10話 いらっしゃいませ、王子様
「ルスカ王子ーーーッッ!!!
お話したいことがありまあああすッ!!人命がかかってるんですううう!!」
「お、おねがいしまーす……!」
月明かりが照らす静かな城壁に、野太く伸びたクラリスの声と、かすれたヴィルの声が重なった。
「……若いって、すげぇなぁ……」
ミュラーは少し離れた街路樹の下で、今は禁じられた煙草を探していた。
――遡ること30分前。
『それで…どうやって会うつもりなの?』
ヴィルの手は嫌な予感に震えていた。
『俺も元軍医とはいえ、王子殿下とのコネなんて、そうそうねーぞ』
『……』
クラリスは顎に手を当て、数秒間じっと考え――
ふいにミュラーを見つめた。
『元軍医ってことは…城の構造ご存知ですよね?……ルスカ王子のお部屋の場所なんかも?』
『……知ってるっちゃ知ってるが、まさか忍び込む気じゃねぇだろうな?』
ミュラーは小さく首を振った。
『あの城門は越えられねえぞ。水路が阻んでいるし、兵士だっている』
『そんなことはしませんよ。城門を消すのも考えましたが、構造を把握してないから消せないし……それに、捕まりでもしたらお母さんが怖い』
クラリスは人差し指をピンと立てた。
『…法の範囲内で、頑張ればいいのよ。ルスカ王子の居室に近い場所で、法に触れずに、注意を引く方法が、ある』
その目はぎらりと光っていた。
『昔死ぬ前ね、古本屋に通ってたの。本を売るなら〜って歌が有名だったの』
クラリスの歌にヴィルは一瞬眉を寄せたが、すぐに諦めたように『また訳のわからないことを』とためいきをついた。
『毎日静かで、誰も話しかけてこなくて、最高だった。
でも一つだけ、集中を乱される瞬間があったの』
クラリスはゆっくりと拳を握る。
『……それは、店員の控え室から響く、超元気な挨拶だったの。
“いらっしゃいませーっ!!”ってやつ』
『……それが?』
『無視できないでしょ!?反射で顔あげちゃうでしょ!?
つまり――あれは、人間の注意を強制的に引く“声の魔法”だったのよ!!』
『めちゃくちゃじゃねーか』
『そこで、我々が実践するのは、その名も――』
クラリスは胸の前で拳を握った。
『いらっしゃいませ戦法』
『やめとこう?』
ヴィルが小さく言ったが、聞かれることはなかった。
……そして、今に至る。
「ルスカ王子ー!!!疫病の原因を突き止めたのです!!」
「突き止めたのです…」
城門前に響き渡る、クラリスの野太い絶叫。
その後ろでヴィルが裏返った声を絞り出す。
「あなたの力があれば解決できます!!」
「できます…」
「声が小さいヴィル!!」
「は、はいっ…!」
ヴィルは両目をぎゅっとつぶり、ありったけの肺活量で叫んだ。
クラリスはその様子に、ふ、とわずかに笑みを浮かべる。
(なんだか、前世の小学校の卒業式みたいね)
そして数分後――
「なんだこの騒ぎは!」
「無礼者!ここをどこだと思っている!!」
ざわついた兵士たちが、ばたばたと駆けつけてくる。
「わたしたちは大声を出しているだけです!なにか、法に触れていますか!?」
クラリスは、臆することなく、声を張った。
その体幹は安定している。
――赤子の頃から続けた筋トレの成果が輝いていた。
「大声をだすのは、国民の権利です!!ルスカ王子!!王子の特別なお力があれば、疫病を消せます!!そのお力を、お貸しください!!」
「お、お貸しください!!」
ヴィルもやけくそ気味に声を張る。
クラリスには勝算があった。
(これだけ騒げば、さすがに近くの誰かの耳に届く。疫病に関する叫びを無視したら、王族の評判は地に落ちるはず。……まあ、そこを気にするタイプかは知らないけど)
クラリスが更に息を吸い込んだとき。
「やめろ!!」
兵士のひとりが剣に手をかけた――
その瞬間、静かな夜を切り裂くような、凛とした声が響いた。
「……おい。そこの者」
はっとして見上げると、城壁の上。
塔の窓が開かれていた。
月光に照らされたその場所に、片膝を立てて腰かける少年の姿。
その短い黒髪が風にゆれた。
「…うるせーんだよ。頭いかれてんのか」
その声に、ヴィルが小さく「もう終わりだ……」と呟いた。
だが――クラリスは一歩、前へ出た。
「ルスカ王子!この疫病は、水が原因なんです!!わたしたちは、それを突き止めました!」
クラリスの瞳は、まっすぐ塔の上を見据えていた。
「王子のお力があれば、助けられる命があります!どうか――どうか、お話だけでも!」
夜風が、ぴたりと止まったように感じられた。
兵士たちの足音も、声も、何もかもが止まる中。
塔の上の少年は、小さくため息をついた。
「……わかったよ。うるせぇから、とにかくこっちで話せ」
その瞬間。
クラリスとヴィルが顔を見合わせ声を揃えて小さくガッツポーズを決める。
ふたりの手がぱちん、と軽くハイタッチを交わした。
「……若ぇって、すげぇな……」
離れた場所に立つミュラーの呟きは、夜の水路にふわりと溶けていった。
クラリスたちは、兵に先導され、静かな城の廊下を進んでいた。
ヴィルはきょろきょろと辺りを見回しながら歩いている。
城の廊下は、松明ひとつ見当たらないというのに、まるで昼間のように煌々と照らされていた。
(私にとっては慣れた景色だけれど……この世界では珍しいな)
この世界には、電気がない。
夜の街は、人の行き交う場所を除けば、ほとんどが闇に沈んでいる。
民家の中ですら、蝋燭や行灯のほの暗い明かりに頼っているのが常だった。
クラリスはふと天井に目をやる。
(なんということだ……間接照明……!)
天井に設けられた美しい窪みから、温かみのある光がこぼれ出ている。
まるでどこかの高級旅館のロビーのように、柔らかく、優しく、そこにいる者の心を和らげるような光だった。
「ミュラー先生。この照明って、どなたかの能力なんですか?にしては、照らす範囲が広すぎるし……その方は、毎晩この城で夜勤されてるんです?」
さすがにそれは過酷すぎる、とクラリスは震えた。
医療従事者として、過労死の予感を敏感に察知する能力に長けている。
ミュラーは面倒くさそうに肩をすくめる。
「……んなわけあるか。あれはなぁ――」
そのときだった。
――風が、吹いた。
廊下の先から、ふわりと。
静寂をかき乱すように、風が通り抜けていく。
さらり、とマントが揺れた。
金糸のような髪が月光を受けて煌めき、その蒼い瞳は、陽に照らされた浅瀬のように、どこまでも透き通っていた。
その青年は、まるで物語の中から抜け出してきたかのようだった。
背後に従える兵を引き連れ歩み寄ってくる。
凛としたその姿に、ザッ、と周囲の兵たちが一斉に膝をついた。
ミュラーも、ヴィルも、すっと頭を下げている。
だが。
クラリスだけは、颯爽と歩くその姿に、まるでぬいつけられたように目が離せなかった。
こつ、こつ、と靴音が響く。
青年はまっすぐこちらへ歩いてきて――
「お、おい…」
ミュラーがクラリスの袖を引いた。
けれど、クラリスの身体は動けなかった。
青年はクラリスたちの横を通り…足を止め、その顔をクラリスに向け、穏やかに微笑んだ。
「…ルスカに用事があるっていうのは、きみかな?」
クラリスは声も出せずにこくこくと小さく頷いた。
「疫病を止めてくれる、だっけ。…期待しているよ。それに…」
青年は口に手を当てくす、と笑みを浮かべる。
「ふふ、声がよく通っていた。あんな方法で呼びかけるなんてね。……おもしろいね、きみ」
軽やかに踵を返し、青年はそのまま去っていく。
背中に揺れるマントの端が、風に乗ってふわりと浮かんだ。
沈黙が残るなか、ヴィルがそっと顔を上げた。
「今のって…第一王子のシュヴァン王子だよね?僕、初めてお姿みちゃった…」
ヴィルがくる、とうしろを振り返る。
そこには――頬を真っ赤に染めたクラリスの姿。
目を見開き、王子の背中を追いながら、口をぱくぱくと動かしている。
ヴィルはきゅっと拳を握った。
「わ、わたし…」
クラリスはぼそりと呟く。
「おもしれー女枠に入ってしまった…!」




