14話 その可愛さに、抗えない
翌朝。
臨時休診の札を診療所の扉にかけて、三人は王城へと向かっていた。ルスカとは、城で合流する手筈だった。
「ねえ、なんの病気だと思う?」
ミュラーの診察道具を手に持ちながら、ヴィルがぽつりと問いかける。
「そもそも俺は、その妹君ってのを知らん。何歳なんだ?」
「わたしも知りません」
二人の返答に、ヴィルは目を見開いて数歩よろけた。
「し、知らないんですか!?巷で今いちばん話題の、この世で最も美しいといわれる白雪姫様ですよ!」
「……詳しいな?」
ミュラーの冷静なひと言に、ヴィルはうつむいて頬を染めた。
「べ、べつに……。みんな知ってます。僕の兄たちが特に好きで。兄なんてイラストカードまで持ってますよ」
「イラストカード!?そんなのあるの!?」
クラリスが思わぬ食いつきを見せ、ヴィルはまたも後ずさった。
「シュヴァン王子のアクスタとか欲しい!えっ、公式ショップどこ!?パチモン買いたくない!」
「うるせぇなあ……それより仕事の話だ。何か他に情報はないのか」
ミュラーの言葉に、ヴィルは腕を組んで考える。
「えーと……確か七歳で、この前式を終えたばかり。能力は……『時を戻す』って聞いたような」
「と、時を……!?チートじゃんそんなの…!」
「チート…?」
クラリスの足がぴたりと止まり、ヴィルは首を傾げた。
この世界では、王族はもっとも魔力が高く、特別な能力を持つとされる。
(つまり、“素晴らしい能力"を持ってるからこそ、何がなんでも治したいってことね。そして――わたしたちにまで依頼が来た、と)
クラリスは小さくうなずいて、そっとミュラーを見上げた。
(つまりは失敗すれば……どんな目に合うかわからない)
見上げたまま優しく微笑む。
「ミュラー先生……頭がついたまま、帰れるといいですね……」
「逃げるなよ?その時は全員一緒だからな」
ミュラーの背中に、ひやりと冷たいものが流れた。
何度も、何度も身体検査を受けた末――
三人はようやく、王城の一室。
フィーリア姫の私室の前へとたどり着いた。
「まさか、いっぺん全裸にされるとはな……」
舌打ちしながら、ミュラーは空になったポケットを探る。禁煙させられたと言うのに、タバコを探す癖が抜けない。
「ぼ、僕なんか……ノートの中まで全部見られましたよ。変な質問もいっぱいされて……」
シャツの裾を慌ててズボンに入れつつ、ヴィルは涙目だ。
「えっ、遅いと思ったらそんなことされてたんですか?わたし、ちょっと服の上から触られただけでしたけど」
クラリスの何気ない一言に、男ふたりの顔が引きつる。
「……一番やべぇだろ!こいつが!」
ミュラーが低い声で叫ぶように言うと、ヴィルも真っ赤な顔でこくこくとうなずいた。
「まあまあ。こんな愛らしい看板娘を捕まえて、魔女だのスパイだの言えます?」
クラリスは飄々と笑ってみせる。
と、そのときだった。
「ミュラー医師と、その弟子たち。入れ」
中から声がかかり、ぎぃ……と重厚な扉が開いた。
三人は顔を見合わせ、そっと中へ足を踏み入れる。
「よく、来てくださいました」
鈴を転がすような、柔らかい声。
目を向けた先――
真っ白な天蓋つきの寝台に腰掛けた少女が、こちらを見つめていた。
白い肌はまるで陶器のように滑らかで、
長い睫毛に彩られた大きな瞳は、冬の青空のように澄み切っている。
桃色の唇は微笑むように弧を描き、
金糸のような髪はゆるやかに巻かれ、風にふわりとそよいだ。
誰かが、息を呑む音を立てた。
その場の空気が、すこしだけ張り詰める。
まるで、伝説の人形が命を持ったかのような――そんな、美しさだった。
けれど。
クラリスだけは、じっとその姿を見つめながら、目を細めていた。
(……たしかに美しい。けれど――この違和感は、いったい……?)
咳払いがひとつ、室内に響いた。
「こちらは、フィーリア・パストリア姫殿下である。無礼のないよう、振る舞うように」
青年がミュラーたちを鋭く睨む。
三人は、はっと我に返り、膝をついて頭を下げた。
「……本当に、こんな者どもが医官たちより有能なのでしょうか?」
「まあ、カレル。そんな言い方はよくないわ。それに、お兄様方が推薦なさった方々ですもの。わたくし、楽しみにしていたのよ」
フィーリアの鈴のような声が響くと、
カレルと呼ばれた青年は、諦めたようにため息をひとつついた。
そのとき、扉がノックされた。
「ルスカ王子殿下がお見えです」
「まあ、お兄様。通してくださいな」
声に応じて、カレルが扉を開ける。
そこに現れたのは、黒髪を束ねた若い王子――ルスカだった。
彼は静かに部屋へ入り、頭を下げたままのミュラーたちをちらりと一瞥する。
「ああ、来ていましたか」
「ちょうど、いま到着されたところです。お兄様まで来てくださるなんて、嬉しいですわ」
「……ああ。俺もミュラー先生の弟子だからな。診察は……まだのようだな?」
「ええ、これからですの。さあ皆さん、顔を上げて。よろしくお願いしますね」
フィーリアの声にうながされ、ミュラーたちは一斉に顔を上げた。
(……なんというか、話し方も、雰囲気も……子どもらしくないな。……わたしが言えたことじゃないけど)
クラリスは、もう一度フィーリアを見つめた。
白雪姫の名にふさわしく、透き通るような白い肌。
(……それにしても、白すぎない?)
まじまじと見つめるクラリスの脇腹を、ヴィルがひじで軽くつついた。
はっとして顔を上げると、
カレルをはじめ、部屋の視線が一斉にクラリスに注がれていた。
小さく頭を下げるクラリス。
カレルは咳払いをひとつして、言った。
「……では、話を始めよう。お前たちをここに呼んだ理由を」
「いいえ、カレル。……見ていただいた方が早いわ」
そう言って、フィーリアはゆっくりとベッドの縁に腰をずらし、真っ白な足を床へと下ろした。
カレルが慌てて手を差し伸べる。
その手を、姫は当たり前のように取った。
そして立ち上がろうとした、その瞬間。
ぐらり、と身体が傾ぐ。
「姫ッ!」
カレルが即座にその身を支えた。
フィーリアの細い指が、彼の腕にきゅっと縋りつく。
それは、まるで陶器の人形が今にも砕けそうに揺れているかのようだった。
「……わたくし、歩けませんの。なんとかしてくださる?」
にっこりと微笑むその顔は、あまりにも穏やかで、あまりにも現実離れしていて――
クラリスたちは、思わずごくりと唾を飲んだ。
それから、カーテンが閉められた薄暗い部屋に、クラリスとフィーリアは二人きりになった。
(……いや、なんでこんなことに?)
クラリスはふぅ、と小さく息を吐く。
『フィーリア姫に触れて、お身体を目にしていいのは女性だけです』
カレルの堂々たる宣言とともに、クラリス以外の全員が追い出されたのだった。
一応、異議は申し立てた。
だが――聞き入れてはもらえなかった。
「ええと……わたし、クラリスです。11歳です」
「ふふ、フィーリア・パストリアですわ。7歳になりましたの」
小さく礼を交わすと、クラリスはそっとベッドサイドに腰を下ろす。
(主訴は“歩けない”。神経系……?)
クラリスはまぶたを閉じる。
(急性期は得意だけど……こういう慢性的な症状は、あまり診たことがないんだよな)
ふぅ、と息を吐くと、ヴィルが置いていったバックからカルテとペンを取り出した。
「いつからですか?」
「半年ほど前から、変な感じはありましたの。でも歩けなくなったのは……一ヶ月ほど前からかしら」
にこりと笑うその顔に――
(可愛い〜〜〜〜……何食ったらこんな可愛くなるんだ……)
クラリスは思わず頬を染め、ぼーっと見とれてしまう。
「クラリスさん?」
首を傾げるフィーリアに、クラリスははっとして、脈を診察しようと手首にそっと触れた。
(細い……それに……)
ふにふに。
手のひらに軽く触れる。
骨が浮くほど細いが、皮膚の感触はとても柔らかい。
(手も小さくて可愛い〜〜〜)
「クラリスさん?」
今度はフィーリアのほうが我に返ったように、咳払いをした。
「では……お身体、見せてもらいますね」
なにしろ、クラリスの頭に“小児の慢性疾患”の引き出しはなかった。
だから――頭からつま先まで、丁寧に、ひとつずつ診ていくしかなかった。
足の力が入らない以外に、これといって異常はない。
反射にも大きな問題は見られない。
けれど、完全に正常とも言えなかった。
(……この子、貧血があるかも。それも、かなり重度の)
眼瞼結膜は、まるで紙のように白い。
「フィーリアさん。失礼ですが、普段どんなものを食べていますか?」
そう尋ねると、フィーリアはふいに、はっとしたように瞳を見開いた。
「フィーリアさん?」
「あ……いえ。ごめんなさい。そんなふうに名前を呼ばれたの、初めてで……嬉しくて」
頬を染め、恥ずかしそうに――でも、どこか嬉しそうに微笑む。
「それで……なんだったかしら?」
その仕草にクラリスは目を細めた。
(可愛い〜〜〜……じゃない!!違う!!)
――診察は、困難を極めていた。




