彼女と複体
道路では人が忙しく動いていた。スマホで営業先に電話をしている人、時計を見ながら走るサラリーマン、レジ袋を持ちベビーカーを移動させている人。その中に、そっとショーウィンドウを見ている人がいた。そこには、女子大生が2人で楽しげに服を選んでいた。
羨ましいな、とそれを見ていた人は思った。次第に意識が遠ざかっていく。
……あ…またやってしまった。
私は気づけばショーウィンドウの中にいた。友達らしき人が2つの服を見比べながら私に聞いた。
「ねぇねぇ、はーちゃんはどっちが良いと思うー?」
その言葉を聞いた途端、膨大な量の記憶が私の中に流れ込んでくる。幼い頃に暮らしていた家や学校の友達、在りし日のデートの記憶などが飛び交う中、彼女は自分の能力のことを思っていた。
初めて能力が発覚したのは小4の頃、丁度両親と離れ離れになってしまったときの事だった。誰かと話していたとき、親子3人で歩いているのをみて、羨ましいと思った。するといつのまにか羨ましいと思ったその女の子が自分で、いつも鏡で見ていた顔がこちらを向いて悲しそうにしていた。
それ以外のことはよく覚えていない。ただでさえいろんな人と入れ替わって頭がいっぱいいっぱいなのだ。覚えていられない。とりあえず私は友達、離奈の初彼記念に、デートの服を買いに来たということだけを頭に入れて、見知らぬ人との会話に奮闘するのだった。
今まで大学には離奈と一緒に行っていたのだが、これからは彼氏と行くことにしたらしい。昨日の買い物の帰り際に申し訳なさそうに謝られたのを覚えている。記憶はあるので行き方は分かる。ただ、その場所に着くまでに1時間程かかるらしく、暇を潰すため、家の最寄りの駅の中にある本屋で何か買うことにした。
中はとても静かで、少し紙の匂いがした。こんなにのどかな気分になれたのはいつぶりだろうと葉月は思った。あちこちを見て回ると、どこか見覚えのある男の人が葉月の目の前の棚で立ち読みをしていた。
う〜〜ん、誰だっけ…。葉月は記憶を思い出そうとするが思い出せない。必死に考えるあまり、彼がこちらを見ていることに気がついていなかった。
あの子、氷尾葉月さんだよね。
随分と長い間考え込んでいる人物を見ながら穂村燐は思った。燐は小3の夏のことを思い出す。次は絶対に救うと心に決めた女の子のことを。今度こそは守るため、その子に話しかけた。
「俺、穂村燐。久しぶり、葉月」
名前を忘れられてそうな感じだったので、一応自己紹介をしておく。予想は当たっていたらしい。親同士の知り合いで小さい頃から遊んでいたはずなのに、幼馴染の態度はどこかたどたどしかった。
「久しぶり、…燐くん。小学生の時ぶりだよね。」
そこは覚えてくれてたのか。燐は少し嬉しくなって、思わず笑みを浮かべてしまった。
どうしようか、と葉月は思った。少し懐かしい感じはするが、全く覚えていない。というか葉月の記憶の中には、小学生までの思い出が存在しない。というわけで適当に、小学生ぶりだねと言ったら何やら嬉しそうに微笑んでいる。そしてそのまま何も話さない。チラリと腕時計を見ると、もう少しで電車が来る時間だった。本を買う暇はなさそうだ。この場を動けそうにもないのでとりあえずと思い、葉月は申し訳なさそうに話しかけた。
「燐くん、私もう少しで電車来ちゃうから先行くね。」
「え、もうこんな時間か。」
燐も自分の時計を見て驚く。
「何駅?俺も途中まで一緒に行く。」
「秋山駅」
「俺も一緒!」
燐は目を輝かせてそう言うと、葉月の前に出て改札へと歩き出した。
2人は同じ電車に乗って同じ駅で降りた。そして、連絡先を交換しあった2人は、駅を出たところで別れた。
無事大学までたどり着いた葉月は、後ろの席に見知った顔を見つける。
「離奈〜おはよう」
「はーちゃんおはよう!」
近くに彼氏がいなくて正直ほっとした。入れ替わってすぐの今、頼りになるのは離奈1人。他に知り合いらしい記憶もあったが、流石に1日で2人以上に愛想を振りまき続ける気力は葉月にはなかった。その離奈も昨日知り合ったばかりなのだが、話したことがあっただけましである。
彼女と別れた後、俺はいろんなことを考えた。9年ぶりに会った彼女は美しく、彼の想像をも凌駕する程だったが、考えていたのはそのことではない。彼が小学3年生だった頃に起こった、不思議な事件の真実について考えていた。
彼は祓い屋だった。正確にいうと家族が祓い屋の家系で、彼はその次男だった。その頃はまだ小さかったから自分の家が祓い屋なんだということをぼんやりとはわかってはいても、きちんと理解はしていなかった。そのためだろうか、彼は彼女の存在の大切さがよく分かっていなかった。
燐は毎日のように葉月と遊んでいた。まるで姉弟かのように仲が良く、2人で広い屋敷を走り回っていた。それに対して両親も怒ることなく仲がいいのね、と微笑ましく見ていた。
そして小学生になって初めて、今までわからなかったことを理解した。葉月の家の当主は穂村家を代々護り続けてくれている事。葉月が次期当主である事。その家系は幽霊に惹き寄せられやすいという事。だが、それを知ってももう、何の意味もなかった。葉月は俺の目の前で幽霊に体を乗っ取られてしまった。そして俺が葉月と会話をしていた最中、一般人と魂を入れ替えた。一瞬の出来事だった。幽霊の気配がして葉月の後ろを見ると、いろんな人の魂を入れ替えると言われている幽霊妤裳が不敵な笑みを浮かべていた。大切な人が目の前で奪われているというのに、僕は何もできない。剣もないし戦う術も知らない。こんなやつが祓い屋でいいのかと思う。だが悔やんでももう遅いのだ。僕は彼女の魂が入った全く別の人間が去っていくのを見届けることしかできなかった。そして気がつけば、魂の抜けた彼女の体は消えていて近くの何処にも見当たらなかった。
その彼女がなぜ今になって俺の目の前に現れたのかが不思議だった。後で父に相談しようと燐は学校へと走り出した。
父に相談したところ、意外にも葉月の事をよく覚えていた。失踪事件があった時、祓い屋たちの間で結構騒ぎになっていたらしい。祓い屋のことを護る人がいなくなったのだから当然かと燐は思い直した。失踪事件の直後に氷尾家当主つまり葉月の母親も消えてしまったのを思い出してそれも尋ねてみたところ、問題ないというのが父の答えだ。今日現れた葉月が本物かどうかは分からないが氷尾家一族の女性、葉月の母親と葉月がこの地球上に存在している限り大丈夫だという。とはいえその2人を守る手段がないためいつこの均衡が崩れるかは分からないらしい。父はそう言ってはいるが、だいぶやばい状況ではないだろうか。今日の葉月が本物だという確証はないが、手遅れになってしまっては困る。父にもそう説明し、葉月と接触を図りつつ護衛をすることになった。
駅の改札の前で彼は待った。目的の人物を見つけ、彼は声をかけた。そこからは想像が容易いだろう。毎日会っては何気ない会話をし、気づかれないように護衛をする。5年間特に何もなく、ただただ平穏な日々だけが過ぎていった。彼女が本物なのかはまだ分からない。特定するのは不可能なのではないかとも思うが、燐はもうどうでもよかった。彼は本物の彼女ではなく今の彼女を愛すると決めたから。
運命の人は2人いると世間ではよく言われる。別れる人と一生を共にする人。今の彼女は、燐の両方に当てはまったが、そのことをまだ彼は知らない。