17話 そういうの、得意ですから
(いや普通に無理でしたね)
怒号と唾が、容赦なくクラリスを襲っている。
『素晴らしい御高説、誠にありがとうございました。新たな知見に触れ、ひと皮むけたような気がしました。ところで……フィーリア様の白さは、もしかすると貧血による可n』
そのあたりで、クラリスのターンは終了した。
以降、延々と婦人のターンである。
もう何分経ったのかもわからない。
(きっと、自覚があるんだ。だけど、それを認めたら――これまでの自分を、全否定することになる。だから、認められない)
ひょい、と両脇から抱えられる。
いつのまにかやってきた城の兵たちだった。
「二度と来るんじゃないわよ!!」
ぽいっ。
クラリスは文字通り、部屋の外に投げ出された。
その直後、追い打ちのように飛んできた診療バッグが頭に直撃する。
「いったぁ……」
頭をさすりながら、身体を起こした、そのとき――
「あなた……何してるんですか?」
冷えた声とともに、呆れたような顔の青年――カレルが、クラリスを見下ろしていた。
「……仕事です。フィーリア様を救うために、必要なことなので」
カレルは鼻で笑う。
「マリアンヌ婦人と怒鳴り合うことが?」
「……結果としてそうなっただけです。というか、怒鳴り合ってません。ずっと、一方的でした」
スカートの裾についた埃を払いつつ、クラリスは立ち上がった。
「それで、“あなた”は、何を言おうとしていたんですか?」
カレルは壁に背を預け、腕を組んだまま、トントンと指でリズムを取るように二の腕を叩いた。
「フィーリア様の"歩けない"原因の一つに、貧血がある可能性があります。そしてその貧血が、食事によるものかもしれないんです」
カレルはただじっとクラリスを見つめ、話を聞いている。
「ですから、食事内容を変えてほしいと言おうとしました。……少しも聞いてもらえませんでしたけど」
カレルはため息をついた。
「シュヴァン王子の推薦とだけあって、少しは知識があるようですね。城の医官たちと同意見とは」
「え?」
クラリスは瞬きをひとつ。
(わかっていて、なぜ、放置を…)
表情を読み取ったように、カレルが小さく笑い、身を屈め、耳に口を寄せた。
「マリアンヌ婦人は、この国の高位貴族の奥方。加えて、“独自の栄養論の権威”として複数の著書もある」
「……なるほど」
「それだけじゃない。城の医官たちも皆、貴族の子息。誰も、彼女に逆らえない」
悔しさをにじませた声。
クラリスは静かに目を伏せた。
「……ありがとうございます。おかげで、はっきりわかりました」
ぱちりと、目を開ける。
「――方法が、間違っていたことが」
にやり、と口角を上げたその顔には、もう一切の迷いがなかった。
(医官たちにできなくても、わたしにはできる。“庶民の”方法で、やってやる)
脳裏にルスカの顔が浮かぶ。
最悪の場合――あの、最愛の推しの王子様を使うしかないかもしれない。
そこまで考えて、一つの可能性が頭をよぎった。
(まさか……そこまで、読んでた?いや、まさかね……)
そんな可能性がよぎって、すぐに頭を横に振る。
クラリスは顔を上げた。
その瞳には、すでに新たな戦いの光が灯っていた。
「殿下は本日、公務でお戻りは深夜になります。明日も早朝からのご予定です」
「……えっ、明日も……ですか……?」
ルスカの部屋の前で待ち伏せしていたクラリスは、がっくりと肩を落とした。
勢いのまま駆けつけたものの、そういえば今日は朝から予定があると本人が言っていた気がする。だが、翌日まで埋まっているとは聞いていなかった。
(というか、王子にあんなに気軽に会えてた今までのほうが、おかしかったんだよね……)
深々とため息をひとつ吐く。
(……明日、出直す?だめだ。フィーリアの食事、できるだけ早く改善すべきだ。鉄剤がこの世界にあればいいのに……)
この異世界では、魔法こそ存在するものの、学問や医学の体系は未発達だ。学術が貴族階級に限られていることもあり、まともな研究が進んでいるとは言いがたい。
(まあ……あの“学校”を思えば、無理もないか……)
7歳のときから2年通った学校。最終課題は“自分の能力についてのレポート”だったが、文字が書けない子は絵を描くだけで通った。
(あの食事内容じゃ、どう見ても鉄欠乏性貧血になる。成長期の子どもの1日って、大人とは比べ物にならないほど重い。――急がないと)
クラリスの目に、じり、と決意の炎が灯る。
診察バッグを傍らに置き、腕を組む。
「……なにをしている?」
扉脇に立っていた兵士が、怪訝そうな声を投げかける。
クラリスはその兵士をまっすぐ見返し、きっぱりと言った。
「ここで、お戻りを待たせていただきます!」
「王子殿下が戻られるのは深夜だぞ……?」
兵は困惑したように眉をひそめた。
だが、クラリスは動じない。窓の外では夕焼け空を黒く切り裂くように、カラスが飛んでいる。
「待ちます!長時間立ってるの、ちょっと得意でして!」
思い出すのは、学生時代のことだった。
外科の実習で、指導医について手術に入ったときのこと。
すでに外科医が三人。加えてオペ室看護師が一人。
それだけで、もう術野なんて何も見えない。
何かに触れようものなら看護師に睨まれ、下手をすれば怒鳴られる。
窓もない。音楽もない。
ガウンの中は暑く、唯一響くのは心電図モニターの機械音だけ。
そんな空間で、五時間。
ただ立ち続けるしかなかった。
「あれに比べれば、窓があるだけ最高…!」
ふふ、と笑みを浮かべるクラリス。
兵士は、思わず目を逸らした。
まるで「見てはいけないタイプの人間」を見てしまったような目で。
そうして、窓の外はだんだんと暗くなり、城の廊下にはぽつぽつと照明が灯り始めた。
門番の兵も交代し、夜の気配が濃くなっていく。
何度も侍女たちに怪訝そうな目で見られ、兵には「邪魔だ」と言われ、お掃除のおばあさんには、優しく飴を渡された。
(ルスカって、こんな遅くまでいつも仕事してるんだな……国民のためにおえらいことで…)
クラリスは肩を揉む。
(王族だもんね……いつもうちのパンとか食べさせて、一緒に掃除もさせて、なんならゴミ捨てとか行ってもらってるけど…)
いつも昼間は診療所で飄々としていたルスカも、きっと戻ってからが本番なんだろう。
(……もしかして、そのうち不敬罪とかで首飛ぶ?)
首をさすった、そのときだった。
遠くの廊下が、ざわりと騒がしくなる。
人の波――その先頭で揺れる、見覚えのある“漆黒のマント”。
まるで後光が差しているかのような神々しさに、クラリスは目を細めた。
その姿はゆっくりと近づいてきて――クラリスの目の前で、ぴたりと立ち止まる。
「おまえ、こんなところで……こんな時間に、なにを……?」
怪訝そうな声。
だけど、クラリスはその問いに答えず、感極まったようにその手をぎゅっと握った。
「今まで雑に扱ってごめんね…!」
その声は震えている。
ルスカはちら、とその手をみて、しかしすぐにため息をついた。
「それはすぐにでも悔い改めろ」
その時、ルスカの肩にぽんと誰かの手が置かれる。
「ふふ、ルスカ、一体どんな風に扱われているんだい?」
「〜〜っ……!?」
クラリスは息を呑んだ。
ルスカの背後にいたのは――
「僕も、そんなふうに扱われてみたいものだね」
真紅のマントを纏い、穏やかな微笑を浮かべるクラリス最愛の推し、シュヴァンだった。
「……御冗談を、兄上」
「ふふ、僕はね、ジョークがあまり得意じゃなくて」
さらりとそう言ってから、くすくすと笑いながらクラリスを見つめる。
「それで、君はここで何をしていたのかな?」
穏やかな声なのに、それでいて、目の奥がどこか冷たい。
(な、なんでだろう……あんなに優しく笑ってるのに、目が怖い……)
クラリスは服の裾をぎゅっと握った。
(でも……それもまた、メロい!!)
頬を染め、蹲った時だった。
おでこに軽い衝撃が走る。
顔を上げると、ルスカがしゃがみ、すぐ目の前で呆れ果てた顔をし、クラリスにチョップを喰らわせていた。
「…正気に戻れ」
「はいっ!」
クラリスはぴしっと背筋を伸ばし、力強く返事をした。




