【リメイク】第二十八話:封鎖された夕暮れ、ホップタウン最後の一日
――その村は、滅ぶ。
誰もが知っていた結末。
けれど、その夜を生きていた人々は、まだ知らない。
明日も来ると信じていた。
冬も来ると信じていた。
家族と笑い合える未来が続くと、疑いもしなかった。
これは、ある小さな村の“最後の一日”。
そして――
勇者セリナが、永遠に失ったものの記録である。
魔王軍が来る――
そう、王都神殿の大司祭様が告げました。
その情報はあっという間に王国中に広まり、やがてこのホップタウンにも届き、そして私たち家族のもとにも。
「物騒だね。魔王軍なんて、本当に勘弁してほしいよ」
「大丈夫。そのときは、お父さんがユキナとお母さんを守ってやる」
「お父さん、昨日ぎっくり腰になったばかりでしょ? 無理しないでね」
「男はな、無理してでもやるときはやるもんなんだ」
「はいはい、お父さん。頼りにしてるよ」
そんな話をしていても、我が家は相変わらず明るく、笑い声の絶えない日々を過ごしていました。
誰も、魔王軍がこんな小さく辺鄙な村を襲うなんて思いません。
世間がどれほど騒ごうと、ここではまた普通の毎日を過ごすだけです。魔王軍が来るより、カンナちゃんとオズワルドさんの夫婦喧嘩の方がよっぽど迷惑です。
*
「どうして行っちゃうの! 『あたしのこと、世界で一番愛してる』って言ったじゃない!」
「愛しているさ。その愛は、例えこの世が滅ぼうとかわらない。だが、今の我は貧乏な放浪魔法使い。そなたの家族も我らの結びを認めないであろう…だから、我は魔王を倒して、そなたの家族に認められる男になりたい!」
「バカ! そんな危ないこと行かせられるわけないじゃない! あんたが死んだら、あたしも死ぬからね!」
「カンナちゃん!」
「オズさん!」
「あの、ユキナはどうしてもここにいなきゃダメですか…」
二人の仲が日々良くなるのは喜ばしいことですが、その毎日のやり取りを必ずユキナに見せるのは、さすがにちょっと堪えられないものがあります。
「同胞ユキナよ、最高の演出には観客がいないと白けるものだろう」
「あたしたちの幸せをあなたに分けてあげたいのよ、ね~」
「ごちそうさまです。もうお腹いっぱいです」
オズワルドさんはカンナちゃんの影響で、謎の言動の『量』はかなり減りましたが、逆に『質』の方が別の方向へエスカレートしていました。
「我の最新改良した爆裂魔法をお見せしよう。これで魔王を仕留める時の奥の手だ」
「あの…奥の手なら仕舞っておいてください。いざという時に効かなくなるかもしれません…」
「チチチ、ちゃんと試さないと、それこそ肝心な時に使い方がわからなくなる。では、いざ。」
「やめてください! 爆発の後を掃除するのは誰だと思いますか!」
「ユキナ? あなた、最近結構性格変わったんじゃないかしら?」
変わっている? 前のユキナはどうだったでしょうか。なんとなくその辺りがぼんやりしていて、思い出せません。
私…ユキナですよね?
*
だけどそんな他愛もない日も、いつか終わります。あの男が来てから――
「あの人……誰でしょうか?」
ある日、村に見慣れない偉い人がやってきました。
この何もない村に、そんな高貴な来訪者が来るのは本当に珍しいことです。
その服装と同行の馬車の数から、貴族様でもかなり高位な方らしいです。
「あれはクセリオス・ヴェスカリア公爵様だよ。貴族の中でもあの方より偉い方はいないらしい」
「えっ? なんでそんな方が、こんな辺鄙な村に…?」
「さあね。貴族様の考えることなんて、私たち庶民にはわかりませんよ。気が済んだらすぐ帰るんじゃない?」
村人たちはひそひそ話し合っています。あの公爵様については、どうも不穏な噂が絶えないらしい。しかしどれもただの噂で終わるのが、かえって不気味さを感じさせます。
クセリオス・ヴェスカリア公爵?
……あれ?
その名前、どこかで聞いたような……
どうしてこの紙に…依頼主?に近い名前があった気が…
あれ? 依頼って何? 私は何を思い出そうとしているのですか?
いやいや、気のせいですよ、きっと。
*
その公爵様はただ来ただけではなく、武器をフル装備した兵隊を、この村を囲むほどの数連れてきました。
「ちょっと! なぜ村から出ちゃいけないの? 私たちの生活がかかってるのよ!」
「公爵様の命により、この村は本日より出入り禁止といたします」
「公爵だかなんだか知らないけど、こんな勝手なことされたら大迷惑だ!」
どうやら、公爵様はこのホップタウンを村ごと封鎖したようでした。
外で商売していた人たちや用事のあった人たちからは、不満が爆発。
もちろん、我が家の大黒柱であるお父さんも猛反対です。
「皆さん、落ち着いてください。
魔王軍が、明日グラナールへの襲撃を計画しているという情報が入りました。
この村が、その通過点になるかもしれない。
皆さんの安全のため、明日の夕方まで、村の外に出ないようお願いしているのです。
もちろん、それ以降は必ず、自由な出入りをお約束します。このクセリオス・ヴェスカリア公爵の名にかけて」
公爵は深々と頭を下げ、丁寧に説明しました。
そこまで高位な身分でありながら、身分の低い私たち村人に頭を下げるとは――その誇らない態度が、皆の好感を得ました。どうせ本気で抗っても、この村の千人程度の人口は、それ以上の数がある訓練された兵隊さんたちには勝てません。
「そうです、こちらの都合で損害を受けさせるのは一方的過ぎましたよね。ではその損失もヴェスカリア家が全面負担させていただきます。お一人一日のご迷惑料として、金貨一枚でいかがでしょうか。足りない方は個別で相談しますが。」
「金貨一枚!? 十分、十分すぎる。公爵様は実に心優しい方ですな。ははは。」
金貨一枚は、この村の一家の一年の収入に匹敵する大金。これさえあれば、一日どころか一年何もしなくてもそれなりに暮らせる。その好条件を断れる者は、この村にはいません。
「まあ、公爵様がそこまでおっしゃるなら、明日まで待つさ。別に金のためじゃないからね。公爵様が我々と同じ目線で話し合ってくれるから、我々も公爵様にはご迷惑をおかけしたくないだけだ。」
お父さんが率先してそう言ってくれて、村の皆も落ち着きを取り戻しました。
「ええ、明日までに必ず解放します。弁償金はその時、一度に全員に配りますので、どうかその時まで決して村から出ないようにお願いします。」
公爵様もそう誓ってくれました。しかしユキナには、その優しい笑顔の裏に、おぞましい何かを感じました。
あの人は私たちに向かって話しているのではありません。ただ皆に信頼される公爵様を演じているだけ。あの人は最初から最後まで、自分しか見ていません。公爵様が私を見る目はまるで値踏みをするために――羊の群れを数えていますように。
*
村が封鎖されると、一日が普通の毎日より長く感じます。いつも忙しい村が、一気に止まった気がします。
そんな静けさをぶち破ったのは、一人の青年でした。
「何をしている! この魔法陣は何なんだ! 説明しろ!」
オズワルドさんは、村を封鎖している兵隊と揉め始めました。兵隊たちは村の周囲に魔法陣を描いているらしい。それを見たオズワルドさんは一気に冷静さを失いました。いつものおかしな言動もなく、怒りに任せて兵隊さんたちに問いかけます。
「これは村を守る魔除けの結界だ。これがある限り、魔物は村に侵入できない。お前たちは安全だ」
「嘘だ! これは素人から見てもヤバイ代物だ! 『守る』なんてとんでもない。そこに書かれた呪文は、翻訳されていない精霊文字だ。精霊に疎い俺にも、一つだけわかる文字がある」
――『贄』
「そんな大量の『贄』の文字が書かれた魔法陣が、魔除けなわけがない! 皆、逃げろ! ここは危険なんだ!」
オズワルドさんは必死で村人たちに、この封鎖が怪しい、危険だと説きました。しかしオズワルドさんの話に耳を傾ける者は、ユキナとカンナちゃん以外ほとんどいませんでした。
原因はおそらく、オズワルドがいつもおかしな言動をしていたから。そんな彼が一所懸命説明しても、村人からは「まだ言ってるよ」と無視されるだけでした。
オズワルドさんは夜まで、ほとんど全ての村人の家に「逃げろ」と説明して回りましたが、最後まで誰一人として彼を信じませんでした。
――『狼の少年』。
なぜか私には、その物語が思い浮かびます。普段不真面目で「狼が来た」と嘘をつく少年は、本当に狼が来た時、どれだけ叫んでも誰も信じてくれません。
しかしオズワルドさんの場合、狼に食べられるのは恐らく彼ではなく、彼を信じなかった村人たちかもしれません。
だって狼は、少年よりも信頼できる者に偽装したのですから。皆は当然、狼の方を信じます。
あの、本当に支払われるかわからない一枚の金貨を信じる限り、この村は動けません。
最後の家にも拒絶されたオズワルドさんは、無力に地面に跪き、悔しさに地面を叩きました。
「俺は無力だ。魔王どころか、今この村人たちを守るためにあの公爵に立ち向かう勇気もない。なんて情けないんだ…」
「オズさんは悪くありません。ただ、いきなりそんなことを言われても、こんな話、信じるほうが難しいと思いますよ」
「逃げよう! この村はもうダメかもしれない。ここにいても、未来はない!」
逃げる? お父さんとお母さんを置いて? ユキナには無理です。
ユキナに知らない記憶が蘇ってきます。あの夜。「後で会おう」と約束してセリナを先に逃がしたお母さんは、約束を守れませんでした。次に会った時、彼女はもう冷たい死体になって、セリナを一人置いていきました。
そんなの嫌だ! それなら一緒に死んだ方が――
「セリナは行かない」
「え?」
「セリナは最後までお父さんとお母さんと一緒にいる。たとえ死んでも」
「ユキナ?」
「もう一人は嫌だ。一人はつらい。耐えられない。」
「セリナって誰?」
え? 誰でしょう? なぜ私はあの名前を口にしたのでしょう。私はユキナ。ホップタウンでお母さんとお父さんと普通に暮らしている女の子。セリナなんて知らない人です。
『セリナ君、君はそれでいいのかい?』
いいに決まっています。だって私はユキナだもの。勇者じゃない、孤児じゃない、家族がいる普通の女の子だもん!
「ごめんなさい。ユキナはここにいます。もうここから出られません」
「ユキナ、一緒に行こう。あんたが死ぬのは見たくないよ。あたしの親は今ラム・ランデブにいる。そこに行けばどうにかなるよ」
「お父さんとお母さんを置いていけないよ…」
お父さんたちも結局、オズワルドさんの話を信じませんでした。だから彼らはここから出ません。
そしてユキナも、同じく彼らの側から離れられません。歴史のように。
「ご両親のことは申し訳ない。説得できなかった俺のせいだ。だけど、あなたまで一緒にいる必要はない。ご両親も真実を知れば、あなたが逃げたことを喜ぶさ」
「ありがとう。でも、もう無理ですよ。だってお二人が生きる未来と、ユキナがここで朽ちる未来は、もう確定してしまったのですから。オズワルドさん、カンナちゃんをよろしく」
「ちょっと、なんで一人で終わらせてるの? オズさん?」
「ごめん!」
オズワルドさんは氷魔法でカンナちゃんの体温を下げて眠らせました。
「俺はこの大軍の包囲から二人を連れて逃げるほど強くない。だからカンナだけで精一杯だ。正直な話、あなたが残ることを嬉しく思っている自分もいる。ごめん。身勝手な俺を、許せなくてもいいから。」
オズワルドがカンナを背負って離れる姿を見て、私はどこかで安心したかもしれません。私は一人で家に帰りました。
*
「……あー、暇だなあ。村の外に出られないだけで、こんなに退屈するとは」
「いいじゃない。最近忙しくて、ユキナと私とで過ごす時間も少なかったし」
お父さんは珍しくベッドで寛いでいます。隣のお母さんは冬のためのマフラーを編んでいます。もうこの村に冬が来ないというのに。
「帰ってきたか。まだあの胡散臭い魔法使いの男と一緒にいたのか? ダメだぞ。男はみんな狼だからな」
「それは、お父さんも狼ということですか?」
「いやいや、お父さんはいいんだ。狼でもいい狼だ」
「嘘つけ。結婚前にユキナができて、それでうちのパパに認めさせた悪い狼のくせに」
「ちょっと、母さん、それは言わない約束だろ」
この他愛もない生活が永遠に続けばいいのに。あの時のユキナは、今のユキナと同じ気持ちでしょうか。
「そうだな。よし、明日は家族で家にこもってのんびりしよう。
パパもそろそろ休みたかったところだし。……さあ、ユキナ! 今までの分も、いっぱい甘えてくれていいんだぞ!」
「お父さんも最近はお疲れだったから、ゆっくり休んでね」
「うちのユキナは本当にいい娘だ……絶対、嫁にはやらんぞ、パパは」
「お父さんったらもう…」
その時、部屋の外から大きな爆発の音がしました。あれはオズワルドさんが得意とする爆裂魔法です。本当にいざという時に役立ちましたね。リリアンヌがいるということは、彼ら二人が無事逃げられた証拠。このホップタウンで唯一の生還者です。
「あの頭がおかしい魔法使い、まだバンバン撃ちやがって。明日になったら懲らしめてやる」
「お父さん、その辺にして。明日は家族サービスでしょ。ユキナ、明日どんなスカートにする?」
「お母さんの好きなのでいいですよ。ユキナは、お二人が幸せならそれでいいです」
そう――もうこれが、この家の最後の夜だから。
ホップタウンは滅ぶ。
それは、もう決まっている未来だ。
逃げなかった者。
逃げられなかった者。
信じた者。
疑えなかった者。
そのすべてを巻き込み、
“異世界勇者召喚”という禁忌が始まる。




