張った瞬間、ざわついていた周囲がまた、しんと静まる。


「ご存知ですか、フィーリア様は、野菜しかとられておりません!それでは、血が作られないのです!疲労感、ふらつき、めまい…きっとフィーリア姫殿下は人知れずそれらと戦っておいでです!」


「おだまりなさい!!」


マリアンヌの怒声がまた響き渡る。


「美は、食事からなりますの!

あの御姿をご覧なさい!わたくしの功績です!この国の誇りなのです!」


「姫殿下は七歳です!その美しさを、十年後も残したいなら――まず、命を守らなくてはなりません!」


「病の原因は魔法によるものかもしれないでしょう!?

あなたの診断、根拠があるのですか!?」


怒気が爆発するように、マリアンヌがクラリスの胸ぐらを掴む。


「あなたの理論こそ、根拠があるのですか!!あなたの論文、拝読しましたが、引用文献もない感想文ではありませんか!」


クラリスも負けじと、マリアンヌの手首を掴んだ。


はぁ、はぁ、と荒くなる呼吸。


ふたりの睨み合いの中で、ホールの空気が凍りついていた。


その時――


「そこまでです」


妃の声は、扇子を仰ぐ音と共に、静かに落ちた。


まるで氷のような静けさの中で、クラリスとマリアンヌは、互いの手をそっと解いた。


「娘。あなたの指示通りに食事を変えれば、フィーリアの病は治る。そういう理解で、間違いありませんね?」


扇の上から覗くどこまでも冷たい瞳。

クラリスはごくり、と唾を飲む。


(正直自信はない……フィーリアの"歩けない"原因。でも、それでも、きっと繋がってる。意味は、ある)


「……はい。治します」


沈黙。

妃は扇子をゆっくりと閉じ、マリアンヌへと目を向ける。


「マリアンヌ夫人。“美は食事から生まれる”……その信念、間違いありませんね?」


「も、もちろんでございます!お妃様もご存じの通り――」


「ならば」


妃は、冷たく、そして静かに言った。


「フィーリアの食事は、この娘に任せます」


「な……なにを仰いますの!?」


マリアンヌが絶句する。

ホールにも、どよめきが広がっていく。


「フィーリア姫殿下のお美しさを、放棄なさるおつもりですか!あれほどの、国の宝を!」


だが妃は、ふっと笑った。


「娘が苦しんでいるのを見過ごせる母親が、いるとお思いですか?」


マリアンヌが、口を閉ざす。


「……そなたは、なにか勘違いをしていますね。娘の美しさは、わたくしに似たからです。そなたに娘の食事を任せたのは、"食事で魔法の力を強化する"とそなたが話したから。それもいつの間にか、目的が変わっていたようですが。この話は以上です」


妃は手をひと振りする。


視線の先、楽団の指揮者が慌てて棒を振り上げた。

ざわついていたホールに、また優雅な音楽が戻る。


「二人とも、下がりなさい」


妃の声に、クラリスは深く一礼した。


背後から聞こえるマリアンヌの歯ぎしりを背に、クラリスは自然と割れた人垣の間をゆっくりと歩き出した。

まるで、"珍しい生き物をみた"と言わんばかりの視線を一身に浴びながら。

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