第九話:聖剣の影、勇者の心
町が騒いでいる。勇者の旅立ちを送るためだ。 真・勇者、マサキ・アルセリオンは今日、仲間たちと共に魔王を倒すため魔王城を目指す。
「父上、俺は証明してみせます。聖剣がなくても、真の勇者は魔王を倒せると」
「マサキよ、わしはお前が聖剣に選ばれたかどうかなど、どうでもよいのだ。わしが望むのは、お前が“勇者の心”を持つこと。それさえあれば、仲間と共に道を切り開ける。魔王だって倒せるはずじゃ。しかし……お前は幼い頃から『勇者になること』ばかりを期待され、その本質を見失っている。それが何よりも心配なのだ。母を悲しませることのないようにな……何より、生きて帰ってくることを優先しなさい」
「父上は……あの下賤な使用人にあって、俺にないものがあるとでも? 俺は必ず、真の勇者として帰還します。かつての父上のように」
王は、自分の言葉がまったく届いていない息子に落胆し、ただ深く溜息をつくしかなかった。 そして、出発を控えたマサキの仲間の一人、狩人のガルドにこっそりと話しかけた。
「君は、あの子と幼い頃からの付き合いだったな。君の父にも、冒険の時には世話になった。わしは、君たち一家に感謝してもしきれん。だからこそ……あの子を頼む。危なっかしくて、心配なのじゃ」
「……はい」
「おや、健啖家の父君と違って、君は無口じゃな。はは……。わしにもっと力があれば、あの子をもっと健やかに育てられたかもしれん。レンのことも……いや、やめておこう。あの話は……今はまだ、君に話すべきではない。マサキにはこの話をしないでくれ。あの性格だ、君を目の敵にしかねん。頼んだぞ」
「……承知しました」
深く礼をして、ガルドは出発するマサキたちのもとへと駆けていった。
一方で。
この町の賑わいとは真逆に、もう一人の勇者、セリナの出発は寂しいものだった。
「ついてねえ……みんな王子の出発を見に行っちまったのに、なんで俺がこんな“メイド勇者”の相手をしなきゃならねえんだ」
裏門の守備兵は文句を隠す気もなく、町を出ようとするセリナに不満をぶつけていた。
「はい、すみません」
それでも、セリナは嫌な顔ひとつ見せなかった。今の彼女は、ここで挫けるほど脆弱な心は持っていない。
「チッ……じゃあ“出城料”を払ってもらおうか」
「え? それはおかしいです。初めて町に入るときなら入城料が必要ですが、出るときにお金を払う規定はないはずです」
「なんだと? こっちはわざわざ王子様の出発を見に行かず、あんたの相手をしてやってんだ。慰謝料として払うのが当然だろ? それに、勇者様ってのは俺たちみたいな貧しい民に恵みをくれるもんじゃねえのか」
「……いくらですか」
論争を諦めたセリナは、払う方向で話を進めることにした。
「100ゴルドだ」
「そんな大金、持っていません。私は昨日までメイド学校の学生で、お給金もなく、今持っている全財産を出しても……3シルバーしか……」
「じゃ、それでいいや」
衛兵は、セリナが差し出そうとした財布を乱暴に奪い取った。
「やめてください! 全部取られたら、私は無一文になってしまいます。それでは次の町までたどり着けません」
「なんだと? 牢屋にぶちこまれたいのか? 衛兵に逆らうのは大罪だぜ? まあ、牢屋ならメシが出る分マシかもな。ははっ!」
「お願いします……せめて、1シルバーだけでも……」
「とっとと出てけ! さもないと、本当に牢屋にぶちこんでやる!」
「や、やめてください……痛っ!」
髪を掴まれ、無理やり門の外へ引きずり出され、足で蹴飛ばされるように放り出された。
塵にまみれ、一文無し。
奪われなかったのは、たったひとつ。
聖剣との契約――勇者としての宿命だけ。
誰にも見送られず、誰にも知られず――それでも、彼女は旅立った。
……しかし、一匹の毛玉だけは、その姿をじっと見つめていた。その瞳には、確かな光が宿っていた。