第八十四話:堕ちた明星は、恋を知る
明けの明星――かつて神にもっとも近かった存在、ルー。
だが今の彼は、人間の料理を食べ、ふんどしの姉と話し、ホモ本を読む。
そんな彼の心に、初めて芽生えた“それ”は――恋だった。
神ではない、“僕”としての想いが動き出す、第84話です。
明けの明星。それは、かつて僕が持っていた最強戦士としての称号。
でも神魔大戦が終わってからは、活躍の場をなくした。
その後、パイモリアと小競り合いをしてはみたけれど……不毛な戦いだった。
だけど、僕は――あの毛玉と出会った。
僕を打ち負かし、一緒になりたいとすら言った。
ミカエルですら、そんなことは口にしなかった。
なのに、僕は……なんだか、嬉しかった。
毛玉には名前がなかった。
だから、僕は彼を“マスター”と呼んだ。
便利だし、響きもいい。
意味? 知らない。
その後の暮らしは楽しかった。
悪魔のパイモリアもいたのは気に食わないけど、
それより、マスターは僕を恐れず、対等に接してくれた。
普通のやつなら、その馴れ馴れしい態度で僕を不快にさせたかもしれない。
だけど、あれほど僕と戦いをした彼だからこそ、嬉しかった。
マスターと過ごすうちに、僕は人間の文化に馴染みはじめた。
人間の料理を口にした。
人間の勇者に助言を与えた。
人間の友達ができた。
――僕らしくないことをたくさんした。
でも、嫌じゃなかった。
今も、こうして人間の海賊ごっこをしてる。宝探しなんかして……。
神様が今の僕を見たら、『堕ちた明星』って叱るかもね。
*
「ルー、起きたか? ちょっと待って、ご飯はすぐだから」
勇者セリナ? いや、彼女は別行動中のはず。
そもそも、僕は彼女に真名を許していない。
「……マスター?」
今のマスターは人間の姿。
僕はどちらかというと元の毛玉の方が好き。
もふもふできるし、懐に抱きしめられるから。
「まったく、あの三バカ……誰一人として料理もできないとは」
マスターがフライパンで目玉焼きを焼いていた。
テーブルには温めたミルクと焼き立てのパン。
お皿には、少し焦げたベーコン。
普段は勇者が料理をしているから気づかなかったけど、マスターも料理できるんだ。
「いやいや、すまねぇな兄ちゃん。俺たちまでご相伴にあずかるとは……」
「ほんと、いい男ね。もうちょっと若ければ、あたいがお婿さんにしちゃってたかも♡」
「くだらないこと言ってないで、食器を出しなさい。そこのガキ、皆が揃うまでパンに手を出すな。まったく、これだから人間は」
これが最近、僕たちの朝の日常。
三バカは人間だけど、面白いから会話を許してる。
さて、今日はどんな海賊船と出会えるかな――
僕は自分の席でパンを齧りながら、今日の冒険に思いを馳せていた。
*
「おっ、これはこれは、天使の坊主じゃねぇか」
海賊船をまだ見つけていない時間、僕は船長室に遊びに来た。
そこには三バカの父――デンジャラスが操縦席に座っていた。
「これで船を運転できるの? 僕もやりたい」
「いや、これは素人には……」
「僕は全能のルキエルだよ? 僕にできないことなんてない」
僕は舵を握った。
ちょっと楽しいかも。
「坊主!! その先は暗礁があるぞ! 船を回避させろ、沈む!!」
暗礁? このルキエル様の進む道を阻むとは、傲慢の極みだ。
「明星よ、堕ちよ」
僕は手を開き、明星の光で前方の海域を消し飛ばした。
「マジか……」
ふふ、見たか。
このルキエル様の辞書に“不可能”の文字はない。
「ルー……それ、極地に向かってる。そこには海賊いないから」
――しかし、マスターに止められた。
*
暇つぶしに、僕は三バカの姉・ラブリーの部屋に立ち寄った。
「ナマズかわいいよ~クンカクンカ……」
ふんどしの匂いを嗅いでいる変態がそこにいた。
「違うのよ、これは弟の成長を確認するための、ほら、姉として当然の――」
「……僕は何も聞いてないよ」
慌ててふんどしを引き出しに押し込むラブリー。
「そうよ、あだいは少年と弟が大好物だよ、悪い、あだいは正直に生きたいだけ、それは何が悪い。」
いくら僕でもわかる、悪い、すごく。
「ナマズに半ズボンを着せて、それを脱がす妄想だけで白飯三杯いけるの……
そうだ、天使くんも少年じゃ――ひっ!?」
気持ち悪いので、ロンギヌスを無意識に構えていた。
「す、すみません、調子に乗りすぎました……」
――あっけなく降参。つまらない。
*
「あっ! エンジェルマンだ!」
それもしかして僕のこと?
三バカの弟、ナマズが僕を見つけて駆け寄ってきた。
今そのふんどしも、姉に狙われていると知らずに……。
「なに? 僕に用事?」
「うん、すごい本を手に入れたんだ。一緒に見ようよ!」
彼に聞くと、前の僕たちの船の商品から一冊盗みだしたらしい。手癖悪い、まあ、海賊だから当たり前か。
「大人しか見ちゃダメな本なんだ。うわさのエロ本ってやつ! 俺は初めてでちょっと緊張してるけど、同い年の仲間が一緒なら心強い!」
僕の年齢を数値化したら、君はひくだろうな。
でも、ちょっと気になる……禁忌ほど破りたくなる。
僕たちは倉庫の奥で、その本を開いた。
「なんじゃこりゃ!」
三バカ弟が叫びだした。
美女の裸などいない。
そこに描かれていたのは――
「な、なんでそんな所にチ●コが入ってんの!? そこ、う●こする所だろ!?」
男同士がお互いを責めまくっているシーンしかない。
人間にしてはセンスが悪くない。
くだらない女裸をみるよりまし。
……あ!これちょっとミカエルとガブリエルと似ているかも。
「なんで興味津々で読んでるの?」
「面白いからだけど?」
「うわぁぁ! 俺の尻狙われてる!? 俺は初めては女の子がいい!助けて! ねえちゃーん!!」
泣きながら逃げ出すナマズ。
僕は人間の体に興味はない。
……汚らわしい。
でも、マスターとなら……?
ちょっと僕とマスターをそのシチュエーションに代入した。
そして。
「ぷっ……」
なんだか急に恥ずかしくなった。
でも、嫌じゃなかった。
その日、僕はその本を何度も読み返した。
今まで考えたこともなかった。
マスターと、もっと先の関係になること。
「ルー、一日見ないと思ったら、こんな所にいたか」
「マスター……?」
「顔が赤いぞ。どうした? 知恵熱か?」
「マスター……僕のこと、好きか?」
「今さらだね。好きじゃなければ、こんな長い時間付き合えないよ」
僕は――怖いくらい心拍数が上がった。
いつの間にか空へ飛び出して、逃げていた。
嬉しい。
そして、切ない。
でも……
嫌じゃない。
ご覧いただきありがとうございます。
今回はルー視点で、“恋心の目覚め”と“明星という称号の変化”をテーマに描いてみました。
ふんどし姉のラブリー、BL本に動揺するナマズといったギャグ要素もありますが、実は全部「ルーの揺らぎと成長」に繋がっています。
ラストのマスターへの一言――そして「ぷっ」と笑って逃げ出すルーの姿に、
彼が“ただの神性”ではなくなったことが、少し伝われば幸いです。
次回から物語は再び動き始めます。お楽しみに!