19話 使える無礼者
王族の賓客が使うという特別な客間。
煌びやかなシャンデリアの光が床に反射し、部屋全体を柔らかく照らしている。
その中で、クラリスはひとり、大きな姿見の前に立っていた。
(コルセット……きっつ)
6時間ほど前。
集合時間を告げられた彼女のもとに、シュヴァン王子の命を受けた侍女たちが現れた。
そして、そこから――
頭のてっぺんから足の先まで、みっちりと施術(?)が始まった。
髪には香油が塗られ、細かく編み込まれ、
肌には粉がはたかれ、
胴にはコルセットがこれでもかというほど締められ、
仕上げに、重厚なネイビーのドレスと、細いヒールの靴。
気がつけば――そこに立っていたのは、自分とは思えない“完璧な令嬢”だった。
「これ……前世も含めて、今が一番“女の子”してる気がする……!」
いつもは雑に一つにまとめている髪も、
今日は、いくつもの編み込みと煌めく粉で彩られ、
ドレスは一歩動くだけで柔らかく円を描き、ため息の出るような美しさを纏っていた。
(……お母さんにも、見せたかったなぁ)
“少しは女の子らしくしなさい”と叱っていた、あの母の顔が思い浮かぶ。
なんとなく嬉しくて、クラリスはスカートの裾を持ち上げ、くるりと一回転した。
そんなとき――
「おまえも、そんな顔をするんだな」
背後から聞き慣れた声がかかる。
「っ!」
クラリスはびくりと肩を震わせ、慌てて振り返る。
そこに立っていたのは――黒いタキシードに漆黒のマントを纏い、
いつもよりずっと凛とした気配を纏った、ルスカだった。
髪はしっかりと撫でつけられ、後れ毛ひとつ見当たらない。
額も耳も露わになったその姿は、まるで違う人のように見える。
「……だれ?」
「……いや、おまえもな」
むすりと仁王立ちしたその表情は、確かに、ルスカだった。
「……ほんとに王子だったんだね」
クラリスがぽつりと呟くと、ルスカはふん、と鼻を鳴らす。
「褒めていると受け取っておいてやる」
そう言って、ルスカは片腕を差し出した。
「おまえも、悪くはない。……良くもないが。行くぞ」
クラリスは、きょとんと数度瞬きしたのち――
その腕を、おそるおそる取った。
客間にあったものより何倍も大きなシャンデリアが、まるで星の降るイルミネーションのように、大広間を照らしていた。
笑顔と打算の交錯するその空間。人々のざわめきから逃れるように、クラリスとルスカは広間の隅に身を寄せていた。
クラリスの視線がちらりと動く。
王座には、ルスカの母――妃殿下が、シュヴァンと並んで座していた。
事前に聞いていた通り、今日の舞踏会は妃殿下の主催による、伝統的な「王族の舞踏会」。
代々、次代の王の“お披露目”も兼ねており、今日の主役はシュヴァンなのだ。
そのため彼は妃と共に、優雅な笑みを浮かべながら、列を成す貴族たちの挨拶を受け続けていた。
(シュヴァン王子のパーティ仕様……めちゃくちゃかっこいい〜〜〜)
ルスカとは対照的に、きっちりとアップバングにまとめた髪。
背筋を伸ばし、笑顔を振りまくその姿は、「王子様」というより――
まるで、舞台に立つアイドルのようだった。
ふと、シュヴァンがクラリスの方に視線を向ける。
目が合うと――手をひらりと振った。
(ばっ、爆ファンサ〜〜〜ッ!?)
思わずクラリスがぴょん、と飛び上がる。
が、その瞬間、隣のルスカに腕をぐいと引かれた。
「おい。目的を忘れるな」
呆れきった声に、クラリスは咳払いをひとつ。
「……わかってるよ。夫人待ちでしょ」
──時は少し遡り、あのルスカの部屋。
『うん。それじゃあ……5日後の舞踏会に、クラリス嬢にも出てもらうことにしよう。ルスカ、エスコートよろしくね』
そうにこやかに告げたシュヴァンに、クラリスはもちろん、ルスカですら目を見開いた。
『あ、兄上。なぜ、あえて舞踏会に?』
『僕らが言えば、母上に謁見するのは簡単だよ。けれど、それだけではダメなんだ』
シュヴァンの指が、静かにカップの取っ手に触れる。
『……後から、母上がマリアンヌ夫人に何かを吹き込まれるかもしれない。そうなれば、すべてが無意味になる』
『……舞踏会なら、マリアンヌ夫人は必ず母上と話をしますね』
『そういうこと。だから、“両者が揃った場”で、真実を示さなくちゃいけない』
シュヴァンはカップを口元に運ぶと僅かに傾け、そして、そっと置いた。
『あとは…わかるよね?』
そうして今、クラリスとルスカは――
妃殿下とマリアンヌ夫人が顔を合わせる“その瞬間”を、虎視眈々と狙っていた。
「夫人はいつも、名だたる貴族たちの挨拶が一通り済んだ後に、妃殿下と謁見する。……もう少し、後だな」
ルスカの静かな声に、クラリスは小さく頷いた。
その時。
「ルスカ王子殿下。このようなところにいらしたのですね。
ご挨拶を差し上げても、よろしいでしょうか?」
柔らかな笑みを浮かべながら現れたのは、白髭を蓄えた恰幅のいい中年男性。
その後ろには、華やかなピンクのドレスに身を包んだ少女が一人――
クラリスを、じろりと睨んでいる。
ルスカが無言で頷くと、男は満足げに少女の背を軽く押した。
「マルジェラ家のアレクサンダーにございます。
こちら、年頃になりました娘のアデルでございます。
いずれ、何かの折にお目に留まりましたら、幸いに存じます」
「……」
アデルはにこりと微笑みながら、完璧な角度で頭を下げる。
「……ああ。ご息女、ですか」
「えぇ、妻に似て心優しい娘にございます。殿下と同じく乗馬を好んでもおりまして」
「……そうですか」
ルスカは完全に無表情で応じ、内心の興味ゼロ感を隠すつもりもない。
そんな中、アレクサンダーの視線が、ルスカの隣――
ルスカの手を取る、クラリスに移った。
「……そちらは?」
ちら、とクラリスの顔を見たルスカは――
まるで何かを思いついたかのように、ほんの少しだけ口角を上げた。
「連れです」
「「……えっ?」」
揃って声を上げるアレクサンダーとクラリス。
クラリスが呆けているうちに、ルスカは無言の“フォローしろ”とばかりに、彼女の脇腹を肘で突いた。
「そ、その……えーと、えっと……お邪魔してます」
意味のわからない返答に、アレクサンダーは明らかに“続きを聞きたそうな顔”をしていたが、それ以上何も言わず、無表情で見返すルスカに押し切られ、仕方なくその場を下がっていった。
その姿に、ルスカは満足気に鼻で笑った。
「お前、使えるじゃないか。次からも同伴しろ」
「やだよ!めちゃくちゃ睨まれてたよ!こわい!」
クラリスが小声で抗議すると、ルスカは眉間に皺を寄せ、肩をすくめた。
「俺の周りは……ああいうのばかりだ。だから――お前みたいな無礼者は、貴重だな」
「ぶ、ぶれ……?」
クラリスが呆けて繰り返すと、ルスカはふっと笑みを浮かべて――
「……自覚がないのか?まったく……おい、こっちだ」
その手に引かれ、クラリスが視線を向ける。
ちょうどその時、
見覚えのあるあの夫人――マリアンヌが、妃殿下のもとへと歩み寄っていく姿があった。
「行くぞ」
ルスカとクラリスは顔を見合わせ、小さく頷くと――
その足で、王座の方へと歩き出した。




