第六十話:呪われたガラスの靴
セリナのかつてのルームメイト、マリ。
彼女は一人の青年と恋に落ち、“幸せな未来”を夢見た――けれど、それは童話のようにはいかなかった。
本当に貴族と平民は結ばれるのか。
そして、あの時見捨てた“妹分”の記憶が、彼女の胸に突き刺さる。
まだセリナとルームメイトだった頃――
彼女はときどき、“お気に入りの本”の話をしてくれた。
『シンデレラ』。
異世界の童話。灰かぶりの平民の少女が、王子に見初められ、結ばれるという夢のような物語。
……私は、正直、信じていなかった。
そんな話、嘘くさい。
貴族が平民を本気で娶るなんて――ただの妄想、都合のいい願望にしか思えなかった。
でも――
「マリ、僕はあなたのことが好きだ」
「……私もです、シエノ」
現実が、夢に変わったのは、それからだった。
ボランティア活動のなかで出会った彼、シエノは――
優しくて、聡明で、誠実な人だった。
活動を重ねるうちに、私たちは互いに惹かれ合い、やがて恋人同士になった。
……そのときの私は、まだ知らなかった。
彼が“あの”クセリオス公爵の跡取り息子であることを。
卒業後、私は奉公先に選ばれた。
それが――ヴェスカリア家だった。
同級生たちは羨ましがり、先生たちも祝福してくれた。
でも、屋敷の門をくぐったその日。
迎えてくれた“主人”は、あの恋人、シエノ様だった。
「マリ、よく来てくれた。……本当はすぐにでも結婚したい。でも、父が猛反対しているんだ。説得には、もう少し時間がかかる。ごめん」
「……シエノ様を責めるつもりはありません」
「二人きりのときは、“シエノ”でいいよ。僕は君を、将来の妻として見ている」
「……はい、シエノ」
そう言って抱きしめ合った夜、私は――
本当に“童話の中”にいる気がしていた。
でも、現実は違った。
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「あれ?」
髪留めが見つからない。どこに落としたんだろう。
お気に入りだったから、ちょっと悔しい。だけど。
「……ない!」
今度は、靴が消えていた。
そんなはずない。昨日の夜、きちんと確認した。
いっぱい探して――最後に、ゴミ箱の中で見つかった。
異変は、それだけでは終わらなかった。
メイド服が汚物まみれで廊下に放置されていた。
掃除していた部屋が、目を離した隙に泥だらけになっていた。
私物には落書きがされ、下着までなくなった。
――いったい、何が起きているの……?
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ある日、私はメイドのシアと、先輩たちに呼び出された。
「あんたがシエノ様のお気に入り? 思ったより普通じゃん。どうやってシエノ様をたぶらかしたの?」
「きっと、下賤なその体で誘惑したんでしょう? 売女が」
「まさか、本気で公爵夫人になれると思ってる? シエノ様が、あんたみたいな農婦を本気にするわけないでしょ」
「違う! シエノはそんな人じゃ――!」
「“様”をつけなさい。使用人が公爵家の跡取りを呼び捨てだなんて……お仕置きが必要ね」
――その日から、私は“躾”という名の暴力を受けた。
目立たないように、肌の見えないところを狙われた。
声を上げれば「虚言」として笑われた。
誰も、助けてくれなかった。
なぜ――同じ平民出身の彼女たちが、ここまで私を痛めつけるの……?
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助けを求めようと、私は彼の部屋の前まで行った。
「マリはどうなってる!!」
中から、怒鳴り声が聞こえた。
いつも穏やかな彼が、声を荒げている――そんなの、初めてだった。
ノックしようとした手が、止まる。
「申し訳ございません。彼女がどうかなさいましたか?」
――執事、セバスの声だった。
「彼女はいじめられただろ! 今日も……また、生傷が増えていた! 僕が気づかないとでも……!」
「それは家事の不注意では? 使用人が家事で怪我をするなど、珍しいことではありません。それに、いじめの“証拠”でもあるのですか?」
「……っ」
「坊ちゃま。そんな一人の使用人に肩入れすることを、大旦那様がお知りになれば――」
「……脅すつもりか、セバス」
「いいえ、忠告でございます。ただ……彼女の身に何か起きれば、“その責任”も伴います」
ドアの向こうで、シエノ様は黙り込んだ。
……きっと、悔しかったんだ。
でも、それでも――私はもう、助けを求めることはできなかった。
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なるほど、あの時のセリナも、きっとこんな気持ちだったのだろう。
周囲から嫌われ、一番信頼している人からも、助けは得られなかった。
そんなに、苦しかったんだね。
……ごめんよ、セリナ。
あなたは、こんな苦しみを一人で耐えていたんだね。
……本当に、ごめんよ。
だから、神は私に――
あなたを見捨てた私に、同じ罰を下した。
ざまみろ、って。
妹分を見捨てて、自分だけ幸せになろうとした女の、末路だって。
ならば、受けるべきだよ。
この痛みを。
これが私の――罪なんだから。
「もしあのとき、勇気があれば」
そんな後悔に、マリは今も向き合っています。
かつての選択は、彼女に何をもたらすのか――
次回は、マリの選択と、彼女がセリナに伝えたい“本当の言葉”を描きます。
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